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後編

アンドリューはそれまで堪能していた女の柔肌に別れを告げ、父の呼び出しに応えるべく王宮内を進んでいた。

父から呼び出された理由はアマンダのことだろうと彼は理解していた。

しかし焦りなど微塵も見せることなく、気だるげな雰囲気を隠さぬまま、彼は王の私室へと入っていった。


「フルーゲルス侯爵令嬢との婚約を勝手に破棄したそうだな。お前は分かっているのか?彼女が後ろ楯になるからこそ、お前は王位継承権を確かなものにしているのだぞ」


不機嫌そうに王は息子にそう言い放った。

アマンダとアンドリューの婚約は、アンドリューの地位を確かなものにすべく、既に才能の片鱗を見せていたアマンダを未来の王妃とするために王が魔女まで手配して整えたものだった。

それを見た目と体だけの娘のために破棄したのだ。王は静かに怒っていた。


「それがあんな見た目しか取り柄のない娘を選ぶとはどういうことだ?王位継承権を自ら投げ捨てる気か?」


そんな父親に向かって、アンドリューは世間話でもするように、軽くこう答えた。


「もちろん、そのようなつもりはありません。アマンダとは確かに婚約解消をしました。しかし、彼女は未だ俺の言いなりです。リナでは足りない部分を補わせるために、アマンダを側妃に迎え、公務など必要なことはあいつにさせます」


「どういうことだ?例の呪いは婚約者であればこそ有効になるものだったはずだ」


驚く父親に彼はこう説明を続けた。


「再び呪いをかけ直したのですよ。今のアマンダは俺に心から惚れ込み、言葉に従うようになっております。そして愛する俺のために側妃になるよう命じております。父上が懸念されるようなことはなく、あいつはこれからも変わらず俺に尽くし続けます」


「……本当なのだろうな?」


「呪いをかけた魔女や俺の侍従に確認してください。彼らも誓いを聞いています。アマンダが俺の側にいれば、侯爵家の後ろ楯もそのままで、むしろ力を付けすぎつつあるフルーゲルス家を牽制することもできます」


「そしてお前は好みの女を妻として側に置ける、か」


「ええ。何も問題はないでしょう?アマンダには俺とリナの真実の愛に感銘を受けて、自ら身を引いたと言わせます。正妻ではなくなるが、愛する俺を支えたくて側妃になるとも。そうすればアマンダを支持する貴族どもも彼女の選択ならばと黙るでしょう」


息子が得意気に語る言葉を聞きながら、王はしばし考えを巡らせた。

学園のパーティーでの発言は既に広まりつつあると聞いている。変に揉み消すより、息子の惚れ込んだ庶民上がりの娘を一度は認め、もしその能力が足りなければ理由を付けて切る方がいいかと考えた。

もし娘が王妃と振る舞うに足る存在ならアマンダに彼女を支えさせればいいし、足りぬならその娘を切り、息子にアマンダに側妃ではなく正妻になれと言わせればいい。

アマンダが未だ息子の言いなりならば、それが可能だと王は考えた。


今さらアマンダを元の地位に戻す方が問題が多そうであった。そのため、王はため息をついた後に、息子にこれだけを告げた。


「お前の決めた娘に最低限のマナーだけは叩き込んでおけ。それが条件だ」


「父上、ありがとうございます。もちろん、少なくとも目に見えるところだけは取り繕えるようリナには教育を受けさせます」


「それから側妃として婚約をするにしても私の承認が必要だ。近々フルーゲルス侯爵令嬢を伴い私のもとに来るように。それが確認できればお前の妃となる娘との婚約も書面で認めてやろう」


「分かりました。すぐにでもアマンダを王宮に呼びつけます」




その三日後、アマンダはアンドリューからの命を受け、父親を伴って王宮を訪れていた。アンドリューに会えるということで、頬を染めソワソワとしている姿は、婚約者であった頃のアマンダと全く変わらぬものであった。


謁見の間に案内されたアマンダは、アンドリューを視界に入れるなり、蕩けるような微笑みをさらに深めた。

そんな彼女を一瞥した王は、アマンダと彼女の父親に向かってこう話し出した。


「此度の正妻としての婚約解消と、側妃として新たに契約を結ぶ件について、フルーゲルス侯爵令嬢、君も納得をしているのは相違ないな」


柔かな笑みを浮かべたまま、アマンダは朗かな声でこう答えた。


「私はアンドリュー殿下のリナ様との真実の愛に感銘を受けました。私にとって殿下のお幸せが何より一番であるため、私は身を引くことに致しました。正妻としての婚約を解消する書類はこの通り整えております」


侍従を介して手渡された書面を王は確認した。双方の合意により婚約を解消するという書面は、後は王の承認を待つばかりであった。

未だ腹の中で消化しきれぬものはあったが、以前と変わらず夢見るような瞳を息子に向けるアマンダを見て、王はため息にも似た息を吐いた。


王が調べさせたところによると、確かにアマンダは魔女にアンドリューに従うことを誓っていた。

それを証明するかのように、この三日間でアマンダは様々な場所で、多くの相手に今回の婚約解消のことを語っていたが、その場で彼女は確かに否定的な話は全くしていなかった。

どこでも彼女はアンドリューの見つけた真実の愛の素晴らしさを語り、自分は彼のために身を引くが後悔はないと言っていた。そしてアンドリューとリナは素晴らしい相思相愛の二人であり、そんな二人をぜひ支持して欲しいとも言っていた。


未だアマンダを次期王妃に迎えたいという願望は王の中でくすぶっていた。しかし今はこれしかないと思い、王は重い気持ちを抱えたままその書類に印を押した。


それを確認したアンドリューは続いてアマンダにこう声をかけた。


「そしてアマンダ、君は私の側妃となり、私の治世を共に支えてくれるのだよね?」


王と彼女の父親である侯爵の前であったため、いつになく丁寧な態度と言葉でアンドリューはアマンダに語りかけた。

そんなアンドリューにアマンダは飛びきり美しい、晴れやかな笑顔を向けたあと、こう言葉を返した。


「殿下、それは何のお話でしょうか?私はそのようなお話聞いておりませんわ」


アマンダはにこやかに、穏やかに微笑みながらそう言った。


あの呪いをかけたときも、ここに現れたときもアマンダはアンドリューに惚れ込んでいるように見えていた。

しかし彼女はしっかりと、アンドリューの言葉を否定した。


焦ったアンドリューはアマンダに詰め寄った。


「おい!ふざけるなよ!あの日、確かにお前に俺の側妃になるように言っただろうが!すぐにはいと言え。喜んで側妃になると言え」


小声で、でも有無を言わさぬ勢いでそう言ったアンドリューに、アマンダは驚いたようにこう答えた。


「まあ、殿下!側妃だなんて、とんでもないことですわ。相思相愛の理想的な、真実の愛で結ばれた二人であるアンドリュー殿下とリナ様の間に割り入るようなそんな無粋なことはできませんわ」


「は?」


「それに私は殿下のお心をお支えできないと婚約を解消された女です。そんなおこがましいこと考えもしませんでしたわ」


淀みなくアマンダはそう答えた。


そんな彼女に声をかけたのは、予想外のことに驚き言葉を失うアンドリューではなく、先ほど婚約解消を認めたばかりの王であった。


「フルーゲルス侯爵令嬢よ、我が息子からは君はアンドリューの側妃になることを望んでいると聞いていた。これまで息子を慕い、懸命に支えてくれた君の願いを我々は叶えるつもりだったのだが、そうではないと言うのかね?」


「はい、陛下。私はそのようなことは望んでおりませんし、そもそも仰せつかってもおりません」


平然とそう答えたアマンダに、この場に同じく呼ばれていたリナが叫んだ。


「嘘よ!アマンダ様、あなた側妃に喜んでなるって言ってたじゃない!それにあの日魔……」


「リナ!君は黙っていてくれ!」


危うく魔女のことまで話そうとしたリナの言葉を、アンドリューは大声で遮った。この場にいるのは王族だけではない。事務官も、アマンダの父親もいた。

魔女のことをここで言う訳にはいかなかった。


リナが黙らされるとそれに代わるように、アマンダはこう言った。


「あの日、学園で皆様の前で殿下がおっしゃったのは『私との婚約を解消する』ということだけですわ。違っていまして?」


水を向けられた事務官は、確かに調書にそう書かれていたため「フルーゲルス侯爵令嬢のお言葉通りです」と答えた。


そんなやり取りを聞きながらアンドリューは混乱していた。

確かに魔女に誓わせたはずなのにアマンダは己の言葉に従わなかった。そのことを詰めたいが、魔女のことをこの場で公言する訳にはいかない。そしてあの日のことは密室での出来事のため証言できる人も限られてくる。


側妃になることを約束する書面は用意していたが、自分の言いなりだと信じきっていたアマンダにそのまま渡していた。アマンダにしらを切られたら、それを覆すだけのものをこの場で示すことはできなかった。


言葉をなくし、立ちすくみ強張った顔をさらす己の息子に刺すような厳しい視線を向けたあと、王はアマンダに再びこう問いかけた。


「最後に確認をするが、フルーゲルス侯爵令嬢、君はアンドリューの側妃になるつもりはないのだな?」


アンドリューは焦りの中、汗ばむ手を握り込み、祈るような気持ちでアマンダを見つめた。しかし彼女は無情に、にこやかにこう発言をした。


「はい、ございません」


アマンダの回答を聞いて、王は珍しく人前で肺の中の空気を吐き出すような大きな息をついた。


侍従も魔女も確かにアマンダはアンドリューの言う通り誓いを行ったと言っていた。誰も意図的に嘘の報告をした訳ではないだろうと王は思っていた。


しかし目の前の現実のアマンダはアンドリューの言葉に従わなかった。それが何故かは分からなかったが、事実はそうであった。


王はほんの僅かな間、目を伏せて思考を巡らせた。そして何かを決めた目をした後、アンドリューに向かってこう声をかけた。


「どうやらお前から聞いていた話とは違うようだ。フルーゲルス侯爵令嬢はお前の側妃にはならないと言っているぞ。こちらから婚約解消を願い出たのだ、彼女にその意志がないのなら、それを強要することはできん」


「そんな……」


「さて、お前の新たな婚約者としたいのはその子爵家の娘であったか。いかなお前の母親の地位があろうと、その娘だけがお前を支える存在となるならば、我が国の後継者についても考え直しをしなければなるまい。アンドリュー、お前はそれでもその娘を選ぶのか?」


アマンダが側妃にならないことになった今、リナを正妻とすることは伴侶の実家という後ろ楯がほぼなくなることを意味していた。

しかしまだ婚約は確約されていない。本当にそれを捨て、リナを選ぶのかと王は問うていた。


逆を言えば、アマンダは無理でも、それなりの地位と教養のある高位貴族の娘を新たな婚約者とすれば、後ろ盾次第ではまだアンドリューにも地位を継ぐ可能性があるという意味でもあった。


そのことに気づいているアンドリューは自分の婚約者とできる可能性のある高位貴族の令嬢を思い浮かべながら、リナを捨てると宣言しようと口を開いた。


「もちろんです、父上。私が愛するのはリナのみです」


しかし自分が発言した言葉は、考えていたものと完全に真逆の言葉であった。

アンドリューは自分の耳から聞こえてきた、己の発言に驚いた。そんなことは言いたくない!間違いだと叫ぼうとしたが、自分の声で自分が話すのは、彼の気持ちと正反対の言葉であった。


「俺が生涯共にあるのはリナです。当然彼女を俺の妻とします」


アンドリューの心の中は荒れ狂っていた。嫌だ!どうして!と叫びたい気持ちであった。しかし、そんな心を無視するかのように、彼自身は愛おしくて仕方がないという瞳をリナに向けていた。


そんなアンドリューの言葉に、王は少し驚いた様子を見せていた。アマンダが側妃になるという前提があるからこそあの娘を娶ると思っていた彼の息子が、地位を捨ててまで目の前の見た目だけの娘を取ると言ったのだ。


彼女の手を取るデメリットを息子が理解していないとは、王は思っていなかった。そのため最後の確認をするかのように、改めてアンドリューにこう聞いた。


「お前の妻はそこのリナという娘でよいのだな?」


王の言葉に込められた重みをアンドリューは理解していた。ここで違うと言わなければ、この先にあるはずの可能性を全てを失うと分かっていた。


そのためアンドリューは慎重に口を開き、こう答えた。


「もちろんです。俺の妻となる唯一の女性はリナです。俺はこの真実の愛をもって、どんなときも彼女と共にあります」


違う!!そうじゃない!!あんな女など要らない!!

そう叫ぼうとしたが、己の体が言うことを聞かなかった。泣き出したい気持ちなのに、アンドリューは自分の口角がにこやかに上がっているのを感じた。


彼が絶望的な気持ちでいると、王はそんな彼に穏やかな表情でこう話しかけてきた。


「そこまでこの娘に惚れ込んでいるとは思っていなかった。この先に得るであろう全てに代えても彼女を選ぶというのなら、私はその意思を尊重しよう。そこの子爵令嬢とアンドリューの婚約を認めるものとする」


穏やかな瞳の奥に、この選択をした息子を絶ちきる鋭利なものが隠れていた。その瞳のまま、王がパチパチと拍手をすると、その場にいた皆はそれに従うように盛大な拍手をアンドリューとリナに送った。


にこやかに拍手に応えるアンドリューを見ながら、リナもまた内心で焦っていた。彼女は確かにアンドリューのことが好きであった。でもそれ以上に、彼のこの国の重要な王子という肩書きがリナにとっては重要であった。


先ほど国王は「この先に得るであろう全てと引き換え」と言った。アマンダという後ろ楯を失うことの意味を、リナも理解していた。


王が用意していた後ろ盾を勝手に捨てたアンドリューとの結婚となれば、継承権も、もしかすると王宮での贅沢な暮らしさえ叶わないかもしれない。今のアンドリューと結婚しても、その生活は期待していた華やかなものにはなりそうにないかもしれないとリナは考えた。

そんな彼といるぐらいなら、身近な伯爵令息でも捕まえた方がよっぽど自分は幸せに生きられる気がした。

そのため、国王からのお言葉だが、自分は辞退をしようとリナは思った。アマンダがいなければ自分に王族の伴侶となる何もかもが足りないことは明らかだった。だから辞退するといえば、何かしらお咎めはあるかもしれないが、アンドリューとの結婚からは逃れられるだろうとリナは思った。


そのため、リナは精一杯礼儀正しくしながらこう国王に進言した。


「ありがとうございます、陛下。リナはいつ、いかなるときもアンドリュー殿下を愛し、お側を離れません」


しかしリナの言葉も、彼女が望むものと正反対のものが口から出ていた。リナは焦って訂正しようとしたが、彼女がどうあがいてもアンドリューとの愛を語る言葉しか出てこなかった。


アンドリューもリナも、嫌だ、どうしてと心の中で叫び続けていた。

しかしこの婚約の場に立ち会った全ての人たちが見ていたのは、お互いを愛おしそうに見つめ、相手への愛を語り、幸せそうに微笑む二人の姿だった。


そんな幸せそうな二人の姿を、口元を満足げに引き上げたアマンダが、にこやかに見つめていた。




完璧と称され、あれほど献身的であったアマンダを一方的に振り、地位も教養も何も持たないリナとの結婚を望んだことで、アンドリューは王位継承権の争いから脱落することとなった。

彼の母も手を尽くそうとしたが、当の本人がリナとしか結婚しないと譲らなかった。どれだけ説得を試みてもアンドリューは首を縦に振らなかった。

相手のリナも、家を潰すとまで脅しても愛するのはアンドリューだけだと譲らなかった。


結局、全てを捨ててでも二人であろうとする彼らに周囲が折れた。アンドリューの母も頑なな息子の態度に、彼の将来を諦めざるをえなかった。

そうして、最終的にアンドリューとリナは正式に婚約者となった。


婚約後も、二人は学園で変わらず仲睦まじく過ごした。周囲が目のやり場に困るほど甘い雰囲気で身を寄せあうのも、アマンダがアンドリューの婚約者であった頃から何も変わっていなかった。


彼らは学園を卒業後、王領といえば聞こえはいいが、他の貴族では持ちこたえられないような僻地へと送り出されることが決まっていた。今後の王位継承権をややこしくしないためにも、アンドリューは子供を作れない体にされたとも噂されていた。

それでも二人は幸せそうに寄り添っていた。


あんなにアンドリューを慕っていたアマンダが二人を心から祝福していたのもあるが、これから待ち受ける多くの困難よりお互いを選んだアンドリューとリナを、周囲は徐々に本心から祝福をするようになっていった。



卒業後、アンドリューとリナは豪華な馬車に乗り、王都から新天地へと旅立とうとしていた。馬車は最後のはなむけとばかりに、豪華に飾り立てられたものであった。

きらびやかな馬車の中で二人身を寄せあうアンドリューとリナは、学園にいたころと変わらずお互いを思い合い、幸せに満ちた顔をしていた。


しかし幸福なのは表面上だけで、アマンダが側妃になることを断ったあの日から、二人は心の中でお互いを罵り、叫び続けていた。


『こんな女のために俺の将来が全て失われてしまった!くそ!疫病神め、早く俺から離れろ!!』


「俺達には揺るぎない真実の愛がある。君さえ側にいれば何もいらないよ」

リナの手を取り、そう囁きながら、アンドリューは心の中でそう叫んでいた。


『僻地なんて嫌よ!こんな王子でもなくなった下心だらけの男にこれ以上触れられるなんて耐えられない!誰か、誰かリナを助けて!!』


「私も。アンディの側にいられればそれだけで幸せよ」

アンドリューの手を握り返し、しっかり指を絡めながら、リナは心中で泣き叫んでいた。


『なぜアマンダは俺に反抗した?なぜ俺の体は言うことを聞かない?くそっ引っ付くな、あばずれ。本当にこいつを殴ってやりたい』


『嫌で仕方ないのに、私の体があの男の唇を幸せそうに受け入れる。ひどいときにはもっとと自らねだってしまう。もういや、やめて!どうして私の体は勝手に動くの?』


『俺の体が言うことを聞かないのも、アマンダに呪いがかからなかったのも、まさか……』


彼らは心の中でもがき、勝手に動く自分自身に苦しんでいた。しかし彼らが周囲に語る言葉も、見せる表情もそれとは真逆のものとなっていた。


足掻き続ける己の心を嘲笑うかのように、彼らの顔は常に幸せそうな笑顔を浮かべ続けていた。


「おめでとうございます!」「どうぞお幸せに」「お二人こそ真実の愛だわ!」

彼らを祝福する多くの言葉に見送られ、アンドリューとリナは寄り添いながら王都を発っていった。








「うまくいったようだね」


アンドリューとリナが王都を旅立ってからしばらく経ったある日、図書館のいつもの部屋で、いつものようにたくさんの書籍を運んできた彼女専属の司書にアマンダはそう声をかけられた。アマンダはその声に、目の前の分厚い古びた本から視線を上げた。


「ええ、貴方のおかげでね」


彼に向かって、緩やかに口角を上げながらアマンダはそう答えた。


アマンダにそう声をかけた彼女専属の司書は、歴代この図書館の責任者を輩出してきた伯爵家の嫡男であった。本来なら彼は侯爵令嬢のアマンダにそのように気安く声をかけられる立場ではなかった。

しかし幼い頃から共にこの図書館でたくさんの時間を過ごしてきた二人は、そのような態度を気にすることなく、古くからの友人同士のように会話を続けた。


「確かにきっかけは俺が与えたが、それを掴みとったのはアマンダだろう。あの呪いが解ける確約もなかったのに懸命に努力を重ね、その年で君は魔女になった。普通ではあり得ないことだ」


「ショーン、そのきっかけがなければ私は再び呪いにかけられ、この先もずっとあの男の奴隷のままだった。魔女になるには多くの研鑽を積む必要があると言われているけど、そんなのはやり続ければいつかは終わるものよ」


「魔女として覚醒するための条件を『そんなの』と言うのは君ぐらいだろうなぁ」


「何?幼かった私に容赦なくその知識を詰め込んできたのは誰だったと思ってるの?」


「俺だな。最初は泣いてばかりいる女の子の心が少しでも晴れればと思って魔女の本を差し出したが、あんまり君が食いついて、次々と吸収するから途中からは楽しくなっていたかもな」


「私は楽しいばかりではなかったわよ」


「それはずっとそばで見てきたから知っているよ。でも、それが今の自由に繋がっただろ?」


「そうね。魔女の呪いにかけられ、その呪縛で周囲に呪われていることを伝えることすらできず、泣いてばかりいた私をあなたが差し出してくれた本たちが救ってくれたわ。嘆く以外に自分のためにできることがあると気づかせてくれたわ」


アマンダはそれまで読んでいた本にそっと指を添わせながら、言葉を続けた。


「魔女としての自分の言葉に自由を誓ったことで、私は今度こそ呪いから逃れることができた。今は全てが自分の意思どおり動くわ。私は幼い頃からずっと失っていた自由を守り抜けた。ありがとう、ショーン」


アマンダはあの頃アンドリューに見せていた陶酔するような笑みではなく、穏やかに、彼女らしい笑みをショーンに返した。



「さて、そうして自由になったのに、なぜ君はまだこんなところに通って来ているんだい?」


アマンダから頼まれた本を机に積みながら、ショーンは少し探るような視線を寄越しながらそうアマンダに尋ねた。


アマンダはこの図書館に妃教育のためという名目で、実質的には魔女となるために必要な知識を得るために通っていた。アンドリューと無事縁が切れた今、もう知識を詰め込む必要がないのではないかとショーンは尋ねたのだった。


そんな彼の瞳をアマンダは黙ってじっと見つめた。

それはショーンがアマンダの透き通るような瞳に己の顔が映り続けることに耐え切れず、視線をふいと逸らすまで続いた。

己から外れてしまった視線の先を少し追ってから、アマンダは静かに口を開いた。


「私が本心のままに振る舞えるようになったらやりたいことがあったの。呪いで決して表に出すことはできなかったけど、ずっと心の中にあったことがあるの。でも決心が中々つかなくて。だからいい方法が思いつくように、こうしてここに来ているの」


ショーンはその言葉を、自分が積み上げた本の山の一番上にあった書籍の背表紙のタイトルを見つめながら、意外な気持ちで聞いた。


ショーンが見てきた彼女は、呪いという制限を受けながらも懸命に自分にできることを行ってきた女性だった。

些細なことから、魔女になるという到底不可能に思えたことまで彼女は躊躇することなく行ってきた。

そのため彼の中では、アマンダには何かをためらうようなイメージはあまりなかった。


では何がそんなにアマンダの心をかき乱しているのか?あのアマンダの決心を鈍らせるほどのものとは何なのか?

すぐに思い付くものはなかったが、ショーンはそれを少し妬ましく思った。きっと今も彼女の頭の中をそのことが占めているのだろう。なんて羨ましいんだと、彼は心の底で思っていた。


しかし相手はこの国随一の女性と称される侯爵令嬢だった。いくら昔からの秘密を共有し、多少気が許される存在であっても、そんな考えを表に出す権利は自分にはないと彼は考えていた。


そのため、胸にくすぶるどろりと重い気持ちにふたをして、見て見ぬ振りをした。そして、いつものように澄ました、年長者の顔をしてアマンダにこう言った。


「ならまたこの有能な貴女の司書を頼ってみるといい。君を導く本を、この膨大な本の山から探してきてあげるよ」


年上の男の矜持を総動員して、ショーンは努めて余裕があるように己を見せた。内心にある彼女の心を乱す存在に対する焦燥を、彼はどうにか抑え込んだ。

こうして信頼を得て、彼女を応援できるだけでも十分な立場じゃないかと自分に言い聞かせて、飄々とした表情を保っていた。


そんなショーンの内心など知るはずもないアマンダは、表面上はそう振る舞う彼を改めて見つめた後、彼女の宝石のような瞳に少しだけ睫毛の影を落とした。


そして、一度ゆっくりと目を閉じてから、ショーンにこう答えた。


「臆病が直る本がいいわ。自分を磨いて、もっと自信が持てるようになりたいの。相手の小さな反応を気にせず、まっすぐぶつかっていけるようになりたいわ」


「君、これ以上自分を磨き上げる気なのかい?」


ショーンは思わず素に戻って、そう尋ねてしまった。彼が見てきたアマンダは正気のときはいつだって凛として、自らが持つ高い能力を惜しみなく発揮していた。

彼の中でアマンダは、魔女の呪いに苦しみ、悲しんでいたことはあっても、『臆病』という単語と結びつくような女性ではなかった。


そんな彼にアマンダは拗ねたような視線を向けた。


「失礼ね。私だって不安にも臆病にもなるわ。心が自由にならないときは、それはただ『できないこと』だと思ってた。でも違ったわ。自由なのに、できるはずなのに、一歩が出ないのよ」


そう眉を心持ち下げて言うアマンダの姿が、凛としたいつもと違ってまるでただの年相応の少女のようにショーンには見えた。

数年前に父に代わって彼女の専属司書となってからは定位置となっていた彼女の机のすぐ横に立って、見下ろす彼女の肩がいつもより華奢に見えた。


だからなのかもしれない。いつにない感覚に気が緩んでいたのかもしれない。

ショーンが気付いたときには、こう言葉が口からこぼれていた。


「君はそんなのなくったって素敵な女性だよ」


言ってしまった瞬間には分かっていなかったが、零れんばかりに見開かれたアマンダの瞳を見て、ショーンは自分が何を言ったのかを理解した。

その瞬間、彼を襲ったのは羞恥よりも焦りだった。


自分より地位の高い女性に、自分は随分偉そうなことを言ってしまったのではないかとショーンは思った。急にこんな下心がありそうなセリフを言われては、女性は困るのではないかと彼は思った。

そのためとっさに謝罪の言葉を探そうとした。しかし、適切な言葉が浮かんでこなかった。変に謝るのも、どうも正しくないように思えたからだ。


なぜなら、ショーンの中で彼女に向けたその言葉に嘘はなかったからだ。


ショーンがアマンダに何を言うべきか言葉を探しあぐねていると、目の前にいたアマンダが少し身じろぎをした。

どういう反応を返されるか、何を言われるかとショーンは少し身を固くした。しかし、そんな彼が見たのは、年下の少女の大輪の花が咲きほころぶような笑顔であった。


「ありがとう、ショーン。嬉しい」


それは彼がかろうじて被っていた年長者としての仮面を木端微塵に吹き飛ばすような、少しのはにかみを含んだ美しい微笑みであった。




そんなもどかしく思えるような関係性であったアマンダとショーンであったが、そこから二人が結びつくまではそう時間はかからなかった。


アマンダはまだ迷う気持ちも持っていたが、もう自分の気持ちを呪いで強制的に偽られることはなくなっていたし、そんな彼女が見せる等身大の姿にショーンの被っていた仮面は長くはもたなかったからだ。


想いを伝えあってからのアマンダは隣に立つショーンに穏やかで、美しい笑顔を向けていた。その愛は周囲から見てもゆるぎないものに見えた。しかし、かと言ってアマンダは過去のようにショーンに全てを捧げるような盲目的な振る舞いはせず、彼をときに助けつつも、彼女は彼女としてしゃんと立っていた。


その姿はとても彼女らしくて、そして嘘偽りなく本当に幸せそうであった。


そんなアマンダに対して、どこにも口さがない人たちはいるもので、アンドリューとのときと彼女の態度が違うことを遠まわしに尋ねてくるような人たちがいた。

あの頃のアマンダがアンドリューの前でだけ異質であったのは誰もが知ることであった。その理由をそれとなく予測している人も、そうでない人も、その明確な理由を知りたがっていた。


そのため隠しきれない好奇心の外側を彼女の幸せを祝福する言葉で覆って、人のよさそうな笑顔でそのことを尋ねてくる人たちが多くいた。

そんな彼らに対し、アマンダは幸せな、美しい微笑みを浮かべていつもこう答えていた。



「そうですね。真実の愛に目覚められたアンドリュー様のお姿を見て、私も本当の人を愛するということを知ったのかもしれませんわ。これが私の真実の愛なのかもしれません」

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