3話 料理
それからまたタンゴにつれられ廊下を曲がり、実際に閉じ込められた原因の入り口まで行くことになった。歩いた先、廊下の突き当たりにあったタンゴ曰くの「入り口」は私が見る限り「壁」になっていた。
「入った途端にこれが横に動き出して塞がった」
確かに引き戸のようなのだけど周囲に何も無い。完全に自動ドアで、ここで得られる手がかりはなかった。
廊下は乾燥していて、いきなりの環境変化で緊張していたのかひどく喉が渇いた。水はないかタンゴに聞くと無言で部屋を出て行ってしまい、慌ててついていった先には。
(貯蔵庫……というか……非常食倉庫?)
背丈の倍はありそうな高い鉄製の棚に袋や缶詰が並んでいる。手近にあった紙コップを手に取ると、見知ったカップ麺だった。
(日本が世界に誇れるインスタントラーメンがこんな所に……)
よく知る姿に親近感がわく。表記ももちろん日本語だった。
カタンと奥で音がして、駆け寄ると開かれたままのドアがあった。奥からは水音がしていて、中を覗き込むと銀色のシンクが目に入った。隣に電磁調理器もついている、収納戸棚等でコの字型に囲まれたキッチンのようだ。
タンゴはシンクの前で少し屈んでいた。蛇口からこぼれ出る水を直に飲んでいるらしい。
(うわー、思いっきり猫だ)
飼っていた猫のサリィが、食器を洗おうとするとどこからともなく走ってきて蛇口にまとわりついていたのを思い出した。
(猫用皿からいつでも飲めたのになぁ。サリィは今どうしてるだろう)
猫の絶えない猫屋敷に住んでいるが、今いるのは中学の頃拾ったアメショーのサリィだけだった。そろそろ毛の生え変わりの時期だからブラシで梳いてやらないと――
ずいと紙コップが渡された。知らず俯いていたらしく前を向くと、タンゴは怪訝そうな顔をしていた。
「あ、水……ありがとうございます」
タンゴは私が受け取ったのを確認するとすぐに背をむいて、シンクの反対側、入口すぐ横のカップボードから何か入った袋を取り出した。屋台を引くおじさんのイラストの、袋入りラーメンだったみたいだ。
タンゴは蓋を破り、中から乾麺をとりだして……。
そのまま「齧りついた」。
「ラーメンが!?」
タンゴが反射的に身構え、何事かと見つめる。
(乾麺そのまま食べる人、いやネコなんて初めて見た!)
「やめてください! シーズニングもなしで揚げ麺を食べるとか!」
シンクの下の戸棚を勢いよく開けば、やっぱりあった。入れ子状にきれいに収まった調理器具が。その中の一つ、ソースパンを手に取って水を入れ、火にかけた。
「ちょっとだけ、待っててください。そのシーズニングも、それですその小さい袋どっちも。捨てないで!」
沸騰した湯に一部齧られた麺を放り込んで、すぐそばの引き出しを片っ端から開けていく。料理する人がいるなら、絶対近くに置いておくものがあるはずだから。
「あった菜箸!」
カップボードからどんぶりも取り出しておく。これでシーズニングを混ぜてどんぶりに入れてしまえばラーメンは完成する。
「うまかとんこつ一丁あがり」
「これ、食べられるのか?」
「さっき自分で食べてたものじゃないですか。ところで箸は使えますか? フォークも見つけてありますが」
フォークをバトンタッチで渡す。タンゴは両手でラーメン皿を持ち上げ、ふんふんと匂いを嗅いだ。
「これ、本当にさっきと同じものか?」
「そうです! 全然違うでしょう?」
タンゴはしばらくラーメンを睨みつけた後、フォークを突っ込んで麺を巻き付け一口咀嚼した。しばらく味を確かめていた様だったけど、二口、三口と麺が減っていく所を見ると一応気に入ってくれたようだ。
当の私はと言うと先ほど起きたばかりで全く食欲が無く、もう一皿作る気力は無い。手持ち無沙汰になってしまったので、ポケットに入れたままだったスマホを取り出した。スリープ状態になっていたらしいのでストッパーを外して、メールアイコンをタップした。
『管理者権限がありません。氏名とパスワードを入力して下さい』
(嘘……パソコンと同じ!?)
メモ帳やその他の個人データを読み取るものは軒並み制限されている。これ以上は情報が得られそうになかった。
諦めて顔を挙げ、黙々と食べ続けるタンゴを見てふと気が付いた。
「そもそも猫ってラーメン食べて大丈夫でした?……いや、猫じゃなくて人に近い見た目してますけど……」
「俺は猫じゃない。ヒトだ」
タンゴは長すぎて飲み込めなかった麺を噛み切って言った。
「人にしては顔つきとか尻尾とか、いろいろ違う気がするんですけど」
なんとなく聞くタイミングを逃してしまって、聞けなかった質問。聞く以前に今自分が置かれた状況に慣れるのに必死だった。
(あれ、逆? ネコ型人間に真っ先に突っ込んだ方がよかったかな)
「あんたは自分と違う見た目のヒトを見たことがないのか?」
「ないです。こんな耳とか尻尾とか、見たことないです」
「見たことがないのはネコ系のヒトだけか?」
ネコ系のヒト。タンゴは自分のことをそう表現した。
「ネコ系のヒトだけ、ってどういうことですか?」
「イヌ系やネズミ系の奴らも見たことがないのか」
「犬!? 鼠!? 猫だけじゃないんですか?」
タンゴははみ出た麺をつるりと飲み込み、はねた汁を長い舌でなめとった。
「あんたはサル系のヒトビトしか見たことがなかったのか」
「猿って! 尻尾ないですよ!」
今はいているパンツスラックスに尻尾を隠すすき間はない。
「怪我をして尾をなくす奴もいる。走ってもバランスが崩れないのは珍しいが」
もうほぼ食べ終わったラーメンのスープをかき混ぜつつ言われた。底に残った小さな麺をすくいとっているらしい。
「だから、猿じゃないです。人間です。ホモ・サピエンスです。ヒューマンです!」
タンゴの手が止まった。
「ヒューマン……?」