汚いアパートと美しい不登校少女
ピンポーン……
インターホンの音も聞こえが悪い気がする。漢字で「永剛」と書かれた表札は、錆びて字が読み取りづらい。特に「剛」なんて、ここが永剛さんの部屋だと知らないと読めないだろう。
しかし、アパート全体の劣化は個人でどうしようもないけど、自分の部屋くらいは綺麗にしたいと思わないのだろうか。……そう感じるのなら、こんなアパートに住みはしないか。
「出てこないわね」
「……たまたま外出している可能性は?」
「ゼロではないけど、居留守を使われている可能性の方が高いわね」
僕もそう思う。郡さんは再度、茶色いコーティングをまとったインターホンを押した。
そこから、僕たちは一定の間隔でインターホンを押し続けた。眠っている可能性もある。もしそうだとしたら、何度か押さないと気づかれないかもしれない。
何度も、何度もインターホンを押した。隣の部屋の人からうるさいと怒られないだろうか。しかし、何度押しても永剛さんも隣の部屋の人たちも出てくる気配はなかった。
「……ここまで来ると、本当に外出している可能性が出てきましたね」
「そうね、ただ不登校の女の子が外で遊んでいるとは考えづらいわ。せいぜい、コンビニくらいでしょうね。ここの近くのコンビニは往復で二十分くらいよ。つまり、もう少しここで待っていれば出くわす可能性はあるわ」
そういって郡さんは何回目かのインターホンを押した。すると、
「……誰?」
めちゃくちゃ聞き取りづらかったけど、インターホンから声が聞こえた。
「初めまして。第三高専の郡麗美です。あなたとお話がしたくて来たんですけど」
「……帰って」
ブツン……
なるほど、不登校の生徒というのはこうも面倒なのか。非行に走った生徒を更生させる教師のドラマを見たことがあるが、そんなに現実は大変ではないのだろう。
僕の中の進路の選択肢から、教師が消えた。
ピンポーン……
しかし、郡さんは切られた後、すぐにインターホンを押した。数回押しても反応がなかったが、それでも押し続けた。
「……大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。本当に嫌なら、一度だって出やしないわ」
どこか確信に近い物言いである。なんとなくだが、こういった類の人の取り扱いに長けているような気がした。
しばらく押し続けていると、
「……しつこい」
「ごめんなさい。けど、私たちにも目的があるの。あなたが学校に来ないのと同じでね。別に説教じみたことをするつもりはないから、話だけでも聞いてくれないかしら」
いつものトーンよりも半音くらい高い気がする。うちの母さんが電話でママ友と話しているときもこんな感じだ。
そして、いかにも作ったような笑みを浮かべている。声だけを伝えるタイプのインターホンだから、顔は見えないはずなのに笑っている。
しばらく待つと、ドアが少しだけ開いた。
「……何の用」
ドアの隙間から顔が半分くらい出てきた。
「こんにちは。第三高専の郡麗美です。こっちはあなたと同じクラスの黒瀬聡くんです」
「黒瀬です。こんにちは」
「……だから何の用」
警戒されている。近づくと体を大きく見せる猫のようである。早く帰って欲しいという意思がビシビシ伝わってきた。
「あまり長話をしてもなんだから、単刀直入に言うわ。学校に来ていない理由を教えてほしいの」
「……それを教えるメリットってあるの」
「メリットね。損得勘定で物事を考えるあたり、やっぱり理系って感じ。そうね……あなたにとってのメリットは、悩みが解消されることかしら」
「……私は悩んでるなんて言ったつもりもないし、悩みを解決してほしいとも言ってない」
「必死に受験して合格した難関校に、一度も顔を出さず不登校になっておいて悩みがないなんて言えるのかしら?」
どんどん空気が殺伐としたものになる。どうにも居心地が悪い。
「……学校に来てない理由を話せば、すぐに帰ると約束するなら答えてやってもいい」
「あら、私たちからの報酬はいらないのかしら?」
「……必要ない。聞けばわかる」
そう言うと、永剛さんはドアを大きく開けた。
「……入って」
初めて見た僕のクラスメイトは、僕が想像している不登校の姿とは大きく違った。
不登校の生徒というと、どこか健康的じゃないイメージがあった。髪の毛はボサボサで、ヨレヨレのジャージを愛用している。それが僕の思う不登校の生徒だ。
しかし、永剛さんは違う。髪の毛は胸くらいまで真っ直ぐ伸びている。これをキューティクルが綺麗というのだろう。真っ黒なのに艶々していて、光輝いて見える。
そして見た目も悪くないと思う。悪くないという言い方は上から目線で失礼かもしれない。ただ、郡さんのような凛とした美しいタイプでも、今村さんのようなふわっとした可愛らしいタイプでもない気がする。
なんというか、クラスメイトに一人はいるひっそりと可愛い女の子って感じなのだ。あまり注目はされていないけど、よく見ると可愛い……的な感じ。
少なくとも、永剛さんを見た目で不登校と判断できる人はいないだろう。そう思えるくらいには、顔も髪の毛も手入れされている。
「別にお邪魔するつもりはないけど?」
「見た方が手っ取り早いから、さっさと入って。そこの男の人も」
僕が後ろに下がったのを見てか、わざわざ僕個人に言葉を投げてきた。
「女の子の部屋だから、一応気をつかったつもりなんだけど」
「……そう思うのなら、家にすら来て欲しくなかった。家の前で突っ立ってる方が気持ち悪いし、ここで押し問答をしてる方が時間の無駄だからさっさと入って」
もっともな意見で言いくるめられてしまった。うーん、最近出会う人は、どうも言葉に力がある気がする。




