第六十六話
「…そんな、馬鹿な話が…」
信じがたい話だった。破壊ノ幻魔は二年前に第四戦線で完全消滅したと、戦団組合が発表していた筈だ。事実それ以来観測されたとの情報はイオの耳に入ってきていない。
訝し気に目を細めると、ヴァイゼンは静かに笑みを浮かべた。
「それは僕も同じ感想だ。しかしこれは戦団組合からの公的な文書だよ」
彼の言葉に、イオはとうとう「まさか」と呟いて、それから冷や汗を流した。
破壊ノ幻魔は姉を殺した、イオの仇そのものだ。消滅したと思っていたが、それが出現したとなれば、こんな状況でもイオの心情は穏やかではない。しかし、そんな彼の心の内を見抜いたか、ヴァイゼンは彼に冷静さを保たせるために話を先に進めた。
「…そして僕達にとって、本当の問題はここからだ。二枚目の資料を見てくれるかな。イオ君」
「…」
時間が惜しいと、イオは目を眇める。しかし結局はヴァイゼンに促されるがまま、二枚目の文書に目を通した。しかし、最初の一文に記載された内容に、イオは思わず首を傾げる。
「……解放者ですか?」
聞いた事の無い言葉を呟くが、ヴァイゼンは肩を竦めるだけでイオの言葉には答えない。それが意味する所は、解放者という存在に関する情報がこの先に記されているということだろう。
事実、しばらく読み進めると、二枚目の文書に記されていたのは、「解放者」と名乗る人物たちの言動と、彼らが求めていたとされる人材の情報であることが分かった。
そして文末には、どうやって突き止め入手したのかは知れないが、まだ幼さの残るナユタの顔写真が同封されている。なぜナユタの写真がここに? そう思うより早く、文書を読み進めたイオは、目の当たりにした情報に驚愕した。
その反応からイオが文書を最後まで読み終えた事を察したのだろうか、ヴァイゼンはそこで静かに魔術行使を停止させる。イオと彼の間を隔てていた二枚の文書がふっと消えて、その奥から普段通りの笑みを浮かべたヴァイゼンの精鍛な顔が覗いてくる。しかし彼の顔を見ている余裕など、イオには無かった。一度に与えられた情報があまりに多すぎて、イオと言えど混乱せずにはいられない。
「さて、イオ君。今読んでもらったのは紛れもない事実だが、君はどう思う?」
笑みを一切崩すことなく問うてきたヴァイゼンに、イオは未だ濁流の様に脳内を駆け巡る情報に辟易しながら答えた。
「…災厄級は、人間を”核”に生み出される。そして破壊ノ幻魔の復活のためにナユタが選ばれたなんて。正直信じたくも無いっすよ」
重々しく、衝撃的な情報を口にしたイオ。もはや疲れを隠せずにいる彼の言葉に、その場にいた全ての者が息を呑んだ。
それは当然のことだとイオは思う。幻魔は人間とは根本から異なる生物だ。その中でも突出した強さを持つ災厄級が人間を糧にして生み出されるなど、信じがたい事実である。もしそうであれば、これまで人類が積み上げて来た幻魔に関する知識の蓄積が、根底から覆されかねない。
先程その事を口にしておいたイオ自身も、実際は内心頭を抱えていた。戦場を渡り歩き、長い間最前線にいたイオをしても、この情報は理解に苦しむ。
しかしその中にあって、ヴァイゼンは平然と口を開いた。
「それは僕も同じさ。でもね、事実と言うのは得てして受け入れがたいものだよ。そして常に進化し、更新されていくものでもあるんだ。それに適応することができなければ、僕達は滅ぶしかない」
その通りだとイオは内心頷いた。戦場ではいつだって情報不足だが、一方で目まぐるしい速度でその上書きが行われていく。今こうしている間にも、世界のどこかで情報は書き換えられ続けているのだ。人類が確立した確かな事実は案外少ない。
しかし、そんな事は嫌と言うほど分かっているのに、イオは”その情報”を理解することを拒んでいた。彼の脳がただ情報を処理できていないのか、それとも心の方が拒絶しているのかは知った事ではない。
そんな彼の脳内を、浮かび上がった至って単純な疑問が反芻する。疑念は、口を突いて出た。
「ナユタが、破壊ノ幻魔の核だと………いや、そもそも、どうしてナユタが選ばれたんですか」
破壊ノ幻魔の復活にナユタが必要だとして、なぜ彼女なのか。それだけがどこにも情報として記されていなかった。
それを問うたイオに、ヴァイゼンはただ首を横に振るだけだった。
「それに関しては、僕も分からない。けれど実際にナユタ君が連れ去られているのだから、もはやその理由はいらないのかもしれないね」
「……ええ。そうですね」
きっぱりと言い切られて、イオは渋々頷く。確かにそうだ。ナユタが連れ去られた事実、それがこの情報の優位性を雄弁に語っている。
しかしその事実を知っても。否、知ったからこそ、イオには譲れないことがあった。
イオは話を一旦区切ると、一つ息を吸い込んで言う。
「でも、その情報が事実なら、それこそナユタを助けに行くべきです。もし解放者を名乗る連中が、ナユタを利用して破壊ノ幻魔を復活させたなら、それこそアリシア王国に甚大な被害が出ます。それを事前に防ぐとい意味でも、助けに行くべきでしょう。……何故なら破壊ノ幻魔は、二年前に二十万もの大軍勢を、一瞬にして葬った怪物なんですから」
イオは今度こそ、ある程度冷静になった頭で論理的な決断を下した。どうせヴァイゼンには受け入れられないと思っていた為、イオは彼が大きく頷いたという事実に、一瞬だけ戸惑う。
首を縦に振ったヴァイゼンは、イオの言葉を肯定する。
「全くもってその通りだ。といっても、僕はそのためにここに来たんだけどね」
「…ならどうしてナユタを助けに行かないんですか。その理由を、しっかりと説明してください。……どんな理由があっても、俺は行きますが」
もはや睨むようにヴァイゼンの瞳を覗きこむと、彼は苦笑して両手を上げながらやれやれと答えた。
「…分かったよ。まぁいずれは君に話さなくてはならない事だしね。……まず聞きたいんだけど、君は現状をどう見ている?」
唐突に話が捻じ曲がった様に感じた。ささくれだった感情が、話すだけ無駄だとイオの体を突き動かそうとするが、イオの理性はそこで立ち止まる。そして事態をより鮮明に眺めるために、頭の中を整理しようと話に乗った。
「現状、ですか」
呟かれた言葉に答える声は無い。だがイオは自分自身声で、少しずつ冷静さを取り戻すのを実感した。イオは早打っていた心臓を深呼吸で静めて思考を巡らせる。
まずは情報を整理しよう。ナユタを連れ去った者達が求めていた人材は、当然ながら彼女であったことから、あの男達が「解放者」なる存在である可能性は極めて高い。そして解放者がナユタを連れ去ったのは、文書に記載された情報が正しければ、破壊ノ幻魔復活の為だと。
「…イオ君、どうされましたか?」
背後から声を掛けてくれたララの声も聞こえない程に、イオは思考に集中する。すると、ふと脳裏に、この戦いが始まってからずっと抱いていた違和感が次々と浮かび上がってきた。
まず最初の違和感は、事の発端となった幻魔の侵攻だ。隣国との戦いに際して兵力が減衰し、学院生も殆ど残っていない時期のリディアに、これまでで最大規模の幻魔軍の侵攻。そして圧倒的な数的不利、戦力不利を背負って、それでも各々が覚悟を決めて臨んだ一次作戦では、突如出現した不死鳥型の幻魔に軍は壊滅寸前まで追い込まれた。
二つ目の違和感は、紛れもなく「解放者」達の襲撃だ。不死鳥型の幻魔に追い込まれながらも、命からがら逃げ帰った先でそれは起こった。
連れ去られたナユタと、そしてその末に起きるとされる破壊ノ幻魔の復活。これはもはやイオ達だけでは無く、人類そのものの脅威となる。その為のトリガーとしてナユタが連れ去られたことも、彼女がフッキやリンカーン、そしてイオから最大限遠い位置にいる状況で襲撃されたのも、まさに不運としか言いようがない。もし前述した中の誰かがナユタと共にあったなら、彼女は連れ去られずに済んだだろう。解放者の襲撃は余りに最悪のタイミングで起きた。しかし逆に言えば、奴らにとっては僥倖以外の何物でもないほど、最良のタイミングだった。
そこまで考えてから、ふとイオは違和感の正体に迫る。
そうだ、あまりに不運が重なり過ぎた。しかしそれは、本当にただの不運だったのだろうか?




