表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

アマンダ・フルーゲルスは誰もが認める完璧な淑女であった。

侯爵令嬢という地位とそれに相応しい美貌と教養、気品、優しさ、全てを兼ね備えていた。


そんなアマンダだが、持って生まれた才能だけでそれらを手にしたのではなかった。彼女は多くの家庭教師から懸命に教わり、王国随一と言われる王立図書館に籠り書籍を読み込み、努力に努力を重ねそれらを手にしていた。

特に図書館での彼女の努力は有名で、図書館の一番奥、静かな場所にある個室には、専属の司書が彼女が読む書籍をいつも足しげく運び込んでいた。その部屋には常に彼女が読む本が高く積み上げられていて、事実上彼女専用の部屋のようになっていた。

毎日のようにその部屋の灯りが遅くまで灯り続けていることは有名な話であった。誰もが彼女のその懸命な努力を尊敬していた。


年頃の娘を持つ親が皆、フルーゲルス侯爵令嬢を見習いなさいというほど努力家で、完璧な彼女であったが、一点だけ欠点のようなものがあった。



「アンドリュー殿下、今日も殿下にご挨拶できること、この上ない喜びでございます」


今日もアマンダは蕩けるような笑顔で、この国の王子にそう話しかけていた。それは彼のことが心から愛おしくて仕方がないという、彼女の内心があふれ出てしまっている表情であった。

彼女がそんな顔でアンドリューに話しかけること自体は何ら問題はなかった。何故ならアマンダは彼の婚約者であったからだ。むしろ婚約者を慕っていることは歓迎されるべきことであるはずだった。


では、何が問題なのかと言うと、それは王子からの返答を聞けば明らかであった。


「お前か。おい、今日の生徒会の資料は揃っているのだろうな?」


「もちろんでございます。大切な殿下のお手伝いをさせていただけるのです。全て滞りなく準備し終えております」


「来週の公務に必要な資料は?」


「全て整えて昨日、殿下の侍従に預けております」


従順に答えるアマンダに向かって、アンドリューは表情を微塵も柔らかくすることなくこう言い放った。


「は?昨日終えていたのに私に報告していなかったのか?」


するとアマンダは慌ててこうアンドリューに謝罪をした。


「私が至らないばかりにご連絡が遅くなり申し訳ございません、殿下」


本来ならアンドリューがすべき公務の準備をアマンダが代わりに行ったのだ。感謝されることはあっても、直接報告しなかっただけで責められるようなことではないはずである。

そんな理不尽なアンドリューの反応に何か思うことがあっても良さそうであるのに、アマンダにはそのことを気にしている様子は全く見られなかった。むしろアンドリューの機嫌を損ねてしまったことで、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。


アンドリューからこれだけの扱いをされながらも、そのような反応をする。

そう、アマンダの唯一の欠点とはアンドリュー王子にベタ惚れをしているため、彼にどれだけぞんざいに扱われようとも、理不尽を言われようともそれを受け入れてしまっているところだった。



アンドリュー王子自身はアマンダと比較すると、凡庸な男であった。成績は悪くはない。頭もそう理解が遅いわけではない。剣術も馬術も不得手ということもない。

しかし、それだけであり、飛び抜けて優秀なところも特にはない男であった。


その上、彼より余程優秀で、彼をあんなにも慕うアマンダに辛辣に当たるものだから、貴族からその人となりが支持されることも少なかった。


しかし、アンドリューの母であるこの国の王妃は隣国の王家出身であったため、他の王子たちよりアンドリューの地位は高かった。外交上の観点からも、彼がこの国の次期国王となると目されていた。

アマンダのことはあったが、ぞんざいな扱いをされている彼女自身がそのことを気にすることなく受け入れていることもあって、特に表立って問題視されることもなかった。



そうして貴族たちから色々思うところはありつつも見守られていたアンドリューとアマンダであったが、ここ半年程で二人の間に新たな問題が発生していた。


「アンディー様ぁ、今日もランチをご一緒させてもらえるなんてリナ嬉しいです」


そんな甘えた声を上げながらアンドリューの腕に自慢の胸をぐいぐい押し付けている少女がその問題の一因たる人物だった。

名前はリナ。市井で育ったとある子爵の庶子であった。


子爵が正妻を病気で失ってすぐ、彼女は子爵の愛人であった彼女の母親と共に引き取られ、子爵令嬢となっていた。

貴族となって間もないこともあり、リナには貴族の基本的なマナーすら何も身に付いていなかった。

ご令嬢たちは彼女の庶民のような振る舞いに眉をひそめていたが、令息たちはそうではなかった。


それまで彼らにとって異性といえば澄ました表情で微笑み、エスコートのときに手がそっと触れるだけの存在であった。それに対して、リナは満面の笑みを、涙を浮かべた上目遣いを、照れて頬を赤く染めた表情を彼らに見せてきた。

さらに少し物事を教えただけで、リナは「すごーい!」なんて言いながら、自分にはない柔かな小さな手で彼らの手をぎゅっと握ってきた。

隣に座れば肩が、ときには太ももが触れるほど距離を詰めてきた。腕を取られたときには、柔かな膨らみを腕に感じた。


異性との接触に免疫の少なかった令息たちは、リナが母親譲りの庇護欲をそそる美少女であることも相まって、大概が彼女に好意的になっていった。「まだ貴族になったばかりなのだから仕方ないよ」と彼女を庇っていた。

そして、そればかりか彼らの中にはリナに熱を上げる存在まで現れた。


その筆頭となってしまったのが、あろうことかアンドリューだったのだ。


リナが貴族が通う学園に編入してきてすぐ、リナとアンドリューは親しくなった。始めは何とか友人という体でいたが、それもほんのわずかなことであった。

瞬く間に彼らは、どこから見ても恋人同士のように振る舞い始めたのだった。


それを見た周囲の人間は、何より先にアマンダの反応を心配した。

アンドリューに心から惚れ込んでいる彼女のことだから、彼の心が別の女に注がれていることを知ると、嫉妬に怒り狂うのか、悲しみのあまり塞ぎこむのか、どうなってしまうのかと心配されていた。


しかし実際のアマンダが示したのは、それらの予想していた反応とは全く違うものだった。


「アンドリュー殿下の幸せこそが私の幸せですわ。リナ様がアンドリュー様のお心を満たしてくださるなら、私には何も言うことなどございませんわ」


彼女は嫉妬も悲観もすることなく、穏やかに幸せそうにそう言いきったのだった。


そのこともあってか、アンドリューとリナは誰にも憚ることなく、学園でベタベタと二人の甘い時間を楽しむようになっていった。

ランチは二人きりで個室でとり、その部屋からはときおり「やだぁダメよ」「もうアンディったらぁ」など昼間に相応しくない甘ったるい声が漏れ出ていた。放課後にはカフェテリアの一室を貸し切り、肩をくっつけながらソファに並んで座り、お茶を楽しんでいた。


アマンダは放置され、それだけではなくリナと遊ぶ時間が欲しいアンドリューに彼の仕事を押し付けられた。婚約者としての交流の時間も奪われ、ただ仕事だけを押し付けられ続けたが、それでも彼女はニコニコとその対応を行っていた。




「アマンダ・フルーゲルス!!私はこのリナとの真実の愛を知ったため、お前を正妻とする婚約を解消する!そして、このリナを私の婚約者とする!!私の正妻、この国の未来の王妃となるのはこの美しいリナだ!」


学園の長期休暇前の全校生徒が集まるパーティーで、アンドリューがリナを抱き寄せながらそう声高に宣言したとき、周囲はこんな場でアンドリューが宣言したことには驚いたが、発言の内容にはそれほど驚かなかった。


アンドリューの寵愛がリナにあることはもはや公然の秘密にもならないことであり、最近ではリナも自身が彼の婚約者であるかのように振る舞っていた。直近の学園主催のパーティーでも、アンドリューがエスコートしていたのは、彼の瞳の色の豪華なドレスで着飾ったリナだった。


そのため、周囲の興味と視線はすぐにアンドリューではなく、アマンダに注がれることとなった。

アンドリューの発言の内容はある程度予想の範囲内のものであった。しかし、彼を心から愛しているアマンダが唯一彼女の手元に残っていた婚約者の地位すら奪われたとき、どのような反応をするかは予想ができなかったからだ。


周囲の人間が固唾を飲んで見守る中、名指しをされたアマンダは人垣をかき分け、アンドリューの前に姿を現した。

そのときの彼女は、意志の強さを感じさせるような凛とした静かな表情をしていた。いつもはアンドリューに蕩けるような笑顔しか見せていなかったアマンダが、彼の前でそのような表情をするのは珍しいなと周囲は感じていた。


壇上に立ち、己を見下ろしてくるアンドリューとリナに向けて、アマンダは美しい、お手本のようなカーテシーをした後に、表情を変えぬままこう言った。


「婚約解消の件、承ります」


そこには僅かな感情の揺らぎも見られなかった。事務的に、他人行儀に彼女はそう返した。

いつものアマンダからは考えられないその反応に周囲が驚き、ざわめく中、彼女はそのざわめきに溶け込むようなごく小さな声でこうぽつりと呟いた。


「私はもう自由なのだわ。アマンダはもう誰の言葉にも縛られない」


彼女のその言葉を聞いた人間は恐らく誰もいなかった。己に語り掛けるように、彼女は小声でこう続けた。


「ええ、誓ってそう。自由なのだわ」


目を伏せ、感慨深く小さく呟く彼女に気付くことなく、壇上のアンドリューは周囲の生徒に向けて続けてこう声を上げた。


「皆、聞いてくれたか?アマンダは私とリナとの真実の愛のために婚約を解消することを認めた。皆が証人となってくれ!そして私に新たな美しい婚約者ができたことを祝ってくれたまえ」


市井育ちのマナーも身についていない見た目だけが取り柄の子爵令嬢が、完璧な侯爵令嬢を押しやってこの国の次代を担うであろう王子の婚約者となる。

リナの無作法を鼻の下を伸ばして許していた令息たちにとっても、これはさすがに簡単に祝えるような話ではなかった。しかし、それをアンドリューの前で示すことができる地位にある人物はこのパーティーの場には誰もいなかった。

祝福をしないという選択肢を持たない教師や生徒たちは、やや遠慮がちにではあったが、拍手でアンドリューとリナの婚約を祝わされることとなった。



周囲から送られる祝福の拍手は表面上のもので、やや勢いに欠くものであった。しかし、そんなことに気付かないアンドリューとリナは満足そうに周囲の拍手に応えた後、パーティー会場から去っていった。

「婚約破棄の手続きをするからお前も来い」と、アンドリューに声をかけられたアマンダも、彼らを追う様に会場を辞していった。


パーティー会場を出て、アマンダがアンドリューたちに連れていかれたのは、学園内にある貴賓室であった。

部屋には前もってアンドリューが手配していたのか、婚約関係の書類を持った彼の侍従と何人かの使用人、そして五十代ぐらいの女性が一人がいた。


リナを伴いながら我が物顔で貴賓室のソファに座ったアンドリューは、立ったままのアマンダにこう声をかけた。


「そこに婚約解消に関する書類がある。俺の恩情で解消にしてやる。とっととサインをしろ」


アマンダはその言葉を受けて、差し出された書類に躊躇することなくサラサラと己の名前をサインした。

婚約解消に関する書類へサインを終えたアマンダに、侍従は次の書類を無言で差し出した。それを受け取り、内容を確認したアマンダは、その内容に表情を固くした。


「アンドリュー殿下、この書類は?」


訝しげな表情を隠すことなくそう言ったアマンダに、アンドリューはにやけた表情でこう返した。


「書類に書いている通りだ。お前を俺の側妃にしてやる。お前の能力だけは認めているからな。可愛いリナを煩わせないために、代わりにお前が必要な仕事をしろ」


それを聞いたリナはアンドリューに抱き着き、彼の腕に豊満な胸を押し付けながらこう言った。


「あーん、アンディ!なんて優しいの!リナは世界一の幸せ者だわ!そしてアマンダ様もお幸せよね?大好きなアンディのお役に立てるんですもの」


アマンダはいつも、アンドリューからの命令には全て笑顔で従っていた。そのためリナは今回もアマンダは幸せで仕方がないといった表情で、この話を承諾すると思っていた。

しかし嘲るような表情を隠さぬままアマンダの返答を待っていたリナが聞いたのは、彼女が予想していたものとは全く正反対の言葉だった。


「謹んでお断りいたします。父であるフルーゲルス侯爵にお話をいただいても、返答は同じものになります」


平然とした、いやむしろ冷徹に見える表情でそう返答したアマンダを、リナは信じられないものを見るような目で見つめた。


「ちょっと、アマンダ様どうしちゃったの?大好きなアンディからのお願いなのよ?いつもみたいに尻尾振ってうんって言いなさいよ!」


驚きながらそう言ったリナに、アマンダはこう冷たく返した。


「誤解があるようなので訂正いたしますが、私は殿下が『大好き』なのではなく『大好きになるよう』にされていただけですわ。しかし魔女の呪いはもう解かれました。私が殿下の言葉に盲目的に従う理由はなくなりました」


「魔女の呪い?えっ、どういうことなのアンディ?」


困惑してアンドリューに詰め寄るリナに、彼は余裕の笑みを浮かべたままこう答えた。


「実はな、あいつが六歳の頃に婚約者である俺を好きで好きで仕方なくなり、なんでも言葉に従うよう魔女の呪いをかけたんだ」


「魔女の呪いって、あの魔女に誓った言葉に必ず従わなければならなくなるっていうやつ?」


「そうだ。フルーゲルス侯爵の目を盗んであいつに呪いをかけてやったのさ。あいつの父親も、あいつは本当に俺に惚れこんでいると思っているはずだ。その呪いがあったから、あいつは俺の言葉になんでも喜んで従っていたわけさ」


そう得意げに言うアンドリューに、リナは心配そうにこう声をかけた。


「でも、どうして今、アマンダ様の呪いは解けてしまっているの?昨日まではあの人、あんなにアンディのこと頬を染めながら見ていたのに」


「『婚約者である俺に従う』という条件があったからな。今のあいつは俺の婚約者じゃない。だから呪いが解けてあんな生意気な態度をとっているのさ」


アマンダを横目で見ながら、アンドリューはそう言った。そんな彼にリナは不安そうな顔をしながら更にこう言葉を続けた。


「ねぇアンディ。『アマンダは俺の言うことを聞いて側妃になって面倒な仕事をするから心配するな』って言ってくれてたけど、今のアマンダ様は本当にあなたの側妃になってくれるの?呪いを解く前に頷かせておいた方がよかったんじゃない?」


「呪いには面倒なことに『婚約者であるから言うことを聞く』という制限があった。だから『婚約者ではなくなり、側妃になれ』という命令はできなかったんだ。

それに『婚約者として』と呪いをかけた状態で、『側妃として言うことを聞け』と重複する内容の呪いもかけることはできないんだ」


「そうなんだ。呪いって万能ではないのね。でも大丈夫なの?呪いの力なしで、アマンダ様はアンディの側妃になってくれるの?」


そう言ったリナのむき出しの肩を撫でながら、アンドリューは余裕の表情を崩さずこう言った。


「ああ、今のままなら言うことを聞かないだろうな。だが問題ない。手は打ってある。おい、お前、こっちに来い」


アンドリューはそう言って、部屋の隅に控えていた五十代ぐらいの女性を呼びつけた。呼ばれた女性はアマンダの前に立つと、こう自己紹介をした。


「私は宮廷に所属します魔女でございます。貴女には私の言葉に同意することを誓っていただき、再び殿下のことを心の底より慕っていただきます」


そう言った魔女にアマンダは冷たくこう返した。


「多くの研鑽を積んだ女性は魔女である可能性があるため、簡単にその言葉に対して誓うなと世間でも言われているのですよ。それなのに、あろうことか自ら魔女と名乗った貴女の言葉に、私が簡単に誓いを立てると思ったのですか?」


「誓わせるさ」


アマンダのもっともな言葉にそう答えたのは、問われた魔女ではなくアンドリューだった。彼は今度はリナの細い腰に手を這わせながらこう続けた。


「お前が魔女の言葉に誓わなければ、お前が今進めている貧民のための政策も、平民のための教育施策も全て中断する。隣国と結ぼうとしている条約も廃止する」


アンドリューの言葉に顔色を変えたアマンダを見ながら、彼はさらにこう言った。


「俺は貧乏人や庶民どもが困ろうが構わないが、奴等は期待した分だけ悲しみ、それを約束したお前を恨むだろうな。隣国の大使ともあれほど時間をかけて信頼を得て、交渉していたのに、全て無駄になる訳だ」


はははと笑いながらそう言ったアンドリューをアマンダは唇を噛み締めながら見つめていた。


「さあどうする、アマンダ?哀れな民たちとこの国の国益を見捨てるか?責任感の強いお前はそんな選択肢を取らないよな?」


アンドリューの言葉に、アマンダは口をぎゅっと結んでしばらく黙り込んだ。顔を伏せ、俯くアマンダをアンドリューとリナはニヤニヤと眺めていた。


しばらくそうした後、アマンダはこう重く口を開いた。


「……私が魔女の言葉を受け入れて誓えば、政策も条約も全て進めて下さるのですね?」


苦々しい顔でそう問うたアマンダに、アンドリューは口の片端を上げながらこう答えた。


「もちろんだ。まぁ実際にその実務をするのはお前だがな」


「では王家として責任を持って進めると誓ってくださいますか?」


「何だ、魔女の真似事か?お前に誓って何があるかは知らないが、それで満足するなら誓ってやるさ!」


その言葉を聞いたアマンダは少しだけ顔を伏せた。そしてその後、アンドリューにこう言った。


「分かりました。殿下のお言葉に従います」


沈痛な表情を見せるアマンダとは対照的に、満面の笑みを浮かべたリナはアンドリューに飛び付くように抱きついた。


「アンディ、すごいわ!あなたの言う通りになったわ!あなたってとっても頭がいいのね!リナ、さらにアンディのこと大好きになっちゃった。さすがは私の王子様!」


「俺のお姫様のためなら、これぐらいは朝飯前さ。さあ魔女よ、この女にとっとと誓いをさせろ」


アンドリューの言葉を受けて、改めてアマンダの前に魔女が進み出ようとしたとき、アマンダはそれを制して、顔を上げてこう言った。


「殿下、誓いの前に一つだけ、一つだけお願いしたいことがございます」


真剣な表情でそう言うアマンダをアンドリューは一瞥した。そして少しだけ考えたあと、彼はこう答えた。


「まあお前はこれから俺たちのために一生働くのだからな、特別に聞くだけは聞いてやろう」


「ありがとうございます、殿下」


「アンディって素敵なだけじゃなく、心も広いのね。で、アマンダ様のお願いってなぁに?」


無邪気に問うてきたリナに、アマンダは表情を変えずこう言った。


「今まであれほど殿下をお慕いしていた私が身を引く形になるのです。事情を知らない私の父を納得させるためにも、お二人には私が身を引くのも仕方ないと皆が思うほど、相思相愛でいていただきたいと考えております」


てっきり何か面倒くさいことを言われると思っていたアンドリューは、アマンダの意外な言葉に面食らったような気持ちになった。リナと相思相愛でいることは、彼にとって何ら問題になることではなかった。


「この国で最も格式高い大聖堂の荘厳なチャペルで、純白の衣装に身を包み神の名のもとに永遠の愛を誓う夫婦のように、国民皆が心から祝福し、憧れる理想的な王太子夫婦となるよう、お二人にはいつまでも仲睦まじくいてくださると約束をしてほしいのです」


真剣な顔でそう言ったアマンダにアンドリューは少しだけ引っ掛かりを感じていた。周囲を説得するためという彼女の言葉には一理あった。しかし、アマンダがそのためだけにそう言っているのではないように、彼は感じていた。

しかしアンドリューがそれが何であるかを掴みきる前に、それは霧散されることとなった。なぜなら隣にいたリナが思いっきり彼を抱き締めてきたからだった。

リナはアマンダの語る理想の結婚像に酔いしれているかのように、頬を紅潮させながらこう言ってきた。


「そんなの当然のことよ!リナはいつ、いかなるときもアンディのことを愛して、ずっと側にいることを誓うわ!私の最愛の王子様、リナは永遠にあなたのものです」


アンドリューには考えなければならないことがあったはずだった。しかし腕に感じる蠱惑的な肉の柔かさと、目の前の美しい女の涙にうっすら濡れた瞳が彼の思考を奪った。


彼は考えることを放棄し、とびきり甘い声で自身の愛しい女にこう答えた。


「俺も同じ気持ちだ。俺がこの世界でただ唯一愛するのはお前だ。俺もどんなときもお前を守り、愛し、共にいることを誓おう」


「アンディ……私、幸せだわ」


二人の言葉を確かめたアマンダは、二人の世界に入り込み、今にも熱い口づけでも始めそうな彼らから視線を外した。そして魔女の方を向き、こう言った。


「こちらの確認は終わりました。さあ誓いをさせるのであれば行いなさい」


毅然と、アマンダはそう言った。


これからの一生を己の意志ではないものに支配され、他人のために犠牲にされるはずなのに、彼女は悲壮感も、怯えも見せずにそう言った。

それを聞いた魔女は、これが噂の完璧と呼ばれるご令嬢なのかと感心し、この人がこの国の王妃にならないことを残念に思った。


しかし彼女も宮仕えの身、彼女の考えがどうであれ王族の言葉には従うしかなかった。そのため、内心を押し留め、彼女はアマンダにこう宣言した。


「アマンダ侯爵令嬢、貴女はアンドリュー殿下を心から慕い、その言葉に従うと共に彼の側妃に喜んでなると誓いますか?」


魔女の声は先ほど話していたときと何も変わらないものであった。これが人を縛り、呪いをかけるものとは思えない、極普通のものであった。

しかしその効果を知るこの部屋にいるものたちは、緊張した面持ちでアマンダの返答を待った。


皆が静かに見守る中、アマンダは落ち着いたトーンでその言葉に誓いを立てた。


「はい、誓います」


その瞬間、それまで温度を伴っていなかったアマンダの瞳が、蕩けるような熱を帯びだした。そうしてその瞳でアンドリューを見つめながら、彼女はこう言った。


「アンドリュー殿下、私を殿下のお側に置いてくださると決めてくださりありがとうございます。この上ない幸せでございます」


「ああ、これからも俺たちの役に立てよ」


「もちろんでございます。殿下のためなら何なりと」


これまでのように甘やかにそう答えたアマンダを満足げに見たアンドリューは、「とっとと側妃になる書類にサインをしておけよ」と言い捨ててリナを伴って部屋を出ていった。


「ねぇ今日の婚約記念にお祝いをしましょ?二人きりで大好きなアンディにこの気持ちをいっぱい伝えたいの」、なんて言葉が響いてくるのを聞きながら、アマンダは微笑みながら頭を下げて二人が帰っていくのを見送った。


そして部屋に戻ったアマンダは「早速お父様にもサインをいただかなくては」と嬉しそうに呟きながら、突きつけられた書類を大事そうに抱えて、帰っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ