5話 空
灰色の翼の鳥はウィンドと名乗った。鳥の頭、両腕の代わりに翼、鳥足に似た細い足。タンゴ以上に動物寄りの外見だった。
「ほんと驚いたよ。ちょっと狩り場はずれたら鷹と衝突しちゃって。で、落っこちてなんか知らない岩場に着いちゃって、岩の影から腕が出てくるのが見えるしさ」
ドアを開けようとして外に出した手を見られていたらしい。それで近づいてみたら私たちを見つけた。
「若いネコが一人行方不明になったって話は聞いてたんだけど君?」
鳥足をややふらつかせながらタンゴに寄る。歩くのが苦手なのかもしれない。いきなり近づかれて警戒態勢をとりつつタンゴは頷いた。
(知らない人に結構な勢いで近づかれたら、猫は大抵逃げます)
「これ一週間位前に聞いた話なんだけど、ずっと閉じ込められてたの? 食糧とか大丈夫だった? どうしてこんなヒトのいないところにいたの」
矢継ぎ早に話しかけられ、タンゴはかえって黙り込んでしまった。
「えーと、タンゴ、ここから脱出できるってことは、目的は達成したことになるんでしょうか?」
素早くウィンドさんはこちらを向いた。
「脱出? 申し訳ないんだけど今は無理だよ。僕みたいな、飛べるトリなら別だけど。自力で飛べないとこの場所は難しいよ」
ウィンドさんの指差す先を見る。
「ここは深い穴になってて登るにも空が遠すぎる。かといって僕一人じゃあ君達を連れて出ることなんてできないよ」
例えるなら巨大な井戸。鉛色の金属の壁でぐるりと囲まれて、壁が風化して変形しているので、確かにウィンドさんの言うような岩場にも見えた。底の方は草地になっているけれど、上空は遥か遠くだった。もう一歩前に進もうとしてタンゴに腕を引っ張られた。
足下が崩れて、足場の欠片が下に落ちていった。タンゴが引っ張らなければ私も一緒に落ちていた所だった。
「あまり踏み込まない方が良いよ。気をつけてね。ところで君は? サルの多い集落知ってるから僕が連絡しておこうか」
「あの、私は……」
「必要ない」
ウィンドさんから隠すかのように、タンゴが間に入ってきた。
「俺の方の消息が伝われば十分だ。行くなら早く行って、救助できるトリを見つけてくれ。このサルの親にもすぐに伝わる」
普段の淡々とした口調とは違う、ややけんか腰の話し方だ。
ウィンドさんははっとした顔をして、
「そっか、分かった。ここからみんなのいる所まで1日かかるから、それまで待ってて!」
にっこり笑ってウィンドさんは翼を広げ、ぐるぐると旋回しながら飛び去っていった。
後に残ったのはタンゴと私、ほぼ振り出しに戻った二人だけ。
「なんでわざわざ、猿って嘘ついたんですか?」
タンゴは空を見上げていた。風に乗って飛んでいくウィンドさんを見つめているようだ。丸く歪んだ空の向こうに鳥の影が消えると、タンゴは壁に寄りかかって大きく息を吐いた。
「ヒューマンは俺たちに憎まれてる。見つかれば、殺される」
外の風の音がひゅうひゅう、やけにはっきりと聞き取れた。ウィンドさんがいなくなった所為でここは静まり返っていた。
「何を、したんですか。ヒューマンは」
「言わない」
「言えないようなことを、したんですか」
「俺が言わないだけだ」
タンゴはこちらのことを気遣っているのか、どうでも良いのか、よくわからない扱いをする。
「ここから出られるなら手伝ってくれる奴が何だろうが俺は構わない」
そう言ってタンゴはまた「中」に入ってしまった。
(教えてくれないんだ……)
タンゴは一番最初に私と手を組もうと言ったとき何を思っていたんだろう。
妙な緊張感がパソコンのある会議室の空気を支配していた。いたたまれない。
(あーもう!)
苛立ちまぎれに勢いをつけ、デスクの引き出しを開けた。
ころりと、奥から何か転がってきて縁に当たり、こつんと音を立てた。
それは一組の補聴器に見えた。この部屋は引っ越し後みたいにほとんど何も見当たらないだけに気になる。
手でくるくるといじり回してみた。時々淡く光り、綺麗だと思って掌で転がしてみると音楽が流れ出した。結構前から鳴っていたのかもしれない。気がつけば存在感抜群だけど他に気をとられるとたちまち聞き落とす、その位の小さな音だった。
「何だ、それ」
タンゴはやはり猫なのか耳がいい。離れた所にいたはずなのにふしぎそうな顔をしてそれを見ていた。
「音楽プレーヤー、だと思います。好きな曲とか入れていつでもどこでも聞きたいときに聞ける、そういうものです」
またちょいちょいといじっていると曲が変わった。
「あ、『いちご畑』だ」
父さんと母さんが良く聞いていた、昔流行った曲。
「何て言ってるんだ?」
「さあ。英語の入った歌なので正直聞き取れないんです。歌詞が書いてあればまだ意味も分かるんですけど」
日本語表記のカップラーメンにしてもそうだ。
詳しいことはまだまだ分からないけれど、これだけは分かる。
ここにはかつて、日本人がいた。
私の知らない、きっともう会えないだれかがここで生活していた。
「よく分からない。静かな感じだ」
(ああでも、静かで落ち着くってイメージは分かるなぁ)
一曲終わる頃にははりつめていた空気は大分ほぐれていた。