仲良し女子大生二人、自ら「好き」とは言えなくて。
「んんっ……」
木洩れ陽に当たりながら、若原美紅は眠たげに唸る。
大学近辺のカフェテラスにて、遅めのランチを終えた彼女は、スマホにアラームをセットすると昼寝の準備を始める。
「美紅〜! お疲れ様だよぉ」
「ん……?」
身体を休めようとした瞬間、耳元に入ったノイズに刺激された美紅は、再び顔を上げる。
話しかけてきたのは、大学入学してからすぐにできた同じ学部の親友、志倉小梅だった。
「んー、あれ? あなたって今日授業あったかしら?」
親友である二人はお互いの履修登録を知っている。
美紅は経済学科を選択しており、経済デザイン学科の小梅とは殆ど同じ授業を受けるものの、多少の違いがあった。
「ううん。ミクロ経済学は消したからね、暇ぞ~!」
若干、なぜか空元気にも見える小梅。
彼女が今更後悔し始めたのだと、美紅は悟った。
「将来役に立つかもしれないのに……で、今日はどうしたの? 図書館ならあっちよ」
「ちょっと〜! 小梅がそんな真面目に見える!?」
美紅は首を振った。
インナーカラーをピンクに染め、耳にピアスを数個付けた小梅の外見から、そう捉えるのは無理な話である。
小梅は勉強するために大学へ入ったわけではない。以前にそんなことを聞いた美紅は、つい彼女が改心したのかと思ったが、期待外れだったらしい。
しかし授業のない日に大学へ来るなんて、それこそ図書館くらいだろうと思っていた美紅は首をかしげる。
「今日はその……家じゃ落ち着かなくて……」
つまり何か用事があった訳ではなく、気分転換に大学まで来たらしい。
けれど、それだけで美紅の疑問は解消されなかった。
「あなた一人暮らしじゃない。……あぁ、そういえば今は彼氏さんの家に住み込みだったかしら」
目を擦りながら、美紅は最近の小梅の事情について思い出す。
すなわち彼女の言う『家』とは同棲している彼氏の家のことだろう。
家にいたくないとすると、小梅と彼氏との間に何か諍いがあったのだろうと、美紅は察する。
すると少し歯がゆそうな顔をする小梅がボソッと呟いた。
「もぅ彼氏なんていないし……」
「えっ……?」
「あ、あはは……実はちょっと前に別れちゃったんだぁ。というか、小梅が振られちゃったんだけど……」
途端に萎んでいく小梅の声。
空元気に見えたのは美紅の気のせいではなかったらしい。
「そう……私、彼氏なんていたことすらないから、あなたの気持ちよくわからないわ」
美紅はドライに言い返す。
女子大生にもなって彼氏の一人もできたことのない処女なんて……と、謎のステータスでマウントを取られて以来、美紅は男女の恋愛に対してあまり肯定的じゃない。
「わからないけどっ……んっ、じゃあ気分転換する? 私でよければ付き合うわよ」
だが、こういう時の美紅の行動は決まっていた。
テーブルに放置していたノーパソとメモ帳を鞄に閉まい、背筋を伸ばしながら立ち上がる。
「いいの……!?」
「当然よ。こういう時はめいっぱい遊んで、お酒呑んで忘れるに限るんだから」
「……じゃ、じゃあ付き合ってね? 絶対だからね?」
そう言いながら、小梅はさっそくスマホを弄って、エンスタの画面を見せる。
切り替えが早かった。今度は空元気じゃない、本当にいつもの小梅そのものである。
そんな彼女の姿に、美紅はそっと胸を撫で下ろした。
「ここはどう? あ、あとここも行きたいなぁ。美紅はどっちがいい?」
「どっちも駅周辺だしどっちも行けばいいじゃない」
「それは、ぅん。……って、なんで場所知ってるの?」
「あなた前にもそこ行きたいって言ってたわよ」
「えぇっ本当!? 美紅ってほんと記憶力いいなぁ」
どうやら小梅は忘れていたらしいが、実は以前に小梅が彼氏と一緒に行きたいと美紅に告げていた店の一つだった。
ゆえに、美紅も印象に残っていたのである。
「じゃあ、こことこことここねっ! 美紅、ほんとに夜まで時間あるんだよね」
「大丈夫よ。私も久しぶりに贅沢したい気分だもの」
「やたっ!」
美紅にとってはお昼を食べたばかりだ。小梅は気付いていない様子だが、美紅もまた敢えて言おうとはしなかった。
午後三時に女の子が食べるスイーツは、決まって別腹になのだから。
***
宵の風が肌寒く感じる頃、二人は近所では穴場だというバーの席へ着いた。
女子大生にしては少し背伸びをしてチャージ代が千円程度したが、その分か店内は物静かで悪くない雰囲気である。
「小梅さぁ、このままじゃ太っちゃうかも。どうしよ〜」
外では身体を震わせていた小梅が、ほんのり顔を赤らめながらそう呟いた。
美紅と違ってあまりお酒を飲まない彼女だが、ロゼワインをごくごくと飲んでいる。
アルコールに弱いだけで、彼女は辛い酒が好物らしい。
「……でも全部行って良かったわね」
普段身体をあまり動かさないせいか、美紅としては疲労が溜まっているものの、その言葉は本心だった。
小梅がテンションを取り戻していることからも、彼女が付き添った甲斐はあっただろう。
「ほんと? 美紅も同じ気持ち? だよねだよね〜……あ、エンスタに投稿しとかなきゃ」
そう言いながら白身魚のカルパッチョをひとつまみする小梅。
太ってしまうとわかっていながら、彼女は欲望に勝てないらしい。そんな豪胆さもさながら驚くべきはその胃の強さである。
「やっぱり小梅はこれが一番美味しかったかなぁ。映えもいいし、また今度行こ?」
そう言って今しがたエンスタにアップロードした投稿画面を見せてくる。
紫陽花を意識してデザインされたブルーベリーのタルトだった。
最後に行ったスイーツ店だったため、美紅はその種類を一つしか食べることができなかった。
他にも同店のナポレオンパイや黄桃のローズタルトには目を惹かれていたため、美紅にとっては願ってもない提案だった。
「いいわね。……で、気分転換にはなったかしら」
「うんっ! もぅ悩んでたこと、どうでもよくなっちゃった」
小梅が頬杖を付くと、軽くウェーブのかかった後れ毛が垂れる。
自然な仕草に加えじっと目を合わせてくる瞳に、美紅の胸が無自覚に熱くなっていった。
「なら良かったじゃない」
「うん。もぅ次の恋を探そうと思って……」
そんな言葉に、美紅は息を呑んだ。
小梅が吹っ切れたのは、元カレを忘れたからではなく、次を意識しているから。
恋愛に興味がないと公言している美紅からしても、小梅の思考、在り方は羨ましいと思わされたのである。
「ねぇ、どうして小梅、振られたと思う? 小梅、これでも結構可愛い自覚があるんだけど」
「もう元カレのことは忘れたんじゃないの?」
「自分のダメなところがわからないと、不安じゃん。振られるって、ショックなんだよ?」
美紅にはわからないかもしれないけど、という余計な言葉は続かなかった。
とうに酔い始めているのか、今の小梅はかなり饒舌である。
「性格が合わなかっただけかもしれないわよ」
「だったら付き合うまでいかなくない?」
小梅が元カレと出会ったのは、マッチングアプリがキッカケだと聞いている。
どういったやり取りの末に付き合うことになったのか、美紅には想像も付かず、押し黙ってしまう。
「多分ね、小梅自身、これが原因かな〜ってのはあるんだよ」
「そうなの?」
「うん。でも言うのは恥ずかしいかも。どうしよ〜かなぁ」
小梅の物言いからして、美紅の知らない彼女の秘密なのだろう。
からかうように首を揺らす小梅に対して、美紅は柔和な態度で呟く。
「別に、小梅にどんな秘密があっても驚かないわよ」
「ほんと〜?」
「本当よ。何年一緒だと思ってるのよ」
「いやたったの二年じゃない?」
「あなたが元カレと過ごした時間より多いじゃない」
「……何それ。急に格好いいこと言うじゃん」
美紅は言い返された言葉に対して、手で口を抑える。
彼女もまた酔いが回っているのか、余計なことを言ってしまったと顔を朱色に染め上げる。
「小梅さ、元カレのこと女装させてたんだよ」
「ん……?」
「デートする度に女装させて遊んでたから、それが振られた原因かなぁって」
「はい?」
顔を逸らしたや否や語られた小梅の秘密に、美紅は目を丸くする。
小梅にそんな性的嗜好があろうとは、夢にも思っていなかった。
「だからぁ、小梅って可愛いもの大好きな訳で、我慢できなくなるタイプなの。知ってるでしょ」
「な、なるほど……デコレーションしてあげたのね」
「そそっ! やっぱり美紅は話わかるなぁ」
美紅はホッとしていた。
小梅の秘密は驚いたものの、気になっていたのは男子に女装させるのが趣味なのか、単に女性らしいファッションに糸目を付けないだけなのか。
彼女の性格からして、後者の可能性を強く追っていた美紅としては、次第に距離が近くなっていくような感覚を覚えていた。
「良かった。美紅に話して」
「何よ。友達なんだから、遠慮しなくていいのよ?」
「……友達、ね。でもでもっ、美紅ってケッコー堅苦しいとこあるし!」
ムッと表情で訴える美紅。されど目を細めて微笑む小梅を見て、敢えて口にする。
「そんな自覚はないんだけど」
「ほら、大学で話しかけた時だって、小梅のこと不審がっていたじゃん」
「それは……あなたのことを心配していたのよ」
「えぇ、うそぉ?」
「妙に空元気だったから、何かあったのかもって思うのは当然じゃない」
自然な応対。そう思っている美紅としては、どうしてそこで小梅に疑われたのかわからない。
対する小梅はしばし黙り込み、やがて口を開いた。
「……ねぇ」
「何よ。酔って変なこと言ってないわよ」
「もしかして美紅って、男性との恋愛に興味ないだけでさ、女の子には興味ないの?」
美紅は手に持っていたカトラリーを、つい食器に落としてしまった。
指に力が入らなかったのは、心臓の鼓動だけに意識が持っていかれていたからである。
そんなにもドキドキッと波打つのは、小梅の言葉の意図を読み迷っていたからである。
何しろお酒のせいで上手く頭が回らない。
もしかしたら小梅が自分と同類なのかもしれないという、美紅からすれば夢かもしれない希望に昂る。
同時に、自分の思い込みかもしれないという不安が押し寄せ、感情が波引きするように入れ替わった。
「どうして、そう思うの?」
「えっ? あー、どうして……かぁ。うーんっ、これは小梅の純粋な……なんて言うんだろね。頭まわんない」
純粋な……そこから続く言葉を知りたいのだと、美紅は気付けば小梅の手を掴んでいた。
美紅の感情はもぅぐちゃぐちゃで、今まで押し殺していた本心を投げ打つには、勇気なんていらなかった。
「私が女の子を好きだったら、小梅は何か困るの?」
「えっとね……ぅん」
「……どうして?」
「だって、小梅のダメなところ、女の子相手だったらなくなるじゃん」
小梅が次の相手を探そうとした時、不安に思っていたこと。
女の子相手ならわざわざ女装させる必要もない。
「なら、何も困らないわね」
「……ぅん。だね」
小梅も美紅も、次の言葉を口に出せなかった。
どころか、お互いの顔を見ることすら、なぜか気まずくなってしまった。
沈黙の中で、カトラリーの小さな音だけが二人でいる空間を意識させる。
「ねぇ……」
やがて沈黙を破ったのは美紅だった。
「どうして今日、大学来たの?」
今日の出会い頭にした問いかけに似た質問を、美紅は再び投げかけた。
後から思い返せば、あの時の小梅は変だった。
この質問に対して、小梅は家にいるのが落ち着かないと答えた。
美紅は、彼女が同棲している彼氏の家に居づらくなったのだと解釈した。
けれど、既に小梅は彼氏と別れているのだし、今は元の一人暮らしに戻った後のはずである。
では家にいるのが落ち着かないとは何だったのか、わざわざ大学に来た理由は?
答えは、最初からそこにあった。
「……美紅に話を聞いてほしくて――」
「それだけ?」
「あわよくば……こうしてもらいたかったから」
気付けば、二人の肩がぶつかった。
流れるように小梅が頭を寄せ、そっと美紅の指先を撫でる。
甘えたタッチに対し、美紅は完全に理性を失ってしまった。
遠い方の手で小梅の指を奪い取った彼女は、そのまま小梅の腰へと腕を回し引き寄せる。
「顔、近いね」
「ぅん」
再び目が合った瞬間、お互いが引き寄せられるように唇を重ねた。
この日、二人は友達をやめた。