私は……
僕と今村さんは何も話すことなく、ただ駅へ向かって歩いた。
第三高専を出てから駅までの道のりは非常にシンプルである。ながいながーい一本道を大きな交差点が見えるまで歩いて、そこからはちょろちょろした道を少し進むだけ。そうしたらすぐ駅だ。つまり、僕たちは通学時間の多くをこの一本道で過ごすことになる。
この道路の何が悪質かって、周りに住宅や商業施設がほとんどなく、やけに見通しがいいところだ。遥か彼方にある交差点の姿が視認できるせいで、目的地までの距離の長さを痛感してしまう。
昨日の朝は、僕と今村さんの横を自転車がすごい勢いで走り抜けていったけど、そうしたくなる気持ちもわかるくらい距離が長い。
それに加えて、今村さんは異常にテンションが低い。空気も重いし、正直楽しくない。うーん、どうしたものかね。
すると、明らかに必要以上にふかした無駄なエンジン音が聞こえてきた。
誰が聞いてもバイクのものだとわかるそれは、どんどん大きくなってくる。誰に対して聞かせているのかは知らないが、そんなに音を鳴らさなくてもいいということは知っている。轟音が近づいてくる感覚は正直不快だ。
ちらっと後ろを見ると、予想通りバイク一台近づいてきていた。遠くから見ても、いかついバイクということがわかる。あまり関わらない方がいい人種だろう。
僕はさりげなく車道側に移動する。「車道側で女を歩かせる奴はクズ」と母さんから教えられている。なんて親の言うことに忠実な息子なのでしょうか。
親の言いつけを守り、車道側に立った。
そのときだった。
目の前の横断歩道に小学生くらいの子供がうずくまっているのである。よく見ると、ランドセルから中身が飛び出ている。すぐに転んだのだと気付いた。しかし、そんなことは問題ではない。
後ろからバイクが近づいてきているのである。
子供は非常に小さい。そのうえ、その横断歩道に信号はない。バイクの轟音もどんどん大きくなっている。速度を落としている気配はない。
最悪の想像が頭をよぎる。その瞬間、僕の体は勝手に走り出した。
しかし、僕が陸上部経験者だからといって、少しスタート位置が有利だからといって、バイクに勝てるはずがない。全速力で走っても、バイクに追い抜かれるのはわかりきっている。
「早く逃げろ!!!!」
走りながら叫ぶ。これがバイクの運転手に届いていれば、子供の存在に気づくかもしれない。しかし、バイク音は僕の声すら搔き消した。自分で自分の声が聞き取りづらい。そこまでバイクが来ている。振り返らなくてもわかった。
くそっっっ……すまない……
反射的に目を塞いだ。
聞こえてきたのは天まで届きそうなくらい甲高いブレーキ音、そしてバイクが転倒した音……そして子供の泣き叫ぶ声だった。
目を細めて、ゆっくりと開く。すると、そこには予想外の光景が広がっていた。
バイクは無残に転倒している。しかし、急にハンドルをきったのか、脇の草道に突っ込んでいたのだ。
そして、道路の真ん中では子供が大声で泣いている。周りには下校中のうちの学生がぞろぞろとマスコミのように事故の様子を見ている。そして、子供を慰めているのは、見覚えのある美しいポニーテールの少女。郡さんだった。
なぜ、郡さんが子供の保護者の如き立ち振る舞いをしているのかという疑問はあったが、それよりも運転手の容体を確認するのが先だろう。転倒したバイクに駆け寄り、運転手を探す。
すると、草の中から人影がゆっくりと起き上がってきた。
「大丈夫ですか……?」
「あ゛あ゛あっっ!!!?」
うーん、元気そうだけでとキレてるなぁ。やっぱり関わっちゃいけないタイプの人だなぁ。
「どけっっ!」
僕を押し飛ばし、泣いている子供の元へと走り出した。あそこまで軽々と動けているのなら、怪我などはないだろう。
「てめぇ!! 何急に飛び出してんだオラァ!!」
その男は郡さんの胸ぐらを勢いよく掴んだ。まずい、とりあえず落ち着かせないと。慌てて二人の間に割って入った。
「ちょっと、やめましょうって」
「うるせぇ!! すっこんでろ!!」
「そうだよ、黒瀬くん。少し下がってて」
え? 思わぬところから非難されたんだけど。一応、親切心で庇ったつもりなのに、切ない気持ちになる。
「は、はい……」
周りからの視線が痛い。恥ずかしい。完全に出しゃばった人間である。しかし、郡さんは胸ぐらを掴まれたままだ。このまま暴力沙汰にでもなろうものなら、流石に下がれと言われても下がるわけにはいかない。
とりあえず、一歩後退りをして様子を伺う。すると、
「おい!! そこで何してんだ!!」
パトカーが二台やってきて、降りてきた警官が無理やり男を引き剥がした。
「おい! 離せよ! あいつが急に飛び出してきたんだよ!!」
「ここは横断歩道だぞ。渡ろうとしている人がいるなら、速度を緩めるのが当たり前だ!」
男はしばらく抵抗していたが、無駄だと観念したのかパトカーの中へ連れていかれた。
郡さんは警察の人と話をしている。その近くには子供もいる。とりあえず、二人に怪我はなさそうである。
胸を撫で下ろし、僕は今村さんを放置していたことを思い出した。辺りを見渡すと、壊れたバイクの近くに立っている今村さんを見つけた。
この場にいても何もできないので、今村さんの元へと向かう。
「いやぁ、危なかったね」
「……そう……ですね」
さっきより元気がなさそうである。事故がショックだったのだろうか。けど、みんな無事だったわけだし、結果オーライのような気もするけど。
「……大丈夫?」
「……さっき、見てたんです。代表さんが道路に飛び出すところ。バイクの人が避けなければ、絶対にぶつかってました」
そうだったのか。僕は途中で目を瞑ってしまったけど、郡さんが身を挺してバイクに人の存在をアピールしてくれたのだ。下校中のうちの学生の一人が郡さんだったのだろう。
「私は……」
そこまで言って、今村さんは言葉を飲み込んだ。純粋に悲しんでいるわけでも、怯えているわけでもない。憂いに沈んだ顔をしていた。




