生きるって大切
「永剛さんが……人生を諦めている気がしたからです」
「学校に来ていないと、人生を諦めていることになるのかね?」
「違います。何か目的があって、やりたいことがあって学校に来ないのは別にいいと思います。ただ、永剛さんからはそれを感じられなかった。自分の人生に対して、やけになっているように見えたんです」
「なるほど。つまり、学校に来るかどうかはさておき、彼女の人生は豊かなものにしてあげたいと言っているわけだな」
改めて言葉にされると恥ずかしくなってくる。どの立場で僕は行動しているのだろうか。余計なお節介感が拭えない。
「し、か、し、だ」先生は少し眉間にしわを寄せている。僕の言っていることに納得がいっていない顔だ。
「なぜ、君がそこまでする必要がある。永剛結衣さんは赤の他人だろう。別に友達というわけではあるまい」
「それは……っていうか先生がそんなこと言っていいんですか?」
「黒瀬くん、私は真剣だよ。これは君の人生にも関わることだ」
声のトーンが少し低くなる。溌剌とした雰囲気からは一変。先生らしい、大人らしい威圧感すら覚える。
「赤の他人の人生なんて放っておけばいいだろう。彼女が学校に来ることで君に何かメリットがあるのか? むしろ、彼女に関わる労力と時間。それらを君が費やすことを考えたら、得るのはデメリットだらけだ」
「……自分の得にならないことには関わるなってことですか?」
「そこまで極論ではないさ。ただ、中途半端に関わった結果、途中で投げ出されたら傷つくのは永剛さんだ。君にそこまでの覚悟があるのかという話だよ」
この問題は非常にデリケートだ。カウンセラーである先生は、僕が知らないだけで永剛さんに何かしらのアプローチをしているのかもしれない。そうでなくても、先生として生徒が傷つくかもしれない行動を見過ごすわけにはいかないのだろう。
しかし、僕にとっての問題はそこではない。
「……すいません。勘違いしているかもしれないので言わせてください」
「ほう?」
先生が不思議そうな表情を浮かべる。
「僕は僕のために永剛さんの身を案じています。ここで僕が何もせずに、彼女が一生このままになったらきっと後悔します。僕は後悔したくない。それだけです」
「……なぜ、君が後悔を覚える必要がある。幸せな人生を歩めるやつはそう多くない。むしろ、少数派だ。君の友達や家族、周りの人たちがすべて幸せになる道を探すつもりか? はっきり言うが、それは無理だ。君でなくとも、人間一人にそこまでのことはできない」
「別に永剛さんが幸せな人生を歩まなくてもいいんです。それは僕に関係ない」
そう、関係ない。人にとって幸せの定義は様々だ。人の幸せを考えてやれるほど、僕は偉くないし賢くもない。ただ——
「このままだと永剛さんは死んでしまうかもしれません。僕はただ生きてほしいだけです。人が死ぬっていうのは、後味が悪いですから」
幸せな人生だろうが、困難ばかりある人生だろうが知らない。ただ、生きることを諦めるべきではない。僕は人生や幸せについて何も知らないが、生きることが大切だということは知っている。
生きたくても生きられなかった奴もいるのだ。それなのに健康な体と有り余るお金を手にしていながら、生きることを諦めるべきではない。そんな贅沢は決して許さない。
「——なるほど。君の覚悟は伝わったよ。確かに不登校の生徒がそのまま命を絶つケースは少なくない。永剛さんに直接会って、君は彼女が命を絶とうとしていると感じたわけだね」
そこまでは感じてないけど、そういうことにしておこう。なんとなく、嫌な予感がしたのは事実だし。
「わかった。君が何をしようとしてるかは知らないが、相談相手くらいにはなろうじゃないか。まさか、無策でここに来たわけではあるまい」
期待の眼差しを向けられる。もちろんだ、僕は胸を張って言ってやった。
「——何も考えてません」
空気が凍る。コーヒーの苦味が胃の中から襲いかかってくる。おかしいな、甘めの美味しい缶コーヒーだったはずなのに。
「君は真剣なのか、ふざけているのかどっちだ」
「真剣です。人の生死についてふざけて話すほど、僕は不謹慎じゃありません」
先生はため息をついて、頭を抱えた。綺麗な髪をゴシゴシとかきむしる。
「——わかった。とりあえず、何ができるのかから考えてみよう。私もカウンセラーの端くれだしな」
「そう言っていただけると助かります。いくらでも理想は思い浮かんだんですけど、何をすればいいのかさっぱりで」
「君は正直だな」
「最近知り合った女の子にもそう言われました。嘘つきよりも正直の方が良くないですか?」
「人間としてはな。女目線で話すと、多少は嘘を交えた方がうまくいくケースも多いぞ。後学のために覚えておくといい」
なるほど。嘘も方便ってやつか。




