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その8


「さゆちゃん、たいへん」

 奏子は、立食パーティーの会場で、園長の挨拶に聞き入る聴衆を見回しながら、そーっと紗由の耳元で囁いた。奏子の傍らには、手をぎゅっと握られた疾人がいる。

「どうしたの、かなこちゃん」

「あのね、あのね…おじいちゃまの石が、なんか、へんなの」

「どんなふうに?」

 紗由は尋ねながら、奏子の袖を引っ張り、そーっと会場の後ろのほうへと下がっていこうとしたが、涼一に腕をつかまれた。

「どこ行くんだ、紗由。あっちこっち行っちゃ駄目だろ」

 小さな声で涼一が言うと、紗由は「じゃあ、とうさまも、いっしょでいい」と言いながら、涼一と奏子の両方を引っ張り、会場後ろのドアの傍へ行った。疾人も奏子に手を引かれる形で後ろから続く。


「あのね、ときどき、くろくなっちゃうの」

「とうめいな石なのに?」

 奏子の言う“おじいちゃまの石”は幾つかあったが、今日紗由が見せてもらったのは、“命”の血筋の家において“羽龍の玉”と呼ばれる水晶だった。

「うん。えんちょうせんせいがくるとね、くろくなっちゃうし、あと、ピザやのおじさんと、しかいのおじさんのときも、そうなの」

「奏子ちゃん、それって…」


 涼一が奏子の顔を覗き込むと、紗由がそれを押し戻した。

「いまね、ちょうさちゅうだから」

「は、はい」紗由にキッとにらまれ、しょんぼりする涼一。

「かなこちゃん。じゃあ、ちかくにいっちゃ、だめだよ」

「えんちょうせんせいも?」

「うーん…。にいさまがきたら、きこうね。でも、それまでは、いかないでおいて。いま、おばあさまとおはなししちゃいけないから、さゆだけだと、わかんない」


 そう言っている傍から、夕紀菜、真里菜、龍の3人が、紗由たちのいたドアから会場に入ってきた。夕紀菜は涼一に気づいて会釈すると、翼と大地の手を引いて近くにやってきた響子に声を掛けられ、ヒソヒソ声で話を始めた。


「にいさま!」

「龍くん! あ。おにいちゃまと、だいちくんもきた」

 その一方、龍たちのタイミングのいい登場に驚く紗由と奏子だったが、奏子は、龍が真里菜と手をつないでいるのを見ると、じーっとその手を見つめ、うつむいて拳を握りしめた。


「あ!」

 その時、会場の端々では、何人かの人間が同時に叫んだ。


 龍も、その中の一人だったが、彼は声を発したのと同時に、自分が持っている“玉”に“今の声を集めろ”と命じた。そんなことは今までしたことがなかったのだが、咄嗟にそう心で念じてしまったのだ。

 そして、この会場内で起きた龍や何人かの人間の動揺が、奏子と、奏子の石に端を発していることを、龍は瞬時に理解していた。

 龍の傍で同様な理解をしたのが、翼だった。龍はそれにも、すぐ気づき、目を合わせるとにっこり笑った。


「かなこちゃん。あのね、さっきね、龍くんにたすけてもらったの。まりりんね、しんじゃうかもしれなかったの…」

 急にさっきの一連のことを思い出したのか、記憶の所々をつなぎ合わせて、真里菜が報告した。

「ええっ」驚いて両手を口にやる奏子。

「そうなんだ。早く奏子ちゃんのところに来たかったけど、大変だったんだよ。ごめんね、遅くなって」

 龍がそう言って奏子の頭を撫でると、奏子はうれしそうに笑い、握りしめていた拳を開いた。


「あ…」

 さっきと同様、各所で小さい叫びが起こる。


“今のも集めて”龍は再び念じた。


「まりりん、だいじょうぶ? だいじょうぶ?」

 奏子が心配そうに真里菜を覗き込むが、その傍らでは、紗由がなぜか真里菜ではなく、周囲をきょろきょろと見渡している。

「ねえ。さゆちゃんは、まりりんがしんぱいじゃないの?」

 紗由の態度に不満を持ったのか、真里菜が紗由に問い詰めると、紗由はくるっと振り向き、真里菜に二歩にじりよった。

「ほんとうのはんにんを、さがしてるから、じゃましちゃだめ」

「は、はい」二歩後ずさる真里菜。


「まりりん、あっちいこう」

 奏子はどさくさにまぎれて、真里菜が龍とつないでいた手を引き離すようにして、自分が真里菜と手をつなぐと、疾人とつないでいたもう一方の手を離し、ちょっと先にいた充のところへ真里菜を連れて行った。


  *  *  *


 すもも組の教室から離れた進は青蘭会館へと向かい、途中でウエイターの衣装に着替えていた。一方、仲間の女もウエイトレスの衣装になり、会場に潜入していた。

 進は飲み物を、女は食べ物を運びながら、すれ違いざま、目で合図を送りあった。

“まずは会場を一周かしらね…”女はワゴンを運びながら、瞳を慌しく動かし続けた。


「そこの、おうつくしい、じょきゅうどの」充が女のエプロンを引っ張った。

「…私ですか?」女が立ち止まり振り向いた。

「そうでござる。よかったら、いっしょにおちゃでも、どうでござるか」

「あ…仕事中ですので」苦笑いする女。

“さすがは翔太くんの弟子だけあるわね…”


「しごとなら、せっしゃがてつだいまする。せっしゃは、いざかやではたらいているでござるからな」充が自信満々に笑みを浮かべる。

「…ありがとうございます。でも、坊ちゃまはこのパーティを楽しんで下さいませ。私は仕事に戻らないと叱られますので。足りない食べ物がありましたら、お申し付けください」

 女は充に一礼すると、ワゴンを引きながら、その場を立ち去った。

「ああん…いっちゃった」


 名残惜しそうに女を眺めている充のところへ、奏子と真里菜がやってきた。

「ちょっと。なに、ナンパしてるのよ」真里菜が充をにらみつける。

「ふたごちゃんの、おんなのこちゃんを、およめさんにするんじゃなかったの?」奏子も少々不機嫌そうだ。

「あ…。い、いまのおなごは、にんじゃなかまでござる」後ずさりながら、苦し紛れに言い訳する充。


「ふうん…」疑わしげな目つきで、真里菜が充をじろじろと見た。「おやぶんのまりりんが、しんじゃいそうになったっていうのに、まったくもう…」

「どないしたでござるか?」

 少しばかり翔太の口調の影響を受けながら、充が真里菜を見つめた。

「たいへんだったんだからね」

 真里菜は腕組みしながら、事の詳細を充と奏子にヒソヒソと話し出した。


「みつるくんのいうとおりだったね。わるいひとだったんだね。まりりんが、だいじょうぶでよかった」奏子が泣きそうな顔で言う。

「それで、わるものせんせいは、どうしたでござるか?」

「おそうじのお…ねえさんに、まかせてきたよ。龍くんが、それでいいっていったし」

「でも、龍どのは、なんで、すももぐみにいたでござる? ひめもマドモアゼルも、さきにこっちにきてたのに」


「まりりんのこと、おむかえにいったのかなあ…」奏子がしょんぼりする。

「それはなかろう。龍どのは、おしとやかなおなごがすきでござるからな」大きく頷く充。

「どういういみよ」充の胸倉をつかもうとする真里菜

「うへー」

「じゃあ、どうしていったのかなあ…」

 ギャーギャーと騒ぐ二人をよそに、奏子は龍がそこへ行った理由が気になるらしく、しばらく考え込んでいた。

 そして、そんな奏子の横を時折通りながら、観察している男がいた。


  *  *  *


 奏子と真里菜が充のところへ行ったのを見届けると、思わず龍が笑い出した。

「サンキュー、紗由」

「さんきゅーじゃないです、にいさま。いま、みんなの石がたいへんだよ。かなこちゃんを、おこらせたら、だめだよ」

「…ごめん。今日、奏子ちゃんが一番強い石を持ってくると思わなかったんだよ」

「かなこちゃんは、石となかよしだけど、ときどき、だーって、かけっこしちゃうんだよ。にいさまのきょうしつに、いったときみたく」


「わかった。気をつけるよ。でも、僕たちが力を合わせれば大丈夫だから」

「賢ちゃんもだいじょうぶ?」紗由が不安げに龍を見上げた。

「どういうこと?」

「わるい子が、賢ちゃんのいしに、あつまってるよ。えんちょうせんせいとか、ピザやのおじさんとか、しかいのおじさんとか。いま、ほら、翼くんが賢ちゃんのところにいったよ」


 紗由にそう言われて、龍はハッとしたように“玉”をチューニングし直し、賢児に注意を向けた。

“油断してた…。賢ちゃんの石は、奏人おじさまの石だから、自分で弾き返すと思ってたけど、賢ちゃん自身は石の扱いは初心者だったっけ”

「ありがとう、紗由。あとはにいさまがやるから」

 龍は眉間にしわを寄せると、目を開いたまま、賢児に意識を集中させた。


  *  *  *


 いつのまにか賢児の横にいた翼が、つまらなそうな顔で言った。

「長いあいさつ、去年と全部同じだよ。違うのは寄付をくれた人の名前だけ。あれ、やめてくれたら、僕、お年玉寄付してもいいくらいだよ」

「確かに、挨拶する前に、この眠気は勘弁して欲しいよ。…それにしても、翼は本当によく覚えてるなあ」

「賢ちゃんの挨拶は3分以内でお願いね」

「1分ジャストだ。約束する」そう言うと賢児は壇上へと向かった。


 青蘭学園の運動会は、その後に開かれるパーティーも含め、重要な年中行事のひとつで、そこでは青蘭への高額寄付者へのお礼が、まことしやかに述べられるという、一種の格付けの場でもあった。

 賢児が挨拶に立つのも、イマジカからの寄付額が多額なためで、それは前社長の躍太郎の意向を継いでいるということでもあった。


「ただ今、ご紹介に預かりました、サイオン・イマジカ株式会社、代表取締役の西園寺賢児でございます。弊社には、青蘭を母校とする者も数多く在籍しております。その卒業生たちが力を合わせた汗の結晶を、在校生の皆様方の未来への投資としてお役立ていただけることは、私自身も一卒業生として光栄に思う次第でございます。…」

 賢児が翼に約束した制限時間きっちりで挨拶を終え、壇から降りたところで、賢児の頭の中で誰かの声がした。

 正確に言えば“誰かたち”だ。7、8人の声が一度に頭の中に響き渡る。

“何だ、これは…?”

 拍手に包まれ、元いた場所に戻る途中、賢児は笑顔をたたえつつも、頭の中で繰り広げられる会話の隅々に注意を払っていた。


“パパ、だいじょうぶだよ”

“だいじょうぶだよ、パパ”


“これは玲香のお腹の子どもたち…?”

 賢児は聞こえた声に話しかけようと試みたが、まるで電波の悪いところで受信するラジオのように、雑音が多くて、音がよく聞こえない。


「賢ちゃん」

 呼びかけられ振り向くと、そこには龍が立っていた。

「この前の石、持ってるよね。いろいろ聞こえるんでしょう?」

「あ、ああ…」

「聞きたいものだけ聞くには、コツがあるんだ。石を閉じて」

「閉じる…?」

「閉じろって思えばいい。今は話をしないよって、石に言えばいいんだ」

 賢児は半信半疑だったが、龍の言うとおりにしてみた。

“閉じろ”

 すると、今まで頭の中で渦巻いていた幾つもの声が、まるでリモコンでボリュームを下げたように、すーっと小さくなった。

「本当だ…」


“よかったね、パパ”

“パパ、よかったね”


「あ…でもまだ、二つだけ…」

「あの子たちの声は特別だから、いいんだ。て、言うか、二人の声は、しっかり聞いておいて。味方とそうでない人を教えてくれるから」

「大丈夫?」翼が声を掛けた。

「うん。大丈夫だよ」龍が微笑む。「賢ちゃん。何か不思議に思ったり、怪しく思ったりしたら、ふたごちゃんに聞いてみて。お話できるから」

「う、うん…」

 少々ぴんと来ない様子で頷く賢児だが、ここ最近の妙な緊張とイライラ感がスーッと和らいでいくのを感じていた。

「どうしていいか、わからない時は、双子ちゃんからおばあさまに聞いてもらってね」

 そう言うと、龍は翼の腕をとり、奏子たちのほうへ向かった。


「ちょっとここで、ケーキ食べてから行こうか、翼」

「どうかした?」

 翼が少し緊張した顔で尋ねると、龍はさっき真里菜の身に起こったことを話した。

「そうだったんだ…。まりりんのこと、さらうつもりだったのかな」不安そうに言う翼。

「違うんじゃないかな。もし、さらうつもりだったなら、きっと僕のほうだよ。まりりんは間違えられたんだと思う」


「そいつ、そのままにしておいて、いいの?」

「味方が何とかしてくれたはず」

「味方?」

「園長先生の傍のウエイター、今、賢ちゃんからお皿を受け取ったウエイトレス、じいじに挨拶している夫婦。それから、少し後ろに、じいじのSPが二人。でも、敵もいる。

 さっき奏子ちゃんがむくれた時に反応した人間が4人いた。今、右側の入り口にいるケータリングの人もそうだし」

「え?」


「見ないで。だから、この後、ちょっと行ってくるよ」

「行ってくるって、どういうこと?」

「僕をさらいたい人と、ちょっと話して来るけど、心配は要らない。その代わり、時間が来たら、奏子ちゃんをわざと心配させて怒らせてくれる?」

「…今の奏子を本気で怒らせたら、そいつらの頭、持ってる石に反応して、壊れちゃうかもしれないよ。奏子、一番強い石を持ってきてたし、まだ、おじいちゃまみたいに、ちゃんとできないし…」眉間にしわを寄せる翼。

「仕方ないよ。誘拐は重い罪なんだよ。自業自得だね。えーとね、15分後に怒らせて。その隙に逃げてくる」

「15分後…わかった」


「あ。翼、僕、忘れ物を取りに教室に行ってくるよ!」

 龍は傍を通った男に聞こえるように、わざと大きな声を出すと、後ろのドアから駆け出していった。


  *  *  *


≪秘密の物語≫

 一方、ミコト姫は不機嫌なまま、森の祭りに参加していた。

 森の祭りというのは、サイオン王国建国の祭りで、各村から踊りの名手が集まり、舞を披露することになっている。

 姫の役どころは、その舞の中から、一番よかった舞に褒美の冠を授けることである。


「姫、どうですか。皆、よう出来ていますが、姫のお気に入りはどれでしょう」

 姫の騎士であるショーンが尋ねると、姫は不機嫌な顔で答えた。

「ごほうびは、みんなにあげて」

「姫。おにいさまとケンカしたままなのが、気になっているんですね」

「気になってないもん。にいさまなんか、きらいだもん」姫はぷいと横を向くと、再び舞を見始めた。


 一通り舞が終わり、姫のメイドのレイのとりなしもあって、姫が機嫌を直して褒美の冠を授けたところに、東の空から二人の妖精が息を切らして飛んできた。

「姫! たいへんです!」

「マリーにミーツン。どうしたの? そんなにあわてて…」

 小さな姿から普通の人間の大きさになった二人は、涙声で姫に答えました。

「王子様が人質になりました。ナーシモ王国につれていかれました」

「にいさまが?」


「マリー、ミーツン、もう少し詳しく教えてください」レイが話を促した。

 姫たちが二人から詳しい話を聞いていると、妖精のリオも飛んできました。

「ナーシモ王国からの人質が来ます。あそこに隊列が」

 リオの指し示す方角を見ると、向こうの山肌に10人ほどの兵隊と馬車が見えました。レイジ王子は馬車に乗っているようです。

「光が弱い…」ショーンがその列を見ながら呟きました。

「そうなんです。この正義の剣で王子の検査をしようとしたところ、命の光が弱過ぎて、ちゃんと検査ができません」

 リオが困った顔で言います。

「病気なのですか?」レイが尋ねた。

「いいえ、違います。あの兵隊たちには王子の命を守るつもりがないのです」


「じゃあ、ナーシモ王国はレイジ王子の命にかまわず、サイオン王国に戦争を仕掛けるために送った人質ということなのか?」ショーンがこぶしを握った。

「じゃあ、にいさまは? にいさまは、あっちにいったら、ころされちゃうの?」

「こちらが向こうの言うことをきかなければ、そうなるかもしれません」リオが目を伏せた。

「…そんなこと、させない!ミコトがにいさまを助けにいく!」ミコト姫は力強く立ち上がると、サイオン王のもとへと走った。


  *  *  *


 龍と翼の様子を気にしていた奏子は、龍が会場を出て行くのをじーっと見つめると、後ろ側のドアに近づいた。

「奏子、どこ行くの?」響子が気づき、その腕をつかんだ。「人が沢山いる場所では、あちこち行ったら駄目よ。…翼! 奏子の傍にいてちょうだい」

「はーい!」

 翼が来ると安心したのか、響子は夕紀菜との話に戻った。


「奏子、大丈夫だよ。龍くんは、ちょっと用事があって行ったんだ。しばらくしたら、戻ってくるよ」

「ちがう…いしが、いしが、くろくなったもん。だいじょうぶじゃないもん」

 涙目でドアを開けた奏子を、翼は慌てて追いかけた。

「か、奏子!」

“うわあ。まずいよ。まだ15分経ってないし、誘拐犯のいる所へ行ったら危ないって…”

 翼は思ったが、奏子がダーっと駆け出してしまったので、とりあえずそれを追うしかなかった。

“誰か、助けて!”

 翼が、奏子を懸命に追いかけながら、ポケットの石を握りしめると、賢児の石がそれに反応した。


“あれ…?”

 園長の川本と話をしていた賢児だったが、頭の中に響いたその声は、翼のものだったという妙な確信があった。会話を続けながら、何気なく会場を見回す賢児。だが、会場にいる人数が多過ぎて、一瞬では翼の所在を見分けることはできない。

「校舎も来年、部分的に改修しようと思っていますの。だいぶ老朽化して参りましたし」

「そうですね。最近では耐震構造基準の問題もあるでしょうし。その際には、弊社としても、西園寺家としても、出来る限りのことはさせていただきますので」


“翼はどこにいる?”賢児は、さっき龍に言われた通り、双子たちに聞いてみた。

“りゅうにいさまのきょうしつ”

“ゆうかいされにいった”

“かなこちゃんが、りゅうにいさまをおいかけたの”

“つばさくんが、かなこちゃんをおいかけたよ”


「まあ。ありがとうございます。確か、賢児さんもいらしたんですわよね、2年1組。あそこも改修予定ですのよ」

「そうなんですか。じゃあ、その前にもう一度見に行っておきたいなあ」

“教室って、2年1組か?”

“そうだよ”

“にかいの、はしっこ”

「よかったら、帰りにでもどうぞ」

「ありがとうございます。…あ、電話だ。すみません、失礼します」

 賢児はスマホが鳴っているふりをして、その場を離れた。


“誘拐されに行ったというのは、どういうこと?”

“はんにんがしりたいの”

“わるものせんせいの、おやぶんだよ”

“悪者先生って、あんず組の?”

“にいさまを、ゆうかいしようとしたの”

“まりりんに、ねむらされちゃったよね”

 双子がきゃっきゃと笑う。


 双子の話で、賢児はようやく理解した。紗由を狙っていると充が言っていた“スズキ”が、龍をさらおうとして失敗した。理由はわからないが、真里菜に計画を阻まれたらしい。

  そして龍は、その背後にいる人間の正体を確認するべく、教室に行ったのだ。それを奏子と翼が追いかけていったということだ。

 3人に何が起こるかわからない。賢児は不自然にならない程度に、早足で会場を後にした。


  *  *  *


 2年1組の教室の前まで走って来た龍は、自分の後をつけてきている清掃職員二人の存在を確認すると、さらに廊下を走り抜け、突き当りにある放送室へと入った。


 龍の後をつけてきた二人組は、教室正面の放送ブースのガラス窓から室内を窺うと、二人同時に室内に踏み込んだ。

「…どこだ?」

 男たちは、10帖ほどの室内を見回した。ロッカーや、カーテンの裏など、子どもが隠れそうな場所を探すが、龍の姿はない。

 二人が床収納の扉に気づき、ふたを開けたとき、室内にはスピーカーから声が響き渡った。

「これから、誘拐犯捕獲の放送を始めます」


「な、何だ?」扉にかけていた手を離し、辺りを窺う男たち。

「失敗したこと、僕から報告しようかな。このまま帰ったら、怒られるんだろうなあ、おじさんたち」スピーカーから声が響いた。

「どこだ!?」

「怖いんだよねえ、あの人」声はさらに響き渡る。


「お、おい。何なんだよ、これ」

「知るかよ!」


「僕、直接に話をしたいんだ、いろいろ。手伝ってくれないかなあ」

「…どういうことだ」

 背の高いほうの男が、辺りを探るように見つめながら、龍の問いかけに答えた。

「僕の力が欲しいなら、貸してあげても構わない。そのための交渉を今したいんだ。今電話してくれるなら、おじさんたちの前に出るよ」

「おい、どうする」小さいほうの男が呟く。

「おじさんたちの手柄にもなると思うけどなあ。僕を連れて行くのはいいけど、誘拐事件になったら、大変だよ。じいじもマスコミも黙っちゃいない。短時間で僕を解放したところで、警察は動くだろうし」

「確かに君が言うほうがリスクは少ないが、西園寺氏との交渉材料にするには弱過ぎる」背の高いほうの男が言う。


“そうか…この人たちの最終目的は、じいじと何か交渉をすることなんだ。ということは、この人たちのボスは、大隅氏でも機関の関係者でもないな”

「おじさんたち、僕を人質にすれば、どんな交渉にも、じいじが応じると思ってるんだ」

「当たり前じゃないか。可愛い孫なんだから」

「もしかして、あの人も、そう思ってるんだ」大声で笑う龍。「ない、ない。それはないよ」

「え…?」

「無駄なことしたね」

「西園寺氏は、ボスが交換条件を突きつけても、お前を助けないということを言ってるのか?」

「うん、そう。おじさんたち、西園寺保って人を知らなすぎるよ」


「お、おい。どうする。ボスにこの場で電話したほうがいいんじゃないのか」

「そうだな…」背の高いほうの男も、若干動揺気味だ。


“あと少し…かな…”

 龍は男たちの声を聞きながら思った。

 直接電話をかけてくれれば何とかなる。会話は僕の石から聞けるだろうし、後で翼や紗由に、相手の状況を遡ってたぐってもらうこともできる。

 龍は、背の高い男が、そのボスとやらに電話をかけてくれるよう、床の収納庫の中でマイクを握りしめながら願っていた。


  *  *  *


「奏子、だめだよ!」

「龍くんが、あぶないもん! きっと、あぶないもん!」

 奏子は翼の手を振り切るようにして走り出そうとするが、翼は何とか奏子の体を抑えた。

「大丈夫だよ。確かに龍くんは今、危ないことをしてる。でも、ちゃんと計算済みなんだ。危なくないように考えてやってるんだよ」

「おにいちゃま…。でもね、でも…」

「わかったよ、奏子。じゃあ、少し離れたところから、様子を見てよう。危なくなったら、奏子が持ってる石を使って助けるんだ。いいね」

 翼の言葉に、奏子はこくんと頷いた。


  *  *  *


 龍の誘導に従って、背の高い男のほうがスマホを取り出した。

「ああ、ここ電波が悪いよ。つながらない。…ちょっと外に出てくる」

 彼が出て行ってしばらくすると、サングラスをかけ、マスクをした男が放送室に入ってきた。

「何だか、手はずが狂っているみたいだな」その声はボイスチェンジャーで地声がわからなくなっている。

「誰だ…」


 部屋に残っていた男がにらみつけると、入ってきた男は上着の内側についているバッチを見せた。

「あ…」

「お前らが顔をさらす予定はなかったはずだ」

「は、はい…」びくつく男。

「用事が済んだはずのケータリングバンが停車したままだったら、変に思われるじゃないか。二人でとっとと戻れ」

「は、はい」

 背の低いほうの男は、さらにびくつきながら放送室を出ていった。


「さてと…お遊びはここまでだ」

 男は床下収納の扉を勢いよく開くと、マイクを持って潜んでいた龍を見つけ、引っ張り出した。

「わあ!」

 いきなり体が宙に浮き、思わず声を上げた龍だったが、頭の中では冷静にあることを考えていた。

“あれ。今、石が反応した。どうして…? 敵じゃないのか、この人…? でも、今のつかみ方、痛くなかったし…”


 それでも龍は、男を敵という前提で話を始めた。

「…おじさん。僕の扱い、注意したほうがいいよ。あの人は、僕を生きたまま、きれいなまま、届けろって言ったんじゃないの。睡眠薬は、眠りから覚めれば消えるけど、腕のアザはすぐには消えないよ」

 龍の言葉に、男は手を離した。

「口が減らないガキだな、まったく…」

「こっちだって、下手すれば生きるか死ぬかの問題なんだ。大人の顔色なんか、気にしてらんないよ」

「まあ、そりゃあ、そうだ」思わず笑う男。


「ねえ。おじさんは、どうして、あの人の部下になったの? あの人の思想に共鳴したから?」

「おまえ、3年生だろう? 難しい言葉、よく知ってるなあ」男が感心して声を上げた。

「毎日、辞書を読んで勉強してるんだよ。うちは大変なんだ。じいじはあの通りだし、とうさまは大学の先生だし、いろいろ言われるんだよ」

「楽じゃないな、名家のお坊ちゃまも。でも、それだけ頭がよければ、十分うらやましいが…えらいわなあ」再び思わず笑う男。


「でも、役に立たなかったな、そんなの。僕はこうして捕まって、あの人のもとに送られて…結局、大変なことになるんだよね」

「別に殺されるわけじゃないだろう。そんなことしたら、交渉できなくなる」

「もちろん、交渉が終わるまでは生きていられるだろうけど、その後はわからないし…そうだ、あのおじさんたちだって、わからないよね、一回失敗してるし。ちょっと可哀想かも」

「こんな状況で他人の心配か」

「おじさんも大丈夫? もたもたしてると倒れるよ」

「え?」

「おじさんのボスの狙いは何? 僕を使って、じいじを脅迫して、結局どうしたいの?」

 龍は男をじっと見つめた。


  *  *  *


「奏子、隠れて」翼が囁いた。

“あの人たち、さっき門の前で見たピザ屋さんだ。こんな所にいるなんて変だ”

「おにいちゃま、あのひとたち、わるいひと」

 奏子もそう言ったが、その二人は、龍が行くと言っていた2年1組の教室の前を素通りして行ってしまった。

“あれ…? 龍くん、どこ行っちゃったんだろう。いや、それより、そろそろ時間だ。奏子には可哀想だけど、仕方ないよね…”


「でも、あの人たちは、龍くんのこと連れてなかったよね。きっと、もっともっと悪い人が、龍くんをひどい目にあわせて連れて行っちゃったんだよ。痛いだろうなあ、龍くん。可哀想になあ、どうしよう。どうしたらいいんだろう」

「え…? 龍くん、いたいの?…わるいひとに、いたくされてるの? いやだ、そんなのだめ。だめ…」

 見る見るうちに奏子の目に涙が溢れ、奏子は拳を握りしめて叫んだ。

「だめー!!」


  *  *  *


「うわっ!」

 会場の何箇所かを初め、いくつもの場所で、何人もの人間が声を上げると、頭を抑えながら苦しそうにうずくまった。


「やだ、どうしたのかしら」夕紀菜が周囲を見回す。

 川本園長や司会者を始め、数人が一気にうずくまってしまったので、パーティー会場では、何が起こったのかと一気にざわめき、保のSP二人も、保を取り囲んで周囲をうかがった。


 その時、大地が演壇近くにいた園長に向かって走り寄った。

「先生! 大丈夫?」

 大地は川本園長の頭を撫でながら、彼女の顔を覗き込んだ。

「…だ、大丈夫よ、ありがとう…」

 園長は、しばらくすると立ち上がり、辺りを見回した。

 大地は、園長が無事なのを確認すると、少し離れたところにいた司会者の下へ走った。

「おじさん、大丈夫?」

 そう言いながら、彼の頭に手をやる大地。

「うう…」司会者は頭を抑えながら立ち上がった。

「大丈夫みたいだね。よかった」


 一方、会場後方のドアの傍で、園長たちと同様に声をあげ、うずくまった人間たちを響子は見つめていた。

「この人たちは…それより、子どもたちは…」

 響子も会場を見回すが、涼一の傍にいた疾人の姿は見つけたものの、翼と奏子の姿が見当たらない。

「あなた!」

 響子は思わず叫びながら、疾人のもとへと走り寄った。


  *  *  *


 龍の目の前の男は、一瞬頭を抑えたが、ぶるぶると頭を振ると、しっかりと立ち上がり、龍に言った。

「すごいね…」

“この人、奏子ちゃんの石が効かない?…”

「さっきの質問に答えよう。あの人を動かしているのは恨みだ。君のじいじも、石のお嬢ちゃんのおじいちゃまも、とばっちりだな」

 彼がそう言う間にも、龍は全身を研ぎ澄ませて相手の状態を探るが、石は進の時と同じような反応を示す。

“どういうこと…?”

「とりあえず君と直接話ができれば、あの人の気もおさまるかもしれない」

「ふうん。…おじさんが付いていてくれるなら、行ってもいいよ」


 その時、彼のスマホが鳴り、男は電話に出た。難しい顔で電話の声に聞き入る男。

「残念だが、おじさんはここでフェードアウトだ。いつかまた会おう」

 男はそう言って、龍を床下収納に再び降ろすと、ふたを閉め、足早に立ち去った。


  *  *  *


 2年1組の教室には龍の姿が見当たらず、階の端から順に部屋を見て回っていた賢児だったが、廊下の向こうから聞こえる女の子の泣き声に、思わず教室を飛び出た。

「奏子ちゃん! 翼も…」

「賢ちゃん…」驚く翼。

「大丈夫か、二人とも。龍を追って来たんだろ?」

「う、うん…」

「奏子ちゃん、そんなに泣かないで。大丈夫だから、ね」

「龍くんが、龍くんが…」奏子はまだ泣き続ける。

 そして、彼女がしゃくりあげる度に、賢児の石も反応をする。


「龍には会ったのか?」

「ううん。教室にいると思ったのに、いなかった」

「じゃあ、とにかく龍を探してくる。そうだな…二人が隠れられそうな場所は…」

 賢児は辺りを見回した。龍を探しに教室に来る奴らがいるかもしれない。二人をこのまま置いていくのは危ないかもしれない。

「僕たちも行くよ。奏子は役に立つと思うんだ」

「かなこもいく」奏子は賢児を強い瞳で見つめた。

「…わかった。じゃあ…そうだな、放送室まで、いったん3人で探そう。その先は俺が行くから、そこで隠れて待ってて」


「龍! どこだ、龍!」

「龍くん!」

 3人が懸命に名前を呼びながら探し回っていると、後ろから声がした。

「翼! 奏子!」

 翼と奏子が驚いて振り向くと、そこには血相を変えた疾人と響子が息を切らせて立っていた。

「ママ!」奏子が響子にしがみついた。

「どうしたの、二人でこんなところに来て」

「どういうことだい、賢ちゃん」疾人が翼を抱きかかえながら言う。

「追って来たんだ、二人を。二人は龍を追って来たらしいんだけど」

「龍くんがいないのか?」

「ああ」

「じゃあ、とにかく龍くんを探しましょうか」

 響子が廊下を駆け出そうとすると、賢児は腕を掴んで止めた。


「俺が行くよ。響子さんたちは、二人を連れて会場に戻って。危ない奴らがいるかもしれないから」

「でも会場も…」響子が眉間にしわを寄せる。

「会場で、いきなり何人か倒れ込んだんだ。園長とか司会者とかケータリング業者とか」

「どういうこと?」

「それが…紗由ちゃんが、“あーあ、かなこちゃん、ぷんすかしちゃったぁ”ってつぶやいたの」

「それで、奏子の石が原因かと思って。翼と二人でいなかったし。だが会場の人たちにしてみたら、何が原因で人が倒れたのかわからないから、ちょっとしたパニックだよ」


「最初、食中毒かなって皆さん思ったようなんだけど、倒れたのは飲食物に口を付けてないと思われる人たちばかりだから、よけいに混乱したみたい。ガスじゃないかとか、感染症じゃないかとか、いろいろ言い出して…」

「でも、父兄の中に警察の人がいて、その人と一緒に、先生と涼一くんが話をしたから、皆、だいぶ落ち着いてはきた。そろそろ警察と救急も来ると思う」


「そういうことか。じゃあ、皆はいったんそこで待ってて。後は俺が様子を見てくる」

「僕も行くよ、賢ちゃん」

「いや。相手によっては、子どもがいるとやっかいなことになりかねない。4人はどこかで…そうだな、放送室なら、隠れられそうなところが沢山ある。そこで待ってて」

 賢児は辺りを見回すと、手招きしながら疾人たちを放送室へと導いた。

「とりあえず床下にでも隠れてて。龍が見つかったら、すぐに迎えに来る。危ない状況になったら、奏子ちゃんの石に連絡するから、そうしたら会場にいる警察の人に連絡して」

「わかったわ」

「わかった」


「この床下はかなり広いし、防音もされているから」

 賢児が床下収納のフタを開けると、そこには上を見上げている龍の姿があった。

「龍!」

「龍くん!」

 奏子は龍の姿を確認すると、彼めがけて床下へと飛び降り、龍に抱きついた。

「奏子ちゃん…来ちゃったの?」

「うん。だって、龍くんが、いっしょがいいもん」

 涙でくしゃくしゃになった顔を拭う奏子を、ぎゅっと抱きしめる龍。

「無事か、龍」

「うん、大丈夫だよ。奏子ちゃんを引き上げて」

 龍が言うと、疾人が少しばかり悲しそうな顔をしながら、奏子に手を伸ばす賢児の手を遮り、奏子に腕を伸ばした。


  *  *  *


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