私だって死ぬのは怖いのよ
やはり通学時間がだるい。
この学校に通い始めて数日だというのに、僕の心は『面倒くさい』という感情一色で支配された。特に苦痛なのが、白子駅から学校までの道のりである。家から阿倉川駅までは自転車で移動しているということもあり、あまりストレスはない。しかし、徒歩というのはどうにもスピード感がなく、だるさを感じてしまう。
昨日は今村さんが一緒に登校してくれたからよかったけど、今日は一人だ。たわいもない話で時間を潰すこともできない。
だるい、そして退屈だ。しっかりと眠ったはずなのに、大きな欠伸が出てくる。一緒に通学できる友人を探すべきかもしれない。今村さんは友達だけど、女の子を誘うのは無理だ。なんだか、勘違いされてしまいそうな気がする。
横断歩道に差し掛かる。歩みすら止めてしまうと、よりだるさが際立つ。欠伸、しばらくしてから、また欠伸。欠伸が止まらない。
「朝から覇気のない顔をしているのね」
大きく口を開けたタイミングで、いきなり声をかけられた。そこにはだるさとは程遠そうな表情で、凛として立っている郡さんがいた。いつもと同じようにポニーテールである。何度見ても素晴らしい。
「おはようございます」
「おはよう。あなたは起きているか怪しいから、この挨拶は適切じゃないかもしれないけど」
「起きてますよ。眠りながら歩ける高等技術を僕は身につけてないです」
「目を開けて立っている状態を起きているとは呼ばないわ。生に全力な姿こそ、起きているっていうのよ」
初めて知った。確かに今の僕は、全力で生きているとは到底言えないだろう。
「それだったら、僕の人生のほとんどは眠ってるかもしれませんね」
「だったら、起きて活動できるように努力なさい。退屈だと思うこの時間を有意義に使うために、何をすべきか考えるの」
「郡さんは何をしてるんですか?」
「決まってるじゃない。どうすれば異世界転生ができるのか、考えているのよ」
絶対そう言うと思った。本当にこの人は、異世界転生をすることしか頭にないんだな。
「どうすれば異世界転生ができると思ってるんですか?」
特別な興味を抱いたわけじゃない。ただ、僕と郡さんの目的地が同じである以上、無言の時間を過ごさないためにはこの話題を提供するのが適切だと思った。
「それがわからないから、行方不明者を探したりしてるわけだけど?」
「それはあくまで異世界転生を証明する手段ですよね。確証はなかったとしても、仮定は存在するかなと思って」
「なるほどね。確かに仮定はいくつも存在するわ。けど、それは妄想の範囲内よ」
「いいじゃないですか。確証はなくても仮定を立てければ、証明は絶対に成立しません。中学の数学で学びました」
「……懐かしいわね。一年くらい証明問題には触れてないけど、今でも解けるかしら……」
僕が一年間、証明問題を解かなかったとしたら、絶対に解ける気がしない。なんなら今でも解ける気がしない。
「さっきの話だけど、異世界転生の手段として一番可能性が高そうなのは死ぬことだと思っているわ」
「昨日は、ゴミクズみたいな可能性だって言ってませんでしたっけ?」
「他の可能性がミジンコみたいに微小なだけよ。ゴミクズでも、他の可能性よりはマシだと思うわ」
信号が青に変わり、僕と郡さんは自然と同じペースで歩き始める。昨日、今日と別の女の人と登校してるなんて、昨日僕に鋭い視線を向けていたクラスメートが知ったら発狂するだろう。
「死は不明なことだらけよ。だからこそ、すべての可能性がある。天国、地獄に行く可能性、もう一度同じ人生をやり直す可能性、そして異世界転生の可能性、すべてが平等に存在すると思うわ」
「ってことは、死には無限の可能性があると?」
「言い換えればそういうことね。だからって、私は死を選んだりはしないけどね」
「それはどうしてですか? 人生がクソというなら、異世界転生をするよりもこの世界から脱出する方法を考える方が理に叶っていると思いますけど」
今村さんと話した内容をそのままぶつけてみる。すると、郡さんは少し笑った。
「あなた、その言葉は死を助長しているようなものよ。異世界転生なんて奇天烈な方法探すより、死んだほうがマシだって言ってるようなものじゃない」
何が面白いのかわからないが、郡さんは笑みを浮かべている。けど、かなり失礼なことを聞いてしまったかもしれない。命に関わることをそう軽率に発言するべきではなかった。
「すみません。考えが足りませんでした」
「いいのよ。その疑問は当然だと思うしね」
純粋に面白がっているという笑みから、穏やかな笑みに変わった気がした。
「私ね、死ぬのが怖いのよ」
「へ?」
「何その間抜けな顔は? 私にだって怖いものくらいあるわ」
「いや、それはそうだと思いますけど……」
少し、いやかなり意外だった。異世界転生の手段として一番濃厚なのは死ぬことだと言っていた。僕もそう思う。じゃあ、仮に「死ねば異世界転生ができる」と証明されたとして死ぬことが怖い人が命を絶つことができるのだろうか。
そもそも、死への怖さとは生への未練だと僕は思っている。僕は死ぬことがめちゃくちゃ怖い。その怖さは、好きなアニメが見れなくなることや、家族や友人に会えなくなることからきている。人生を本当にクソだと感じているのなら、死を怖いとすら思わない気がするのだ。
「死ぬのが怖いから、死にたくないの。けど、この世界は私にとってクソ。だから生まれ変わりたい。矛盾してるのかもしれない。その矛盾を無くすために必要なのが、生きている私が異世界転生の手段を見つけることなのよ」
郡さんの言葉は筋が通っているように思える。けど、不思議と昨日抱いた「この人なら異世界転生を成し遂げてしまうんだろうな」という気持ちは消え失せていた。




