第11話 昇格
「くっ!」
目の前の全身緑色の醜悪な魔物、ゴブリンを斬りつける。だが休んでもいられない。すぐに次のゴブリンが左から襲い掛かってくる。素早く周囲を見渡せば一緒に来ている3人のパーティメンバーたちも自分に襲い掛かってくるゴブリンの対処で苦戦していた。その顔には焦燥と疲労がありありと見て取れる。
どうしてこうなったのか。
そんなとりとめのないことを頭の片隅で考えてしまう。今いる森はゴブリンしかいない森であり、特に苦戦することもないだろうと思っていた。だが現実は視界に映る光景の通り、危機的な状況に立たされている。
最初は単体かせいぜい2、3体で集まっているゴブリンだけを堅実に狩っていた。だがそれで調子づいてしまったのか、メンバーの一人があることを言った。
『これなら何体いようが楽勝じゃね?』
それが悲劇の始まりだった。何体こようが問題ないということでゴブリンが多くいるであろう森の奥へとどんどん入り込んでしまい、結果としてゴブリンの集団を引き当ててしまった。
慢心。それはなりたての冒険者の最たる死因の一つ。最初こそ自分の力がどこまで通用するかしらないために慎重になる。しかし、魔物を初めて狩ると自分の力が通用したという高揚感も合わさり、行き過ぎた行動にでやすくなってしまうのだ。彼らもまた、その幻覚じみた自信に囚われてしまっていた。
「くそったれっ!」
疲労と終わりの見えない戦闘によって心に焦りと恐怖が生まれてくる。そうなってしまえば動きに精彩が欠けてくるのも必然だった。
自分の体に刻まれていく傷。まだかすり傷で済んではいるが、その傷による小さな痛みが更なる焦りと恐怖を呼び込んでしまい、徐々に受ける傷が深くなっていく。このままいけばいずれ大きな一撃をもらってしまうであろうことは容易に予想できた。
「きゃあああっ!」
自分の背後で女性の叫びが響く。体を微かにずらし、ちらりと横目で見てみれば仲間の女性がゴブリンに押し倒され、装備を剥かれている最中だった。
「うあっ!」
突如、腕に鋭い痛みが走る。
女性に意識を割きすぎていたために、ゴブリンに接近を許していたことに気が付くことが出来なかった。腕を引っかかれ、ようやく気が付くことはできたものの、それはあまりにも遅かった。傷からは鮮血があふれ出し、動かせば更に強い痛みと共に出血が激しくなる。
(くそ……)
森の奥に行くのを止めていれば。もう少し実力があれば。後悔してももう遅かった。
自分たちの一撃によって動きが鈍った獲物にトドメを刺そうとゴブリンたちが一斉に襲い掛かってくる。悔やんでも悔やみきれない気持ちを胸に、来るであろう致命傷の痛みに備え歯を食いしばり、目を閉じた。
(――――?)
しかし、来たのは痛みではなく破裂音。その音とほぼ同時に頬に何らかの液体が飛び散ってきたのを感じ取る。
おそるおそる目を開けて周囲を確認してみれば、自分のまわりにいたゴブリンは全て頭部を失って地面に伏していた。何が起きたのかは一切理解できないが、頬に飛び散ってきたのはゴブリンの鮮血であるということはすぐに理解できた。
「な、なんだ……?」
「うひゃあっ!」
「おわあっ!」
仲間たちの周囲を取り囲んでいたゴブリンもまた、何かに頭を吹き飛ばされゆっくりと地面へと身を委ねていく。彼らはゴブリンが全て倒されるまで口を開けてみていることしかできなかった。彼らもまた、何が起きているのか全く理解できないために。
「な、なにが起きた!?」
いち早く意識を取り戻したパーティのリーダーが仲間たちに呼びかけるように口を開く。だが出てきた言葉は絶体絶命のピンチから脱することができたという喜びではなく、今起きた現象についての説明を求めるもの。しかしそれも当然だった。急に目の前の生物の頭が破裂するのだ。何故という言葉が出ない方がおかしい。
「おい! ここに矢が刺さってるぞ!」
リーダーの声に弾かれるように動き出したパーティメンバーの一人が、地面に深く刺さっている矢を見つけ出す。
「どうみても普通の矢だが……」
弓を使っていない者から見れば、その辺の武器屋でも売っているであろう何の変哲もない矢。だが地面から抜いてみれば矢じりには血が付着しており、他にも地面の刺さり具合から見てかなりの速度で放たれたと推測できることから先程の現象の正体はこれであるとパーティ全員が理解した。
「この矢……かなり質が違うわ。羽もかなり上等なものが使われてる。矢までこだわっているってことはやり手の人ね。ゴブリンの頭を砕く力量とかも含めると、少なくとも私とは比較にならない弓の腕前よ」
つい先程までゴブリンに押し倒されていた『弓術士』の女は、そういいながら背中の矢筒から一本矢を取り出すと、比較しやすいように2本の矢を並べる。女の取り出した矢は明らかに地面に刺さっていた矢よりも劣っていることが他のメンバーたちにも見てとれた。
実際、いちいち矢に金をかけていてはかなりの出費となる。使った矢を回収すれば使いまわしはできるものの、劣化は当然ながら激しい。なら矢は最低限の性能を持つものに抑え、それで浮いた金でよりよい弓を買った方がいいというのがかけだし冒険者の中で通説となっている。無論、一流の冒険者たちは潤沢な資金があることもあわさり、装備に一切の妥協はしないのだが。
「本当だな…… どうする? もし追いはぎ目的で襲ってきたら?」
「安心しなさい。本当に私たちを害する気なら今頃私たちもゴブリンと同じ姿になっているわ。なにより、私たちから何か取ったところでそんな金になるわけないでしょ」
「ははは! 違いない!」
「だが、その救世主がどこにも見当たらないんだが……」
助けてくれたのなら姿を現してくれると思っていた彼らだったが、一向に自分たちを救ってくれた者が現れることはなかった。
「もしかしたら姿を見られたくないのかも」
「せっかく助けたのにか?」
「かっこいいじゃない。助けるだけ助けて謝礼も求めずに去っていくなんて。誰かとは大違いね」
「なにおう!?」
緊張していた空気がわずかに弛緩する。とはいえ今いる場所がいつまでも安全とは限らない。姿を現してくれない以上こちらも接触のしようがないと思ったリーダーは一度メンバーたちを見まわすとそのまま言葉を紡ぐ。
「姿を現してくれないならしょうがない。依頼自体は終わってるんだ。はやく安全なところをさがしてそこで野営してから王都へ帰還しよう」
その言葉に、メンバー全員が力強く頷いた。
♦
「はい、依頼完了ね。Fランク昇格おめでとう!」
「ありがとうございます」
翌日、依頼を無事にこなしたメアは王都へ帰還しギルドに依頼の報告をしていた。
「……それにしてもなんかギルドが騒がしくないですか? まあいつも騒がしいんですけど……」
ギルドは粗暴なものが多く集まる場所なだけあっていつも賑やかである。普段なら依頼を受けるか受けないか、装備の新調や整備をどうするか、新しい仲間を加えるかどうかなど様々な話がギルド内を飛び交うためだ。
「ああ。昨日、王都周辺の森で依頼をこなしていたパーティが凄い人に助けてもらったみたいよ? その件じゃないかしら? そのパーティのメンバーが助けてもらったって周囲に語ってるみたいだから」
「凄い人ですか?」
メアの目にわずかながら警戒の色が浮かぶ。凄い人ということは自分が懸念していた”先客”、もしくは自分の後に来た者かもしれないために。先手を打っておいて損はないと考えたメアは、マーリンに質問をする。
「その人の特徴はありますか?」
「彼らも直接見たってわけではないんだけど、なんでも凄い『弓術士』らしいわ。ゴブリンの頭を砕く矢を放つみたいだし」
「『弓術士』ですか…… ん? 『弓術士』?」
自分の昨日の行いを思い出す。様々なスキルや能力を検証していたこと、そして弓を主体にして戦っていくことにして、その初陣にパーティを助けたことを。
『弓術士』のメイン武器も弓。そこまで思い当たったメアの額に嫌な汗が浮かびだす。顔は引きつり、如何にも不自然な笑みが形作られていく。
(話題になることぐらい予想できただろ…… やばい目立つ。下手するとすっごい目立つ!)
あまり目立つことが好きではないメアは必死に顔に出ないように平静を保つ。一歩間違えればこれからの生活が一気に面倒なものになるかもしれないと心の中で恐怖しながら。
メアは目立つと恐れてはいるが、それは杞憂だ。助け出されたパーティもまた初心者の集まり。つまりは凄い人というのも彼ら初心者の目線からであり、自分たちからしてみれば大したことのない人物である可能性もある。そのためあまり気にされていないのが現状だった。
更に言えばこの世界は娯楽が少ないため、ちょっとした話題でも賑わうことがある。今のギルドもたまたま転がってきたひとときの”娯楽”を身内で楽しもうという者が多かったがために、騒がしくなっているだけなのである。
「? メアちゃん大丈夫?」
「ハイ、ナンデモアリマセンヨ?」
そんなことを知る由もないメアはもののみごとに緊張してしまい、お手本のような棒読みをしてしまう。無表情を貫こうとした結果、声音まで抑揚のないものになってしまったのだ。おかげでマーリンもメアが何か隠している事にいちはやく気がつく。
「どうみてもなんかあるじゃない……」
呆れを含んだ言葉にメアの顔が更にひきつる。その度合いがひどくなっていくにつれマーリンも何か察したのか、徐々に怪訝な目つきになっていく。メアがAランク冒険者も認める、かなりの実力者であることが分かっているために。
「まさかメアちゃん……」
「あーっ! 大事な用事忘れてました今すぐいかないと私まずいことになるんです! では!」
まくしたててギルドから脱兎のごとく逃げ出すメア。そのあまりにも強引な手口にマーリンも凄い人とやらの正体が誰なのか察し、あまり突っ込まないようにしようと心に決めたのだった。