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裾踏物語  作者: もろや
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裾踏物語

これから書く話は、俺が祖父の家へ遊びに行った時の話である。


俺は毎年夏休みになると、祖父の田舎へ泊まり掛けで遊びに来ていた。


大抵、大学生にもなると、何もない田舎などには興味を無くして足が遠のくものだが、俺は毎年楽しみにしていた。なぜなら、祖父の村の夏祭りがユニークで面白い物だったからだ。


その祭は山の麓の神社で行われ、夜になると皆が浴衣を着て集まってくる。ただし、男性が着ている浴衣は普通の物ではなく、通常より丈が長い物である。


そして、男達はその余った裾を後ろにズルズルと引きずりながら、縁日の開かれている神社を歩きまわるのだ。


その男達の目的はただ一つ、女性に自分の裾を踏ませることである


これは、祭の夜、女性に着物の裾を踏まれると、必ずその女性と結ばれるという言い伝えがあるからだ。


俺はこの祭のために毎年祖父の家に来ているようなものであり、そして、その夏も俺は張り切って祭りへと出かけた。


俺は特製の浴衣を身に付け、長い裾をズルズルと引きずりながら、その田んぼ道を神社に向けて歩いていた。


俺は今年こそ誰かに裾を踏ませようと意気込み、その自信があった。自信の根拠は改良を施した浴衣だ。


今までより裾を1.5倍も長くし、さらに針金を入れたため、昨年とは比較にならないほど裾が広がるようになったのだ。


その裾の面積は一畳分はあり、これならば足元への注意を怠った女の子がついうっかり踏んでしまうこともあるはずだ。そして、俺は苦もなく彼女を手に入れるというわけである。


込み上げた笑いを口から吐き出しつつ、俺は獲物の待つ縁日へと急いだ。








縁日は神社の遥か手前の路上から始まり、山の麓へと続いていた。数え切れない程の電球が辺りを昼に変えている。


この祭は有名な祭で、隣接する市町村、さらにはもっと遠くから訪れた観光客らで賑わっていた。


その人々の中で半数ぐらいの男達が、老人・若者・妻子連れ・彼女連れ関係なく、丈の長い浴衣を着て裾を引きずっていた。


ほとんどの者は祭気分を盛り上げるために着ているのだろうが、俺と同じようにソワソワと落ち着かず、やたらと後ろを気にしている者もいた。


縁日を途中まで歩いたところで、俺は足を止めて低く唸った。参加客の浴衣は年々丈が長くなり、柄も派手になっていく傾向にあったが、今回は飛躍の度合いが大きかったのだ。


長い物は裾を数メートルも引きずっており、柄に至っては女性が思わず踏みたくなるような可愛いらしいキャラクター物などがあった。


今回はライバル達もかなり創意工夫を凝らしたようである。


敵ながらやるものだと俺が感心していると、突然後ろから「あー!」という叫び声がした。


俺が驚いて振り返ると、裾の脇に一人の見知らぬ女の子が立っていた。


長い黒髪を涼しげに結い上げ、歳は俺より少し下ぐらい、そして、朱色の浴衣を着ていた。彼女は涙の溜まった目で俺を睨み付け、地面を指差した。


彼女の指差す先を見ると、地面に広がる青い裾の上に土の汚れがあった。


それが一体どうしたというのだろうか。


俺は分からず、彼女に視線を戻した。


「分からないの!?私の草履の跡よ!」


「え?」


「踏んじゃったの!あんたが急に止まるからいけないのよ!」


「な、なんだって!?」


俺は思わず叫んだ。


周りの人々がこちらを振り返るが、俺は興奮していたので少しも気にならなかった。縁日に来てわずか5分、いきなり網に魚が掛かったのだ。それもかなりの美人なので、大魚と言って良い。


さらに、彼女の方から踏んだことを申告してきたということは、かなり脈ありとみてよいだろう。


報われた。俺はその想いで涙が出そうになった。今まで浴衣に費やした金、祭のために潰した貴重な休日、それがまさにこの瞬間に報われたのだ。


しかし、俺が有頂天でいられたのも彼女に胸ぐらを掴まれるまでであった。


「あんた、私に協力しなさい!私と一緒に小池君を探して!」


「こ、こいけ?」


「私の片想いの人よ!早く探さないと大変なことになるわ!私、御利益を実現させてしまう指輪を付けているのよ!」


彼女は指にはめられた指輪を俺に突き付けた。


「この指輪には、御利益の力を増幅させる効果があるの!例えば神社に合格祈願すれば必ず受験に受かったり、神社に無病息災を願掛けすれば絶対に病気にならなかったりするの!つまり、縁結びも同じこと!裾を踏んじゃったから、私はあんたと結ばれちゃうってことなの!」


「結構なことじゃないか」


「冗談じゃないわ!私は小池君と結ばれるために来たの!今から小池君の裾を踏み直せば、まだ間に合うわ!あんたの責任なんだから一緒に探して!」


「ちょ、ちょっと冷静になれ。その指輪に本当にそんな効果があるのか?そんな物どこで手に入れた?」


「私の家に伝わる家宝よ!効果は絶対。指輪の効果は速やかに段階的に影響を及ぼすわ。ああ、もうこんな事してる場合じゃないわ!どうなの、手伝ってくれる!?」


俺は少し考えた後、彼女に向かって頷いた。


もちろん、本気で小池とやらを探すつもりはない。むしろ、彼女が小池を見つけた時に、小池の裾を踏ませないために付いて行くのだ。


「あんた、見かけによらずいい奴ね。ありがとう」


彼女は俺の考えも知らず、素直に礼を言った。


「よーし、御利益の影響が出る前に探し出すわよ。これ以降、会話は禁止!動かすのは足と目だけ!さあ、行くわよ!」


彼女はそう言うと、草履をパタパタと鳴らして走りだした。








彼女はタコ焼をハムハムと食べながら、俺の隣を歩いていた。彼女の腹の中にはすでに、焼きそば、串焼き、お好み焼き等々が収まっていたが、キョロキョロと出店を物色しているところを見ると、まだ満足していないようであった。


俺は財布の中身を確認し、小さな溜め息をついた。


「そろそろ遠慮しないか?」


「えー?私まだクレープ食べてないもん。ねえ、クレープ買って」


「タコ焼き食べてるだろ。それ食べてからにしろよ」


「うん、わかった!」


彼女はそう答えると、急いでタコ焼きに楊枝を刺した。


しかし、それを口に運ぶ途中で、彼女の手がピタリと止まった。


「……私、何やってんの?」


「ん?」


「何やってるの!?私!?」


彼女は頬を強張らせ、その手からタコ焼きをポトリと落とした。


「いつから!?いつから私、あんたと縁日を堪能してたの!?」


「覚えてないのか?『さあ、行くわよ!』のすぐ後からだ。走りだした途端、いきなり出店の行列に並んで、満面の笑みで俺を手招きしたんだ」


「な、何てこと……」


彼女は顔を青ざめさせ、「私の馬鹿ぁああ!」と、いきなり自分の頬をパーンと打った。


「お、おい、大丈夫か?」


「私、縁結びの力に負けてしまったんだわ!貴重な時間なのに、あんたとデートなんかしちゃった!」


「デート?デートか?ただ食べてただけじゃないか」


「うるさいわね!それをデートって言うのよ!大体、あんたもあんたよ!なんで注意してくれなかったの!?人探しなのに、屋台に並んでたら普通おかしいと思うでしょ!」


「そういう子かと思ったんだ」


「そんな子いないわよ!!とにかく、私の行動がおかしくなったら、どんな手段を使ってでもいいから正気に戻して!じゃあ、改めて探しに行くわよ!」


彼女はキッと前を向き、足早に歩き始めた。








ドン!


隣を歩いていた彼女が俺にぶつかってきたのは、神社へ続く長い石段を目前にした時であった。


「あっ、ごめん」


「どうした?」


「裾を避けたから……」


彼女の足元を見ると、彼女の前方には裾が広がっていた。その裾の持ち主はちらりと彼女の方を見ると、チッと舌打ちをして歩いて行ってしまった。


「今の見た?なによあいつ?」


「ああ、奴は美奈に裾を踏ませようとしたんだな。女の子の前でわざと止まるのは、ここにいる男達のよく使う手段だ。それで女の子が踏んだら、それを切っ掛けにしてナンパするんだ」


「まったく、男って何考えているのかしら」


彼女は呆れたように言った。


「そんなことに労力を使わないで、その分、自分を磨けばいいのに。そうすれば、ナンパなんてしなくて済むのに」


「まあ、美奈も男になれば分かるさ」


「そんなものかしらね……ん?」


そこで彼女はいぶかしげに眉根を寄せた。


「ちょっと……なんで私の名前知ってるのよ?」


「ついさっき教えてくれたじゃないか」


「私が!?」


「ああ、『私は有賀美奈、美奈って呼んでね』ってな。覚えてないってことは、また御利益の影響が出たのか?じゃあ、携帯番号を交換したことも覚えてない?」


「う、嘘でしょ!?」


彼女は慌てて携帯を取り出し、液晶画面をチェックした。


「い、嫌ぁああ!グループに『彼氏』が追加されてる!?『望月拓郎』って、一体誰よ!?」


「俺の名前だ」


「だったら消去しなきゃ!」


彼女は操作を始めたが、すぐに携帯を持つ手がプルプルと震えだし、その顔が苦悶に歪んだ。


「どうした?」


「消去ボタンが押せないのよ!どんなに力を込めても、指が動かないのよ!」


「なるほど、身体が拒否してるんだな」


「ま、まずいわ!縁結びの力が強まってる!もう一刻の猶予もないわ。早く小池君の裾を踏まなくちゃ!」


彼女は踵を返し、ダッと走りだした。俺は彼女の後に続きながら、小池が見つからないように祈った。








俺と美奈は鳥居近くのベンチに座っていた。人混みの中を草履で走ることができたのは二十分程度が限界で、美奈はベンチに座ったまま動こうとはしなかった。


人々の楽しげな声と発電機のエンジン音に混ざり、俺の耳には『好き、嫌い、好き、嫌い……』という美奈の呟き声が聞こえていた。


美奈の中では縁結びの魔力と正気が壮絶なバトルを繰り広げているのだろう。


俺はその決着がつくのを、コーヒーを煎れるような気持ちでゆったりと待った。


やがて、美奈は力尽きたかのように首をカクンと垂れ、倒れ込むようにして俺に寄りかかってきた。


「落ちたか……」


俺が美奈の顔を覗き込むと、彼女はうっとりとした表情で目を閉じていた。


もはや、美奈が自力で正気に返ることはないだろう。俺は労せず美女を手に入れたのだ。俺は肩にもたれかかる彼女の香りを、ゆっくりと楽しむことにした。


「あれ?有賀じゃないか?」


悦に入っていた俺は、その声によって視線を上げた。


ベンチの前に立っていたのは洋服姿の男子で、髪は茶色、日焼けした顔は目鼻立ちが整っていた。美奈の言っていた小池の特徴と一致していた。


「茶髪のイケメン……まさか、小池か?」


「え?はい、そうです。もしかして、有賀の彼氏ですか?」


「一応な」


俺がそう答えると、小池は目をまん丸くし、それからニヤニヤと笑いながら美奈を見下ろした。


「へぇー、有賀にもついに彼氏ができたか。これは部の奴らに報告しなきゃだな」


小池は美奈をからかったが、美奈はそれに対して何の反応も示さなかった。


あれ程探していた小池がすぐ目の前にいるにも関わらず、美奈はうっとりと目を瞑り、俺に寄り添ったままであった。


小池はそれを見て、額に手を当てて叫んだ。


「うわー、日頃の有賀からは想像できない姿だよ!」


小池は本当に驚いた様子だ。


「普段はどんな感じなんだ?」


「元気ですよ。部活の時なんか常に走り回っています。あの有賀がこんなになっちゃうなんて、よっぽど貴方が好きなんですね」


小池の言動からは、俺に対する嫉妬のようなものは微塵も感じられなかった。


つまり、美奈の恋は完全な片想いで、小池の方は美奈を異性として意識していなかったことになる


美奈はそれを知っていたからこそ、指輪の力で縁結びのご利益を増幅させ、小池と結ばれようとしたのだろう。


俺は納得しつつ、小池を見上げた。


「ちょっといいか?美奈はなんの部活に入ってるんだ?」


「え?知らないんですか?」


小池は呆れたような表情になり、溜め息をついた。


「まったく、いくらサッカーに興味がないからって、彼氏には話せよな」


しかし、それに対しても美奈は何の反応も示さず、小池は苦笑して俺に視線を戻した。


「有賀はサッカー部のマネージャーしてるんですよ。中学の時からやってるから、かれこれ5年になります。でも、有賀は未だにサッカーのルールが分からないんですよ。だから、サッカーに興味があってマネージャーをやってるんじゃないと思います。部内ではもっぱら、誰か好きな男子がいるんじゃないかって噂だったんですけど、貴方みたいな彼氏がいたとなると違いますね」


「……サッカー部のマネージャーってのは、きついのか?」


「ええ、選手ほどではないですけどね。有賀は日焼けするとか、休みが無いだとか、よく文句を言っていますよ」


「……分かった。ありがとう」


「あの、じゃあ僕行きます。友達が待ってるし、あまり二人の邪魔しちゃ悪いから。有賀、また部活でな!」


小池は美奈に向かって元気よく手を振ると、こちらに背を向けて走って行った。


俺は小池を見送た後、隣の美奈へ視線を移した。


彼女が小池のためにサッカー部のマネージャーを始めたことは容易に想像できた。美奈は中学の3年間と高校の2年間、小池を見るためだけに、つらいマネージャーの仕事をしてきたのだ。


5年もの間、ただ一人を想い続けるのに、どれ程のエネルギーが必要なのか俺には分からない。分かることといえば、もう美奈にはその気持ちを伝える機会が無いという事だけである。


こうなってしまったのは俺が何かをしたからではなく、裾を踏んでしまった美奈の自業自得である。だから、俺が気に病むことではないのだが、罪悪感めいたものが心に広がるのは止めることができなかった。


「くそっ……5年かよ」


俺は一人毒づいた。美奈の想いの強さを知り、手放しでは喜べなくなってしまったのだ。


しかし、だからといって、美奈に小池の裾を踏ませる気にはとてもなれなかった。そもそも、例え踏ませようとしても、小池は洋服であり、踏ませるための裾などなかったのだ。


俺に出来る事は何一つない。俺は自分にそう言い聞かせ、納得させた。俺はもやもやした気分を変えるため、美奈を誘って縁日を楽しむ事にした。


「美奈、ちょっと……ん?」


そこで初めて俺は、自分の腕が美奈の肩に回されている事に気付いた。そして、その腕が、自分の思うように動かない事に動揺した。


「まさか……縁結び効果か?」


当然といえば当然である。美奈だけが俺に惚れたのでは、それは縁結ではない。二人がお互いに惚れあってこその縁結びなのだ。

つまり、縁結びの御利益は、今度は俺に干渉し始めたのである。


「冗談じゃない!」    


俺は必死になり、なんとか美奈の肩から腕を解く。


美奈と結ばれるのは大歓迎だが、意思を操作され、自由を封じられるのは真っ平御免であった。それは、自分の人格さえ変えられてしまうという事であり、とても容認できる事ではない。


「おい!美奈、立て!」


俺はベンチから立ち上がり、美奈の肩を揺さ振った。


「なーに?ダーリン?」


美奈はうっとりとした目を俺に向け、これ以上ない程の甘ったるい声で返してきた。


「とにかく立て!」


「あー、わかった。チューね?もう、せっかちなんだから」


美奈はクスクスと笑いながら立ち上がり、俺に向かってわずかに顎を上げ、目を閉じた。


俺はその瑞々しい唇を、奥歯を噛み締めて強引に無視し、美奈の頬を両手でぎゅーと引っ張った。


「目を覚ませ!まだ正気は残ってるんだろ!?小池を思い出せ!お前の5年間の想いはそんな物なのか!?」


「ほひゃ!?」


「御利益に負けるな!」


俺はさらにグイグイと頬を引っ張った。


「いひゃい!?」


「頑張れ!」


「いひゃいってー!!!」


美奈は腕を振り上げ、俺の手を払った。


「痛いって言ってるでしょ!なんなのよ!!」


「お前、俺のこと好きか?」


「なに言ってるのよ!?そんなわけないじゃない!」


「よし、戻ったな。時間がないからよく聞くんだ。まず、その指輪を壊すことはできないのか?縁結びの御利益を増幅させているのは指輪だ。だから指輪を壊してしまえばいい」


「無理よ。できればやってるわ。この指輪は絶対に壊せない」


「だったら指輪じゃなくて、指輪が増幅している縁結びの方を壊すしかない」


「御利益を壊す?」


「ああ、縁結びの御利益を無にしてしまえば、指輪も増幅しようがないだろ」


「本気で言ってるの?御利益なんてどうやって壊すのよ?」


「御利益には必ず由来がある。起源があるんだ。この縁結びの御利益の起源は、裾踏姫の伝説だ」


「なに?すそふみひめって?」


「地元のくせに知らないのか?手短に話すからよく聞んだ。昔、この地方を治めていた豪族の姫と、都からやって来た行商人が恋に落ちた。だが、身分の違いから周囲の猛反対にあい、やむなく二人は山に逃げ込み、洞窟に身を隠したんだ。二人はそこを住処とし、一緒に暮らし始めた。しかし、時が経つにつれ、男は湿った洞窟での生活に嫌気がさし、都が恋しくなってきた。そしてある夜、男は姫が寝ている間に洞窟から逃げだそうとした。男は忍び足で洞窟の出口へ向かったが、数歩もいかないうちに男の足は動かなくなった。男がどんなに必死になっても、足は前へ進まない。まさかと思い、振り返った男が見たものは、ズルリと伸びた着物の裾と、その上に立つ姫だった。姫は悲しげに男を見つめてこう言った『私が貴方の裾を踏んでいる限り、貴方はそこから動けません。貴方はもう私から逃れられない。未来永劫、貴方と私は離れる事はないでしょう』ってな。それから二人はその場に立ち続け、肉体が朽ち、亡霊となった今でも、そこに居続けているんだそうだ。……とまあ、これが裾踏姫の伝説だ。この伝説から、裾を踏めば縁結びの御利益があると言われるようになったんだな。つまり『踏んだ女と踏まれた男は永遠に離れる事ができない』ってところから『踏んだ女と踏まれた男は必ず結ばれる』って事になったんだ。だから、御利益を無にするには、伝説の二人を別れさせてしまえばいい。亡霊と成り果てた二人に会って、姫を裾の上から引きずり降ろすんだ。そうすれば伝説の結末は別れになり、縁結びは成り立たなくなる。御利益が無くなれば、美奈も俺も普通に戻るってわけだ。どうだ、いい考えだろ!」


俺は自分の案に満足し、フフンと胸を張った。その胸に美奈の拳がめり込んだのは、まさに一瞬の出来事であった。


「げふぅうう!?な、何しやがるんだ!」


「ひどい!そんなことしたら裾踏姫がかわいそうじゃない!男なんていつも自分勝手で、女の事なんて何も考えてないんだわ!アンタも、私をいつか捨てるつもりなの!?」


「み、美奈?お前……おい、ちょっと頬を出せ」


「チューね?」


「そうだ」


美奈は嬉しそうに頬を差し出し、俺はその頬を思いっきり掴んだ。


「いふ!?」


「正気に戻れ」


「いふぁい!」


「まだか?もっとか?」


「痛いわね!戻ったわよ!あんたの話が長過ぎたからいけないのよ!黙って聞いてたら、ぽーとして意識なくなったわ!」


「まさか、俺の話、全然覚えてないのか?」


「それは大丈夫。今回はおぼろげだけど覚えているわ。いいアイデアだけど、裾踏姫がいる洞窟の場所なんて知ってるの?そもそも、本当に亡霊なんているの?」


「洞窟なら神社の裏山にあったはずだ。亡霊がいるかどうかは行けば分かるさ」


「じゃあ、さっそく行きましょ」


「ちょっと待ってくれ。準備をしたいから少し時間をくれ」


相手は亡霊、一筋縄ではいかないだろう。やはりそれなりの準備をしなければならない。俺は美奈をその場に残し、必要なものを手に入れるために奔走した。








俺と美奈は神社裏の雑木林を歩いていた。祭の喧騒は遠くに聞こえ、灯りはすでに届いていない。手に持つ懐中電灯だけを頼りに、俺達は洞窟を目指していた。


「ねえ、ダーリン、私が裾を持とうか?」


長い裾が木に引っ掛かかり、何度目かの舌打ちをした俺に、見かねた美奈がそう言った。


言葉から分かるように、美奈はしばらく前から再び縁結びの影響下に入っていた。しかし、頬をつねるのが面倒になった俺は、もう放っておくことにしていた。


「もうすぐ着くから大丈夫だ。それより、ちょっと照らしてくれ」


俺は自分の懐中電灯を下に置き、美奈の懐中電灯が照らす光の中、木に引っ掛かった裾を取り外した。そして、立ち上がろうとした時、浴衣の懐から何かがゴソっと草の上に落ちた。


「ダーリン、これ、何?」


俺より早く拾い上げた美奈が、その褐色の小瓶に懐中電灯の光を当てた。


「何?栄養ドリンク?」


「ば、ばか、危ないから返せ!」


俺が伸ばした手を、美奈はひらりとかわし、小瓶に貼られたラベルをまじまじと見た。


「えーと、『爬虫類王者エキスDX』…もう、がんばり屋さんなんだから。私、洞窟で何されちゃうのかしら?」


「違う!中味は別ものだ。屋台の人に分けてもらったんだよ!いいから返せ!」


俺は美奈の手から小瓶をひったくるように取ると、懐にしまい込んだ。


「さあ、行くぞ。もたもたするなよ」


「了解。ダーリン」


それから歩くこと数分、俺達は洞窟にたどり着いた。洞窟の入り口は狭く、赤茶けた鉄格子がはまっていた。


「どうするの?」


「ああ、大分錆びてるな……美奈、ちょっと離れてくれ」


美奈が鉄格子から離れると、俺は足裏で思いっきり鉄格子を蹴った。


鉄格子は呆気なく外れ、俺は美奈を振り返った。


「美奈はここにいてくれ。後は俺一人で行く」


「なんで?私も行くわ」


「危険だ。美奈を危険な目にはあわせられない」


これは嘘であった。本当の理由は美奈を連れて行くのが面倒だったからだ。連れて行けば、きっと姫がかわいそうだとか言って俺の邪魔をするに違いない。


「とにかく、ここからは俺一人で行く」


「……うん、分かった。ここで待ってる」


「よし。じゃあ、行ってくる」


俺は美奈に背を向けると、身を屈め、狭い入り口から洞窟へと入った。


懐中電灯に照らしだされた洞窟内は、入り口とは違ってかなり広かった。俺は奥へと懐中電灯を向けたが、闇は深く、光は奥まで届かなかった。


「さてと……」


俺は岩がゴツゴツと突き出た洞窟を、慎重に、一歩ずつ奥へと進み始めた。


「ん?」


洞窟をかなり奥へ進んだ時、懐中電灯の光の中に岩とは違うこんもりとした物が見えた。


俺は光を当てたまま、その軟質なものに近づき、「むう」と唸った。こんもりと膨らんでいたのは古びた着物で、その端に人間一人分の骨が乗っていた。


「これが裾踏姫の成れの果てか?てっことは……」


指先で着物をわずかに持ち上げると、案の定、下から覗いたのはこれまた白骨であった。


「こっちが行商人ってことだな。よし」


俺は姫の骨をつまみ、着物の上から退かし始めた。姫を裾から降ろせば呪縛は解かれ、商人は自由の身になる。そうすれば、伝説の最後は別れとなり、縁結びの御利益も失われるはずである。


俺は黙々と骨を退かしていき、やがて、姫の骨を裾の上から退かし終えた。


「地味な作業だったな……まあ、亡霊なんて本当に出てこられても困るけど」


目的を果たした俺は、本当に御利益が無くなったのかどうかを確かめるために美奈の待つ洞窟の出口へと急いだ。


しかし、出口までもう少しという所で、俺の足はピクリとも動かなくなってしまった。足が地に貼り付いてしまったかのように、どんなに力を込めても足は上がらなかった。


「このシチュエーションは……」


俺が恐る恐る振り返ると、裾の上には美しい女性が立っており、恐ろしい目で俺を睨んでいた。


それはまさに伝説の再現であった。


「よくも……おのれ……」


裾踏姫の唇から低い声が漏れ、それと同時に洞窟が鳴動を始めた。


洞窟、そして鳴動、俺は当然のように崩落を連想した。


「くそ!」


俺は浴衣を脱ぐために帯を解いたが、なぜか袖から腕が抜けず、浴衣を脱ぐことができなかった。


(これも姫の呪術なのか!?)


俺は早々に脱ぐことを諦め、次の手段に移ることにした。


俺は身体をねじりつつ、手にした懐中電灯を姫めがけて叩きつけた。しかし、姫の身体は空気のようなもので、なんの手応えもなく懐中電灯は姫の身体を通り抜けてしまった。


「だったら!」


俺は浴衣の懐に手を入れ、褐色の小瓶を取り出した。


だが、慌てていたため、小瓶は俺の指をすり抜け、コロコロと手の届かない所まで転がっていってしまった。


「う、うそだろ……」


鳴動は次第に激しくなり、細かい岩の破片が呆然と立ち尽くす俺の肩にパラパラと落ち始めた。


万事休す。俺がそう思った時、美奈の声が洞窟に響き渡った。


「あんた!?何やってんのよ!」


声がした方を見ると、俺に向かって懐中電灯の光が揺れながら近づいて来ていた。


「ねえ!この洞窟崩れるわよ!早く出ないと!」


「動けないんだ!!」


俺は光の向う側に見える美奈のシルエットに向かって怒鳴った。


「ん!?誰よその人!?」


「裾踏姫だ!踏まれてるんだ!」


「な!?待ってなさい!今助けるから!」


美奈は一気に駆け寄ると、姫に向かって懐中電灯を振り下ろした。しかし、懐中電灯は姫の身体を素通りし、俺の背にゴキンと当たった。


「痛ッっっ!駄目だ美奈!姫には触れられないんだ!」


「じゃあ、裾から降ろせないじゃない!」


「裾を無くしちまえばいいんだ!裾が無ければ姫は踏めない!そこら辺に瓶が転がってるはずだ!取ってくれ!」


「瓶!?」


美奈は地面に光を当て、すぐに小瓶を拾い上げた。


「これ栄養ドリンクじゃない!こんなのどーするのよ!?まさか、これを飲むと強くなるとか言うんじゃないでしょーね!?」


「冗談言ってる場合か!裾の上で割ってくれ!時間がない!」


「分かった!」


美奈は小瓶を振りかぶり、それを姫の足元へ叩きつけた。瓶は粉々に割れ、たちまち辺りには燃料の匂いが立ち込めた。


「美奈、離れろ!」


俺はポケットから取り出したマッチに火をつけ、それを裾の上に放った。


一瞬にして燃え上がった炎は、裾と姫を飲み込み、着物を伝って俺の背に迫る。しかし、裾を焼失させた事によって俺は姫の呪術から解放されており、今度は難なく着物を脱ぎ捨てることが出来た。


「美奈、走れ!崩れるぞ!」


「分かってるわよ!」


俺と美奈は出口に向かって走り、そして、二人が外へ飛び出すと同時に、洞窟の口から大音響とともに土煙が吐き出された。


「危機一髪だったな。縁結びごときで死んだらシャレにならん」


俺は額に浮いた汗を拭い、息を吐き出す。


「私のおかげよ。感謝しなさい」


「ああ、ありがとう。それで、もう大丈夫なのか?縁結びの影響は?」


「うん。もう平気よ。なんかスーとした気分。あんたの読み通りになったわね。見直したって言いたいけど、あまり見直したくない姿ね。それ」


美奈はそう言うと俺から視線を逸らし、俺は自分が下着一枚だけの姿であることに気づいた。


「仕方ないだろ。着物を燃やす以外に方法がなかったんだから」


「よく燃料なんてあったわね」


「発電機の燃料を屋台のおっちゃんに分けてもらったんだ。伝説の通りだとしたら、商人の裾に乗っているのは亡霊だろ?だとしたら手が出せない。その場合、商人の着物ごと燃やそうと思って持ってきたんだ。でも、自分の裾を燃やすことになるとは思わなかったな」


「ねえ、姫の亡霊はどうなったのかしら?」


「さあな……火で消滅したかもしれないし、火が平気なら、まだ洞窟の中にいるかもしれない」


「なんか、かわいそうな事したんじゃない?」


「だったら反省しろよ。姫を男と別れさせたのも、俺が裸でここに立っているのも、全部その指輪のせいなんだからな。そんなもの二度とつけるなよ」


「分かってるわ。指輪に頼ろうとしたバチが当たったのよ。もう、これには頼らないわ」


「本当か?ふーん……そういえば、美奈は覚えてないと思うが、小池に会ったぞ」


「本当!?」


美奈が突然走り出し、俺は素早く彼女の腕を掴んだ。


「何しに行く?」


「踏むのよ!裾を!」


美奈は血走った目で俺を振り返る。


「おまえ、重要なこと忘れてないか?今さら裾を踏んでどうなる?もう御利益はないんだぞ」


「あっ」


美奈はハッとした表情になり、それから肩を落した。


「あーあ、あんたの裾さえ踏まなければ、今ごろ小池君とカップルになってたのに」


「いや、美奈は俺の裾を踏んで良かったんだ。今回、美奈は自分の意思に反して俺に惚れただろ?それは美奈にとって身の毛がよだつほど嫌な事だったはずだ。美奈はそれを小池にさせるところだったんだぞ?」


「それじゃあまるで、小池君が私を身の毛がよだつほど嫌ってるみたいじゃない!?」


「とにかく、小池と付き合いたかったら告白するんだ。変な力に頼らず、正々堂々と想いをぶつけるんだ。それで手に入れた物は、変な力で手に入れた物より、ずっと確かな物になる。現に、御利益なんて俺が手を加えただけで消えちまったじゃないか。そんな心許ない愛でいいのか?」


「……」


美奈は顔を伏せてしばらく黙っていたが、やがて、バツが悪そうに顔を上げた。


「分かったわよ。自分の力でなんとかするわ」


「よし。まあ、そもそも、小池は浴衣を着ていなかったがな」


「……先に言いなさいよ」


「じゃあ、とにかく、何か着るものを探してきてくれないか。この格好じゃ帰れない」


「しょうがないわね」


美奈は仏頂面で縁日の方へと歩きだした。しかし、すぐに足を止め、わずかにこちらを振り返った。


「ねえ、別に……それほど嫌って事はなかったわよ」


「ん?」


「それならそれもありかなって……思った」


「だから、なんの話だ?」


「……じゃあ、行ってくるわ」


俺に疑問を抱かせたまま、美奈は再び歩きだした。そして、その姿はやがて木々の間に見えなくなった。








俺は美奈が用意してくれた洋服を着て、人がさらに増え、混雑してきた縁日を歩いていた。


「もし、小池君に告白してさ、上手くいったらメールしていいかな?」


美奈はリンゴ飴をかじりながら、俺の方をちらりと見上げた。


「ああ。でも、どうせなら振られた時にしてくれないか?」


「縁起でもないこと言わないで」


「だって、俺、メール欲しいし。その条件だと、俺は一生メールもらえないじゃないか」


「何それ!?まるで私が振られるみたいじゃない!」


その可能性は高いと言えた。小池はこの祭で、俺と美奈がべったりと寄り添う姿を見ている。その美奈から5年分の想いを告げられても、容易に信じるわけがない。


「まあ……頑張れよ」


「あっ、何よ、その哀れむような目は!?」


「別に……」


「あんた、何か知ってるわね!?そう言えば、私、何も聞いてないわ!小池君と会った時の状況を教えなさいよ!」


「聞かない方がいい」


「不吉な予感ーー!!」


美奈はぎゃあぎゃあと騒ぎ、俺はその横を笑いながら歩いた。









「すみません」


俺の胸にぶつかって来た女の子はそう謝り、不安そうに後ろを振り返った。


「どうしたんだ?」


「変な人につきまとわれてるんです。裾を踏んだら追いかけて来て……すみませんでした」


女の子はそう言うと、足速に立ち去っていった。


女の子が去った方と反対の方を見ると、一人の男が人混みを強引に掻き分け、こちらに向かって来ていた。


美奈が俺の袖をクイクイと引き、男を指差した。


「あの男、見覚えがあるわ。あいつ、私に裾を踏ませようとしたナンパ男よ」


「まだ頑張ってたのか」


「女の子が嫌がってるのが分からないかしら?」


「まあ、奴も必死なんだろう。奴の気持ちも分からないではない。でも、追い回すのは感心しないな」


「いいわ、私が懲らしめやる」


美奈はそう言うと、近づいて来た男の前に立ちはだかった。男は美奈をじろりと見た後、顔に喜色を浮かべた。美奈の行動を自分に都合よく解釈したようだ。


そして、美奈はさらに男を喜ばす行動に出た。美奈は素早く男の後ろに回り込むと、その裾を両足で踏んだのだ。


俺には美奈の行動が理解出来なかった。そんな事をすれば、男を誤解させるだけである。


しかし、男は最初こそにやけていたが、次第に顔色を青くしていき、やがて大声で騒ぎだした。


俺が聞き取れる範囲では、男はどうやら『足が動かない』と騒いでいるようであった。


俺は男の身に何が起こっているのかを知り、男以上に蒼白となった。


男は上半身だけでバタバタともがき、美奈が裾から降りると脱兎のごとく逃げていった。


美奈は男を見送った後、得意げな顔で俺の傍らへ戻ってきた。


「み、美奈、なんで裾踏姫の呪術をおまえが使えるんだ?まさか、おまえ……」


「心配しないで。別に姫に憑かれたわけじゃないわ。洞窟で姫が裾を踏んでるのを見て、出来そうだって思ったから真似しただけよ」


「ま、真似?真似なんて出来るのか?」


「裾を踏みながら呪文を唱えるだけ」


「呪文だって?さっき、呪文なんて唱えてなかったぞ?」


「もちろん口には出さないわ。心の中で唱えるの。裾踏姫もそうだったでしょ?」


「ちょ、ちょっと待て。俺はそんなの聞いてないぞ。姫が心の中で唱えていた呪文を、美奈はどうやって聞いたんだ?」


美奈はそこできょとんとした表情になり、首を傾げた。


「あれ?そう言われてみると、何でかしらね?」


「おいおい」


「でも、そんな事どうでもいいじゃない。こんな呪術が使えたって何の役にも立たないわ。だって、私は裾踏姫みたいに男に振られないしね」


「……そうか?」


俺は小池の身を案じた。もし、小池に会ったのならば、裾の長い服は絶対に着ないように忠告してやろうと心に決めた。


「さてと、行きましょ」


「おいおい、まだ食うつもりか?もう財布は空っぽだぞ」


「なんで私が『行きましょ』って言ったら、食べることに結びつくのよ!?」


「いや、食ってばっかだから。違うのか?」


「違うわ。花火がもうすぐ上がるのよ。一番よく見える場所を知ってるから、招待してあげる」


「花火か……そう言われてみれば、この祭の花火はじっくり見たことないな」


「花火を見ないで何やってるの?」


「花火が上がると、女の子の注意が上に向くんだ」


「……毎年そんな虚しい事してたの?しょうがないわね。私に感謝しなさい。今年はこんな可愛い女の子と花火が見られるんだから」


「まあ、そうだな」


「あっ、花火が上がるわよ!」


美奈がそう言った直後、夜空に七色の光が広がった。


だが、俺は空などには目を向けず、降り注ぐ光の筋に見惚れる美奈の横顔をじっと見ていた。


「綺麗ね。でも、私の知ってる場所はもっと綺麗に見えるんだから」


美奈はにっこりと笑いながら言った。


「ああ、でも、今年も花火なんてじっくり見られないだろうな」


「ん?何でよ?」


「いや、何でもない。じゃあ、そのベストスポットへ連れてってくれよ」


「うん。こっちよ」


美奈は花火を見ながら歩きだした。美奈の意識は上へと向き、足元には全く向けられていない。この無用心さが俺と美奈を引き合わせたのだ。


俺はそのうかつさに感謝しつつも、さり気なく美奈の足元に注意を払い、花火が鳴り響く縁日を歩いた。








以上でこの話は終わりである。だが、美奈とは、この後も幾ばくかの時間を共有することになる。

彼女は幾度となく俺の裾を踏み、その『裾踏留の呪術』によって俺を危機から救ってくれた。今、俺がここで独り苦笑していられるのも、彼女や夏奈子のおかげである。

今夜、時間が許す限り、彼女達『裾踏姫』の活躍を書いていこうと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] 昔モバゲーで読ませてもらってました、こっちでも続き読めたらうれしいです。
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