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その5


 代休で少し遅めの朝食を取り終えた高橋進は、食後の紅茶をすすりながら、今後の動きについて考えていた。

“この先、翔ちゃんから、どうやって絵を手に入れようか…。

 事態が動くとしたら、そのヒントの幾ばくかは彼の絵の中にあるはずだ。できれば賢児さまがそれを見て、社内の人間にわたる以前に入手しておきたい。

だが、自分が頻繁に清流に行くのは不自然極まりないし、翔ちゃんに全部絵を見せろと言っても、彼のことだ、差しさわりのないものだけを送ってくるだろう。


“命”関係者でない人間に対して、情報を必要以上に公開しないよう、華織様からきつく言われているはずだから。

 翔ちゃんが華織さまに提供した絵を、直接入手できればいいのだが、当分は華織様の周りは保様関連で様々な人間が動き出すはずだ。FAX、メール、電話…どれも安全な通信手段とは言えない。

華織様のほうから自分に連絡があるのは不自然と思われて、機関以外の人間から警戒されるのが落ちだ。

 いやはや、どうしたものか…”


 高橋が天井を見つめて小さく溜め息を付くと、ドアチャイムが鳴った。

「はい」

「私です。突然お邪魔してごめんなさい。少しお時間いいかしら?」

「華織様…?」

 高橋は慌ててドアを開けると、華織を招き入れた。

「ごめんなさいね、進ちゃん。何だか顔を見たくなっちゃって」微笑む華織。

「どうなさったんですか、お一人で…」辺りを注意深く見渡しながらドアを閉める高橋。

「顔を見に来ちゃ駄目なの? 私の可愛い“息子”なのに」華織が口を尖らせる。

「嬉しいのと、驚くのとは、同時に成立しますよ、“おかあさま”。…紅茶でよろしいですか?」


 高橋はキッチンに行き華織に紅茶を淹れると、シナモンスティックを添えて差し出した。

「うーん。美味しいわ。進ちゃんと和江さんが淹れてくれるお紅茶が一番」一口飲むと嬉しそうに微笑む華織。

「それは、それは」

 高橋はそう言うと、香織の言葉を待った。


 しばらくの沈黙の後、華織が口を開く。

「先週ね、花巻さんのところへ行って来たの」

「花巻って、あの“壱の命”ですか?」驚く高橋。

「ええ。充くんに力を貸してもらうためには、やっぱり挨拶しておかないとと思って」

「それは、そうでしょうが…」高橋が複雑な表情になる。

「でも、やっぱりしんどいわねえ。自分が不幸の使者なんだって、ダメ押しされに行ったみたいだったわ」窓の外を見ながら答える華織。

「彼が幸せの使者でいられたのは、華織さまたち“弐の命”が、凶事を受け取って“訂正”された結果です。どうこう言われる筋合いはありません」

「まあ、そうなんですけどね…」


「だいたい、あの方は本来“弐の命”になるはずだったのに、それを…自分だけ楽をしておきながら、“命”の制度に物申すなど、とんでもないことです。自分が逃げたことへの罪悪感を、相手を攻撃することで相殺しているだけじゃありませんか。華織様に謝罪こそすれ、華織様を非難するようなことなんて…」

「当時はまあ、若気の至りってやつじゃないかしら」

「今は爺さまなんですから、それ相応の反省があってしかるべきです」むっとした様子の高橋。

「でもね、充くんが我が家で絵本作りに参加することは認めてくださったのよ」

「当然です。自分から華織様に申し出てもいいくらいです」

「…ありがとう、進ちゃん。優しいのね」うふふと笑う華織。

「賢児様ほどではありませんが、ほどほどには」むっとしたままの顔で答える高橋。


「そうそう。賢ちゃんといえば、自分の石に会って、ちょっと大変なことになりそうなの」

「ご自分の石…?」

「奏人さんが昔、賢ちゃんと一緒に庭に埋めたアメジストよ。当時は、それが誰のものになるかはわからないって、奏人さんも言ってたようだし、私もまさか賢ちゃんのものになるとは思ってなかったわ」

「華織様は“受け取って”いらっしゃらなかったと…」

「ええ。だから少なくとも凶事ではないわ」

「華織さまが受け取られるものは、全て幸せの種です。“違え”が及ばなくとも、人は用心することができます」


「ありがとう、進ちゃん」微笑む華織。「アメジストのことに関しては、誠さんのところにも降りてないみたい。今後の展開が誰とどう絡むのかわからないので、用心が必要になると思うわ」

「そうですね。保様のこともありますから。…それにしても、石のせいだったんですね。ここ数日、賢児さまがかなりお疲れのご様子だったのは」

「まあ、無理もないわね。あのクラスの石と、いきなりシンクロしちゃったんですもの。平気でいられる人間なんて、“命”でも、そう多くはないはずよ」

「ここ数日、会議が多くて、デスクには眠気覚ましドリンクが何本も並んでいました」

「その手のものって、カフェインなんでしょう? 胃を壊しそうね」心配そうな顔で言う華織。


「玲香さまがちゃんと調整していましたから、大丈夫だと思いますが。昨日の午後は、お二人で早退なさいました」

「二人で?」

「はい。ただ帰れと言っても、賢児さまが言うことをきかないと思ったんでしょう。玲香さまは、ご自分が具合が悪いから家まで送ってほしいと賢児さまに頼んだんです。それで二人で帰宅されました」

「玲香さんは具合が悪かったわけじゃないのね?」

「ええ。帰宅後、自分はもう大丈夫だからと、テレビ電話で会議に参加していました。賢児さまは、ぐっすりお休みになっていたようです」

「利発なお嫁さんで助かったわね、賢ちゃんは」けらけらと笑う華織。

「彼女は元々、ヒーリングや石に関する知識が豊富ですからね。見当がついていたのでしょう」

「そうね。そろそろ双子ちゃんたちの石を用意しようかと思っていたんだけど、彼女に管理を任せても大丈夫そうね」


「ところで、以前、集めるアメジストは5つとおっしゃってましたよね。それが一つ目とすると、あとの4つはこれから?」

「もうひとつは、もうあるの。真里菜ちゃんが持ってるわ。響子さんの指輪を、翼くんが真里菜ちゃんにあげちゃったのよ」

「それはまた…」高橋がくすりと笑う。

「でも、残りの3つはまだ行方知れず。賢ちゃんの石のように、結界を張ってある土地に埋められていたら、今の段階では探しようがないわ」

「“石の一門”である四辻家の“命”が、不在の状態ですからね…」

「奏子ちゃんは、かなりセンスがいいんだけど、龍の話を聞く限りでは、まだ制御がうまくできないみたい。それに、おっとりさんだから、この手の“お勤め”には不向きだわ」


「賢児さまの石から、その兄弟たちをたどることはできないんですか?」

「龍にやらせてみたけど駄目だったわ。響子さんの石のほうは澪ちゃんにやらせてみたけど、そっちも結果は同じ」

「あとは誠さんぐらいでしょうか。その手の探索ができそうなのは」

「能力的にはそのはずだけど、まったく兆しがないようなの…たぶん、現在の“命”や“弐の位”には降りてこないんだと思うの。来るとしたら、別のルートだわ」


「そもそも、賢児さまの石にはどうやってたどり着いたんですか?」

「玲香さんが夢で見たのよ。“けんたん”が“おじたん”と一緒に庭に石を埋めているところをね。それを龍に探させたの」

「なるほど…。では、お腹のお子様方に聞いてみるというのは、いかがでしょう」

「やっぱり、そうなるのかしら。玲香さんに負担がかからない程度にしないといけないから、あまり無理はできないけど…。進ちゃんも、会社での玲香さんの動向に気をつけてみてね」

「もちろんです」


「あ、それから、翔太くんの絵なんだけど…」

「それについては、定期的に入手できる方法がないかと考えていたところです」

「翔太くんから絵が届き次第、こちらにお届けするわ。ポスティングの人が、ついでに進ちゃんのポストに入れておくから」

「ありがとうございます。助かります。やはり、目を配るためには、“受け取った”ものに関しては最大限の情報を確保しておきたいと思いますので」

「ありがとう。“弐の位”や“命”たちより、進ちゃんのほうが頼りになるわ」

「華織さまの教育の賜物です。血筋がなくとも、ここまでは出来るという」

「血筋がなくても、あなたは私の大切な息子よ、進ちゃん。それに、“けんたん”が認めた人、そして保ちゃんを結果として救ってくれた人だわ」

 華織は微笑むと、高橋の手をぎゅっと握った。


  *  *  *


「本当だ! 龍がいるんだね、あの庭」

 梨本前総理の孫、匠は、翔太に案内され、清流旅館の前の丘に登ると、思わず声を上げた。

「かっこええやろ? 匠くんの首のマークと同じやで」

「あ…御厨さんが僕のこと探してる。行かないと」

 庭では、御厨がきょろきょろと辺りを見回している姿が見えた。

「大丈夫や。ほら、おかんが話しかけた。すぐに、こっち気いつくで」

 翔太が言ったかと思うと、鈴音がこちらを手で示しながら見上げた。

「おかーん!」

 大きく手を振る翔太。横で匠も手を降り始める。


「ほな、戻ろうか。龍と紗由ちゃんも、もう少ししたら着くやろ。俺も、それまで庭掃除せな」来た道を戻り始める翔太。

「僕、手伝うよ」

「あかん、あかん。お客様は遊んでてや」

「じゃあ、庭掃除ごっこして遊ぶ」にっこり笑う匠。

「うーん。じゃあ、花壇の手入れな。さすがにお客様にほうきは持たせられへん」

「うん! 僕、翔太くんの花壇、大好きだよ。時々ね、お花が話しかけてくるような気がして、すごく楽しいんだ」


「何、話しかけてくるん?」

「えっとね…お兄さんができるね、よかったねって」

「お兄さんて?」

「わかんない。…あ! 見て。龍くんちの車だよ。早く行こう!」

「う、うん」

 駆け下りていく匠の後姿を見ながら、翔太は考えていた。

“さっきのぴかぴかは…”


 その時、ポケットのスマホが鳴り、画面に華織の名前が表示された。


  *  *  *


「どうしたの。疲れてるみたいだけど?」

 瑞樹が夕紀菜の肩を優しく触れた。

「あ…瑞樹…疲れてるっていうか、ちょっと…」

 夕紀菜が瑞樹の手を握りながら、不安そうに彼を見上げた。

「もしかして、大地のことか?」

「どうして…」

「さっき、お義母さんが手首ひねっちゃって、そうしたら大地が手を握ってね、しばらくしたら、お義母さん、痛みが引いたって言うんだよ。前に風馬くんに似たようなことしてもらったことがあるんだ。大地はもしかして、そっち系の力が何かあるのかなと思ってさ」


「昼間もね、華織おば様のところで、私が動悸っていうか、不安感が一気に押し寄せてくる感じになっちゃって、そうしたら、大地が手を握ってくれて…」

「楽になったってことか」

「うん…。でもね、何かおば様には聞きづらいっていうか、質問しても、まだ不慣れねって言われてお終いだから、私、どうしたらいいのかわからなくって」

 うつむく夕紀菜を見つめながら、瑞樹は何かを思いついたように携帯を取り出した。

 

「もしもし、賢児? あのさ、ちょっと相談というか、お願いがあるんだよ。…うん、実はさ、例の華織おば様の集まりなんだけどさ、いわゆる力のない人間だけっていうか、まあ実質、親だけになるわけだけど、集まりを持てないかな。うちは、夕紀菜と僕とで交互に参加してるんだけど、正直わけわからなくてさ。おば様たちのいないところで、お前や涼一くんや疾人くんたちから話を聞いてみたいんだ。……うん、それは皆の都合に合わせるよ。集まりの後に、またいつかみたいに家で子どもたちを遊ばせてもいい。親たちは別室でミーティングとか。……ああ、わかった。じゃあ、よろしく頼むよ」

 瑞樹は電話を切ると、夕紀菜に向かって微笑んだ。

「そういうことだから、わからない者同士で特別講習だ。うちの場合、子ども二人とも中途半端な感じがするしな」

「ありがとう、瑞樹」少し落ち着いたように瑞樹を見上げる夕紀菜。


「真里菜のほうはどう?」

「うーん。紗由ちゃんや奏子ちゃんと、頭の中で話をする練習を続けているみたいだけど、二人のように石からインスピレーションを得るとか、夢で何かを受け取るとか、そういうことはないようだし。ただ…匂いに対して…」

「匂い?」

「以前から、コロンとか花の香りとか大好きだけど、最近は匂い全般に対して、すごく感度が高い感じなの。この前も、撮影現場で香辛料を利きわけて、お料理の先生が驚いてたわ」

「匂いか…ちょっと新しいパターンだな」

 瑞樹は考え深げに腕を組み、天井を見つめた。


  *  *  *


 梨緒菜は、哲也経由で保から依頼を受けた件についての調べを進めていた。

 小宮山総理本人から話を聞いたところによると、確かに数年前までの半年間ほど、親しい関係にあった女性がいたが、もう終わったことで、手切れ金としてかなりの金額の小切手も渡しているとのことだった。

さらに小宮山が言うには、親しくしていた女性は別れた後に接触することもなかった。

秘書を通じて調べさせたところ、ゴシップ記事中で上がっていた、留学生事業に携わっているという女性は確かに実在していた。だが、彼女は記事発覚後、行方がわからず、小宮山にしてみれば、本人に会って確認することもままならず、狐につままれたような心境だったのだという。

 だが、マスコミの興味はもう、保のほうへ行ってしまっていた。この件を後追いする様子もない。記者からそれ以上の情報を得るのは難しそうだなと梨緒菜は思った。


 そして、さらに驚いたこと、それは、小宮山から入手した愛人女性の生写真の、その耳元に見覚えがあったことだ。父の直哉が以前見せてくれた同窓会の写真、数人で写っていた一枚の写真の中にあったピアスだ。

 当時、姉の夕紀菜が写真を見ながら、ベネチアングラスと蝶を象ったアメジストの組み合わせという、珍しいデザインのアンティークに興味を持って話をしていたので、印象に残っていたのだ。


“帰ったら、パパの写真と照合してみよう。ピアスは同じものかもしれないけれど、女性自体はちょっと印象が違うから、本人ではないのかも。その前に、とりあえずここ数日の状況を哲也に報告して…”

 梨緒菜がそんなことを考えながら、青に変わった交差点の信号を渡ろうとしたその時、横から一台の車が爆音を上げて、梨緒菜を目掛けてきた。

 梨緒菜が車に気づき振り向いた瞬間、誰かに後ろから抱きかかえられ、体がふわりと浮く。“きゃっ”と短く叫んだ梨緒菜は、さらに次の瞬間、アスファルトに倒れこんでいた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい…」

 一瞬、自分の身に何が起こったのか理解できぬまま、上半身を起こした梨緒菜は、自分が男の上にかぶさるような形で歩道に倒れこんでいるのに気づいた。

「す、すみません。そちらこそ、大丈夫ですか」

 梨緒菜が慌てて立ち上がると、男も同様に立ち上がった。

「ありがとうございました」男に頭を下げたときに揃えた両手が、左ひざのところに触れると痛みが走った。

「痛っ…」

「あらあ、ごめんなさいねえ。打ち付けちゃったかしら」男が心配そうに梨緒菜の膝を覗き込む。


「だ、大丈夫です。…本当にありがとうございました。助けていただかなかったら、私、轢かれてました」女言葉で挨拶され、驚きが倍増しながらも、再び頭を下げる梨緒菜。

「本当に、なんて運転なのかしらねっ。でも、他にも打ったところがあるといけないし、救急車、呼びますね」眉間にしわを寄せる男。

「あ、そんな。それほどのケガでは。ちょっと膝をぶつけただけです。この近くの会社に行く予定ですので、そこで少し休ませてもらいます。でも、それより、あなたのほうが…私の下敷きになってしまって、大丈夫でしたか?」

「会社はどの辺なんですの?」

「“サイオン・スクエア”内にあるので、すぐ、そこです」少し顔をゆがめながら、立ち上がる梨緒菜。

「んまあ。私の勤務先も“サイオン・スクエア”なんです。これから戻るところでしたので、ご一緒します。何でしたら、おつかまりになって」

「いえ、一人で歩けますので…」梨緒菜はカバンの埃を払い、男の横を歩き出した。


「…それじゃ、賢児さんの会社の方なんですね。私、彼の幼馴染なんです」驚いたように梨緒菜が男を見つめる。

「まあ、そうなんですか。社長のお知り合いなんて、すごい偶然」男はいそいそとした様子で名刺を取り出す。「歩きながらで何ですけど…サイオン・イマジカの高橋と申します」

 渡された名刺を眺めながら、梨緒菜も自分の名刺を渡した。

「弁護士さん…お若いのに、すごいわあ。才媛でいらっしゃるのね」


「いえ、そんな。えーと…制作部の部長さんということは…」

 梨緒菜は哲也から、おねえキャラの凄腕アート・ディレクターがいるという話を聞いたのを思い出した。

「はい?」

「あ、あの、賢児さんが前に言ってました。売れ筋のアーク・シリーズを手がけた凄腕の部長さんがいらっしゃるって」

「やだわあ。社長にそんな噂されちゃうなんて。もう、どうしましょう!」手を頬に当て、恥らう高橋。

「…人気なんですね、賢児さん」

「もちろんですわ。私、賢児様に一生お仕えするつもりですもの。久我さんも幼馴染でしたら、賢児さまのステキさが…あら、久我さん…ということは、もしかして保先生の後援会の…」

「ええ、そうです。母が保先生の後援会で副会長をしています」


「だからだわあ。どこかでお会いしたような気がしたんです。お母様に似ていらっしゃるのね。社内で何度かお見かけしたことがあります」

「きつそうなところが似てるって、よく言われます」ふふっと微笑む梨緒菜。

「お二人とも華やかな美人で、うらやましいです」目をぱちくりさせながら言う高橋。

「まあ。お上手ですこと。何か法律がらみでお困りのことがあったら、おっしゃってくださいね。特別価格で承りますわ」梨緒菜はいたずらっぽく首をかしげる。

「商売上手でもいらっしゃるのね。…えーと、私は地下駐車場に寄ってから戻りますので、ここで失礼しますね。お話できて、嬉しかったですわ。どうぞお気をつけて」

「本当にありがとうございました。お礼はまた改めて」

 深々と頭を下げる梨緒菜に高橋も会釈すると、二人は別れた。


  *  *  *


「車に轢かれそうになったって…大丈夫なのか。ちゃんと病院行ったほうがいいよ」

 哲也が心配そうに梨緒菜を見るが、梨緒菜は案外平気そうだ。

「ちょっと膝をぶつけちゃったから、青あざになっちゃったし、ストッキングも破れちゃったけど、それ以外は大丈夫よ。頭を打ったわけでもないし。でも、高橋さんがいなかったら、今頃間違いなく救急車ね」

「高橋さん?」

「助けてくださった方よ。こちらの制作部長さん。ほら」

 梨緒菜が見せた名刺に驚く哲也。

「あ…」

「聞いてた通りの、おねえキャラだったわ。でも、やっぱり地は男性よね。私のこと、ひょいと持ち上げて一緒に歩道に倒れこんで、車から救ってくれたのよ。あの腕力って、相当鍛えてるわよねえ」

「そうだったのか…」難しい顔になる哲也。


「賢にいの話したら、すごく嬉しそうだったんだけど、彼のこと狙ってるのかしら…」

 疑るように目を細める辺りは、やはり久我家の血筋と言うか、和歌菜の血だ。

「おまえ、そんなこと言ってる場合じゃないだろ…」小さく溜め息をつく哲也。

「だってほら、賢にいって、昔から男にもてるじゃない。本人自覚ないみたいだけど」

「…彼は、女にもてるのも、自分がかっこいいのも、全然自覚がないよ。玲香さんに思われているのも気づかずに、しばらく片思いしてたくらいだから」

「でも、そこがいいところよね、賢にいの」

 梨緒菜がにっこり笑った時、哲也のスマホが鳴った。

「ああ、ちょっとごめん」


 電話は噂の高橋からだった。

「はい。大垣です」

「彼女がそこにいるんだろうから、手短に伝える。彼女の事故未遂の件、保さまと華織さまに連絡をした。四辻先生を狙っていた一派が動いている可能性があるというのが華織さまのご判断だ。梨緒菜さんを病院に連れて行って欲しい。あと10分位で迎えの車が行く。2,3日は検査入院させてくれ」

「…承知いたしました。この度は、本当にありがとうございました」哲也は電話を切った。


「ねえ、哲也。救急箱ない? やっぱり、ちょっと膝がヒリヒリするんだけど、消毒しておいたほうがいいわよね」

「病院へ行こう。打ち付けた時にヒビが入っていることだってある。勤務時間中の事故なわけだし、労災だろ。場合によっては、高橋さんからも事情を聞いて、ちゃんと警察で調書を作ってもらったほうがいい」

「そんな、大げさよ」

「いや。駄目だ。一緒に行ってもらう。短いドレスにしたいんだろう。膝に怪我の痕が出来てもいいのか?」

「あ…うん」頬を染めてうつむく梨緒菜。「じゃあ、行く」


 梨緒菜を車に乗せ病院に向かう途中、哲也は華織の真意を測りかねていた。

“進さんがガードしていたということは、華織さまは梨緒菜の入院も含めて、この先の対応を考えていらっしゃるのだろうか。だが、例の一派の動きがあるなら、入院など面倒なことをせずに、保さまに梨緒菜への調査依頼をやめさせれば済むことだ。華織さまは、梨緒菜を何に使おうとしているんだ…?”

「んもう。そんなに心配そうな顔しないでよ」

「ああ。ごめん、ごめん。…大丈夫かなと思ってさ」

「大丈夫に決まってるじゃない。厄除けにケガをしたと思えばいいのよ。俊のこととか、揉め事が待ってるわけだから」

「なるほどね。厄除けか…」

“そうだ。それこそ、まさに華織さまがやっていることなんだ…”

 哲也は梨緒菜の頭を軽く撫でると、にっこり微笑んだ。


  *  *  *


「あれ。きょうは、となりのせんせい、のぞきにこないね」真里菜が廊下を覗き込んだ。

「べつのせんせいになったんでござるよ」充がヒソヒソ声で言う。

「ええっ。そうなの? たいへん。しょちょうにしらせなくちゃ」

 真里菜がダッシュしようとすると、充が腕を引っ張った。

「もう、しらせたでござる。あれが、そのせんせい」

 充が小さく指差す方向を見ると、紗由がメモ帳を手に、新任の先生とおぼしき女性に声をかけていた。

「よし! さゆちゃんを、みはるよ」

 真里菜が充に言うと、充はこっくり頷き、そーっとそーっと紗由のいるほうへ歩いて行った。


「すももしんぶん、せーじぶきしゃの、さいおんじさゆです! しゅざいにきました」

「は、はい」

 驚いて頷く女性。その胸元のバッチには“とみもと”と書かれている。

「きしゃれき、5ねんです!」

「えーと…」“とみもと”が紗由の胸元のバッチを見る。「さゆちゃんは、何歳ですか?」

「もうすぐ、いつつですっ!」

 去年は右手で指4本を示し、右足を前に踏み出しながら、“もうすぐ、よっちゅ!”と言っていたものが、バージョンアップされ、右手指5本で“もうすぐ、いつつ”になっている。

「今は4つなんですね?」

「はい!」

「じゃあ、おかあさんのお腹にいた頃から、記者さんをやってるのね」“とみもと”が、うふふと笑う。

「はい!」きっぱりと返事をする紗由。

「あ…そうですか」


「せんせいの、すきなたべものはなんですか?」

 “先生”の戸惑いにはおかまいなしに紗由が尋ねる。

「…そうねえ…チキン南蛮かしら。先生、宮崎の生まれだから」

「“ちきんなんばん”?」紗由が首をかしげた。

「えーとね、大きい鶏の唐揚げに、甘酸っぱいタレをかけて、タルタルソースをかけたものよ」

「“たるたるそーす”?」さらに首をかしげる紗由。

「うーんと…タルタルソースというのは、玉ねぎとか、すっぱいキュウリを小さく刻んで、マヨネーズと混ぜたもの」

「あ! エビフライにかかってるのだ」紗由が嬉しそうに笑う。

「そう、そう、それ!」“とみもと”も嬉しそうだ。「それでね、お肉はムネ肉じゃ駄目なの。鶏肉は、絶対にモモ肉」

 紗由はこくんと頷くと、メモ帳に“とり もも”と書いた。


「かれしは、いますか?」

「え…う、うん、まあ」少し言葉を濁しがちの“とみもと”。

 紗由はメモ帳に“○”と書く。

「かれしの、およめしゃんになりますか?」

「うーん、まだ…かしらね」

 今度は、“○”の中に“×”と書きながら、「およめしゃんには、いかない…」と呟く紗由。

「あ、あの、行かないっていうわけじゃ…」

「じゃあ、さんかく」その横に“△”と書く紗由。


「いま、がんばっていることはなんですか?」

「…そうねえ…資格の勉強かしら。チャイルドマインダーとか、カウンセラーとか、今の仕事に役立つ資格が取れるように、一生懸命頑張ってお勉強しているところです」

「しかくですね」紗由はメモ帳に“□”と書くと、ふーっと溜め息を付いた。

「ありがとうございました。では」一礼すると、紗由はすたすたと、その場を後にした。

「あ、あの…」

 呆然と見つめる“とみもと”だったが、あんず組の先生に呼ばれ、彼女もその場を後にした。


「さゆちゃん、すごいね! しゅざいなの?」

 戻って来た紗由に、真里菜が興奮した様子で近寄る。

「うん。これね、しゅざいめもだから、みつるくん、きじにしてね」

「ははーっ」

「まりりんもする!」

「じゃあ、ふたりにおねがいするね」

 紗由はそう言うと、すもも組主任のほうへと駆けて行った。


「なんてかいてあるの?」目を大きく見開いて、真里菜がメモを覗き込む。

「えーと…“とり もも ○のなかの× △ □”であります」

「…よくわかんないね」さすがの真里菜も閉口気味だ。

「あんごうでござろうか?」

「どうしたの? ふたりとも、こまったおかおしてる」後ろから奏子が現れた。

「マドモアゼル!」


「そうだ! かなこちゃんの、おなやみそうだんしつで、かいけつしてもらおう!」真里菜が“どうだ”と言わんばかりの顔で充を見る。

「まりりん、おなやみがあるの?」心配そうに真里菜を見る奏子。

「うん。これね、さゆちゃんのしゅざいメモなの。みつるくんが、きじにしないといけないんだけど、みつるくんはできないんだって」

 自分だけできないかのように言われた充がムッとする。

「あねごにそうだんしても、だめだったんでござるよ」

「だめじゃないでしょ。まりりんは、ちゃんとかなこちゃんに、そうだんしてるじゃない!」


 険悪なムードになる二人に、奏子が言う。

「あ…けんかは、なかよくね」

「なかよくないから、けんかなんでござるよ?」

「かなこちゃんがいうんだから、なかよくけんかすればいいの。わかった?」充に覆いかぶさるように言う真里菜。

「ひめのしんゆうでなければ、せいばいでござる…」小さい声でつぶやく充。


「このメモを、きじにすればいいの?」

「いみがわからんちんなのでござる。わかれば、きじにするのはできるであります」

「じゃあ、かなこがいみをきめますね」にっこり笑う奏子。

「おねがい、かなこちゃん」

「えーと…」メモをしばらく見つめると、奏子は二人を交互に見つめて、きっぱりとした口調で言った。「“とりもも”というのは、せんせいのおなまえです。しゅざいのときは、おなまえをさいしょにいいます。パパのところにきたひともいいました」

「おなまえなんだ…」驚く真里菜。

「へんななまえでござるな」


「○のなかに×は、こたえです。しゅざいだから、さゆちゃんがしつもんをして、せんせいがこたえたんです」

「なに、きいたのかなあ?」

「あねごなら、なにをきくでありますか」

「うーん」腕組みする真里菜。“姉御”と呼ばれたのに、怒るのも忘れて真剣に考え込んでいる。

「さゆちゃんは、くいしんぼうさんだから、“すきなたべものはなんですか”って、きくとおもいます」奏子が自信満々に答えた。

「あるある」大きく頷く真里菜。


「だからこれは、おおきなケーキをよっつにきったところです。せんせいは、ケーキがすきなんです」

「ほお」真里菜と充が声を揃える。

「うちは、おたんじょうびのときに、おおきなケーキをよっつにきって、おばあちゃまとママとおにいちゃまとかなこでたべます」

「パパどののぶんは?」

「パパはあまいものがきらいだから、たべません」

「きっとそれだわ。あのせんせい、ケーキがすきそうな、くいしんぼうさんの、おかおだったもの」


「じゃあ、“△”と“□”はなんでござる?」

「さゆちゃんが、つぎにきくのは…」奏子が再び考え込む。「“およめさんにいきますか?”です。さゆちゃんは、およめさんがだいすきです!」

「あるある」再び大きく頷く真里菜。

「こたえが“△”?」


「わかった! さんかくかんけいだよ。かれしがうわきしてるんだよ。おじいちゃまも、してたもん。おばあちゃまのほうが、きれいなのに」

「わかなどのがおくさんなのに、うわきしたんでござるか!?」充が険しい顔で真里菜を見る。「じゃあ、せっしゃが、わかなどのを、おくさんにするでござる!」

「わあっ。みつるくん、まりりんのおじいちゃまになるのね!」

 満面の笑みになる奏子に、二人が反射的に嫌そうな顔をする。

「…おじいちゃまに、うわき、やめてもらうから」

「それがいいでありますぞ。せっしゃが、わりびきけんをあげて、おねがいしてもいいでござる」

「…じゃあ、おじいちゃまにはならないのね」残念そうな奏子。


「それより、かなこちゃん。“□”はどうなの?」

「“□”……」

 今までより難問なのか、なかなか答えが出ない奏子を、真里菜と充が心配そうに見つめていたところに、後ろから女性の声がした。

「奏子ちゃん、真里菜ちゃん、充くん。どうしましたか? 難しいお話かしら?」

「えんちょうせんせい…こんにちはでござる!」

 現れたのは、青蘭学園幼稚園の園長、川本だった。


「あ。えんちょうせんせい。こんにちは」

 奏子が丁寧に頭を下げると、真里菜もそれに続く。

「こんにちは、せんせい!」

「はい。みんな元気にご挨拶ができましたね」

 穏やかに微笑む川本の顔を、3人はじっと見つめた。

「“□”だ…」真里菜の目が、川本の顔の輪郭を追う。えらが張っているのが特徴的な顔だ。

「“□”だね…」川本のあごに一瞬目をやるが、慌てて目を伏せる奏子。

「“□”であります…」真里菜と奏子を見ながら頷く充。

「しかく…? どうしたのかしら、いったい」

 不思議そうに尋ねる川本に、すもも組主任の江波が声を掛けた。

「はい。今行きます。…じゃあね。みんな仲良くね」

 川本は3人の頭を順番に撫でると、紗由の傍にいる江波のところへ小走りに近づいていった。


「“□”は、えんちょうせんせいだったんでござるな…」眉間にしわを寄せてつぶやく充。

「えんちょうせんせいと、かれしと、さんかくかんけいなんだわ…」真里菜が、きゅっと唇をかみながら言う。

「まりりん。そんなこと、すももぐみのしんぶんに、かいてもいいの?」不安げに尋ねる奏子。

「へんしゅうかいぎだわ…」

「へんしゅうかいぎ?」

「そうよ。へんしゅかいぎ! みんなで、おはなししないとね」真里菜が充を見下ろす。

「おはなしなら、ここですればいいでござる」

「ここでは、できないおはなしをするの。ひみつかいぎよ」

「ひみつかいぎ…」奏子が真剣なまなざしで真里菜を見つめる。


「えほんのことも、かいぎしないといけないから」

「ひみつのへんしゅうかいぎ……いちだいじでござる。ひきゃくをとばさねばっ」

 充がその場を駆け出そうとするのを、真里菜がむんずと捕まえた。

「どこ、いくのよ」

「まずは龍どのに」

「じゃあ、かなこがひきゃくになります!」

 そう言うと奏子は、あっという間に教室を出て、小学部の校舎へと走り出した。

「まって、かなこちゃん!」

「ふたりとも、またれい!」


 江波先生や川本園長と話していた紗由が、充の大声に気づいて、3人の後に続き駆け出した。

「かなこちゃん、どうしたの!?」

 紗由が飛び出していくのを目にした、すもも組の他の園児たちも、次々と後を追いかける。

「さゆちゃんが、どっかにいっちゃう!」

「つかまえて!」

「さゆちゃーん!!」


「ちょっと、みんな! どうしたの?」

 江波が後を追う園児を入り口で遮ろうとするが、どんどんすり抜けていってしまう。

 気がつくと、隣組の先生たちも騒ぎを聞いて出てきて、廊下から小学部に向かう中庭にかけては、大運動会のような様相になってしまっていた。

 江波は、中庭の向こうに見える列の先頭にいる紗由を確認すると、他の保育士に指示をした。

「2年1組に連絡して! きっとまた、龍くんのところだわ…」

 江波は頭を抱えながら、川本に何度も頭を下げると、龍のクラスへと急ぎ足で向かった。


  *  *  *


 瑞樹の提案で始まることになった、“命”候補者の親たちの会は、早速週末に開かれることになった。

 会場は結局、賢児の社長室ということで落ち着いた。久我家でやろうとしていたのだが、真里菜が両親の動きに敏感で、かつ、和歌菜も会合の開催となれば興味を示しそうで、とても親たちだけで会合ができそうになかったからだ。


「ごめんなさいね、賢児くん。うちでできれば、よかったんだけど…」夕紀菜が気まずそうに謝った。

「いや。ここのほうが、かえって都合がいいよ。このメンバーなら、仕事がらみということにすれば、何とでも言い訳がつく」賢児が言う。

「そうだな。それに、ちょうど賢児は、双子ちゃんたちのためにベビールームも広げたし、ちょっと前には社内カウンセリング制度も作ったんだろ。

 実際、疾人はそのオブザーバーなわけだし、瑞樹が取材に来てもおかしくない。それに、最近イベントが重なっているようだから、響子さんが花を飾りに来ることだってあるさ。夕紀菜ちゃんがイベントモデルのメイクに来ることも当然あり得る」

 涼一が自信満々に言うと、周子が聞いた。

「私たちは?」

「えーと…」


 腕組みして考える涼一の横から顔を出すと、紗由が自信満々に答えた。

「かあさまはね、おこづかいを、おねだりにきてるの」

「紗由。何言ってるの。…ごめんなさいね、皆さん。大人だけってことだったのに。ほら、いい子だから大人しくしてなさい」周子が皆に頭を下げる。

 イマジカへ来る途中、ピアノ教室帰りの紗由を家に置いてくる予定の周子だったのが、道が混んでいたため、集合時間に間に合いそうにもなく、仕方なく紗由を同行してきたのだ。

「こんなに、いいこなのに…」

 怒った顔でつぶやく紗由に、一同がくすりと笑う。


「紗由の言うことは一理ある。企業献金のご依頼だろ」涼一が言う。

「紗由。とうさまは、何しに来たんだい?」

 涼一が尋ねるが、紗由はリュックの中からおやつのお饅頭を取り出し、大人たちの困惑顔をよそに、もぐもぐと食べ始めた。

「…ごめんなさい、皆さん。おやつモードに入っちゃうと、しばらくは何を聞いても駄目なの」周子が申し訳なさそうに頭を下げる。

「何で、とうさまのことは教えてくれないのかなあ」

「さあ。おぼえてない」饅頭を半分の半分に割る紗由。

「あのね、紗由…」


 眉間にしわを寄せる涼一をよそに、疾人がしみじみと言う。

「何か、親父を思い出すよ。いつも淡々と何かを当てるんだ。でも半分位は、後で聞いても覚えてないって言って。親父の場合は未来のことだったけど…」

「龍や紗由の場合は、人や物から過去をたどれることがあるようだ。一年前の紗由は言葉も曖昧で、時系列がめちゃくちゃだったから、意味がよくわからなかったりもしたけど、この頃、どんどん言葉を覚えるに従って、わかりやすくなって来ている」涼一が疾人を見る。「確か、翼くんも過去をたどれるんだったよな?」

「ああ。だが、翼の場合は、一緒に住んでいれば気づくかもしれないことっていう印象が大きかったから、伊勢で言われるまで、翼の言葉をそういう意味で捉えたことがなかったんだよ…」

「じゃあ、今まで翼くんがどんな話をしていたかを把握するのは難しいかな。翼くんの記憶力でたどれる部分があれば、何かとヒントになると思うんだが」


「疾人さんや私が聞いてないことでも、奏子には全部話していると思うわ。

 でも、あの子のことだから、必要だと思わなければ人に聞かれてもきっと話さないし、読もうとしても拒否するでしょうから、もし知りたいなら、奏子の頭を龍くんに読んでもらったほうが」響子が言う。

「紗由ちゃんの相手が龍くんなのはわかるが、どうして奏子の場合も龍くんなんだい」少しむっとしたように言う疾人。

「“読む”にも、相性があるからよ。お義父さまは力が強かったから、相手を選ばなかったでしょうけれど、子どもたちは“力”が不安定なことが多いと聞いているわ。その場合、信頼関係がものを言うのよ」

「なるほどね。さすがは“宿”の娘だ。説得力があるよ」涼一が感心する。


「響子さんは四辻家に嫁ぐ前に、この手の子どもたちを、いろいろと見てるの?」

 夕紀菜が聞くと、響子は少し考え込んだ。

「そうねえ…実際に見たといえるのは、実家の“宿”に来ていた幼い“弐の命”たち数人ね。

 でも、その関係者と思しき人たち…“弐の位”とか、“龍の子”とか、その候補者と思われる子たちが、普段うちに泊まりに来ていたから、深く接触したわけではないけど、独特の雰囲気があるのよね、彼らは。遠くから見てても、佇まいが大人びているというか…」

「やっぱり、彼らは“ギフテッド・チャイルド”なんですね」玲香が言う。


「玲香さんのご実家も“宿”なんでしょ? 響子さんちと同じような感じだった?」再び夕紀菜が聞く。

「いいえ。うちは祖父の代にいったんお役目を返上していたんです。ですから、私も輪郭程度にしか知識がありませんでしたし、翔太もあの通り、ませた口はききますが、普通のやんちゃな子どもです」

「そうね。力を持った子どもたちについても、玲香さんよりは弥生さんのほうが、いろいろとご存知だと思うわ」響子が言う。

「母がですか?」

「ええ。弥生さんは“命”の血筋でいらっしゃるから、機関の人たちと違って、直接会える“命”たちは限られていたと思うけど、大隅さんの主催する子どもたちのパーティーを長年見ていらっしゃるでしょう?」


「…やっぱり、あのパーティーは、そういう子たちの集まりなの?」今度は賢児が尋ねた。

「翼が呼ばれなかったから、最初は違うと思っていたんだけど、当日弥生さんが、今までの中で一番質が高そうだとか、少なくとも音楽の才能に投資するための集まりではないとか、そんなことをおっしゃってたから…」

「あの…母自体は力を持ってないと聞いていますが」

「大隅さんから、内容を聞いていたのかもしれないわね」

「なるほど…」頷く玲香。


「ふうん。そうすると、我々の子どもたちみたいな子は、全国各地にいるわけよね」

「“命”の制度が面々と続いてきたということは、そういうことだろうな」瑞樹が言う。

「だから、前に夕紀菜さんが言ってた、日下部さんから聞いたという噂、あながち嘘でもないと思うの」

「噂?」

 賢児が響子を見ると、響子は以前、名古屋の帰りに夕紀菜から聞いた話を、一同にした。


「あまりいい感じがしないなあ、その話。“命”になれそうな子どもたちが、何か妙なことに利用されるみたいなニュアンスだし」賢児が腕を組む。

「日下部さんの言うことだからと思って、面白半分に聞いてたのよね…」

「そんな信用ならない人なの?」響子が尋ねる。

「常務が引っ張ってきたんだけど、まだ入社して日が浅いから、手柄目当てに拾ってきたネタを大げさに吹聴するところがあって…。でも本当はシャレにならない情報だったのかしら…」

 不安げに言う夕紀菜に、瑞樹が微笑む。


「まあ、うちは何かと面白おかしい情報が入りやすいわけだし、そういうものも、ここで皆とシェアすればいい。賢児の家と違って、政治がらみというわけじゃないから、話して差しさわりのあるものというのも、そうそうはないだろう」

「政治がらみのことは、親父は俺たちにも話さないよ。基本、仕事は家に持ち込まない人だから」

 賢児が言うと、それを補うように玲香が口を開いた。

「疾人さんもお仕事関係だと守秘義務がおありでしょうし、それぞれに何から何まで話せるとは限りませんけれども、子供たちに関することは、差しさわりのない限り、シェアするということでよろしいですよね」

 一同が頷く。


「あのね…でも…ごめんなさい。私、初心者だから、自分が何を知らずにいるのか、どこからどう聞いていいのか、話していいのか、よく見えないの…」か細い声で夕紀菜が言う。

「あー、わかるよ、それ、夕紀ちゃん。俺もそうだった」賢児が深く頷く。「でも、変に何でも“命”に結び付けないほうがいい。とりあえず、子供たちと話す時間を増やすことじゃないかな。俺の場合は、紗由や龍より、翔太とのほうが多かったかもしれないけど…」

「しょうたくんは、らいしゅうくるよ!」お饅頭を食べ終わった紗由が、嬉しそうに叫ぶ。

「あら。そうなの?」玲香が聞く。

「うん。えほんのへんしゅうかいぎなの。まりりんがね、ごほんをつくるときは、へんしゅうかいぎをしなくちゃだめだって」

「瑞樹、今から英才教育か?」

 賢児が言うと、瑞樹が苦笑いする。

「大好きなんだよ、編集会議。うちでもよくやってる」


「絵本て、何だい?」

 涼一が尋ねると、周子がやれやれといった様子で答えた。

「紗由と真里菜ちゃんと奏子ちゃんと充くんと翔太くんとで絵本を作ってるのよ。“ミコト姫”のお話。んもう、学会前は何を話しても、ちゃんと聞いてないんだから…」

「ごめん…」

「しょうたくんは、ちゃんと、おはなし、きいてくれるよ」

 紗由が口を尖らすと、さらにしょんぼりする涼一。

「紗由、とうさまは、紗由のために一生懸命お仕事してるんだぞ」珍しく賢児が涼一をかばう。

「おはなしをきくのも、おしごとだよ。おばあさまは、そうしてるよ。かみさまのおはなし、こわいことでも、きくんだよ」

 怒った顔で反論する紗由に、一同が黙り込む。


「紗由も…怖いお話を神様から聞くことがあるの?」周子が小さな声で尋ねた。

「あるよ」

「大丈夫なの? 紗由は大丈夫なの?」思わず、紗由をぎゅっと抱きしめる周子。

 傍らで、夕紀菜や響子も心配そうな顔で見つめている。

「だいじょうぶ! みんながきいてくれるから」嬉しそうに笑う紗由。

「みんなって…?」

「しょうたくんと、にいさまと、まりりんと、かなこちゃんと、みつるくん。あとね、つばさくんと、だいちくんも、きいてくれるようになったよ。おばあさまがね、みんなでおはなしをすれば、だいじょうぶっていったの」

「怖い話も、誰かと一緒なら怖くなくなるってことか」賢児が言う。

「華織伯母様は、それができずにいたんですね。“命”同士の接触を禁じられていたし、幼い弟に負担を掛けたくなくて、全部一人で背負い込んでいて…」

 玲香の言葉に、再び言葉を失う一同。


「さゆたちはね、しろぐみなの。あっちのチームはあかぐみ。たまいれをするんだって。ちーむわーくがだいじなんだって」

「運動会か?」賢児が言う。

「おいおい。力を持った子ども同士の団体戦とか言わないよな」

 涼一がおどけた口調で言うが、疾人は真面目な顔で答える。

「ファイナルアンサーなんじゃないのか、それ。人に争わせるのが好きな奴らが確実にいるわけだから」

「疾人…」


「あっちのチームには誰がいるの?」玲香がやさしく尋ねる。

「おばあさまのこどもたち」

「え?」一同が一斉に紗由を見つめる。

「伯母さんの子どもたちって、風馬と天馬か? だって、天馬はもう…」

 賢児が問い質そうとするが、紗由は目を擦る。

「さゆね、おねむ…」

「お、おい、紗由。どういうことなんだ? 紗由?」

 涼一が紗由の頬を撫でるが、紗由は涼一の膝の上に上ると、そのままスーッと眠りに落ちた。


  *  *  *


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