#01-2:唐突な始まり
遥か昔に作った原文が、発掘されまして。
「…、つかってみるべ」
という気持ちになりました。
ウン十年前のSF要素が強いですが、ファンタジーなんです。(自棄のどや顔)
そう思い込んで、どうぞ。
「…探査式仮想精霊“ベーグ”。予想領域まであと15ラコル。記録、開始します。」
静かなアルトの声は僅かな戸惑いを含んでいた。
「了解。記録と解析は並行して出来るか…ぁ、“ベーグ”の状況も記録しておいて」
暗がりの中で響くその明るすぎるほどキッパリと、その戸惑いを否定した声が返ってきた。
「分りました…けど、いいのかしら」
最終確認とでも言うのか、柔らかい声は存在に問いかけた。
「まぁこんなものを提示されて、やらなかったらそっちが問題だよ。だからしょうがないんじゃないかな」
ね? と、考える事すら馬鹿らしくなりそうなくらい何の揺らぎも無い、確信に満ちた肯定で言い切られたら誰だってその気になってしまうだろう。
「また怒るでしょうね。きっと」
今いる場所と声の主達の正体を全く無視すれば…否、取り巻く現状を無視すれば、子の態度を心配する両親のような会話に聞こえるが、これでも彼等はまじめに職務を遂行する独身の社会人で、一応それなりの役職者だ。
生憎何処かの室内と思しき薄暗い空間はかなりの広さがあるようで、何かの作動音らしき重低音の響き達が絶え間なく聞こえる。だが声たちの会話を遮るほどの音量では無いし、別に聞かれても困る内容でもなかった為、特に注意はしていなかった。
彼らの周囲に規則的に並んだ大きな六つの平面体と、床からこぶし二つ分の高さに床と平行に浮かびあがった光る大きな術式紋様、それ以外の照明らしきものは見当たらなかった。
「ん~、それはいつもの事だし。それより突入開始だ、支援作業宜しく。」
「…はい」
存在の発言に、声は説得を諦めたようだ。
「目的外部と接触を確認、侵蝕による隔壁の強制同調を開始します。外部周辺温度、および圧力は予想より27%高め、この温度差による保護被膜の補助式の破損も始まりました」
声の宣言に呼応するように、それまで足元で穏やかな光を放っていた紋様が謡うように明滅を始めた。目的が収集した情報を記録する為だろう、遅れて文章化された情報が平面体を走り向け、室内にそれ以外の何かが光となって散らばっていった。
ただ一時のものではなく、その数多の光は壁面近くに行くと吸い込まれる。情報という名の光が、分類されて壁面で知識という形かわってゆくかのようだ。
散らばる光も決して眩しいものではない。ほんのりと灯る蓄光された僅かなものだ。平面体の表記の方が遥かに強い。
暗がりの中に設けられたその空間は、半屋外と化した広場のような場所ではあったが、廃墟ではない。記述開発された術式を実際に試す場として存在する場所で、彼らは理論上の条件を満たした仮想精霊を用いて調査を試みていた。その座席の左前面に操作盤らしきものが浮かび、人物の左手は常にその上を走り続けている。
「首尾は?」
さらにその表示画面光を挟んで人影が体の前で腕を組み、思案顔でずっと眼前に浮かんでいる情報を眺めていた。
「今のところは順調です。抵抗も予想通りですが…過密度な遮蔽皮膜と位相空間のせいで精霊との通信が妨害されてます。後付けの補助式が何処までもつか、このままいくと探査式仮想精霊は回収不可能と思われます」
後半にため息が混ざったのは気のせいではなかった。この件に関して酷く文句を付ける人物の顔がはっきりと浮かんだからだ。
「それは仕方ない。こうなることは最初から分かっていた事だし、そのうえで選んだ精霊だ。今回の第一目的は情報収集。まぁ300ラコルも持てば上々ってところだね」
現実に対して技術の無さが恨めしいよと、肩を竦めた仕草はその場の空気をほんの少しだけ和ませる。文句をつける御仁は決して話が分からない人物ではないのだ。むしろこの調査の必要性を誰よりも知っている。
「念の為に”ラフィック”にも解析させておきますね」
「…そうだね」
右側の水晶球群から一つを抱き寄せるように手を掛けた。”エマ”と”ラフィック”の結果が同じなら頭の固い上層部を説得する一手になるだろう。彼らが以前に独自に採取しておいた資料も上乗せ(おまけ)しておけば反論も抑えやすい筈。
「そういえば上層部も〈ラフィック〉と”アデル”を使用して同じ事を4日前に行ったようです」
「おや、上層部も同じ事を考えているのかな?」
人影は不機嫌そうな声を出した。
「いえ、”ラフィック”の解析結果からして遺跡に関する世論の不評を解消するものと思われます。ここ数年の各遺跡に出没する現象の増加や精霊獸の闊歩が増えてきましたから」
「確かに、長いので1シアム近くの滞在とはいえ最大は併せて160を超えだったね?」
「はい。実害は無かったとはいえ、ここ10日は全く…」
突然の警報が言葉を遮り、平面体の一つが激しい光を放つ。
「何事?」
「”ベーグ”の損傷が危険域に達しました。現在の損傷度合いは、補助式は76%をきります。取れた情報はすでに解析を始めてます。」
「……あとどのくらいいけそう?」
忙しい左手とは裏腹に、声は驚くほど落ち着いていた。
「…約64ラコル…ですね。この速度ならその位でしょう」
予想よりはかなり早めである。だが現実は現実だ。欲をどうこう言っても仕方がない。
「…”ベーグ”を以ってしても、とは…」
この口調でメディルは彼の苛立ちに、そして恐らく打つであろう手を解ってしまった。存在は警報の響き渡る中、次々と文様の上に構築される解析内容を見つめながらぽつりとつぶやく。
「この件は僕の判断で行った事だ。メディルは指示されただけだ。気にするな」
「はい。ですが、この解析結果は落ち込んでいる暇、無いんじゃないですか?」
この現象が予想通りならばそんな暇はない筈だ。最悪では無いが、この事態に対して如何に被害を最小に抑えるかが目標であり、使える手段を選ぶ暇さえあるかどうか怪しいものだろう。
「まあね。こんな事は起こらないのが尤もなんだけど、起こると判っていて何もしないなんて僕がすると思うかい?」
全くをもって頼もしい発言である。
「”エマ”、手を貸して」
声の肩の高さに帯状の薄い光の膜が包み込む。これも術式紋様の一種で瞬時に脳内思考との同調を果たす。メディルと呼ばれた声の持ち主は一応第二行政区督査室の一員であり、存在の補佐官僚を担う人材だ。光の中浮かび上がった容姿はまだ若いともいえる幼さを持っていたが、表情は感情を浮かべてはいなかった。
傍らに立つ存在も、うすぼんやりながら浮かび上がるシルエットから、そこそこ長身の男性だとわかる。それは外見に似合わない大人びた表情…というべきなのか、今まで生きてきた人生の経験がもたらす相応の表情というべきか…。
彼には制限がある故に通常の人間には出来ない事が『出来る』。
それ故に彼には力があり、権限が与えられている。
彼に出来ないことを、彼女は出来る。
「ベーグの情報収集が一段落したら、メディル。さっきの話の続きを聞かせて?」
「はい、一通り終わってからで宜しいですか?」
「今は忙しそうだから、待っていてあげる」
空間に次々投影される解析資料はすでにこの部屋の半分近くを占めていた。傍から見ると光柱の内部に二人が存在しているようだ。
「機体損傷度、89%を超えました。限界ですね…」
先程から警報が更に甲高くなり、送られてくる情報も減り始めた。
パルステラの解析が難しいのは表層の結界だけでなく、特性そのものがそれを更に難しくしている一因だとも言えるのだ。
突然、糸がぷっつり切れたかのように警報が鳴り止んだ。それは…。
「…探査式仮想精霊”ベーグ”、完全に沈黙。最終情報は”エマ”と”ラフィック”内部で正常に記録されています。あと694ラコルもあれば報告書は出来るもよう……です」
メディルにとって”ベーグ”はただの仮想精霊というだけではなかったようだ。
そんな彼女の心情に気が付いたのか、は『ぽん』とメディルの膝に手を掛けた。
「…ありがとメディル。この我儘の代償は必ずする」
彼のこの顔に自分は弱いのかもしれないと思った。
かつての自分の『創造主』に何処か似ているこの存在に。
「先程の話の続きですが、ここ10日ほど全くといっていいくらい精霊獣を見かけなくなりました」
それはパルステラに異変が起こり始めた時期と重なる。
「それは僕の所にも報告が来ていた。だけど…いくら結界の弱体化が見られるって言っても表面温度が800以上あって、10メルー毎に約200以上上昇する特異質な表層に、過密度な電の嵐が吹き荒れている事が判ったってだけだ。その下の大地を含めた生態調査も何も出来ていない」
調査が出来ないのはパルステラだけではない。また再調査を行わなければならない事態にはなっているが、急を要するほどではない。
だが先日確認した『現象』は早急な一手が必要と思われた。
「それは…『目覚め』が始まっていると?」
「現在顕現している精剣、そのうちの一人は先日『代替わり』したのは知ってるよね?」
「はい。…まさか!」
「上は新たな『目覚め』があってもおかしくないと考えているらしいよ。だからこそ沈黙していたパルステラが起き出したっておかしくはない。でも…それはフィンジアでも同じじゃないかと僕は考えている」
「それは考えられない事ではありませんが…」
確かにまだ推測の域の話でしかありえない机上の空論だと解っていても、策を講じもせずただ待つわけにはいかないのだ。
考えられる最悪の場合に備えておく手段は確保し、保険は確保しておかねばならない。
彼の肩書きを知らないものが見れば何を大げさな、と思うかもしれない。
だが、メディルは彼の肩書きを知っているし、彼自体を知っている。
「最悪、『目覚め』が重なったっておかしくない。もしかしたら『代替わり』もありえるかもしれない。重なったりしたら…」
現在フォブルにとって生存している生物は生半可では済まされないほどの災害が襲う事になるだろう。
ほんの1月前に収まった『代替わり』はその王国の生態系を丸々と変えてしまったのだから、どれだけの被害がその王国を襲ったか今現在ですら計りようがない。
「”エマ”に記録されている事柄なんてほんの800年ほどの間に起こった公式記録でしかない。残らなかった記録はその何倍も在ることは誰もが分かっている事だ。『代替わり』ですら公式記録上に残っているのはたった6件、分からない事だらけのこの現実を一つ一つ理解していくことから始めなきゃいけないんだ、まだ」
「…わかりました…」
メディルは”エマ”と”ラフィック”の出した『解析総報告書』の入った赤い不規則模様の入った透明札を差し出した。
赤い…という事は最高機密扱いという事になる。
「あとはあなたの認証を入れれば完成です」
どうされますか? という問いに彼は札を受け取る。
「まずこの内容を確認するけど、パルステラは目覚めの兆候を示していると考えてもおかしくはない、それも他の王国を含めて活性化が見られる。そのための調査として今回探査式仮想精霊”ベーグ”026-6を使った独自調査を行いその傾向があることを確認した」
「はい、確かに活性化を認めます。今回のようなケースは前例が無いので注意を要します」
「…よし。では、現時刻を持って本件に関しての指揮権、及びその責任の一切は第二行政区が執る。上層部に『解析総報告書』と本件を連絡。その後正式通達をもって第二行政区第6部隊と第一査察官の召集を第二行政区第三室室長の名の発令する」
彼はその権限を持っている人物である。
メディルは座席に腰掛けたまま傍らの水晶球群から手を放し、操作盤を叩きだす。
「上層部への通達終了。同時に第二行政区第五部隊と第一査察官の召集準備、完了」
「悪い、メディル。この後は”ラフィック”内の『解析総報告書』の管理と本件の指揮補助に入ってもらえるか?」
メディルは首を振る。
「指揮補助には”エマ”を回します。私は”ラフィック”で今後の情報収集と規制に介入し最悪の事態における混乱を最小限に規制しておきます」
その答えにふむ、と少し考えて。
「…そうだな、何があってもおかしくないし余力は残しておくべきだな。本件に関する情報管理は”ラフィック”に、系統指揮は”エマ”に任せる。メディルは無理をさせないよう管理していてくれ。僕はこのまま第三室に戻る。何かあったら連絡して」
「分かりました。無理はなさらないでくださいね、心配しますから」
手を振りながら退出した彼を見送ってから、座席に座りなおしこう言った。
「二人とも、聞いた通りよ。”ラフィック”は上層部からの許可が下り次第アルマ起動。”エマ”は許可が下り次第、第二行政区第五部隊と第一査察官の召集をかけて。私はメティシアにおける遺跡に関しての情報の洗い直しをやるから関連史跡の資料を探すわ」
彼女が宣言した直後、一気に部屋が明るくなった。
周りはおよそ手のひらサイズの雪の結晶が幾重にも重なったような無色透明な板状のモノが壁一面びっしりと覆っている。その一つ一つが今、脈打つように光を放っているのだ。この部屋自体が”エマ”と呼ばれる仮想精霊であり、脈打つ結晶一つ一つが記憶媒体の役目を果たしている。
だが特筆すべきは”ラフィック”だろう。
四階近い建物の総ての階を吹き抜けにしたその部屋の、ほぼ中間近くを何の支えもなしに浮遊している『巨大な結晶球体』、それこそが仮想精霊”ラフィック”である。
”エマ”とは結晶の形が違って、薄虹色の輝きを放ちながら存在する姿は咲き誇る桜花樹を連想させる。
「こちら第二行政区督査室です。若草八、四万三千百五十二ラコル現在を以て、第二行政区第五部隊の召集と、第一査察官の出動要請を発令します。パルステラに目覚めの兆候を確認しました。直ちに第六種非常事態体制への移行を求めます。尚、この件に関しての責任、及び指揮権の一切は第二行政区督査室に総て移行します」
メディルの声が〈ラフィック〉を通して通達された。
同刻、メティシア中央政府区内情報管理制御部に接続させながら『現象』の発現確認を行っている者が居た。上層部にこの要請が出されてから十シアム後、『第二行政区督査室』は異常な忙しさに見舞われる事になった。