5015年8月 スペースジャパンの首相談話
西暦5015年の8月、スペースジャパンが新たな談話を発表します。
ノックの音がした。
「首相、そろそろお時間です」
銀色のスーツに身を包んだ首相秘書官が一礼した。
「そうか、もう、そんな時間になったか」
第二千二百十一代スペース・ジャパン首相のウラジミール・ハトヤマは重々しく総理大臣の席から立ち上がった。地球時間の二日前にスペース・ハネダ・エアポートからトウキョウ・シティへ戻ったばかりなので、まだ地球の重力に体が慣れない。
昨日は丸一日談話の原稿を片手に演説の練習をしていたので、文言は一言も漏らさず頭に入っている。談話の内容をこのスペース首相官邸のスペース閣議で決定したのはつい先程だが、スペース有識者会議で内容は以前から決定している。
「これでまたスペース・サウスコリアやスペース・ノースコリアも反対声明を出すのでしょうね」
スペース文部科学大臣のグレゴリー・エダノが小さく笑った。
「あいつら、我が国が新しいスペースコロニーや惑星開発基地に着手するたびに共同開発を提案するからうるさくてかなわないよ」
スペース経済産業大臣のアレクセイ・マエバラも同調する。
「千十五年前の4002スペースサッカーワールドカップでも共催したけど、結果は散々だった。スペースFIFAは二度と共催しないと公表したが、三千年ほど昔の地球時代に、やはり共催したと古代文部科学省の古文書にあるようだ」
「あそこが絡むと、スペース文部科学省は大変だな」
ハトヤマ首相も微笑んだ。
「いや、総理ほどではありませんよ」
グレゴリー・エダノが言う通り、何時の時代でも隣国との関係は難しい。昨日もスペース・サウスコリアでは恒例の「スペース統一コリアを推進する会」によるアンチ・スペースジャパン・デモや、元従軍慰安婦の子孫による抗議集会がスペースソウル市の少女像広場で行われていた。
しかし、国内に目を向けても、伝統的な反原発団体が太陽系に放射能を撒き散らすなと、官邸へデモを繰り返している。
「いつだって政治家は気苦労が耐えないものさ。では、行ってくるよ」
「お気をつけて」
頭を下げる閣僚たちに返礼してから背中を向け、ハトヤマは歩き出す。
首相秘書官や護衛官を引き連れ、ハトヤマ首相はスペース・プレスルームへ向かった。各部屋の前に待機している武装護衛官が敬礼する中、地球上だけでなく各惑星や衛星、そしてスペースコロニーから集まったスペースメディア特派員が立錐の余地なく埋め尽くした広大な一室へ足を踏み入れた。
タイミングよくスペース官房長官の話が終わったところだった。一礼して壇上から去るイワン・オザワとハトヤマ首相の視線が重なった。
「雰囲気はどうだい?」
ハトヤマが質問すると、オザワは肩を竦めてウインクした。
「最前列の正面にはスペース・アサヒ・ニュースペーパーとスペース・マイニチ・ニュースペーパーが並んでいます。その横にはスペース・ワシントン・ポストとスペース・ニューヨーク・タイムス、そしてスペース・チョウセンニッポウとスペース・トウアニッポウ、スペース・ハンギョレも舌なめずりして待ち構えていますね」
「50世紀になったというのに、雰囲気は49世紀から変わらないのか」
ハトヤマは両手を広げて天を仰いだ。
「いえ、20世紀からですよ、ハトヤマ首相」
オザワはハトヤマの肩を叩いて後方へ退いた。
「それでは只今より、第三百三次首相談話発表を行います!」
司会の言葉から少し間を置いて、ウラジミール・ハトヤマ首相は壇上へ重々しく歩いた。スペースメディア関係者たちが固唾を呑んで待ち構えているのが分かる。
壇上で一礼し、恭しく証書を広げる。
「終戦三千七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀から五十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
三千百年以上前の世界には、当時の西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして三千七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後三千七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
この大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と地球上だけでなく、太陽系でも戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争、あるいは惑星間紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。三千七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、過去の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
三千七十年前、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。旧中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした旧中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後三千七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、宇宙生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの遠い祖先が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、世界の平和、そして太陽系の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、地球上の国々、そして各惑星の人々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、太陽系社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。五十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた太陽系経済システムを発展させ、地球上の途上国支援を強化し、人類の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、太陽系のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、太陽系の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦三千八十年、三千九十年、さらには三千百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
皇紀五千六百七十五年八月十四日
内閣総理大臣 ウラジミール・ハトヤマ 」
長いようで短かった談話発表が終わると、会場を万雷の拍手が包み込んだ。
だが、前列の記者たちを含めた少数の記者たちが苦虫を噛み潰したような表情で、鉛筆を舐めながら自分のメモ帳に何かをメモしていた。
それでも良かった。スペース民主主義のこの時代、スペース国連を中心にして平和のために邁進する。その決意表明が出来たのだ。
ウラジミール・ハトヤマ首相は一礼し、重々しく壇上を去った。
その夜、スペース・サウスコリアのパク・コネ大統領が声明を発表した。
「一万年たっても、被害者と加害者の関係は変わらない」
読んでくれてありがとうございました。