蒼花
幻蒼の月が、僕を見下ろしていた。
青白い肌に、うっすらとした紅が微かな笑みを形作る。
僕は言葉を失っていた。
あまりの美しさに、返すべき言葉をなくしてしまったのだ。
ほっそりとした指が僕のほうへ伸びている。
僕の頬には冷ややかな感触がわずかにあるだけだ。
あまりにも近いので、肉眼では捉えられない。
しかしその冷たさが、少女の指などではないことを告げている。
僕はそれが小刀の切っ先であることを理解できないまま、ただ、言葉だけを聞いていた。
美しい少女の、鈴の音のような声色に、耳を澄ませていた。
「ハロー、人間。死にたくなければ、たぁんとお泣き」
――
善悪の彼岸という言葉がある。
中二病を罹患したことのある人間なら、きっと聞き及んだことがあるだろう。
知らない人のために説明すると、善悪の基準なんて何処にも見当たらないぞ、という話なわけだ。
なのでつまり、善の象徴として語られるものにも、悪に通じる要素はあるし、逆だって有り得るわけだ。
それはあの有名な伝承、座敷童子にしたって同様で、俺が出逢った少女についても同様だった。
黒い小袖に小刀を隠した美しい少女、蒼花は悪性の座敷童子だった。
「幸せになりたいから座敷童子に会いたーい! ……とか言ってる平和ボケしたやつらの頭を蹴り飛ばすのがあたしの趣味なの」
……とは、蒼花の言。純真な子供たちには絶対に聞かせたくない発言である。
僕は辟易しながら頭を掻いていると、彼女は続けた。
「誰かに幸せにしてもらいたい、なんて願望はさ。叶ったところで長続きしないものよ。幸せで居続けることは、努力なしじゃできない。けど、そんな一瞬の幸せをあたしは、『幸せ』とは呼びたくないわけよ。……分かるかしら、愚かで矮小な人間諸君?」
人間諸君と呼ばれたところで、人間を代表するような身分ではないし、どう返したら良いか分からなかったけど、彼女は僕の返答など期待してはいないらしかった。
それにしても、僕は少し意外に感じていた。
何処となく不遜だし、何処となく気怠そうな彼女に、そんな大層な考えがあること自体が、何処となく不思議に感じていた。
短編の新人賞に出そうと思って書き終わらなかったボツ原稿です。○の境界的な作品になる予定でした。全然話が書けなかったので、もう少し煮詰めて再スタートします。