どこへ向かっているのだろう
僕と郡さんは帰る途中、再び階段の踊り場で立ち止まった。
「……ある意味予想通りだったわね」
「そう……ですね」
予想通りといえば予想通り。しかし、違うと言われれば違う気がする。僕たちは永剛さんの家に行く前に、ある一つの仮説を立てた。
それが「永剛さんが前向きな理由で学校に行っていない」可能性である。ゲームやアニメに興じることが前向きかどうかはさておき、嫌なことがあったから学校に行きたくないわけじゃない。そう考えると、前向きと言ってもいいだろう。
「けど、趣味に没頭しているのが理由だとは思わなかったわ。もう少し、高尚な理由があると思ってた」
「人間らしいってことじゃないですか?」
「私に言わせれば欲に負けてるだけよ。今、楽しいと感じていることがこの先もずっと楽しいとは限らないわ」
じゃあ、郡さんにとってクソであるこの世界も、未来永劫クソとは限らないのではないだろうか。シンプルな疑問が頭に浮かんだ。しかし、それを口にしようとは思わなかった。
それよりも聞きたいことがあったのだ。
「そもそも、なんでその仮説を立てることができたんですか?」
「……それを話す前に、私がお願いしていたことを教えてくれるかしら?」
僕は郡さんから「永剛さんの家の様子をチェックしておけ」と言われていたのだ。けど、ほぼ郡さんと同じ場所にいたのだから、あまり有益な情報とも思えない。
「一応、見える範囲は確認しました」
「永剛さんの部屋については割愛していいわ。私もある程度は見てたからね。けど、話してたから他の場所はよく見れてないの。リビングはどんな様子だった?」
「リビングは……特に何もありませんでしたよ。けど……」
「けど?」
「なんだか、生活感がない感じでした。普通、リビングって食事のゴミとか、飲みかけのペットボトルとか、あるのが普通だと思うんです。ただ、モデルルームみたいに綺麗だったというか……」
「そう……ちなみに永剛さんの部屋には食事の容器が置いてあったわ。多分、生活のすべてをあの部屋だけで行なっているのでしょうね」
「ああ、だったらリビングが綺麗なのも納得ですね」
「いや、そうとも限らないわよ」
なぜだろう。僕は基本的に自分の部屋で過ごしている。食事はリビングでとっているが、別に自分の部屋でとることもできる。自分の部屋だけで生活している人なんて、それほど珍しくない印象だ。
「思い出してみて。彼女の部屋のドアには『YUI』ってネームプレートがかけてあったでしょ」
「はい、ありました。……あれ?」
「気づいた? 彼女は一人暮らしのようなものをしていると言っていたわ。だとしたら、わざわざ自分の部屋にネームプレートをかける必要はないでしょ。だって、全部自分の空間なんだから」
ネームプレートをかけるのは、誰かの部屋と自分の部屋を区別するためだ。いわば、家の表札のようなものである。全部自分だけの空間なのだとしたら、確かにネームプレートをかける必要はない。
ドアに装飾を施すという意味合いもあるのかもしれない。しかし、それにしてはデザインがシンプルだった。詳しくはないが、おしゃれとは言わないだろう。
「一人暮らしのようなもの……ねぇ。濁すんだったら、もう少しうまい言い方を考えないと」
「本当は誰かと住んでるのに、それを言いたくないってことですか?」
「その可能性もあるわ。けど、私はもっとシンプルだと考えてる」
「シンプル?」
「誰かと暮らしているのに、実質的な一人暮らしになってるってことよ。親が全く家に帰ってこないとかね」
その言葉を聞いて、僕は急に永剛さんの表情が頭に浮かんだ。終始、声は小さかったし、気分も落ち込んでいるように感じたが、一人暮らしについて尋ねられたときはそれがより一層顕著になった気がしたのだ。
「ねぇ……大丈夫ってどれくらい信憑性があると思う?」
「どういう意味ですか?」
「例えば、あなたがテストで赤点を取ったとするわ。あなたの親御さんは、留年しないか心配になるでしょうね。そこであなたはこう答えるの。『次のテストは頑張るから大丈夫だよ』この大丈夫はどれくらい信頼できると思う?」
「……その後の努力次第ですけど、あまり信憑性はない気がします」
「どうして?」
「状況的に大丈夫って言うしかないからです」
郡さんは少しだけ頬を釣り上げた。落ち着きを与えてくれる微笑みだ。
「その通りよ。じゃあ、永剛さんはどうかしらね。『ネット環境さえあればそれでいい』言い換えれば『ネット環境以外はなくても大丈夫』ってことよ」
「自分に言い聞かせてるんですかね?」
「ほぼ間違いなくね。それに今が最高に楽しいなら、もっと明るい表情を浮かべないと。彼女、中学時代はそれなりに溌剌とした女の子だったそうよ」
溌剌——今の永劫さんとは真逆と言ってもいいだろう。そもそも、不登校とか、インターネットに張り付いている人にあまり溌剌したイメージはない。本人がそれを望んでいるなら、別にいいとは思うが。
郡さんは本当に永剛さんのことをよく調べている。しかし、シンプルな疑問が僕の頭に浮かんだ。そもそも、僕たちは彼女を異世界転生サークルに勧誘するつもりで、ここに来たのである。
永剛さんが何かに悩んでいるのは間違いないだろう。ただ、その原因を考えて、解決することが異世界転生サークルの加入につながるのだろうか。
永剛さんが学校に来ようと、このまま不登校になろうと、異世界転生サークルに参加しないのであれば、郡さんにとっては何も関係ないのではないだろうか。
「さて、あまり待たせてもなんだから行きましょうか。これからどうするか考えないとね」
やっぱり、永剛さんを諦めてはいないようだ。しかし、そこまで深く関与することが異世界転生サークルのやるべきことなのだろうか。
きっと、僕にはわからない何かを郡さんは見ているのだろう。汚れたアパートの踊り場を浄化するような夕焼けを見つつ、僕は郡さんの行動に少し不信感を抱いた。




