モヒート
二十年そこそこ生きていれば、知りたくなくとも知ってしまったことなんて星の数ほどある。
19歳から二十歳になったって何も変わらないこと。二日酔いは人生の終わりかと思うほど気持ち悪いこと。大人になりたくない、働きたくない、と言いながらスーツを着て就活に走り回らなければならないこと。自分という人間の限界。周りには自分より優れた人間のほうが多いということ。どんなに好きでも、叶わない恋。叶わない恋に時間を割けるほど、女の子は暇じゃないってこと。世界からわたしという存在が消えてしまえば良いのに、って願ったって朝日は上ること――。たくさん、たくさん。
* * *
「あたしは理恵みたいになりたかったよ」
白い頬を赤く上気させて、佳帆は言う。ピーチサワー。佳帆の頬と同じ薄桃色の液体が佳帆の口に流れ込んでいくのを眺めて、わたしもグラスを傾けた。大学近くの、安いチェーン店がいつものわたしたちのたまり場だった。周りにいるのはわたしたちと同じぐらいの年のカップルが一組と、店の奥のほうではどこかの団体が飲み会をしていて、叫び声や笑い声が一昔前に流行ったJポップと一緒に微かに聞こえてくる。
モヒートは苦い。苦手なのになぜか頼みたくなるのは、佳帆と一緒にいるからだろう。苦味を十分にかみしめてから、わたしはやっと口を開く。
「わたしは佳帆みたいになりたかったよ」
また、そんなこと言って。と理恵は口を膨らませた。ころころと変わる彼女の表情は見ていて楽しい。
「ほんとだよ。わたしは佳帆みたいな女の子になりたかった」
「えーー? あたしになったって何もいいことないよ!?」
彼女は口を膨らませながら、自分がいかに良くない人間なのかということをつらつらと語り出す。まずは顔がダメ、だの、頭が悪いだの次から次へと出てくる彼女の『欠点』を聞き流しつつ、柔らかに否定する。そんなのは関係ないのだ。
わたしは彼女のようになりたかった。
彼女のように愛される人に、なりたかった。天真爛漫で、いつも笑っていて。頑張り屋で、少し泣き虫な彼女のような、日向にいるのが誰よりも似合うような女の子になりたかった。そして何よりも、与えられる山のような好意を受け取ることが出来る、人間になりたかった。
「それでも、わたしは生まれ変わったら佳帆みたいになりたいよ」
トドメのように、言うと彼女はふっと笑った。理恵は頑固だね、なんて言って、でもその言葉を受け入れてありがとうと言える彼女が好きだ。そんな彼女だから、先輩も好きになったのだろう、なんて思って悲しくなる。モヒートをもう一口、流し込んだ。
ふと、彼女の携帯が鳴り始める。出ていいよ、と伝えると彼女はごめんね、と謝りながら携帯を持って席を立った。画面を見た彼女の頬が緩む瞬間を見た。きっと、電話の主は先輩なのだろう。
先輩。私が好きだったヒト。彼の歌声が好きだ。彼女が紡ぐリズムにのる彼のメロディが、声が好きだった。そこに入り込む隙なんてなかったことは分かっていた。それでも好きだと言わざるを得なかった。彼女には一言も言わなかった。先輩も言わないと良いのに。わたしと先輩だけの秘密になればいいのに。彼女じゃなく、わたしだけが知ってることもあるんだって、ちっぽけなわたしだけの『誇り』が欲しかった。わたしが唯一彼女よりも勝っているものがあるんだっていう、そんなちっぽけな。
彼女がかえってくる。
「理恵と飲んでた~って言ったら羨ましがってたよ。就活終わったら一緒に呑もうってさ」
「俊也先輩にそんなこと言ってもらえると嬉しいよ」
「先輩、ああ見えて理恵のことすっごく気にかけてるんだよ。あたしが理恵のこと話すと、お前は理恵の兄かってくらい色々聞かれるもん。理恵に悪い男が寄り付かないか見張ってるみたい」
「なにそれ。俊也先輩過保護すぎだよ」
「ほんとだよね~。そう! 理恵、この間言ってた人とはどうなったの!? いい感じだって言ってたじゃん」
佳帆にせがまれるまま、好きでもない人のことを楽しげに話すことに努める。
ハタチを越して、大学生活もあと半分を切ってしまって。有限の時間を、もう届かない人に費やすことは出来ないのだ。不毛すぎる恋、友達の恋人。佳帆はわたしから見たら完璧な女の子だ。佳帆から先輩を取ることなんて出来ない。
だから私は、表面上だけでも進んだ振りをする。いつか心が追い付くことを願って、足を進める。
モヒートは苦い。今度は甘いお酒が飲みたい――。