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二人の旅  作者: 若葉
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その一

大きなカラスがクチバシで車の窓を突っついている。そのコンコンという繰り返されるノックのような音にふっと目が覚めた。


ふと出たあくびにつられたのだろうか、窓の向こうのカラスも器用に小枝のついた葉をくわえたまま頭を頭を反らしてあくびに似た仕草をする。

濁ったフロントガラス越しに、ふっと、カラスと目があった。 茶色い葉をくわえたままのカラスは悲しく笑っているように見えた。

助手席には彼女が寝ている。

大きな口を開けて、口の端からよだれが一筋垂れている。何の夢を見ているのだろうか、時々クスクス笑いながら寝言を言っている。


呑気なもんだ…。


彼は彼女の寝顔をじっと見つめながら、悲しいような苛立つような哀れなような、訳の解らぬ重たい感覚に囚われていた。


浅い眠りから覚めても、疲れが全く取れない。首が痛い。背中が重く、怠い。

彼は今追い詰められている。精神的にも、また肉体的にも。



金がない。後三万円もない。


訳あって仕事を首になり、小さな部屋の家賃も苦しくなってしまった。


世話になった大家さんに迷惑をかける辛さから、アパートを逃げるように出て、知人から三万で買ったこの中古の軽自動車で車中泊を始めてから既に二ヶ月を超えた。

季節は秋の終わりから冬の始まりへと移り変わりつつある。

道中知り合った、ちょっと足りない女との、宛もない旅もそろそろ限界のようである。

彼はあくび混じりの疲れたため息をいたずらに繰り返すしかなかった。


それにしてもこの女の幸せそうな寝顔はなんなのだろう?

かつて何者だったのか、どこでどんな風に暮らしていたのか知らないが、今ではこんな、明日をも知れぬみずぼらしい暮らしに成り果てているというのに。なんで、俺についてくる?なんで、すやすや眠られる?


二重顎の、化粧もしていない小汚い女の寝顔を、彼はじっと見つめていた。


ああ、おはよう。

女はやがて目を覚まし、無邪気に彼に微笑んでみせる。その口元には、だらしなく垂れたよだれの跡が残っている。

おう。よく寝ていたなぁ。彼は女の口元をじっと見ながら、益々陰鬱になってゆく自身を抑えられなかった。


さてと、今日はどうしよう?

女はまるで楽しいデートにでも行くような口調で、はわはわとあくびをしながら彼に問いかける。


彼には昨日も今日も明日もずっと先まで行く宛もないのだ。

さて、どこ行こう。そうだとりあえず図書館に行こう。夕方からはスーパーのフードコートでゆっくりしよう。その内揚げ物でもサンドイッチでも半額になる。それまでは散歩でもしよう。飽きたらまた次の街に行こう。


毎日のように繰り返される女との同じ言葉のやりとりも、彼を不安と憂鬱へと追いやってゆくのだった。


さて、どこ行こう。

彼は自身の気だるい心に気合いをかけるように、最前と同じ言葉を繰り返した。

ドアを開け、車に一晩でかかった埃を払い自然の公園という名の広々した森のような公園の駐車場から二人気だるく、街へと下り坂を歩き出す。


小山のような丘を造成した公園から見下ろす麓の景色には、地味ながらも大体の建物はある。

遠く広がる平野に所々赤や黄色に色付き始めた木々やら刈り取りを終えた茶色い田園が続く。手前に横たわる単線の線路の小さな駅前には安価な衣料品店からチェーンのスーパー、コンビニ、飲み屋からカラオケ店まである。

図書館から郵便局から銀行から。小中学校もある。

少し歩けば、大きなショピングモールもある。

小さくも美しい町並みである。

何をするでもなく、そんな景色を黙って眺めていた。

いわば虫のように細々と、淡々と、日々を二人は生きていた。


巨大なショピングモールには何でもある。


ねぇ。ショピングモールに行ったらさ、歯みがき粉を買おうよ。今のはもう絞っても出ないんだ。今度はさ、ミントのやつを買いたいな。粒々が入っている緑色のやつ。

女はうきうきとした表情で無邪気に跳び跳ねるように歩いていた。



小高い丘の中腹にある駐車場から歩いて十分もかからぬ距離に市立の小ぢんまりとした図書館がある。

夕方まで、暖かく空調の効いた館内でその日の新聞を読んだり雑誌を見るともなくただページを捲って過ごすのだ。


女は時折大きな声を出す。面白い、見てこれ。この写真キレイ。わぁ楽しそうだなぁ。


その度に彼は口許に人差し指を当てて、バカ、追い出されるぞと、なるべく柔らかい表情と穏やかな声色で女を注意する。女は無言で笑いながら、ごめんなさいと軽く頭を下げて見せ、暫くは静かに雑誌を見たり、テーブルに頭をうつ伏せて、むくむくした腕を枕にすやすやと眠っていた。

図書館の職員にチラチラ睨まれながら、気にもせず、二人は夕暮れまで過ごすのだ。


そうやって、これまで、幾つかの街を巡ってきた。


秋の日暮れは早い。

黄昏から夕闇へと移り変わり、その夕闇が色濃く広がりつつある頃に、二人はショピングモールの一角にあるフードコートの片隅にいた。


ショピングモールに向かい、女の要望に従ってまずは二階のドラッグストアでミントの歯みがき粉と使い捨てのカミソリを買い、ぶらぶら衣料品を眺めてから一階に降りて、大きな食料品売り場で販売員の差し出すソーセージやらチーズやら幾つかの試食品を食べた。日も落ちた夕方六時頃の食料品売り場は老若男女籠を持ち歩き、販売員の声も入り交じり、どこの繁華街かと思わせるような活気に満ち溢れていた。

それもその筈ではある。

この近辺数十キロに、まとまった食料品店など僅かに限られているのである。

二人は人波に揉まれながら、数多ある試食品を摘まんでは歩いた。


それからフードコートである。

二人で一番安いかけうどん一杯を半分ずつ食べて、ちびちびと水を飲む。

女は何かを食べている時だけはひどく物静かであった。


うどんを食べ終わり、丼に残ったつゆを女はじっと深刻な思い詰めたような顔付きで見つめていた。どうしたの、と彼が訊ねると、女はううんと首を振り、彼を見てにっこり笑う。そして、こんな事を言うのだ。

残ったおつゆにご飯を入れたらおいしいだろうね。


彼は思わず笑ってしまった。

思えば、こんな女でもどれだけ心の支えになったかわからない。もし一人きりなら、もっともっと、どれ程惨めな旅の日々だったろうか。こんな風に笑う事などまず無かったに違いない。時に煩わしくすらある女の存在に 今ばかりはただ感謝あるのみであった。



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