婚約破棄をされた男装令嬢は、恋より冒険がお好き?!
「アレクサンドラ・ガヴァルダ! 貴様との婚約を破棄する!!」
王宮で開かれた夜会での突然の婚約破棄の宣言。
普通なら嘆き悲しみどうしてと責め立てるだろう。
可憐な令嬢の腰を抱いてなされた公爵令息フェルナンドの宣言に、けれど伯爵令嬢アレクサンドラは目を輝かせた。
「不服もあるだろうが、私は真実の愛を見つけ」
「畏まりました!」
「――た、のだ……?」
今までお淑やかな令嬢の仮面をかぶり続けたアレクサンドラは、今ばかりは満面の笑みで力強く頷く。
抵抗するだろうと踏んでいたらしきフェルナンドが間抜けな顔をさらしているのを気にすることもなく、綺麗な淑女の礼を披露して、アレクサンドラは婚約破棄を全面的に受け入れる。
「書面は後ほどお送りいたしますね! では、私はこれで!」
「おい! まて!!
にこりと花開くように可憐に笑って、彼女は元婚約者に背を向けた。
そのまますたこらさっさと馬車に乗って伯爵家に戻るアレクサンドラを引き留められるものは誰もいなかった。
伯爵家に戻ったアレクサンドラは自室に籠ってクローゼットの奥に大切にしまっていた様々な道具を取り出していた。
彼女の背後では婚約破棄の騒動を聞きつけて慌てて帰宅した両親がおろおろとしているが、一切気にせずアレクサンドラが表情を輝かせながら手に取ったのは、よく手入れのされた長剣だった。
「やっと! これで! 冒険者になれる!!」
アレクサンドラの幼少期からの夢、それは『冒険者になること』だった。
だが、彼女は伯爵令嬢という地位を生まれながらに保有しており、生まれた瞬間には公爵令息のフェルナンドとの婚約が決まっていた。
フェルナンドの母である公爵夫人とアレクサンドラの母が学友で仲が良かったため、生まれる前から性別の違う子供が生まれたら婚約させようと話がまとまっていたのだ。
アレクサンドラより二年先にフェルナンドが生まれたことで、伯爵家に女児が生まれれば婚約を結ぶという約束だったらしい。
フェルナンドより一年先に生まれたアクレサンドラより上の子供が男児だったため、彼女は生まれ落ちたときから彼の婚約者となる運命だった。
子供の頃は散々にやんちゃだったアレクサンドラだが、フェルナンドがお淑やかな令嬢を好むと知ってからは、婚約者の責務の一つだと思って大人しい令嬢を演じていた。
(でも! もうその必要もない!!)
昔から、ピアノや刺繍やお茶会より、剣をぶん回し、魔法を放ち、馬に乗ることの方が好きだったのだ。
伯爵令嬢だから、と夢を諦め、好きなことを我慢していたが、婚約者という足かせが亡くなり、将来の公爵夫人ではなくなったなら話は違う。
次の婚約者が決まる前に、あるいは決まるまで。自由気ままに冒険者として過ごしたい。
くるりと振り返ったアレクサンドラは、家族にだけ見せる裏表のない笑みで快活に笑う。
「お母様、お父様! 私は冒険者になります!!」
卒倒する母、言葉を失う父。
彼らを置いてけぼりに、るんるんとドレスを脱ぎ捨て、平民出身の冒険者が身にまとう軽装に着替える。
このために、メイドに手伝ってもらわなくとも着替える方法を覚えたのだ。
彼女が着替え終わって、フェルナンドには内密に習っていた剣の師から譲り受けた長剣を腰に差し、ドレスアップしていた長い髪をほどいて一つに結いなおすと、そこにはもう伯爵令嬢とは思えないただの少女がいる。
そのままスキップをしながら部屋を出た彼女は、屋敷を出ようとしたところで兄クレマンに捕まった。
「まて! まてまてまて! アレクサンドラ!!」
「お兄様! 私は自由の身です! いまこそ冒険者になるのです!!」
慌てた様子で駆け付けた兄はアレクサンドラの腕を掴んで、特大のため息を吐き出す。
「婚約破棄の騒ぎは聞いているし、お前の夢を否定する気もない。だが! せめて! 伯爵令嬢の身分は隠してくれ!!」
悲鳴のように叫ばれて、アレクサンドラはこてんと首を傾げる。
いまの格好から伯爵令嬢を連想するものはいないと思うのだが。
そんな不満が顔に出ていたのだろう。クレマンはさらに大きく息を吐いて、ずびし、とアレクサンドラを指さした。
「手入れの行き届いたすべらかな肌! 同じく最高の手入れをしている艶やかな髪! それだけでも貴族の令嬢だと分かる!」
「あら」
さすがに盲点だった。彼女は冒険者に憧れているが、十五歳の現在、平民を間近で見たことがない。
時々、仕事で城下町に行くクレマンの指摘には納得するしかなかった。
「では肌を汚して髪を切ればいいですか?」
「どうしてお前はそう極端なんだ!」
アレクサンドラの提案にクレマンが嘆きの声を上げる。
他にどうしろというのかと、むうと頬を膨らませた彼女に、彼はポケットから小さな宝石のついたネックレスを取り出した。
「これをつけろ。性別を偽れば、対象はマシだろう」
「これは……?」
掌に握らされたのはアレクサンドラの瞳と同じ色をした宝石が一粒あしらわれたネックレスだ。
夜でもわずかな光を集めてキラキラと輝く宝石には、魔法陣が刻まれているのが見て取れた。
「性別を反転させる魔道具だ。肌身離さず身につけて、男として振る舞え。名前も偽名を名乗れ。その二つを守るなら、お前の冒険者としての活動に目をつむろう」
クレマンの精一杯の譲歩に、アレクサンドラは目を輝かせる。
渡されたばかりのネックレスを大切に両手で握りしめて、こくこくと頷いた。
「はい、お兄様!」
「……使ってみろ」
目を細めたクレマンに促され、ネックレスを首からかける。
魔道具は総じて魔力を通すまでは効果を発揮しない。胸元に落ちてきた雫型の小さな宝石にアレクサンドラが魔力を通すと、途端にぴかりと宝石がきらめいた。
眩い光に目を細めた彼女は、光が収まったのでぱちぱちと瞬きをする。
なぜか頭二つ分はいつも見上げているクレマンの顔が視線の下にあった。
「?」
「身長まで変わるのか。ずいぶんな代物だ」
感心したように顎に手を当てて頷いているクレマンの言葉に、慌ててアレクサンドラは両手をみる。
そこには女性的な小さな手ではなく、筋張った男の両手があった。
手袋で隠していた剣だこがそのままなのが、ちょっとだけ嬉しい。
「すごいです!」
その場でくるくると回りながら自分の姿を確認する。鏡がないのがもったいない。
身長は男らしく伸び、長かった髪は短くなり、洋服まで変わっている。
「お兄様、これは珍しい魔道具なのでは?」
「喋り方も改めろ。違和感しかない」
「わかった」
問いへの答えより渋面を返されて一つ頷く。
男らしい喋り方となると、誰を想起すればいいのか。
元婚約者フェルナンドは物腰が柔らかすぎて冒険者に向いていない。
兄クレマンは礼儀正しすぎてこれまた冒険者らしくない。
結果、彼女は愛読書の冒険譚の主人公を真似することに決めた。
「その魔道具はある方からの差し入れだ。くれぐれも壊さないように」
「は……わかった」
癖で「はい」と答えそうになって、慌てて言葉を変える。
できるだけ凛々しい表情を意識して一つ頷いた彼女に、クレマンは仕方ないな、と言わんばかりに表情を緩めた。
「期限は次の婚約が見つかるまで。お前は腐っても伯爵令嬢だからな」
「ああ」
少し無愛想な相槌は冒険譚の主人公の答え方だ。
(期限があるのは仕方ないわ。婚約破棄をされた伯爵令嬢がいつまでもふらふらしていては、いらぬ噂がたつし、家に悪影響だから)
「夜は必ず屋敷に戻ってくること」
「了解した」
「朝の食事は今まで通り家族で食べること」
「わかった」
「男装は決して――誰にも言わないこと」
「もちろんだ」
そこまで言い含めて、クレマンが笑う。 眉を寄せた少し困ったような笑み。
昔から、妹に甘い兄であるクレマンは、こうやってアレクサンドラの我儘を聞いてくれた。
「冒険は、明日からだ」
「ああ!」
今日はもう夜も遅い。釘を刺されたアレクサンドラは魔道具を解除して女性の姿に戻って、クレマンと共に屋敷へと回れ右をすることにした。
(明日から憧れの冒険者! 頑張るわよ!!)
お金でも名声でもなく。ただ、胸躍るような冒険がしたい。
わくわくとした表情を隠しもせず、その日アレクサンドラはぐっすりと眠って翌日に備えるのだった。
▽▲▽▲▽
王宮の王太子に充てられる執務室にて。クレマンは癖で眼鏡をくいっと持ち上げて、昨晩の出来事の報告をしていた。
「殿下、お心遣いありがとうございます。無事、妹は魔道具で男装して冒険者として活動を始めました」
「ふふ、それはなによりだ。アレクサンドラ嬢は喜んでくれたか?」
執務室で宛がわれた政務の処理をしながら、小さく笑ったのはクレマンを右腕として信頼している彼より二つ年下の王太子ジェロム・コンスタンだ。
「それはもう。浮かれ散らしています。……妹があそこまで喜ぶ姿は初めて見たかもしれません。ずいぶんと我慢を強いてきましたから」
「あの子は昔から体を動かすのが好きだったものな」
くすくすと楽しげに笑うジェロムに、けれどクレマンは眉を潜めてしまう。
「しかし、本気ですか。殿下」
「ああ。俺は本気だとも」
二人の間でだけ成立する言葉を口にして、彼は最後の一枚にサインして豪奢な椅子から立ち上がる。
「さて、俺も『冒険者』になるとするか」
そう告げて心底嬉しそうに笑いながら、城下に視察に行く際に愛用している姿を変える魔道具を手に取ったジェロムに、クレマンは浅く息を吐くにとどめた。
▽▲▽▲▽
少しさび付いた扉を押す。外界と隔てるための木でできた扉は、鈍い音を立てて開いた。
時刻は夕暮れ。
冒険者が集まる居酒屋では、一日の健闘をたたえて、男たちが好き好きに酒を煽っている。
わずかに女性冒険者の姿もあったが、圧倒的に少数だ。
(彼女を男装させて正解だったな)
くるりと室内を見回したジェロムは、座っていても目立つ長身と華やかな空気に小さく笑みをこぼした。
一人端の席で端整な顔に似合わず、がつがつと肉を豪快に食べている。
「ここは開いているか?」
「もぐ……どうぞ!」
口の中のものを飲み込んで、にこりと笑った青年にジェロムも笑い返す。
席に座った彼は目の前の青年が飲んでいるのがジュースであることを確認した後、自身は酒を注文した。
「みない顔だな」
「新入りだよ。最近、冒険者になったんだ」
「なるほど。単独で依頼を受けているのか?」
「ああ。仲間が欲しいんだが、声をかけても断られるんだ」
先ほどまでの快活な様子から一転、がくりと肩を落とす姿が愛らしい。
くすりと笑ってジェロムは届いた酒を一口飲む。雑味の混ざった酷い味だ。
だが、場の雰囲気と合わせると悪くないと思えた。
「じゃあ、俺と組まないか。俺はジェーム」
「! いいのか?! 俺はアレクだ!」
アレクサンドラは男装した姿で『アレク』と名乗っているらしい。
そのままだな、と笑みをこぼして、ジェロムは酒をテーブルに置いて手を差し出す。
「よろしく、アレク」
「ああ!」
ぱっと顔を輝かせる姿は、やっぱり愛らしい。
性別が変わっても、彼女の天真爛漫な笑みには癒される。
そんなことを内心で考えながらも表情は変えないまま、ジェームと名乗ったジェロムは笑った。
ジェロムは恋をしている。相手は伯爵令嬢で、彼女には公爵子息の婚約者がいた。
生まれるのと同時に結ばれた婚約だったと聞く。
だが、貴族の間ではさして珍しいことでもない。
両親が親しくて、子供の意思に関係なく婚約を結ばれるケースは稀ではあるが、それ以外の例えば利害の一致で生まれる前から婚約が決まっていることなど多々ある。
ジェロムが恋に落ちたのは、アレクサンドラが王妃主催のお茶会に母親に連れられてやってきた時だ。
婚約者がいる、いないに関わずジェロムと年の近い令嬢が集められたお茶会だった。
当時ジェロムは七歳で、彼女は五歳。集められた令嬢たちは上は十歳、下は三歳と幅広かった。
国中の令嬢が集められたと記憶している。婚約者がいる令嬢まで集めた王妃の真意は知らないが、ずいぶんとたくさんの令嬢が集まった。
誰もかれもがジェロムに気に入られようと媚びを売った。それこそ、婚約者がいる令嬢も。
だが、その中で唯一彼に興味を示さず、端で蝶を視線で追いかけていたのがアレクサンドラだった。
その時点で、興味をひかれた。
お茶会の後、「お気に入りの子はできた?」と聞いてきた王妃に、ジェロムは「いない」と答えたけれど、内心では彼女のことが気になって仕方なかった。
王妃に嘘をついたのは、彼が素直に彼女が気になるといえば、アレクサンドラの意思を無視した婚約が結ばれると理解してたためだ。
その後、通った貴族学園で彼女の兄クレマンと出会う。彼は優秀な男で、伯爵令息という立場に甘んじさせるのがもったいないと感じられた。
妹馬鹿のクレマンを通じて、アレクサンドラの話を色々と聞くたびに、興味はますます深くなっていった。
そのあと、二年遅れでクレマンが卒業した翌年に入学してきたアレクサンドラは、けれど話に聞いていたお転婆娘とは全く違う楚々とした令嬢であった。
(違和感がすごかったな)
クレマンは一体何をいていたのだろうと不思議に思って、彼女を観察した。
婚約者のフェルナンドの前ではより一層お淑やかに振舞うアレクサンドラは、しかし一人になるとずいぶんと奔放な少女だった。
木に登って木の上で転寝をしてみたり、人目を避けて木の棒を振り回していたり。
兄のクレマンの前では屈託なく笑う姿を盗み見た時が、恋に落ちた瞬間だったかもしれない。
王太子であるジェロムにとって、令嬢とは等しく大人しく自身の意見を口にせず、ただ彼に媚びへつらう存在でしかなかったのだ。
(新鮮だったな)
クレマンを通じて送った異国の菓子を大胆に口に含んで美味しいと笑う姿や、人目を避けながら屋敷で剣術の練習をしている姿、たまに平民の服を着て嬉しそうに笑っている姿を見るのが、楽しみだった。
魔道具を使った盗み見なので、クレマンにも話していないけれど。
だから、婚約が破棄されたとき、チャンスだと思った。これで堂々と彼女に近づける。とはいえ、公爵令息の婚約破棄を未練ひとつ見せずに頷いたアレクサンドラに、直球で求婚しても頷いてもらえるとは思えなかった。
(一度は冒険者をやらせて満足させておかなければ、次の段階には進めない)
そう判断して、ならばと国宝の性別反転の魔道具をクレマンに託した。
可憐な少女の姿で冒険者をされては、要らぬ虫がつく。その点、男の姿ならいくらかマシだと判断した。
妹を溺愛しているクレマンは喜んで彼女に魔道具を渡してくれて、彼の言葉を疑うことなくアレクサンドラは男装して冒険者となった。
偽名を使って近づいて、一緒に冒険者として活動し、仲を深める。
頃合いを見図らって、求婚するつもりでいた。
なのに、こんな展開は。
(想定していない……!)
ギリ、と奥歯を噛みしめて、ジェロムは先ほどアレクサンドラが賊から助けたフェルナンドに「私の側近となれ!!」と口説かれ――いや、命令されているのを、苦々しく見つめていた。
▽▲▽▲▽
(困ったわね……)
アレクサンドラの目の前には、彼女が『彼』になっていることに気づいていないフェルナンドが、今までに見たことのない高揚した表情で、延々と自身の側近になるメリットを説いている。
そもそもの発端は、郊外から少し歩いた小さな森で魔物退治をジェームと一緒に行って日が暮れる前に冒険者ギルドに戻ろうと街道を歩いていたときだ。
王都まで歩けば三十分という場所で、明らかに貴族の馬車が盗賊に襲われていた。
見殺しにするなどという選択肢があるはずもなく、飛び出したアレクサンドラはジェームと協力して盗賊を捕縛したのだが、その後が問題だ。
(馬車の公爵家の文様が見えていれば……いや、助けたと思うけれど)
目の前で公爵家に仕える騎士になるメリットを喋り続けるフェルナンドに、ため息を吐き出したいのをこらえる。
伯爵令嬢であることを隠している今、ただのアレクがそんな態度をとれば、不敬罪でこちらの首が飛んでしまう。
ほとほと困り果てていると、それまで黙っていたジェームが口を開いた。
「貴族様、その辺にされてください。私たちは流れの冒険者です。ひとところには留まれないのです」
実際のところ、アレクサンドラの拠点は王都であるし、それ以外の街で活動する予定はないが、ここは嘘も方便だ。
こくこくと頷いた彼女に対し、不快感を露わにしてフェルナンドがぴしゃりと言い放った。
「貴様には話しておらん!」
ぐいっと手を掴まれる。アレクサンドラの男性としての手を掴んだフェルナンドはきらきらと瞳を輝かせて、興奮交じりにさらに喋りだす。
「お前の働き、見事であった! 舞を舞うかのような華麗な剣裁きは、一介の冒険者にしておくには惜しすぎる。私の傍にいれば、権力も金も女も思いのままだぞ!」
「そういうのに興味がなくて」
やんわりと断っても、フェルナンドは諦める様子がない。そもそも、アレクという一時的に許された偽装の姿では、どんなに魅力的な報酬を提示されても頷けない。
そんな彼女の心境などいざ知らず、彼はさらに言葉を重ねてくる。
「では、土地をやろう。いずれ私が公爵の地位を継いだ時に、領地の一部を下賜してやる!」
「それは王国の法に触れるのでは」
「そんなものどうとでもなる!」
(ばれたら私の首が飛びますが?!)
フェルナンドは一つのものに執着しない淡白な男だと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
婚約者だったころに見たことのない一面に戸惑うアレクサンドラの前で、ますます彼はヒートアップしていく。
「なにがほしい? ほしいものはすべてやろう!」
(一番は離してほしいけれど)
さすがにそれを口に出せばもめるのもわかっている。
どうしたものかと助けを求めて相方のジェームを見ると、彼はすっかり眉を潜めていた。
険しい表情でため息を吐きだして、常に身に着けている腕輪に手をかける。
(あれ? ジェームの魔力の流れが)
可笑しい。気づいたアレクサンドラが疑問の声を上げるより早く、彼は腕輪をとった。
髪の色が変わり、目の色も変わる。瞬きの間に別人になったジェームは、なぜかこの国の王太子ジェロムと瓜二つの姿をしていた。
身に着けている服装も、冒険者としての者から、王太子として相応しい気品あるものへ変化している。
「ジェロム様……?!」
驚いたアレクサンドラは慌ててその場に膝を折る。跪いてから、しまった、と思った。
一介の冒険者が王太子の顔を知っているはずがない。咄嗟に貴族としての礼儀が前に出た。
一方で、唖然とした表情でぱかりと間抜けに口を開けているのは先ほどまでジェロムを散々にないがしろにしていたフェルナンドだ。
「悪いが、これは俺のものだ」
そう口にして、ジェロムがアレクサンドラの肩に触れる。そっと顔を上げた彼女に淡く微笑んでくれた。
「いますぐ姿を消すなら、不敬は問うまい」
「っ! 失礼いたします!!」
慌てて馬車に乗り込んだフェルナンドはそのまま御者に命令して去って行った。
残されたのは、状況が把握できないアレクサンドラと魔道具での変装を解いたジェロムだけだ。
「アレク」
「っ! はい!」
「俺は君の正体を知っている」
「?!」
大きく目を見開いた彼女の前に、ジェロムが膝を折る。
アレクサンドラとは違い、服装はそのままだ。王太子が冒険者の格好をしている姿は、とても違和感があった。
「騙していてすまない。君の信頼を勝ち取ったら、正体を明かすつもりだった」
そっと頬に触れられる。驚きすぎて声が出ない彼女の首の後ろに手を回して、ネックレスを外した。
「あっ」
魔道具での魔法が解け、その場に『アレク』から『アレクサンドラ』が現れる。
冒険者としての汚れても大丈夫な格好から、姿を変える直前まで身にまとっていたドレス姿になった彼女に、ジェロムが笑いかける。
「ああ、男の姿も素敵だったが、やはり君は女性の姿の方が魅力的だ」
甘やかな笑み。明らかに特別だと伝えてくる表情に、彼女の頬に朱が昇る。
「殿下、なぜ……」
「君が好きだったからだ。回りくどい手を取ったことは謝罪しよう。だが、王太子として求婚しても、君の心は手に入らないと思ったんだ」
「それは」
その通りだった。王太子からの婚約の打診があれば、伯爵令嬢のアレクサンドラは断れない。
大人しく婚約を結ぶしかなく、彼女は唯々諾々と彼の婚約者――未来の王太子妃に収まっただろう。
「俺が欲しかったのは、君の心だった。共に冒険者として苦楽を共にすれば、あるは、と思った」
真摯な眼差しが彼女を射抜いている。
アレクサンドラを思って、あえて回り道をしてくれたのだと告げる。その気遣いが、なにより嬉しい。
「本来、王太子の求婚の場として、ここは相応しくない。――だが、君はこういうほうが好きだろう?」
彼女の全てを知っているといわんばかりの言葉に、ますますアレクサンドラの胸を驚愕が占める。
ネックレスを片手で握りしめ、もう片方の手で先ほどのように再び頬に触れる。
「ここなら、見ているものもいない。嫌なら断ってくれ。――俺の婚約者になってはくれないか」
真剣に紡がれた愛の言葉に、アレクサンドラは視線を伏せる。
思い出すのは、相棒として過ごした一か月。
様々な苦難を共にした。きっと、彼女が傍で見た一か月の姿に嘘はない。
ジェロムの言葉に裏はないと断言できる。
だからこそ、迷う。自分でいいのかと。すべてをさらけ出して笑いあったからこそ、戸惑うのだ。
「私、全然貴族令嬢らしくないんです」
「知ってる」
「ピアノや刺繍やお茶会より、冒険の方が好きなんです」
「ああ」
「王太子妃が、務まるでしょうか……」
貴族令嬢の教育と王太子妃として必要な技能は似て非なるものだ。
悄然と肩を落としたアレクサンドラは、ふいに襲い掛かってきた浮遊感に驚いて「きゃあ」と声を上げた。
ジェロムが彼女を抱き上げたのだ。アレクのときのように視線が高くなって、思わず彼の首に手を回す。
「俺にはイエスの返事に聞こえたが!」
心底嬉しそうに笑うジェロムに、アレクサンドラは目を見開いた。
確かに、嫌だという感情は心のどこにもない。なら、するべきことは一つ。
冒険者に憧れる型破りな令嬢だけあって、彼女の決断は早い。
「殿下!」
「ああ」
まっすぐにジェロムの本来の色を宿した瞳を見つめる。
魔道具の格となる魔石よりきらきらと輝く瞳には、希望だけが詰め込まれていた。
「私、お転婆です!」
「そうだな」
「殿下と一緒の冒険、すごく楽しかったんです!」
「俺もだ」
「だから、だから」
すっと息を吐いて、満面の笑みで笑う。お淑やかな令嬢の仮面は、彼の前には必要ない。
「殿下と一緒に、また冒険がしたいです!」
それが、彼女なりの了承の返事。
アレクサンドラらしい実に破天荒な婚約受諾の返答に、ジェロムは大きな声で笑う。王太子に相応しくない、豪快な『ジェーム』の笑い方。
「ははっ! ああ! 俺もまた君と冒険がしたい! 君と一緒なら、どこにだっていける!!」
それもまた、彼なりの大丈夫の言葉だ。
二人はひとしきり笑いあった後、こつんと額と額をくっつける。
お互いだけを瞳に写して王都の外の広大な街道で、王太子と伯爵令嬢は誓いのキスをした。
それは、二人だけの秘密。
時代の王と王妃の、二人だけが知る馴れ初めの話。
読んでいただき、ありがとうございます!
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面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
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