溶けていく紙飛行機
庭に飛ばした紙飛行機が池に落ちた。
書かれた文字は滲んでしまうのだろう。
金魚は白い異物に怯えさっと水底に沈んだかと思いきや、魚影はひとつ、ふたつと上がってきて、下からつんつんと飛行機をつついている。
私は何も言えないでいる。
金魚たちに、そっとしておいてあげなさいと言いたいのに。
彼に恐がらなくていいというべきなのに。
彼は身体中に言葉の詰まった人。
彼からの紙飛行機もいつも雄弁だった。
同様に、私の辞書にも言葉が潤沢にあると思っていたのに、今は一文字も見つからない。
これが彼からの最後の飛行機便。
「明日から緩和ケアに入ります」
紙は冷たい水に溶けていく。
私はそれを止められない。
時を戻すことも和らげてあげることもできないのだ。
やがてその13文字は金魚の身の一部になるのだろうか。
私はその金魚たちを眺めながら、独り余生を送る、しかない。
そこまで思って家に駆けこんだ。
黒い抽斗からパスポートを取り出す。
パソを立ち上げ直行便を予約する。
間に合う間に合わないの問題じゃない。
恐がっているのは私のほうだ。
奥様に迷惑かどうか、それも違う。
迷惑に、決まっているじゃないか。
ただの文通相手として実像は見せず、綺麗な思い出だけを持っていって欲しい?
それは私の願望だ。
私が出していた紙飛行機の宛先に、立つ。
私がするのはそれだけのこと。
会いたいか会いたくないか、会える状態か、もう手遅れか、それは彼が選んでくれる。
意識がないとしたら、それも彼の選択。
後は故国の冬の風に吹かれて、寂びれた神社でも訪ねながら涙を乾かし、戻ってこよう。
金魚と共に暮らしていくために。