異世界
ブクマ、評価、感想などよろしければお願いします。励みになります。
「なぁ黒瀬くん。異世界についてどう思う?」
「……それはサークルのことですか? それとも異世界の存在そのものについてですか?」
「両方だ。たった少ししか話をしていないが、君が聡明で普通とは少し違った考えを持っていることはよくわかった。だからこそ、君にとって異世界がどう見えているのかを知りたい」
両親は僕を聡明な大人になってほしいと願って『聡』と名付けたらしい。よかった、両親の期待している評価を得ることができたぞ。
……と喜ぶわけもなく、なぜ聡明という判断を先生がしたのか、僕にはよくわからなかった。何か難しい問題を解いたわけでも、世紀の大発見をしたわけでもない。入り組んではいるが、ゴールが一つしかない迷路を攻略したといった感じだ。
今村さんの助言があってこそだが、自分の力だけでもいずれ到達していただろう。だから別に僕が聡明じゃない気もする。しかし、せっかく褒められたのに強く否定する必要もないだろう。
異世界……異世界ねぇ……この一週間で何度それについて考えただろうか。正しい答えなんて誰にもわかりはしないのに、考えることはやめられなかった。もしかしたら、それだけ魅力的な世界なのかもしれない。
「当たり前ですが、僕には異世界がどんな世界なのかわかりません。それこそ、異世界に直接行かない限り、誰も異世界がどんな世界なのかわからないでしょう」
「もちろんそうだ。私にだってわかるはずもない」
「ただ……異世界に行きたいと行っている人たちは、異世界にいけば自分の理想が叶うと考えている気がします。異世界転生したい——異世界転生サークルのメンバー以外にも内心そう考えている人はいるでしょう」
「いるだろうな。この国の自殺者は非常に多い。自ら命を絶つ人の多くは、朝目覚めたら世界が自分の都合のいいように変わっていたらと願っているはずさ」
異世界——文字通りこの世界とは異なる世界のことだ。では、異世界とこの世界では何が違うのだろうか。
貧乏で三食満足に食べることができない人は、お金持ちだったらどんなに幸せだったろうかと思うだろう。勉強ができない人は、勉強ができたらよかったのに、運動のできない人は、運動ができたらどれだけよかったのに、と人は自分に足りないものを渇望する。
今、自分が持っているものが他者から見てどれだけ価値があるのか。そんなことは気にも留めない。自分の手にあるものは無価値で、それ以外のものは価値がある——それが人間の価値観だと思う。
異世界に行ったら、クソみたいな人生が変わる——それは一つの真実かもしれない。しかし、そうならないかもしれない。例えば、奴隷制度が蔓延る異世界に転生して奴隷のような扱いをうけたとしよう。それでも異世界転生が本当に幸せなものだったといえるのだろうか。
結局、誰もが異世界に行きたいわけじゃない。自分の理想を叶えたいだけなのだ。
「異世界転生という行為を否定はしません。ただ、今ある現実を変えたくて、異世界転生という手段にすがっているとするならば……」
異世界転生サークルの顧問に、このような言葉を投げるのは気が引ける。しかし、思っていることを言わないのも違うだろう。神田美咲という人間が、ありきたりな答えを求めているとも思えない。
だから僕は、トゲがあるかもしれない言葉をあえてそのままにして、先生に放り投げた。
「それこそが現実逃避に他ならないと僕は思います」
先生は僕が投げた言葉を受け取り、ゆっくりと咀嚼しているようだった。異世界転生サークルに参加している人間そのものを否定するような言葉だ。けど、先生は声を荒げることも否定することもしなかった。
「……異世界転生をする方法を探すことは無意味だと思うか?」
「……思いません。何かを目指すことは決して悪いことじゃないと思います。ただ、現実を変えたいのならば、この世界で正しい方向に向かって努力もするべきです」
「なるほど。力強い意見だな。君はこの世界が嫌になったことはないのか?」
「……ないとは言いません」
「私はある。なぜ、ほとんどの大人が決まった幸せしか受けることができないのだろう。この世界には世界を征服するような魔王も、それに争う勇者もいない。安寧とした日々を私たちは過ごしている。もちろん、過去の人たちの努力の結果、こう言った暮らしができているわけだが、そういったスリルある暮らしに憧れることもある」
「……なんだが中二病みたいですね」
正直、僕も似たようなことを考えたことはある。恥ずかしいからあまり思い出したくないけど。
「ああそうだ。そしてこの世界でどれだけ努力しても、私が思っているような世界には変わらないだろう。だから私は諦めた。この世界で普通に生きることを決めた。しかし、異世界転生サークルなるものを立ち上げたいと郡から相談があったときは驚いた。私と同じような考えの人間がいるんだってな」
「けど郡さんは……」
「ああそうだ。あいつは違う。けど、全く違うわけでもないんだ」
「……どういうことですか?」
「それはあいつから聞くべきだ。もしかして、君ならまた正解にたどり着くかもしれないがな」
「まぁ私が言いたいことはこれだけだ」先生は僕の手を握った。女性らしい柔らかさが僕の心臓を跳ねさせる。やめてくれ、一応店主の人も見ているのに。
「君さえ良ければ郡の力になってやってくれ」
僕にとっての現実は、アニメを見て漫画とラノベを読んでたまに友達と遊んで……そんな感じだった。これがずっと続くと思っていたし、少なくとも高専に在学中はこうやって過ごすつもりだった。
しかし、この現実は大きく姿を変えることになる。それが望ましいか、望ましくないかはわからない。しかし、ある意味では——
この瞬間から、僕の現実は異世界へと変わったといえるだろう。




