不登校少女のお家訪問
「お、おじゃましまーす」
なぜかひそひそ声になる。だが、これは仕方ないと思う。なんせ僕は、今まで女の子と交際したこともないし、それ以前に女の子の友人もいない。もちろん、女の子の部屋に入ったことなんてない。
そんなやつが勇気ある一歩を踏み出しているのだ。歩みを止めていないだけマシだろう。
ただのアパートの一室なのに、異世界感がある。玄関、リビング、キッチン、珍しくもない設備がやけに新鮮に映った。
「意外と広いのね」
「……見た目は悪いけど、その分家賃が安くて部屋が広いの。そうでもないと、こんなアパート住まない」
「あなた……一人暮らしなの?」
「……まぁそんなもの」
永剛さんは小さく、地面に向かって言葉を投げた。
「入って」
「ここは……あなたの部屋?」
「そう。まぁ全部私の部屋のようなものだけど」
リビングに隣接しているその部屋のドアには木製のプレートがかけられており、そこに『YUI』と書かれていた。
リビングは本当に質素なレイアウトになっている。キッチンには洗い物が一切なく、調理器具も見当たらない。きっと料理はしていないのだろう。しかし、食べ物のゴミが散乱している様子もない。
カーペットの上に机が置いてあるだけ。他には何もない。こんなところでは生活もままならないだろう。
「……リビングはほとんど使ってない。私は自分の部屋にいることが多いから」
「あっ……失礼しました」
ついジロジロ見てしまった。気をつけていたのに。
「……どうぞ」
永剛さんは自室のドアを開けて、僕たちを中に入れてくれた。その瞬間、僕は一瞬だけ視力を失った気がした。
「……うっわ」
郡さんは少したじろいでいる。しかし、無理もないだろう。そこにあったのは作戦司令部かってくらいの膨大なモニターの数々とそこにつながっているパソコンたちだったからだ。
僕はそれなりにゲームもやるので、ディスプレイから放たれる光には慣れていると思っていた。しかし、あまりにも量が多すぎる。この中で生活をしていたら、数時間で目がおかしくなりそうだ。
「あなた……何してるの?」
「ゲーム、アニメ、ネットサーフィン、その他もろもろ」
「こんなにたくさんのモニターを使う意味は?」
「別にない。ただ、ないよりはあった方が便利」
モニターはほぼすべて稼働している。見るとアニメが途中で停止していたり、インターネットのページが開いたままになったりしている。それらをいちいち閉じるのが面倒だから、複数のモニターを使っているのか。
「それで? あなたが学校に来ない理由ってなんなの?」
「……見てわからない?」
「まさかゲームとかアニメ鑑賞に忙しいからっていうつもりじゃないでしょうね」
「……よくわかってるじゃない」
郡さんは頭を抱えた。僕は頭こそ抱えなかったが、きっと郡さんと同じ気持ちだろう。
……なんというか、ここに来る前に僕たちがあれこれ話していたのが急に馬鹿らしくなった……そんな気持ちだ。
「あなた……じゃあなんで受験したのよ」
「……その時は行くつもりだった。気分が変わったの」
「今、学校を辞めてない理由は?」
「……また気が変わるかもしれないし」
完全に僕は永剛さんを理解した。人のことを理解した気になるのは愚かだと思うが、今回に関しては理解したと断言していいだろう。
要するに、気が向かないから学校に来ていないのだ。全ては気分。気分しだいで来るかもしれないし、そのまま退学になるかもしれない。
ただ、永剛さんは自分の感情に従っているだけなのだ。しかし、それだと一つの懸念点が残る。
「……あなたの考えはわかったわ。最後に一つだけ聞かせて」
「……それ聞いたら帰る?」
「帰るわ。回答次第では、もう来ないって約束してもいい」
「……わかった」
「将来についてどう考えてるの?」
瞬間を楽しむという選択はあながち間違いではない。そういった内容の自己啓発本も見たことがある。しかし、僕たちの人生は学生時代で終わるわけではない。むしろ、そこからが始まりといってもいいだろう。
社会のことはよくわからないが、高校時代を不登校で過ごした結果、人生が詰むのは容易に想像できる。ましてや、第三高専に合格するために勉強を頑張ることのできた永剛さんが、そのことを理解していないはずがないのだ。
「……お金があるから」
「お金?」
「……入学前にお父さんが死んだの。といっても私はほとんど見たことなかったんだけど」
「どういうこと?」
「……仕事で家にいなかったの。家にはお母さんと私の二人しかいなかった」
「……お金っていうのは、遺産ってこと?」
「……そう。自慢じゃないけど、お父さん相当お金を持ってたみたいで死んだら信じられないくらいのお金が入ってきた。それを私とお母さんで分けたんだけど、それでも人が一人遊んで暮らしても持て余すくらい」
お金は生きる手段だ。お金がなければ、資本主義の世の中において何もできない。逆に言えば、お金さえあれば世の中において必要とされているほとんどの行為が必要なくなる。
「そんなにお金があるのに、何でこんなところ住んでるの?」
「……あまり興味ないから。ネット環境さえあれば、私はそれでいい」
お金がどれだけ潤沢にあるかは知らないが、無駄遣いをするつもりはないのだろう。
「……どう? これで満足?」
「……そうね。黒瀬くん、もうお暇しましょ」
「いいんですか?」
「いいも何も私は彼女が何で不登校になったのか知りたくてここに来たのよ。学校に来させるのが目的じゃないわ」
半分本当で半分嘘だ。僕たちがここにいるのは彼女を異世界転生サークルに勧誘するためだったはずだ。
だけど、サークルの代表がそう言っているのならそれでいいのだろう。結局僕らは、異世界転生と一度も発することなく、永剛さんの家を後にした。




