第八話:試験勉強と英雄
本屋で参考書を購入し終える事には、既に陽は高く昇っていた。
入る前は街を取り囲む高い城壁に掛かるかかからないか位の位置にあったものが、現在は天頂で輝きを放っている。
イオとナユタは本屋を出た後、中央区にある学院の前に設置された入学試験受付場へと訪れた。溢れかえる程ではないが人影は多く、護衛や執事がついている少年少女達も多い。それらは大概が中流以上の貴族で、それ以外は友人、親同伴などで訪れている。一人で訪れている者も珍しくなく、そういった者達程、互いを牽制したり上辺の挨拶を交わす貴族よりも颯爽と受付を済ませて去っていく。
二人は一般用の受付に並び、順番を待っていた。
「結構いるんだな。受付って今日だけじゃないよな?」
「まあ学院の受験生はすごい多いですからね。書類選考も含めるとかなりの数になると思いますよ」
毎年、王立学院の入学志願者数は国内だけで三千人を軽く超える。その多くが書類選考で落とされるが、それでも千人少しの受験生は生き残る訳で、受付が一週間程度設けられている事が嘘のようなこの行列も、それを考えれば多少納得できるだけの理由にはなるだろう。
「イオくん、イオくん。見てください、あれ」
「ん?」
ナユタの声に釣られて、イオが目線を移すと、その先では一組の男女がいがみ合っていた。
「右の子は大陸北部の新興国、”トリシラ共和国”の出身、左の彼は、同じく北部で絶大な力を誇る”大ソグン連邦”の出身みたいですね。この二国は、数年前から関係が悪化して戦争状態にある国なんです。学院の教育完成度の高さから各国からこうやって人が集まってくるんですけど、逆にそのせいで、あの二人みたいに敵対している国の人間と鉢合わせてしまう可能性も高いんですよね」
所属国家、種族、宗教、対立する理由は様々だろう。
「学院も一枚岩じゃないってことか」
イオの言葉に、ナユタは頷きを返す。
「そういうことですね」
「急募、平和な日常」
ズズっと胃痛から生じる涎を吸う音が聞こえた気がした。
♢
受験受付自体は一次試験合格証明書と本人確認証の照合だけで完了したため、それほど時間はかからなかった。しかし人数が人数だったため、待ち時間でかなりの時間を費やすことになった。ようやくの思いで受付を済ませた後、二人は街を歩いて気に入った店を探した。当初は大衆酒場ギンに戻ってから昼にしても良いと思っていた二人だったが、思いの外受付に時間がかかり、結局中央区内で食事を嗜んだ。
料理を楽しんだ二人は、その後街を巡って大衆酒場ギンに帰ってきていた。
「楽しかったですねイオくん」
いつものカウンターで、ブドウジュースを嗜みながらナユタは脚をパタパタと動かした。
成人男性が座る事を基準に作られたこのカウンターの椅子では、ナユタの脚は地面に落ち着くことができない。
「だな。にしてもこの街ほんとに広いよな。南区しか歩いてねぇのに夜になったぞ?」
そう呟き、勉強していた手を止めて外を見やるイオ。
もう陽は傾き、高い城壁に隠れてしまっている。街中に魔方光が灯り、道を行きかう人々も多くなってきた。
「そうですね」
ナユタは確かに、と視線をずらして、円筒状に伸ばされたガラス、ストローを咥えた。
何気なく使われているストローだが、これも素晴らしい品だ。この都市におけるガラス製品の完成度は極めて高い。しかしこれはこの都市で生み出されたものではなく、恐らく交易によって他地方からもたらされたものだろうとイオは考えていた。零層都市では上質なガラスを作る為に必要な、石英、塩、方解石などの原料が産出されていないからだ。原料を他地方から輸入しているという線も無くはないだろうが、基本的に輸送コストなどを考えると完成品を輸入する方が遥かに安く済む。
そんな背景も伺えるストローから口を離したナユタは、喉を潤してから続ける。
「ここはアリシアの中でも三番目くらいに大きな都市なので、仕方ないですね」
その言葉に、イオは不思議そうに首を傾げた。
「一番じゃないんだな」
イオの言葉に一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたナユタだったが、彼がこの国の事情に疎い事を思い出して、頷きを返した。
「もちろんです。一番は王都に決まってますよ。王都はここの二倍くらいの大きさがありますから、移動も本当に大変なんです」
「いつか行ってみたいな」
「学院に入れば行く機会もあると思いますよ。私も数年前に行ってそれっきりなので、久しぶりに行きたくなってきました。王都には強い人もたくさんいますから、鍛錬という意味でも良い場所です」
ナユタは懐かしんでから、体の強張りを解く為に大きく伸びをした。それから思い出したようにイオに目を向ける。
「そういえば、強い人で思い出したんですけど、イオくんは目標の人はいますか?」
突然の問いに、イオは少し首を傾げながら答える。
「目標の人か、まぁ何人か浮かぶけど、やっぱり一番は師匠かな。ナユタはどうなんだよ?」
イオの問いに、ナユタの瞳が待ってましたとばかりに輝く。
彼女は大層考え込む仕草をしてから、もったいぶって答えた。
「私はやっぱり、カリストですね! 私達とそんなに年も変わらないのに、最前線で活躍している豪傑ですから」
「ふーん。カリストね」
「イオくん、もしかしてカリスト知らないんですか?」
「うん? そんなことねえぞ」
ジョッキを呷りながら聞いていたイオが遠い目をして呟くと、カウンターから初老の男が顔を覗かせた。
彼こそこの酒場の主、ギンである。昼間はユリナがカウンターを仕切っているが、夕方からは彼女と入れ替わる様にして、マスターである彼がカウンターに立つ。
昨日初めて知り合ったマスターは、どうも釈然としない答えを返すイオに助け舟を出してくれた。
「イオさん。カリストと言うのは、史上最年少で新星の称号を獲得した、戦団組合きっての若き逸材ですよ。少し前には随分とその名を耳にしたものです」
ギンもこの話題には興味がある様で、水にぬれた手をタオルで拭くと、二人の元までやってきた。
ナユタが彼の話を補足する。
「ちなみに新星の称号は、何百万人といる戦団組合員の中でも、本当に上位の戦果を残さないと貰えないんですよ! それこそ歴戦の猛者が、運よく何年も同じ人達と苦楽を共にして、死線を幾つも潜り抜けて貰える様な称号なんです! それをカリストは幾つも団を転々としながら戦果を上げ続けたんですから、すごいですよねっ」
随分と誇らしげなナユタに、イオは呼吸を整えながら答える。
「…そうだな」
イオはその名を知らない訳ではなかった。寧ろ何度も聞いたことがある。
しかし、とある事が気になったイオは問う。
「でも今は、生きてるか分からないんだろ?」
イオの言った事をナユタも理解しているようで、少しだけトーンダウンして、しかし熱のこもった声で続けた。
「そうですね。確かに二年前からカリストの活躍情報は途切れてますし、死亡説なんかも出てるのも事実です。でも、それでもカリストは、やっぱり憧れで大好きな人です。私もいつかあんな強い人になりたいんです」
「…まぁ、精進すればいつかなれるさ」
イオがそう言ってグラスを煽ると、ナユタは満面の笑みで頷いた。
「はい! あ、そういえば、イオくんはカリストの精神武器について巷で色々議論についてどう思いますか?」
「議論?」
「知らないんですか? カリストの精神武器に関しては、とにかく色々な議論が巻き起こっているんです」
「へ、へぇ」
「あれ? イオくん何だかちょっと焦ってますか?」
「いや、別に」
「またまた~。でも大丈夫ですよイオくん。まだまだ議論に入る余地はありますからっ。カリストに関する議論は今でも白熱するんです! なんせ性別すら不明、男だったとも女だったとも言われているような謎の存在ですからね…」
「うん。まぁ、そうだな。機会があればな…」
「そうでしょう! あ~、私もいつかあの人の精神武器をこの目で見てみたいです!」
フンスと鼻息を荒くして顔を近づけて来たナユタから若干離れてイオは軽く頷く。
すると再びギンが口を開いた。
「しかし、カリストは人前では精神武器を使わない事で有名ですからな。会えたとしても実際に精神武器は見れるかどうか」
ギンの言葉に、ナユタが見事に食いつく。
「あ、それは私も何度か聞いたことがありますっ。何か使わない理由でもあるんでしょうか?」
「どうでしょうね。私としては使えるものは使うべきだと思いますので、彼女の考えは少々理解できません」
「そうですね。私もマスターさんに賛成です! あ、それじゃあマスターさん、あれについてはどう思いますか?」
「あれとは?」
「ほら! カリストが仲間を助けるために使ったっていう……」
随分と酔いが回ってきたのだろう。ナユタの声を聞きながらイオは重くなってきた瞼を閉じた。
そうだ、きっと酔いが回ってきたのだ。そう自分に言い聞かせて、イオは軽い眠りについた。
♢
「……イオ君、イオ君ってば!」
「…んん?」
ナユタの声で浅い眠りから意識を戻したイオに、ナユタが呆れた表情を見せる。
「もう、勉強中に寝ちゃうなんて、イオくんは本当に特待生を目指す気があるんですか?」
「まぁ、入学できれば及第点ではあるな」
「何を覇気の無いことをっ。せっかくやるからには一番を目指しましょうよ!」
ナユタが頬を膨らませる。
その様子がどうもおかしくて、イオは小さく笑いながら頷いた。
「そうだな。その通りだ」
「私、何か変なこと言いました?」
「いや。ただ、まっすぐでいいなって思っただけさ」
イオの言葉に、ナユタは首を傾げる。
「はぁ、そうですか。まぁいいいです。私、幾つかイオくんにお聞きしたい事があるんです」
「なんだ?」
「イオくんって、今どこで寝泊まりしてるんですか?」
ナユタの唐突な問いに驚きながらも、イオは大衆酒場ギンの入り口から見える向かいの建物を指さして答える。
「ああ、丁度この向かいの宿だよ」
ナユタはイオの指で指された宿を見やって頷く。
「なるほど、なるほど。それで、今日はどのくらいまで勉強していくつもりですか?」
ナユタの問いに、イオは店の壁に掛けられた時計を見やる。
時間は八時半を回った所だった。この店の閉店が十時半なので、まだ時間がある。
他にやる事も無いので、暫く試験勉強に取り組むことにした。
イオはその旨を伝える。
「俺は閉店ギリギリまでやってくつもり。ナユタは…時間も時間だし、早めに帰るか?」
彼女の家は西区だ。
いくら街が明るいとはいえ、遅くに帰しては彼女の母が心配するだろう。そう思ったイオの提案を、ナユタはあっけなく断った。
「いえ、私も閉店くらいまでお付き合いします。私もイオくんと同じ宿に泊まることにしましたから」
ナユタの突然の提案に、イオは少しばかり目を丸くして彼女を見やる。
しかし別段ナユタの意見を否定する理由もなかったため、彼女の意見を肯定する。
「まぁナユタがそう言うなら、部屋が空いてればだけど」
「空いてなかったらイオくんの部屋に泊めください」
「…俺はいいけど、お袋さんはいいのか?」
ナユタの母親は彼女を非常に気にかけている。そんな愛娘が一晩帰ってこないとなると、不安を覚えるのはイオにも容易に想像できた。その旨を含んだイオの問いにナユタは、そんなことですか、と淡い笑みを浮かべた。
「ええ、大丈夫ですよ。母が厳しいのはお金に関する事だけですから、あとは大体私のやりたい事を尊重してくれますっ。それに、実は今日家を出るときに一言添えたので、怒られたりはしないはずです」
「まぁならいいけど」
何ともアンバランスな教育ではないだろうか、とイオは思ったが、それは口に出さないでおく。
金銭面に関しての一件で心配性な母親であると思いきや、意外にも自主性に任せる方針らしい。行動に関しては、ナユタが全面的に信頼されている証なのだろう。
「んじゃ後で行くか」
「はい! あ、でも私枕が違うと寝付きが…」
そんな事を言いながらも、やはりナユタは泊まる気満々の様子である。
それから二人は暫く試験対策を行い、ギンに挨拶をして店を出た。
「イオくんは飲み込みも早いですし、教えがいがありますね」
店を出るなり、ナユタはそう笑って見せた。
手放しの称賛に聞こえるのは、彼女が本心からそう言っているからであろう。
「まぁ殆どナユタのおかげだけどな」
酒場を出た正面の宿に向かって歩き出し、イオは事実を告げる。
零層都市には夜の帳が訪れており、街灯の魔法光(周囲の魔素を吸収し、恒久的に光を放つ魔道具)が辺りを照らしている。人通りもまばらになった街に冷涼の風が吹き抜け、ナユタは髪を抑えた。
「私はお手伝いしただけですよ」
「それなら、俺は随分と手伝ってもらってるな」
「私としても良い復習の機会になるので、ありがたいです」
イオの言葉を受け、ナユタは左手の人差し指を下唇に当てて、しばらく考えてから、星が昇った空を見上げた。
夜間は飛空艇が運行されない為、星空が非常に綺麗に見える。
「それに、大事なのは実技試験です。筆記試験でどれだけいい成績をとっても、次の実技試験で一回戦落ちすればそこで終わりですからね」
アリシア王立高度教育学院。
世界にその名を響かせる名校。その入学試験は三部制である。
こちらは既に終了しているが、まずは一次試験として書類選考が行われる。イオのような例外を除き、書類選考に合格した生徒には一次試験合格証明書が発行され、これが二次試験を受けるための鍵の役割を果たす。二次試験は筆記試験で、一次試験に合格した千人近い受験生が、この筆記試験で四百人まで篩いに掛けられる。最後に、三次試験である実技試験が行われる。この三次試験は試験方法が異質である上に試験を突破できるのは四百人中、上位二百人だけだ。どれだけ良い成績を出しても、上位二百名に入る実力がなければ、問答無用で入学拒否となる事から、多くの受験生から恐れられている。
その事を理解しているからか、ナユタも余裕綽綽といった様子ではない。
口では楽勝を装っていても、対策を極めれば極める程不安は大きくなるものだ。
彼女は真剣みの帯びた表情で、イオの言葉に頷きを返す。
「実技試験ではもっと気を引き締める必要がありそうだな」
「もちろんです。ちゃんと頑張りましょう」
高難度な筆記試験と実技試験。これら二つの試験を無事に突破する為に、二人は二週間後に行われる入学試験へと意識を向けたのだった。
お読みいただきありがとうございます。ナユタちゃんの憧れの人が明らかになりました。




