6話 発作
タンゴは最後の引き出しを開け、中にめぼしい物が何も無いのを確認して静かに閉めた。
「見つからなかった」
深く息をついてタンゴは空中を見上げた。心なしか声にも疲労がにじみ出ているようだった。
結局手がかりは何も見つからなかった。
「ごめんなさい。無駄足だったみたいです」
「いったん休もう。部屋の中がこもって、息苦しい」
タンゴの言葉に違和感を覚える。
無人の様子のこの建物も、ヒトがいる限りは電気もついているし室温も変わりない。空調は動いていると思っていたから。
「あんたは来ないのか」
既にドアをくぐり抜けていたタンゴが声をかけてくる。
(タンゴの方が猫だし、色々敏感なのかもしれない。まだ道覚えきれてない私より)
待って下さい、とタンゴに言って私も部屋を出た。
そこは白の半透明の壁で幾つも区切られた大部屋だった。区切られた小部屋のドアを開けると、中にはクッションが敷かれていた。タンゴは小部屋の一つに入って横になり、丸まって眠ってしまった。
私も適当に寝ろということだろうと思う。とりあえず隣の部屋に入ってみた。横たわって身をのばしたら壁に届く位の小ささ。壁が半透明である程度周囲の見通しが利くからか閉塞感は感じない。
(プライバシーはあんまりない感じだ。今は特に気にしないけど)
クッションを近くで見ると、色あせていたり端の部分が少しほつれていたりと劣化の跡があった。かなり大きいので包まって寝ると布団の中みたいだ。
(寝て起きたら今までのこと全部夢でした、とかだったらどうしよう)
実際夢としか思えない。でも夢と言われるのは嫌だと思う気持ちもある。白色の壁越しでもわかる黒い輪郭を確認して、目を閉じた。
すぐ傍で何かを蹴る音がした。あわてて身を起こすと元凶はタンゴのいる所らしく、直後にうめき声も聞こえてきた。
「タンゴ、どうしたの!?」
駆けつけると首をかきむしって暴れるタンゴがいた。こちらの姿を確認すると牙をむいて威嚇する。
「寄るな!」
勢いに押されて後ずさり、私は部屋から出てしまった。
部屋の中からは荒い息づかいが聞こえる。私は一歩も動けず、小部屋の外で座り込んだ。
「たまに、起こる。すぐに、治る」
息づかいの合間にタンゴは喋る。すぐにといったけれど呼吸が落ち着くまでにかなり時間がかかった。
やがてゆっくりと起きあがり、四つん這いでタンゴは顔を出した。
「大丈夫、ですか?」
とっさに話しかけたけれど、どう見ても大丈夫じゃなかった。まだ大きく肩で息をして、表情も苦しそうだった。なのに近寄るとごろごろと喉が鳴っている。
(危険信号だ!)
手を当てているのは首輪のようだった。真っ黒の素材で体と同化していたため今まで気づかなかったけれど、タンゴはしきりにそれを引っ張ろうとしていた。
「首輪が苦しいんですか?」
「違う。これ自体は伸び縮みする……」
それだけ言ってずるずると倒れ込んでしまった。
「タンゴ!」
ついさっき警告を受けたばかりで抵抗はあったけれど、堅い地面で倒れ込むよりはと思って肩から支えて動く。力なんて殆どない女子高生には担ぎ上げるのは無理だけど引きずりつつ移動させた。
クッションに横たわり、タンゴは目だけをこちらに向け、また閉じた。体中から力が少しずつ抜けていくのが分かる。
ここまで近いと首輪もよく見えた。細くて継ぎ目のない、光沢の無いプラスチックのような素材だった。
「……あんたは、痛くないのか?」
絞り出すようにしてタンゴが話す。
「痛いってそんな、うつるわけじゃないですし。それより辛いなら喋らないで下さい」
「これは、うつる。ヒト同士だとみんな苦しむ」
「伝染病ってことですか?」
「たぶん、違う。しばらくしたら治る。首輪を付けた奴に近づかなければ、付けた奴が発作を起さなければ、苦しくない」
「じゃあ、その首輪は一体なんなんですか」
返事がなかなか来ないと思ったら規則的な呼吸が聞こえてきた。余程疲労するものらしい。喉ももう鳴らないから発作は終わったんだろう。
(いっつも、この猫さんは肝心なことを話してくれないな)
無意識に手がタンゴの頭にいって、あわてて止まった。今撫でたら怒られるか人間型の爪で引っ掻かれる所が想像できそうだった。
しばらくタンゴの様子を見た後向かったのは食糧倉庫だった。白の大部屋に行くときにタンゴから道順をある程度教えてもらっていたが、意外にすぐ近くで本当に助かった。
棚から水筒を見つけ出して水をくむ。ついでに辺りを調べるとアルファ米やパスタなどの炭水化物ゾーンを見つけておもわずガッツポーズを取ってしまった。前に来たときはラーメンだったが確実に栄養が偏るだろうと思っていたから嬉しい。
(今日はボロネーゼだ!)
レトルトのパスタソースも見つけられてほくほくだった。ここの料理人は食事にとても熱心な人だったのだろう。鍋類も豊富だし塩が何種類も見つかる。パエリア鍋を見つけたときは新鮮な魚介類が欲しいと切実に思った。
まだ熱々のパスタを持って走り、タンゴのいる小部屋に持っていく。横に空のコップを置いた所で水筒を忘れたことに気がついた。パスタの歓喜で完全に本来の目的を忘れていたことに気がついて、廊下にでた。
しばらく進むと奥の方に、私は光を見た。ぼんやりしたあれは今私の頭上の照明と同じもの。
私たち以外のだれかがそこにいる。
猫の喉鳴らしはただの信号で、満足している時だけ鳴るものではないらしいです。