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彼女は異世界を目指す  作者: 空河赤
第1部「異世界転生サークル」
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こんにちは定期券

  三重県鈴鹿市にある第三工業高等専門学校、通称第三高専はかなり特殊な学校である。一般的な高校は三年生だが、第三高専は五年間も通わなくてはいけない。その代わり工業に関する専門的な知識を深く学ぶことができる。

  簡単にいえば、煩わしい大学受験とか就活とかを楽にパスできるよ! その代わりに五年通ってね! ということだ。僕はこのメリットに魅了されて、第三高専への進学を決意した。同じ学校に五年通うのも、別にデメリットとは思わない。むしろ、環境を変えなくてもいいので、余計なストレスに晒されず楽とすら思える。


  しかし、どんな環境でもデメリットは少なからず存在するものだ。そして、僕は今それを痛感している。


「まだ寒いな……」


 家から駅までの長い長い道のりを自転車でダラダラと進んでいく。ほどよく桜は咲いているが、特筆して美しいわけでもない。本当に美しい桜だったら、そこにいるだけで楽しいものなのだろう。僕が目にしている桜に、それほどの魅力はない。

  したがって僕はこの退屈な時間から逃れられない。今日も明日も、きっとその先もずっと。

 第三高専が家の近くにあればよかったのだが、僕が住んでいるのは四日市市だ。三重県の中では最も都会といわれる場所に住んでいる。どんぐりの背比べであることに違いはないのだけど、四日市市民はそのことに誇りを持っている。だから僕も、あえて四日市市は都会だと思うようにしている。


  第三高専がある鈴鹿市へ行くには、電車を利用しなくてはいけない。幸い、乗り換えはないのだが、それでも二十分くらいはかかってしまう。家から最寄駅である阿倉川駅までが自転車で二十分、電車に乗っている時間が二十分、そして降りた駅から第三高専まで徒歩で二十分である。

  毎日、これだけの時間を捨てなくてはいけないのだから、嫌気もさすというものである。近くの高校に進学したやつが羨ましい。

 しかし、いくら同級生を憎んでも通学時間は変わらない。しかも自分で進学する学校を選んでいるわけだから、文句を言うのはお門違いである。

  少しでも早くこの退屈さから解放されるために、僕はペダルに力を入れた。



「あっつ……」


 さっきとは真逆の感想が漏れる。予定よりも十分早く駅に着いた。その代償として、着込んでいたヒートテックが汗でじっとり張り付いているわけだけど。朝からどうして不快な思いをしなくてはいけないのか。自分のせいですね、そうですね。

 しかし、全力を出せば十分早く着くというのはいい情報かもしれない。寝坊したときの心の保険になりそうだ。こうした油断が遅刻を生むのは知っているのだが、往々にして人間はギリギリを攻めたくなるものだと思っている。十分で着くのならば、十分前にしか家を出ない。色々とリスクはあるが、朝の十分には代えられないのだ。

  駐輪場に自転車を停めて、胸元にパタパタとさせて空気を送り込みながら歩く。空気は冷えているので、上がった体温も徐々に冷えていく。この感覚は悪くない。ほどよく冷えたところで、財布の中に入っている定期券を取り出した。定期券を使って通学するのも、まだ慣れない。というか、このペラペラが一万円以上の代物なのが恐ろしい。財布の中の現金よりも定期券の方が高いのだ。母さんからは「無くしたらお前が買い直せよ」と言われている。こんなものを自分で買う羽目になったら、どれだけのラノベや漫画が買えなくなるかわからない。僕にとっては命より重いのがこの定期券である。


  改札に定期券を通すと、忘れずにしっかりと財布にしまう。どうせ電車を降りるときも使うことになるのだが、ポケットなんかにしまったが最後である。ポケットの収納能力なんて、ほぼないも同然である「ポケットに入れるものは、捨てても構わないものであれ」母さんからのありがたい言葉だ。人生の先輩の言うことは聞いておくべきだろう。

  財布をカバンにしまい、紛失のリスクを極力まで下げる。こうしておけば、僕の未来は安泰である。

  と、僕が定期券に対して異常に過保護になっていると、目の前でピラピラと宙を舞うペラペラの姿が目に入った。ゆっくりと蛇行しながら落下していき、拾って欲しいと言わんばかりに僕の目の前に落下した。無視して通り過ぎることもできたのだが、後々気分が悪くなりそうなのでお望みどおり拾ってやる。

  それは案の定、定期券だった。可哀想に、僕の定期券はこんなにも大切に扱われているのに、お前はそんなぞんざいな扱いを受けているのか。うちの子にならないかと言ってやりたいが、あいに定期券は二つも必要ない。

 目でこの定期券を落としてそうな人を探す。しかし、制服を着た高校生は多い。誰が落としたかなんてわかるはずもなく、早々に探すのを諦めた。

 

 はてさて、どうしたものか。定期券に目を通すと駅の区間が「阿倉川⇄白子」となっている。白子駅というのは、第三高専の最寄駅で僕も降りる駅だ。名前は「イマムラ カンナ」というらしい。きっと女の子だろう。

 ここで駅員さんにこの定期を預けてもいいのだが、降りるときにイマムラさんは定期がない状態になるだろう。僕が改札を出るときに、定期を探して慌てている子がいたらきっとイマムラさんだ。色んなケースを考えた結果、僕がこの定期券と共に電車に乗り込み、白子駅でイマムラさんに渡してあげる方がいい気がした。

 僕は財布に定期券を入れて、親切な行為ができる自分を少しだけ誇らしく感じた。



 定期券を二枚財布に入れていると、僕の財布が持つ価値も倍になる。ちょっとお金持ちになった気分だ。

 電車に揺られながら、定期券を無くしてそうな人を探すがわざとらしく慌てている人は見つからない。まあ、電車で定期券を気にする人もいないだろう。だって電車に乗れているわけだから、まさか無くしているとも思うまい。そもそも、仮になくしたことに気づいたとしても、電車の中でわかりやすくあたふたはしないだろう。

 しかし、明日からはこの電車の時間に何をするかも考えなくては。今はアニメを月額いくらか払えばいくらでも見ることができる。そのうえ、ダウンロードして持ち運べるので通信制限を食らう心配もない。今日はあいにく何もダウンロードしてはいないが、明日からは何作か常にダウンロードしておこう。どうせだったら、異世界ものにしてみるか。

 とりあえず音楽を聴いて時間を潰すことにした。もちろん、異世界アニメのアニソンである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで読みましたが、読みやすく、冒頭の掴みがよかったです。ツイッターの作品紹介でも、よんでみようかなと思わせる文章でした。 「この世はクソだ」 はいいアイキャッチ!
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