第六十三話
「ナユタを守れなかったのは俺の責任です。だから、俺が取り戻しに行かないと……」
全ては自分の弱さが原因だ。あの二人の男程度に後れを取ってしまった、自分自身の弱さが。
負傷者が横たわるベッドから起き上がって、外に出ようとしていた所をララに食い止められたイオは、悔しさに目を伏せて拳を握る。
その覚悟を決めた表情に、ララが思わず後退りをして、イオはその隣を抜けていこうとする。
しかしそれよりも早く、テントの天幕を捲って、白銀の髪を持つ長身の男が入ってきた。
「お邪魔するよ負傷者諸君!! 国のための勇戦、政府を代表して感謝するよ!! そして数時間ぶりだねえイオ君! 気分はどうだい?」
彼は振り返ったイオの顔を見て、やれやれと首を振って苦笑する。
「…あまり優れないようだね。…今の君は、ずいぶんと酷い顔をしているよ。まぁ少し落ち着きなさい。そこの椅子にでも腰掛けてさ」
ヴァイゼンの言葉にイオは乾いた笑みを浮かべる。それはまるで、ナユタを守れなかった自分を、もう一人の自分が嘲笑っている様だった。
再び腹の底から湧き上がってきた自分への怒りに歯を食いしばって、それを悟らせない為に右手で顔を覆うと俯いた。
「学院長。ナユタは、俺の力不足のせいで、正体不明の連中に連れてかれました。……だから、俺が取り戻しに行きます」
取り繕って、常の様な冷静さを保とうとするが、言葉の端々に様々な感情が見え隠れする。
それでも体は自然と動いてテントから出ようとしていた。しかし、テント入り口付近で立ち止まったヴァイゼンが、すれ違い様に包帯が巻かれたイオの肩を掴む。
「イオ君、待つんだ」
イオは少しだけ苛立ちながら、振り返らずに震える声で応じる。
「…何ですか。正直俺にもう余裕がありません。ナユタをいち早く助けに行くためにも、簡潔に願います」
イオがナユタを最後に見た時、彼女は意識を失っている状態だった。だからこそ一秒でも早くこの場を去りたいイオに、ヴァイゼンは極めて冷静な、そして冷徹な視線で答えた。
「…そうだね。確かにナユタ君はまだ生きているかもしれない。…けどね、彼女はあと数分で、確実に死ぬ」
淡々と告げられた事実を、イオは数秒間呑み込めなかった。まるで鈍器で頭を殴られた様な衝撃が、イオを襲う。
この男は何を言っている。あと数分で、連れ去られたナユタが死ぬと、そう言ったのか。
それは周りにいた兵士達、ララ、そしてリンカーンやフッキも表情にこそ出さないが、同様の感情を秘めているようだった。
イオは残された可能性に縋るように、ヴァイゼンの言葉を否定する。
「しかし…殺すことが目的なら、わざわざ連れ去ったりはしないはず。連中にはナユタを生きたまま連れ去らなければならない、何らかの理由があったはずです」
「それはそうだろうね。でもそれが分かった所で、僕達にできることはもう限られているよ」
何か言葉に含みを持たせたヴァイゼン。しかし、ナユタの命を最初から諦めた様な姿勢が気に食わなかったイオは、珍しく激情のままに声を荒げた。そこにナユタを守れなかった自身に対する怒りや、悔しさといった感情が内包されたのは言うまでもない。
「それなら! 尚更こんな所で無意味に時間を使っている暇はない!! 今すぐにでもナユタを助けに行くべきだ!!」
驚きは一転して、怒りへと変わる。ヴァイゼンの口から放たれた言葉が、ナユタの命を諦めるものだと感じたからだ。
「…僕がわざわざ君を引き留めに来た理由はいくつかある。一つは、そもそもナユタ君が連れ去られた場所が不明であるということ。そして二つ目は……」
掴みかかったイオに、ヴァイゼンは極めて洗練された動きで対応する。
何が起こったのか分からない程容易く投げ飛ばされたイオは、地面に背中から落ちた。がはっと空気を吐き出すイオを見下ろして、ヴァイゼンは冷ややかな目をした。
「今からナユタ君を助けに行っても、もう間に合わないからさ」
そこにいたのは、市長として合理的な判断のみを採択する彼だった。
「…イオ君が彼らと交戦して、転移魔術で逃走されてから、もう三十分は経過している。…既に始まっていたんだよ。彼らの計画は。だからもう、間に合わない」
淡々と告げるヴァイゼンを、イオは起き上がって再び見上げた。
「…ずいぶんと事情を知っているみたいですね。けど『間に合わないから』、そんな理由でナユタを諦められるわけないでしょう。少なくとも今生きているなら、俺は助けに行きますよ」
イオはそう言い切って、再び歩き出す。
話し合いは決裂した。自分とヴァイゼンは根本から行動方針が異なるのだろうと納得して、イオは単独でのナユタ奪還に臨むことを決めた。
しかしヴァイゼンが振り返る気配。彼はイオに視線を向けると、一つ深呼吸して、語気を強めた。
「…破壊ノ幻魔」
彼の言葉に、イオの心臓がドクンと跳ね上がる。足が自然と止まる。
腹の底から怒りが湧き、胸が焼けるように熱い。
それは、ずいぶんと久しぶりに聞く名前だった。
イオ自身がそれを避けていたこともあるが、イオの際限ない怒りを呼び覚ますその言葉を、彼の周りの人間が口にしなかったことが一番の要因だ。イオに最も強い思いを植え付けた幻魔の名、それが破壊ノ幻魔。最愛の姉を奪った、観測史上最強の幻魔。
「二年前、第四戦線に展開中だった戦団組合連合軍を襲った災厄級。全てを無に帰す紅の風をその身に纏った巨竜は、まさに災厄と呼ぶに相応しい存在だった」
「…」
そんなことは知っている、とイオは胸中に呟く。
何故ならイオは、第四戦線で破壊ノ幻魔と交戦した戦団組合連合軍、唯一の生き残りなのだから。その姿を、恐ろしさを、そして強さを。イオは誰よりも鮮明に覚えている。
ヴァイゼンが何かに耐える様に、目を閉じて続ける。
「…嫌な事件だった。それは皆同じ気持ちだよ」
あの襲撃で仲間を、愛する者を失ったのはイオだけでは無い。ヴァイゼンもその一人だ。彼の気持ちは痛い程理解できる。本当に嫌な事件だった。
少しだけ言葉に詰まった様子のヴァイゼンだったが、彼は軽く息を整えると、すぐに何時も通りの声音に戻る。
「…しかしもし、それが蘇ろうとしているとしたら、君はどうする?」
ヴァイゼンはそう言って、足を止めたイオの前に再びやってくる。そして全てを見透かす様な鋭い目でイオを見据えた。
「冗談を言ってられる状況じゃ……」
「冗談なんかじゃないよ。これは、確かな事実だ」
苛立ちを含んで振り返ったイオに、ヴァイゼンは笑みの欠片も無い無表情で応じる。
それから彼が指を鳴らすと、イオとヴァイゼンの間に二枚の文書が浮かび上がった。そこに記されていたのは、イオの目を疑う内容だった。彼の目が自然と見開かれる。
イオが一枚目の文書に目を通したことを確認すると、ヴァイゼンは真剣味を帯びた表情のまま呟いた。
「……災厄級、破壊ノ幻魔が復活しようとしている」
そんな途方もない言葉に、イオは脳裏に焼き付けられた焦土を思い出した。




