第1話 死人となったおっさんは、砂漠で美少女と出会う
世界は核の炎に包まれた。
そう言葉にしてしまうととてもチープに聞こえるが、起きてしまったものは仕方がない。
誰もが皆そんなことは起きないと思っていた。
思っていたからこそ日常を生きていけた。
普通の会社員としての生活を送って行けた。
だが、起きてしまった。
仕方がない。
世界中に一万発もの核爆弾があるのだ。それを使えば世界が滅びることになると知っていても、あるものはあるし、使う人間は使う。
倫理観がぶっ壊れた人間は70億だか80億だかの人間のうち一人ぐらいはいる。
別に世界が滅んでも構わないと思っているバカか、世界がメチャクチャになるとしてもワンチャン自分の国だけはどうにかなると思っているアホか。
とにかく、誰かが引き金を引いて、連鎖的に他の人間も引き金を引く、「相互確証破壊(一方が核攻撃を仕掛けても、もう一方が報復する能力を持っているため、結果として双方が壊滅的な被害を受けるという状態)」は起きた。
そしてはた迷惑なことに、俺の生活は一変した。
普通の木っ端システムエンジニアとして細々と暮らしていた俺は、会社を吹き飛ばされて、ついでに妻も放射線にやられて、世界が滅んだおかげで法律が機能せずに娘も人さらいに攫われた。
天涯孤独。
瓦礫まみれ、放射能まみれの世界で———それでも俺は生きていく。
須藤鍵起、35歳、男性、現在独身、職業:拾い屋として———。
◆
「ふぅ……」
大きなひし形の瓦礫を投げ飛ばして、俺は一息つく。
旧茨城県にあるとある技術研究施設にて。
そこにはただ崩れた建物と放棄された、使用方法も良くわからない機械ばかりが転がる廃墟のような場所で、ひたすら瓦礫を手にしては投げて、手にしては投げてを繰り返していた。
「旦那のお仕事も大変でやんすね」
バギーカーに乗っている宇宙服のような防護服に身を包んだ男が言う。。
ここまで俺を運搬してきた運び屋の男だ。
「もっとも……大変じゃない仕事なんて今はないでしょうが」
昔は彼も株取引で儲けていた、相当な金持ちだったらしいが今はしがない危険地域運搬屋として生計を立てている。
「核ミサイルが各地に落ちたおかげで様々な機械が動かなくなった。核爆発が発する高強度の電磁波はコンピューターの内部機器を貫き、プログラムを滅茶苦茶にする。おかげでほとんどの機械が鉄くずになり、社会が崩壊したが、崩壊したのならまた作ればいい」
俺は瓦礫に埋まったそこに緑色の板を発見する。
「何です? それ?」
運び屋が尋ねる。
「基盤だよ。パソコンの。見たことないのか?」
CPUチップがはめ込まれたパソコンの中枢機器。複雑な回路が書き込まれているその板は四隅が欠けていて、普段それを覆い隠しているはずの外枠も破壊されて粉々になっていた。
つまりは瓦礫に押しつぶされてむき出しの状態で放置されていた。
「ふぅん。でもそれ壊れているんでしょう? 核爆発による高電磁波ですべての精密機械は使えなくなったって聞きましたよ?」
「一度は、な。だけど、壊れた物は元に戻せばいい。他の部品と組み合わせればまたパソコンとして生まれ変わることができるかもしれないし、またネットで世界中の人間が繋がる世界が訪れるかもしれない」
「ふぅん。そんな世界、来ますかね? この終わってしまった世界で———」
運び屋が顔を横に向けるとそこにはどこまでも広がる砂漠が広がっていた。
真白の細かな砂粒が敷き詰められている死の海。
そんな光景がどこまでも広がっているのが、今の日本という国だった。
「イバラギ大砂漠。ミサイルが全ての環境を変えちまった。あんなにも緑豊かな土地だったのに。今はここは草木一本も生えないし、放射能が辺り一面に広がってやがる。旦那みたいな特別体質じゃないと来れませんよ」
運び屋は肩をすくめる。
彼の全身を覆っている宇宙服のようなものは放射線防護服だ。
この旧茨城技術研究所周辺はミサイルの落下地点から近く、非常に強い放射能被ばく地域となっていて、常人では放射線に体を貫かれて体細胞を破壊されてしまう。
そんな中で、俺は日よけのためのマントと、その下はシャツとズボンだけで来ている。
顔も手足も、肌色を外気に晒したままで———。
「俺は死人だから」
放射線に体を貫かれて、生存機能を破壊されて死んでいるはずの存在———それが俺、死人だ。
どう考えてもDNAを破壊されて骨が崩れて全身から血を流して死ぬはずなのに、生きている。
———放射能適応体質。
正しく定義するとそうなるらしい。
俺を研究する医者によると放射線で確かに一度体細胞は破壊されているだが、なぜか修復するはずがないその箇所が修復されているらしい。つまり、通常の人間では再生できないミクロな傷を再生することができる体質になっていた。
「まぁ、おかげでこんなジャンク品をあつめる拾い屋なんて仕事ができるんですがね」
「……へ!」
運び屋は皮肉めいて笑った。
彼はバギーカーに積んであるガイガーカウンターを手に取り、それが「ガガガガ!」とやかましい音を立てて針をメーターからふりきらせているのを確認し、ポイッと乱暴に助手席に投げ捨てた。
「旦那っていくつになります?」
唐突に運び屋が尋ねてきた。
「……? 今年で35になります」
「そうですか。私は49です。虚しいとは思いませんか?」
「虚しい?」
「会社員として生計を立てるために頑張って頑張って、税金を払って払って過ごしていたのに。こんな五年前の最終戦争で全てを失うことになって。挙句の果てには住む場所も奪われた。言いましたっけ? わたしゃあここいらに以前住んでいたんですよ」
運び屋がブンブンと手を振る。
「若い時分はただひたすらに働きづめで、恋人を作る時間すらない。それで歳をとってだいぶん賢くなって株に手を出して、運よく成功して金を手に入れることができたんですがね? 全てパーですわ!」
防護服のバイザーの下の顔はわからない。
ただ、相当にやけっぱちになっているのは伝わる。
「あんただってそうでしょう⁉ こうなる前も楽な生活じゃなかったはずです! あんただってそうでしょう⁉」
手で広がる砂漠を仰ぎ、まるで「見ろ!」とでも言うように運び屋は示す。
「……否定はしません。私の場合は妻も子供もいましたが、家族三人で暮らすのは決して楽な生活ではありませんでした。鬱病にもなりました」
「ほら見たことか! それなのに……それなのに……全部失って……何もない、家族も金も! 生きるって、人生って、現実って、こんなに虚しいもんなんですか!」
バンバンッと運び屋はバギーカーのハンドルを叩く。
彼は寂しいのだろう。
滅んだ世界ではろくに人に出会うこともない。そんな中で話を聞いてくれる人に遭遇して嬉しくて、感情を爆発させているのだろう。
こっちとしては「そうですね」としか言いようがない。
そんなに勝手に盛り上がられても反応に困る。
そう思い、彼から視線を外した時だった。
「…………え?」
肌色を———見た。
旧茨城技術研究所付近は先ほど述べたように被ばく地域である。
そこには防護服を着た人間か、人間以外、俺のような放射能に耐性がある人間しか入ることができない。普通の人間は細胞を壊され死んでしまう。
だが、女だ。
少女だ。
全裸の少女が茫然と、蜃気楼の幻のようにぽつねんと全身の肌を晒して立っていた。
「な……⁉」
幻ではない。
運び屋も見ている。
そのしなやかで柔らかそうで健康的な肌をまじまじと見ている。
12、3歳ぐらいだろうか。
ふくらみかけの胸の先にはつんと伸びた乳頭、乳首が見える。そしてその下には毛も生えていない割れ目が。
目が釘付けになってしまう。
「本物か?」
やっぱり幻ではないのかと彼女に近寄る。
逃げる様子はない。
ザッザと砂を踏みしめて彼女の前に立つと、ジッと大きな瞳で俺を見つめる。
ただ、ただ……見つめてくる。
「君は、誰だ? 名前は?」
日本人だろうか?
髪の毛の色は輝く緑色。そんな色の人種はいないので染めているのだろう。顔立ちは美人であるが頬のふくらみや眉毛の少しつり上がっている様子から、東洋人である雰囲気を感じる。アジアンビューティーという感じだ。
「名前……? ない」
たどたどしく彼女は答えた。
「ない? ないってことはないだろう。生まれてから一度も君のことを呼んだことがある人間がいないのか?」
その時に何らかの呼称が使われただろう。
どんな環境で、どんな世界で生きてきたとしても。
「呼ばれたことは、ある。だけどそれが名前かわからない」
いや、それこそが名前だろう。
「なんて呼ばれていたんだ?」
なるだけ優しいトーンで俺は彼女に尋ねた。
「———人形9000」
………変な名前。
というか、明らかに親がつけたものではない。自分でつけたか、友達がお遊びで付けたあだ名のようなものだろう。
「長いな。じゃあとりあえずナインって呼ぶぞ? ナインちゃん。君の親は?」
「旦那、旦那……!」
ドスドスと肩を突かれる。
いつの間にか、運び屋が俺の後ろに立っていた。
「何ですか———、」
振り返るとギョッとした。
彼の目が血走っていたからだ。
防護服のバイザーの奥に見えるその目がギラギラと光っていた。
少女を、俺がナインと呼んだ少女に目をくぎ付けにして、彼はこう言った。
「旦那。この少女、ここでレイプしましょう」