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子殺し  作者: garashi
2/3

狂宴

 薄暗い地下室の中で白衣を着た男が一人、腕を組んで標本瓶の並んだ棚を眺めている。背が高く痩身ながら、まくった袖からのぞく腕は程よく引き締まっていた。


「今日はこれにするか」


 そう呟いてから男は一つの標本瓶を手に取って机の上に置いた。その瓶のラベルには「国産」と黒いマジックペンで書かれていた。

 男は瓶を開けると、近くの試験管立てから赤黒い液体の入った一本の試験管を取り出し、その中身を瓶の中に注いだ。じゅっという音がして瓶の中が赤黒く染まった。男は満足そうにその瓶を眺めると、机の上に置いてあった小さなベルをつまんで横に振った。ぢゃらんぢゃらんと音が響いたと思えば、部屋の扉がぎぃと開いて赤い着物の上に白いエプロンを着た古めかしい女給のような恰好をした妙齢の女性が一人入ってきた。凛とした雰囲気を纏う小顔の美人だった。


「お呼びでしょうか、博士」


「おう、楓。二号の飯を用意したから与えてくれ」


 博士と呼ばれた白衣の男はそう言って瓶を女に渡した。女はそれを受け取ると、


「博士。今は楓ではございません」


 と少しムッとした表情で言った。


「おおすまんすまん」


 ポマードで綺麗に七三に固めた髪を串で梳かしながら博士が謝る。


「ここではお前の名は豚丸だったな」


 そう言って女の腰を掌で引っ叩いた。バシンという音が部屋に響いた。


「ぐぅ、ぶ、ぶふひぃ」


 豚丸は嬉しそうに腰を振った。


「おいっ、溢すんじゃねえぞ豚丸っ。大事な大事な二号の飯なんだ、溢したらお前のケツの肉を削いで餌の代わりにしてやるからなっ!」


「は、はいぃ」


「豚が言葉しゃべるわけねぇだろっ! ふざけるのはそのむっちりしたケツだけにしろっ!」


「び、ぶひぃ!」


 エプロン姿の豚丸が嬉しそうにくねくねと身をよじる。

 部屋の外に出た豚丸と博士は狭い廊下を挟んだ先にある錆びた鉄の扉を開いて中に入った。中には二十畳ほどの広い部屋が広がり鉄格子が部屋を二つに分断していた。鉄格子の向こう側の床は所々が焦げ茶色の粘液で汚れ、部屋の中を悪臭で満たしていた。その隅に大きめの小汚い犬小屋があり、「実験体二号」と書かれた名札が貼られていた。中で何かがもぞもぞと動いている。


「おぉい、飯だぞ」


 手を叩きながら博士が言う。その声を聞いてか犬小屋の主がゆっくりと動き出した。オーィと低い鳴き声が聞こえ、にゅっとツギハギだらけの腕が犬小屋から出て来た。太い縮れ毛が所々に生え瘡蓋のような黒い黒子がびっしりとついている。


「そうだそうだ。いい子だから出て来い」


 博士が再び手を叩きながら声を上げる。それに呼応するかのように、実験体二号の全身がゆらりと犬小屋から出て来た。


 その姿はまさに異形だった。一見裸の人間に錯覚するが、よく見ると臀部から生えた両足の先が掌となっており、肛門から性器にかけての部分が人の顔となって膨らんでいた。その顔は人間の赤子の顔によく似ていた。本来性器のある場所には頸部があり、下腹部が通常の倍以上に膨らんでいた。上半身の途中から一本の太い太もものように細くなっており、その細まった部分は筋肉が盛り上がり、髪の毛のような黒く長い毛が先端に集中して生えていた。その先端部分と両足の三点で体を支えていた。そして、陰毛のような縮れ毛と黒子に全身が覆われていた。それは、細い脚が一切無い太い二本の触肢だけの蠍が尾を下ろしているかのようでもあった。


 オーィと実験体二号が臀部の顔から鳴き声をあげた。赤子の未成熟の声帯を無理に震わせているような妙に低い声だった。ぺたぺたと両足を動かして這うように博士の方へ移動し始めた。そして、博士の後ろに瓶を持った豚丸がいるのに気が付くと、オーィオーィと鳴き声をあげてぷすぷすと屁をこき始めた。なかなか勢いの強い屁らしく、額のすぐ上にある肛門の周りの縮れ毛が屁をこく度にふわふわと揺れていた。


「おお、喜んでやがるぞ。二号は豚丸に惚れてるからなぁ」


「ぶひぃ」


「そんなこと言ってやるな。二号はこう見えて一途だと思うぞ」


「ぶひ、ぶひぃ」


「おお、そうだった。豚丸、飯を食わせてやれ」


「ぶっひぃ」


 謎めいた会話の後、豚丸が瓶を持ったまま檻に近づいた。実験体二号はぷすぷす屁をこきながら檻を挟んで豚丸の前まで来ると、彼女を上目遣いに見上げた。豚丸が瓶を檻の手前に置くと実験体二号は口から長い舌を出した。白い舌苔がこびり付いた三十センチはあろう長い舌だった。檻の間からその舌を外に出し瓶の中に入れると、舌を丸めストローのようにして瓶の中身を吸い始めた。口までたどり着く前にぼたぼた溢れているが、実験体二号は旨そうに瓶の中の赤黒い液体を啜っていた。あっという間に瓶は空になった。


「完食しやがったっ。今日は調子がいいな。今日だけじゃねえ、最近ずっと調子がいいな。心なしか顔つきも変わっているな」


 博士は嬉しそうにそう言うと、白衣のポケットから小さな手帳とペンを取り出して何かをメモし始めた。メモを終えた博士は首を傾げて考えだした。


「どうして二号は最近調子がいいんだろうか。普段は飯もなかなか食わねぇのに」


 実験体二号は難しそうな顔をしている博士と豚丸とを交互に見てから、げえぇっとゲップをした。


「なぁ二号。どうして最近お前は調子がいいんだ? ちょっと教えてくれないか?」


 博士は実験体二号に声をかけた。実験体二号は博士を見てオーィと鳴くとぶぅっと大きく屁をこいた。その屁が臭かったのか博士は顔を顰めた。


「臭せぇ! 前は屁も臭くなかったのに調子付いて臭くなりやがったなっ」


 そう言って悪態をついているが、博士はどこか嬉しそうだった。次に博士は豚丸に話しかけた。


「なぁ豚丸よ。お前はどう思う?」


「ぶひぃ」


「真面目に答えろっ」


 そう言って博士は豚丸の尻を叩いた。


「ぶひ、す、すみません。ええと、二号の活動が活発なのは、今週に入ったあたりからですよね」


 着物の下で尻の肉を揺らしながら、豚丸が慌てて答える。


「そうだ。月曜の昼あたりから調子が良くなってきた。あれから四日経ったが日に日に調子が良くなってきている」


 博士は腕を組んで檻の前をうろうろと歩き回りながらあれこれ考えていた。すると、何かに気が付いたのかはっと顔をあげた。


「おいっ、豚丸っ。今週に入ってから院内で誰かくたばったやつはいるか?」


 豚丸は少し思い出すように思考したあと、


「ええと、確か、今週は毎日死産が出ています。一日一人の胎児が亡くなっていて院内では結構な騒ぎになっています。それ以外でお亡くなりになった患者さんはいません」


「それだっ!」


 博士が手を叩いて大声で叫んだ。驚いた実験体二号がぶぶぅっと糞の混じった屁をこいた。


「二号の性質を覚えているか?」


「は、はい。魂を取り込むことができるんでしたっけ」


「そうだっ。こいつは魂を喰らう。喰らった魂のエネルギーを取り込むことができる。だが何故か普通の人間の魂では駄目だ。男も女も餓鬼も年寄りも犯罪者も聖人君子も駄目だった。せっかくぽこぽこ人間がくたばる病院の地下室を利用して研究室をこさえても駄目だった」


 博士が興奮して早口でまくし立てる。


「だが、胎児の魂ならこいつは喰らうんだっ。気付かなかった、今までまったく気づかなかった。死産で胎児が死んだからその魂を喰らうことができたんだっ。だから最近調子が良かったんだっ!」


 博士が豚丸の肩にポンと片手を置いた。


「豚丸君、ありがとう。君の情報のおかげで俺の研究は大きく進歩することだろう。俺の才を妬み倫理に反するなどと糞みたいな理由で俺を追放した医学会のクズ共を、これで見返すことができる」


「は、博士、お役に立てて何よりです……」


 顔を少し赤らめて嬉しそうに豚丸が応えた。


「豚がしゃべるんじゃねぇっ!」


 豚丸の尻をべちんと引っ叩いて、博士は足早に部屋を出て行った。


     ***


 真奈美のおぞましい姿を目にした直後、恐ろしくなった智子は逃げるように敏夫の病室に戻り簡易ベッドの布団にくるまって震えていた。見てはならぬものを見てしまった気がした。あの様子では腹の子は駄目だろう。昨日は幸せそうな真奈美を妬んでいたのだが、いざあんな光景を目にするとたまらなく恐ろしかった。

 自分の出産の時を思い出す。敏夫が頭ではなく足から出てくるハプニングはあったが、特に大きな問題も無くスムーズに生むことができた。もしあの時真奈美のように大量に出血して看護師達に抑えつけられれば、自分もパニックになって暴れたかもしれない。そんな想像をしてより一層恐ろしくなった。背骨の中心に表面が結露した冷たい鉄の棒を添え当てられたような感覚を覚えた。布団の中でがたがた震えていると、そのまま智子の意識はゆっくりと薄れていった。


     *


 気付いたら智子はまた病院の暗い廊下に立っていた。自分の状況を把握した智子は足早に階段を降りて中庭へ至るガラス扉を開けた。中庭に入り隅にあるスペースまでつかつかと近寄った。そこには以前と同様に老婆が病院の壁の方を向いてぶつぶつと抑揚の無い歌を歌っていた。


「ねぇ」


 智子が老婆に声をかけた。老婆は歌を止めてゆっくりと振り返った。


「あれは、私が歌ったからなの?」


 震えた声で老婆に訊く。すると老婆がしゃがれた声で答えた。


「そうじゃあ」


 その答えに智子はとてつもない恐怖を感じた。自分が真奈美の赤子を死産させたのだという事実に押しつぶされそうになった。


「あ、あ……」


 震えた唇からは怯えた呻き声しか出て来なかった。とんでもないことをしてしまったと思った。人を、しかもまだ生まれる前の赤子を殺してしまったのだ。智子はもう止めようと思った。あと十二人もの妊婦を呪って赤子を殺すなんて、そんなことできなかった。


「やめるのかえ」


 老婆が智子を覗き込みがら訊いてきた。その表情には感情というものが一切感じられず、観察するような値踏みするような目線を智子に向けていた。


「おまんの不憫なぼこは起きんぞ」


 その一言が智子の脳に突き刺さった。電気が全身を駆け巡るような感覚を覚えた。そうだ、なんとしてもあの子を、敏夫を助けるのだ。その想いだけが智子の心の内側からふつふつと湧いて出て来た。そのためなら何でもする覚悟だった。たとえそれが修羅の道だったとしてもだ。そんな智子の様子を眺めながら老婆がニヤリと薄気味悪く笑ったことに、智子は気が付かなかった。


     *


 目が覚めた智子は簡易ベッドからのそりと出ると窓際のベッドに寝ている敏夫の傍に立った。人工呼吸器を被った敏夫の髪は肩程まで伸びていた。智子の記憶の中で楽しそうに笑いながら自分をお母ちゃんと呼ぶ敏夫は爽やかな短髪であった。同級生達は来月の運動会に向けて熱心に行進の練習をしていると敏夫の担任の教師が言っていた。運動会が終われば遠足がある。敏夫は学校の遠足が大好きだった。智子は拳をぎゅっと握った。


 その時、智子は信じられないものを見た。少し開いていた敏夫の口がゆっくりと閉じたかと思うとまたゆっくりと開いたのだ。数秒ほど放心した後、智子は急いでナースコールのボタンを押した。

 その後は駆け付けた看護師が興奮した智子から何とか事情をくみ取り、すぐに医者を呼んだ。医者が敏夫を診てあれこれ智子に質問をした。結局意識は戻らず変化なしと診断されたが、智子は確信を持った。そして、妊婦の客が多い「パーラーアオヤマ」へ小走りで駆けて行った。


 それから毎日、智子は中庭で歌を歌った。

 デイルームや喫茶店に出入りし腹の膨れた入院患者に声をかけた。初産の若い妊婦は出産経験者の智子からのアドバイスが心強いらしく、すぐに親しくなることができた。安産のゲン担ぎなどと言ってハンカチやブランケットの交換を申し出ると二つ返事で了承された。そしてその妊婦は翌日に地獄に突き落とされた。


 一週間もすると流石に院内にただならぬ空気が流れ始めた。真奈美の一件から毎日死産が出てしまっているのだ。明らかな異常事態であった。病院側は悲劇の起こった妊婦達の情報を洗い出し、何か共通点がないか探し始めた。その調査の噂話は智子の耳にも入っていた。智子は不安に駆られた。いずれの妊婦にも事前に自分が接触しているのだ。これまでに七人の赤子を殺した。あと六人だが、六人全て殺すまでに病院側は自分に辿り着くかもしれない。仮に智子の存在が捜査線上に浮かばなかったとしても、院内の監視が強くなってしまうと中庭で歌っているところを見られてしまうかもしれない。あの老婆は決して見られてはいけないと言っていた。見られたら敏夫が地獄に落ちると言っていた。それだけは絶対に避けなければならない。この一週間は自分の行為に対する恐怖から、一日でも早く全てを終わらせようと考えていた。しかし、今は少し待った方がいいかもしれない。院内の騒ぎが収まってから再開すればいい。だが、この騒ぎのせいで今後この病院に妊婦がまったく入院しなくなるかもしれない。祖母の言っていた話を思い出す。かつてこの病院では死産がよく出るとの噂が町に流布され、妊婦は皆わざわざ隣町の病院まで足を運んでお産をしたらしい。もし今回もそうなれば、噂が消えるまで待たなけらばならなくなるかもしれない。それが一体どのくらいかかるものなのか正確には智子は分らなかったが、長い間待たなければならないだろうという予感はあった。


 敏夫の病室で智子は頭を抱えて悩んでいた。その時、引き戸をノックされ一人の若い看護師が病室に入ってきた。時計を見ると敏夫の定期検査の時間だった。悩んでいたせいですっかり忘れていたのだ。


「下塚さん、こんにちは」


 看護師は智子を見ると二コリと挨拶をした。智子もこんにちはと挨拶を返した。その看護師は少々おぼつかない様子で敏夫の体位交換を始めた。それを見ていた智子はとあることを思いついた。

 確かこの看護師はまだこの病院に来たばかりの新米のはずだ。まだまだ学生気分が抜けていないのではないか。であれば、無理に頼めば病院側の状況を少しは教えてくれるかもしれない。智子は不安を解消するために、何でも良いので情報が欲しかった。


「あの、すみません」


「あ、はい、何でしょう下塚さん」


「最近この病院で赤ちゃんが死産になっている件で病院が色々調べているって聞いたんですけど……」


 若い看護師は智子の話を聞くなり顔を顰めた。


「あ、いや、その」


「どうなっているか教えていただけませんか? 実は知り合いがお産の病院を探していて、どうしても情報が欲しいんです」


 口八丁で嘘を並べて智子は頭を下げた。その必死な様子に若い看護師はどうすべきか迷っている様子だった。いける、と智子は思った。


「誰にも言いません。どこまで分かっているのかだけでいいんです。お願いします」


 さらに深く頭を下げた。若い看護師は観念したのか小声で口を開いた。


「わ、わかりました。誰にも言わないでくださいね。確かにこちらでもこれ以上死産を出さないために色々と調べていました」


「な、何かわかったんですか」


「初産の方が多いというくらいです。実は、今はその調査はしていないんですよ」


「えっ、調査をしていないんですか?」


 予想外の答えに智子は混乱した。


「昨日の朝に病院経営のお偉いさんが、患者を不安にさせるからそういった調査はするなと……」


 若い看護師は苦い困った顔をして続けた。


「本当の所は町に変な噂が流れるのを恐れているんだと思います。最近続いている死産の件も偶然のことだと片付けるつもりのようです。医師達は反対したのですが押し切られてしまったようなんです。でも、ご安心ください。今一度産婦人科の設備や診察手順やらを見直して対策しているので、これ以上不幸なことは起こりませんよ」


 そう言うと看護師は敏夫の方に向き直った。驚いていた智子だが、すぐに今の状況が自分にとって有利に働いていることを理解した。調査が打ち切られているのなら自分が疑われるようなことにはならないだろう。今のうちに残りの六人分をさっさと歌ってしまおうと思った。定期検査を終えた若い看護師が病室から出ていくと、妊婦を求めて智子も病室を出て行った。


     ***


 薄暗い地下室の中で博士がパソコンの画面に向かっていた。淀みなくキーボードを叩く様子は非常に嬉しそうである。その時扉が開いて湯呑を乗せた盆を持った豚丸が入ってきた。相変わらず白いエプロンを身に着けており、その下には鮮やかな紫色の着物を着ていた。


「ぶひ」


 豚丸が湯気の立つ湯呑をパソコンの隣に置いた。


「おおすまんな」


 そう言って博士は湯呑を持って口に運ぶとずずっと中の茶を飲んだ。そしてふぅっと息をつくと乱雑に置かれている試験管を片付けている豚丸の後ろ姿を眺めた。


「相変わらずケツがむっちりしてんなぁ、おいっ、豚丸、ちょっとこっちへ来いっ」


 博士の声に豚丸が慌てて片付けの手を止めて博士の元に駆け寄った。


「ぶひぃ」


「うむ、豚丸君、貴様のケツは明らかに日本人女性の平均サイズを凌駕している。貴様そこに何か隠しているな」


「ぶ、ぶひ」


「気をつけっ、回れ右っ」


「ぶひっ」


 博士がおもむろに直立不動の豚丸の尻を両手で鷲掴みにした。豚丸がぶぅ、と小さい悲鳴を上げた。その表情は恍惚としていた。


「これはっ、貴様なんだこのケツはっ」


 博士が豚丸の尻をわっしゃわっしゃとこねくり回した。豚丸が顔を赤らめてぶひぶひと鳴いた。


「こんなケツをぶら下げやがって、失礼だとは思わねぇのかっ」


 博士が豚丸の尻を左右交互に叩き始めた。部屋にぱんぱんとリズムよく音が響いた。その音に呼応するように豚丸が高い声で鳴き声を上げた。


「ぶっぶっぶっ、ぶっぶっぶっ、ぶっぶっぶっぶっぶっぶっぶっ」


 尻を叩く音と豚丸の鳴き声が三三七拍子のリズムで部屋中に鳴り響いた。


「よいしょぉ!」


 締めのタイミングで博士が大きな声を上げながら両手で豚丸の尻を左右同時にバシンと叩いた。


「ぶっひいぃ!!」


 豚丸が大声で鳴き声を上げた。その顔は上気し紅潮していた。


「ふむ、ほどよい脂肪と引き締まった筋肉だ。でかいのは骨盤のせいだな」


 そう言うと博士はパソコンの方に向き直り再びカタカタとキーボードを叩き始めた。その時壁の時計がぼーんと音を立てた。針は午後一時半を示していた。


「おっ、二号の餌の時間だな」


 博士が席を立って標本瓶の並んだ棚の前に移動した。棚を眺めながら腕を組んで何かを考えると、先ほどの余韻を咀嚼しながらもじもじとしている豚丸に声をかけた。


「おいっ、いつまでもそうしてんじゃねぇっ、今日は二号の第六番実験をするぞ」


「ぶ、ぶひ」


「真面目にしゃべれっ」


 博士が豚丸の尻を叩いた。


「ぶっひ、か、かしこまりました」


 そう言って豚丸は別の棚からがちゃがちゃといくつかの実験器具を取り出した。そして二人は部屋から出ると以前二号がいた部屋とは違う部屋に入った。その部屋は十畳程の広さで天井に大きな電灯が一つぶら下がっていた。少し黄色味のかかった白い光がコンクリート打ちっぱなしの内装を照らしていた。部屋の中央に二人掛けの小さな机があり、隅に犬小屋が一つ置かれていた。二人が中に入ったことに気が付いたのか犬小屋の中にいた実験体二号がのそりと外に出て来た。オーィと低い声で鳴くと、のそりのそりと二人に近づいていった。


「檻は無くても大丈夫なのですか?」


 豚丸が少し不安そうな様子で博士に訊いた。


「大丈夫だ。ここ最近毎日胎児が死んでいるおかげで二号は本当に調子がいいからな。精神面でもかなり安定している」


「そ、そうですか……」


 近寄ってきた実験体二号が豚丸を見るや否や興奮した様子でぶぶっと屁をこいて豚丸の足元まで来た。


「ううっ」


 豚丸が引きつった顔で後ずさった。これまで遮っていた檻が無いことが不安で仕方がないようだ。実験体二号が豚丸の足元で彼女をじぃっと見上げた。そして両手に力を込めたと思ったら後ろの毛に覆われた上半身の先端をぐぐっと持ち上げた。その恰好は尾を上げた肌色の巨大な蠍のようであった。それを見た豚丸がひっと小さい悲鳴を上げた。


「おおっ、見ろっ、これは求愛行動じゃねぇかっ!」


 博士が興奮した様子で叫んだ。その目には涙さえ浮かんでいる。


「きゅ、求愛、ですか?」


「そうだっ、二号はお前と交尾をしたがっているんだっ、わざわざ両手だけで体を支え出すほど豚丸としたくてしたくてたまらねぇんだっ、これは実験なんぞしてる場合じゃねぇぞっ」


 早口の博士の言葉を聞いた豚丸がううっとえずいた。目の前の醜い生物と布団の上でまぐわう自分を想像してしまい吐き気を催した。その時、実験体二号がオーィと大きな声で鳴くとぶゆゅっと凄まじい屁をこいた。茶色の粘ついた液体が肛門から少し漏れて糸を引いた。


「う、うう……」


 その酷い悪臭に豚丸が口を押えて俯き後ろに下がった。そんな豚丸の様子を見上げながら実験体二号が再びオーィと鳴いた。すると持ち上げた上半身の先端部分からぶよぶよとした細い腸のような臓器が出てきた。十センチ程の長さの桃色のそれは表面がぬめり無数の細かい血管が透けていた。乾いた唾液の臭いと生ごみの悪臭を混ぜて何百倍にも濃縮したような凄まじい悪臭が漂った。


「凄いっ、凄いぞっ、あれは性器だっ、二号が発情して勃起したんだっ!」


 博士がさらに興奮してポケットから取り出した手帳に何かを殴り書きした。


「う、うおええぇ」


 豚丸が後ろの壁に寄りかかって嘔吐した。濃い黄色の吐瀉物が地面に広がった。


「ああっ、こいつ吐きやがった、腹の中身をげろげろぶちまけやがった。見ろよ、昼飯のシラスがそのままだ。なんてみっともねぇ奴だっ」


 博士が豚丸の吐いた吐瀉物をまじまじと観察して叫んだ。

 すると、実験体2号がぷすぷす屁をこきながら器用に両手だけで地面を這いつくばって来た。そして口から長い舌を出すと豚丸がぶちまけたシラスを旨そうに舐めはじめた。地面が細かく荒れているためか、白い舌苔のこびりついたイボだらけの長い舌が真っ赤に染まっていった。オーィ、オーィと呻き声を上げながら実験体2号は旨そうに豚丸のシラスを味わっていた。


「おお、なんとも健気じゃねぇか。本当に2号はお前に惚れてるなぁ。おい、豚丸、お前一度でいいから2号と寝てやれよ。こいつ屁どころか糞をひり出して喜ぶぜ」


「ぶひいいぃっ」


 豚丸が叫び声を上げながら部屋から出て行った。それを見た実験体二号がオーィと鳴いた。


「あっ、逃げやがった。まったくあいつは職務怠慢じゃねぇか。けしからん奴だ」


 そう言って博士はしゃがんで実験体二号の臀部を撫でた。


「よしよし、お前はよく頑張ったぞ。また今度トライしような」


 博士に撫でられて実験体二号がオーィと鳴いた。


「しかし、本当にお前は調子がいいんだな。あんなに沢山屁をこくだけでなくまさかおったてるまで発情するとは」


 博士は目をキラキラさせていた。


「今のところ十二人の胎児が死んでいるな。その魂を喰らうことができた分、エネルギーを補充できているんだろう」


 何かを考えながら博士は部屋の中をぐるぐると歩き出した。実験体二号は博士の後をついてぺたぺたと歩いている。博士が何かを思いついたのか手を叩いて立ち止まった。後ろにいた実験体二号が博士の足にぶつかってぶぅっと小さい屁をこいた。


「そうだっ、これまでは一日一人だったけど一日の人数をもっと増やせばいいんじゃねぇかっ? 単純なことになんでこれまで気付かなかったんだっ」


 そう叫んで博士は嬉しそうに部屋を出て行った。キラキラと光るその両目の奥には不気味な光が宿っていた。部屋に残された実験体二号の鳴き声が部屋に響いた。

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