プロローグ【希望に満ちあふれた置き去り】
よろしくお願いします。
突然私の体は地面に叩き付けられた。
止まっていたとは言え高さのある馬車から加減などなく蹴り出されたので、強烈な痛みと衝撃に襲われた私は一瞬気を失ったかもしれない。
夏場の雑草が多少クッションになったものの、手や背中には小石が突き刺さっていた。
霞む視界の端にはもっと大きな石があり、落ちた場所が悪ければ自分は簡単に死んでいたかも知れないと思うと、見上げる相手に僅かに残っていた家族の情も消し飛んだ。
「いつもいつも、どうしてそんな酷い事が言えるの!?」
酷い事も何も、私が言ったのはただの常識だ。
ヒステリックに叫ぶ母は、非常識に娘を殺しかけていた事など当然分かってはいないだろう。
いつでも自分の感情が優先されるべきだと思い込んでいる人だ。
とは言え、この流れに任せれば非常識に今後付き合わなくても良くなりそうなので、うっかり私から笑みがこぼれてしまう。
「なんて子なの! 私が怒っているのだから、泣いて謝りなさい!」
記憶にある限り、母はずーっとこんな感じの人だった。
これでも紛う事なく貴族令嬢として生まれ育ってきた母は、人並みにプライドは山より高い。
ただし、徹頭徹尾努力とは無縁の人であったので、プライドの高さに見合うものは何一つ持っていない残念な人でもある。
「まあまあ、コールディア、その子が愚鈍なのは今に始まった事ではない。ここまで私達が温情で育てた事も理解していないからあんな事が言えたのだろう」
「お母様、人の心も分からない方なんて私達の家族ではないのですよ。私達家族には最初から姉様なんていなかったで良いではありませんか」
あらゆる方向に不出来だったので通常嫡男優先で爵位が継承されるところを認められず、当主となった姉の慈悲に縋って生活している父と、そもそも自分以外は人間とは思っていない妹が、薄笑いを浮かべながら言いました。
多分馬車の扉を開けたのは妹で、私を母と共に蹴り飛ばしたのは父でしょう。
この2人も母同様無知なので、自分達がやったのが殺人未遂である事も、当主ではない父では私の廃嫡届も出来ない事も分からないでしょうね。
「そうね……ミルディリアは聖女になるんだから、こんな姉はいらないわよね。さっさと出して頂戴」
馬車の扉を閉めた母に驚愕で目を見開いた御者は、私と馬車の扉を交互に何度も見ていた。
貴族相手に意見を言える身分ではなく逆らえないとは言え、ここで私を見捨てていくのが家族の罪になる事は常識的に理解しているようね。
「私は別れたいから行って頂戴」
悪趣味を形にしたような母達が再度扉を開けて無様な姿を晒す私を確認するかも知れないので、転がったまま私は魔導具を使って御者だけに伝えた。
それでも躊躇う御者に向かって別れの時のように手を振ると、恐る恐るも馬車を出発させた。
「じゃあね! ここまで連れてきてあげたんだから恨まないでね!」
ミルディリアは窓から身を乗り出しながら満面の笑顔で言った。
出発前に面倒だから行きたくないと私が言った事などすっかり忘れているようで、あんな調子では聖女ではなくても仕事が出来るとは思えなかった。
まあ、選んだ方と連れていった方が責任を取るべき事ではある。
木立の向こうに馬車が消えてしばらくしてから、ゆっくり私は体を起こした。
ドレスの下に防御的な仕込みはしていたのだが、流石に馬車からの突き落とすなどは想定外の暴挙で、叩き付けられた体のあちこちが酷く痛んだ。
私は空間収納から上級ポーションを取り出して一息に飲み干した。
「はあぁぁぁ……」
つい大きなため息が出るのはしょうがない。
値段に見合う効果で怪我はたちどころに治ったが、精神的な疲労までは回復してくれず、私はしばし立ち上がる事が出来なかった。
聖女になると意気揚々と旅立っていった妹。
既に遠くに去ったミルディリアにもう一度言ってみた。
「聖女になったら男にモテモテなんて、あり得ないわよ……」
たくさんの素晴らしい令息や格好いい王子様から溺れる程の愛を注がれて、王都で唯一愛される可愛らしい聖女になるなんて、妄想にしても限度がある。
両親とミルディリアが怒ると分かっていても言わずにはいられなかった。
恐らく姉としての私の最後の苦言となるだろうが、失敗も間違いも全部私の所為と言う事にしてきたミルディリアは、自分自身の発想が間違っているという考えには至らないだろう。
両親にしても、聖女が神に仕える身分であり、複数の男達を渡り歩く尻軽さは処罰対象だといまいち分かっていなかった。
果たしてミルディリアは王都でどれだけ失笑される事になるやら、私は遠い目をした。
知っていて当たり前の話を知らなかった事は、本人の責任でしかない。
それと同じくらい当たり前な事に、何週間かしたら両親だけがこの道を戻る事になるだろう。
両親は何故か聖女の家族なら一緒に神殿で面倒見てくれると勝手に思い込んでいた。
ミルディリアの迎えに同乗出来たのはあくまで神殿に入るギリギリまでの見送りが可能だったからであり、手持ちの金が尽きたら関係者とは言えない両親は帰らざるを得ない。
そして、多分ミルディリアよりも先に現実に直面する。
「やっと自由か……」
これで何かと我が儘ばかりの妹に付き合う必要もなく、癇癪ばかりの母に八つ当たりされる事もなく、父の仕事を押しつけられる事もなくなった。
私の大事な荷物は空間収納の中に入れてあるので、別れの挨拶が必要な人間さえも思いつかない故郷にもう帰る必要もない。
私は立ち上がってドレスについた埃を軽く払うと、周囲に誰もいない事を確認してから転移術が込められた魔石を足下に落とすと踏み潰して起動させた。
これがクラウディア・ウォーゲルの死と新たなる旅立ちであった。




