第六十二話
イオが敵に逃げられたのと同時刻。
姿を晦ました敵を探しつつ、フッキは自分と同じように肩で荒く息をしているリンカーンに目を向けた。
熾烈を極めた敵との敵との戦いは、結果として決着はつかなかった。彼女も自分達も、互いに押し切れずに時間切れとなったらしい事を改めて理解したフッキは、展開した精神武器を解除する。
「…我々二人をもってしても、押し切れない相手とはな」
そう一人心地に呟いて、フッキは敵がみせた人間離れした肉体運動を思い出す。
跳躍、急速な前進後退、緩急の付いた動きは見事だったが、そのどれにも予備動作が見られなかった。筋肉の収縮が見られないということは、相手は女性の姿をしていながら、人間とは異なる生物である可能性が浮上してくる。それはイオの予想通りだったが、改めて考えると異常な相手だった。
フッキの呟きに、同じく精神武器を解除したリンカーンが続く。
「ええ。それに、肉体強度も現実離れしてますよ。私の槍が、まさか弾かれるなんて」
「ああ。たとえあれば幻魔であってもそうはならない」
そう答えたフッキの剣も、敵の肉体の薄皮一枚を切り裂くにとどまった。歴戦の猛者と謡われるだけの彼をもってしても、首を跳ねる事はかなわなかったのである。
リンカーンは額に負った切り傷から流れ出る血を拭って、敵が去っていった方向を見やる。それから続けようとした言葉は、走ってくる兵士の姿と、遠くの空からこちらに向かって飛んでくる一機の飛空艇を目にしたことで吞み込まれる。
彼は静かに言った。
「…どうやらあちらも、決着がついたようですね。それに…」
飛空艇に刻まれた一つのマークを確認した彼は続ける。
「…市長専用機。リディア市長がわざわざ来るとは、やはり異常事態が発生していると考えて然るべきなのでしょうか」
「そうだろうな。…リンカーン。貴様は兵士からの報告を受けた後、会議場の準備に当たれ。私は市長を出迎える」
「了解です。作戦会議室を改装しておきます。それでは失礼します」
「ああ」
全く同意見だったので、頷きつつ指示を出すと、彼は敬礼してその場を後にした。
「…さて、一体何が起こっているのか、確かめさせてもらおうか」
一つ呟いてフッキは、随分と近づいてきた市長専用機に再び視線を向ける。
指揮官であるフッキをしても、やはり現場にいるだけでは見えてこないものがある。現状をヴァイゼンがどう理解しているのか、それがフッキの持ちうる最大の疑問だった。
彼の真上まで迫り、辺りに強風を巻き起こしているそれは、ほどなくしてフッキの目前にある臨時の離着陸場に着陸した。
魔力エンジンが弱まる音と共に、機体前方に取り付けられた扉が開いて、中から一人の人物が姿を現した。若者でありながら老人な様な総白髪をもった人物だった。
見覚えのある人物に、フッキは彼の元まで速足で向かう。そして、眼鏡をくいっと中指で押し上げた彼に、敬礼しつつ声をかけた。
「ヴァイゼン市長、このような場所まで足を運んでくださり光栄ではございますが、この度は一体どのようなご用件でしょうか」
普段通りの、全く崩れることの無い笑みを浮かべたまま飛空艇から降りて来たヴァイゼンは、フッキの前で敬礼して答える。
「これはフッキ指揮官。わざわざお出迎え頂き感謝します。実は、国からの指令がありましたので、こちらに参った次第です」
「国からの指令が?」
「ええ」
頷くヴァイゼンに、フッキは思わず目を眇める。
国がヴァイゼンをリスティア湖へ派遣する意味とは何だろうか。その先を問おうとした所で、フッキの頬に冷たい雫が落ちる。空を見上げると、先程よりも暗くなった空からぽつりぽつりと雨が降り出したところだった。
フッキは視線をヴァイゼンに戻してから、体を拠点へと向ける。
「…それでは、雨も降ってきましたので、ひとまず会議室へとご案内いたします。どうぞこちらへ」
「はい。ありがとうございます。話はその先という事で。ああ、空から見ていたので、大体の事情は把握してます。そこまで詳しく状況を説明して頂かずとも大丈夫ですよ」
「そうですか。それは助かりますが…」
先ほどの襲撃に関しても知っているのだろうか。そうすると、何故そこまで普段通りの姿でいられるのだろうか。
にこやかに頷くヴァイゼンに、フッキはどこなく、得体のしれない恐怖を感じた。
道すがら、ヴァイゼンは唐突に言う。
「ああ、そういえば、イオ君がどこにいるかご存知ですか?」
彼の口から飛び出した意外な名前に、フッキは思わず目を見開く。
「把握しておりますが、市長はイオ君とお知り合いなのですか?」
「知り合いというほどでもありませんが、少しご縁がありましてね」
にこやかに語るヴァイゼンだったが、本当にそれだけだろうかとフッキは疑問にも思った。しかし、それは今必要な情報では無い。だからフッキはただ頷いた。
「そうでしたか。彼は先ほど襲撃してきた謎の人物と交戦すべく、我々とは別行動をとっています」
「なるほど。了解しました」
それから暫く情報交換を行いながら拠点内を歩いていると、部下達に指示を出して会議室を作り終えたであろうリンカーンが神妙な面持ちでこちらに駆けて来た。彼はヴァイゼンに一礼すると、それからフッキに耳打ちするようにして報告を上げる。彼の口から告げられた言葉に、フッキは珍しく焦りを押し隠せずに答える。
「それは本当か!?」
信じがたい、信じたくも無い報告だったが、リンカーンはここに至るまでに気持ちの整理をつけたのか、取り乱す様子も無く静かに頷いた。
「ええ。事実です。……負傷したとみられる彼も、既にララ少佐によってテント内に運び込まれています」
「…そんな馬鹿な話があるのか」
フッキはふと、隣を歩くヴァイゼンを見やる。彼は平生の笑みを浮かべたままだが、フッキが受け取った報告は、いずれ彼にも打ち明けねばならないものだった。
不甲斐なさ、申し訳なさ、様々な感情が巻き起こるが、フッキはそれら全てを抑え込んで、ぐっと喉を鳴らしてヴァイゼンに向き直った。
「ヴァイゼン市長」
フッキのその瞳に何を感じ取ったか、ヴァイゼンはああと呟いてから、少しだけ目を細めて哀し気な笑みを湛えた。
そして、ただ無念そうに呟く。
「…なるほど、そういうことですか」
「…もしや、ご理解されましたか」
全てを悟った様な表情のヴァイゼンに驚きつつ問うと、彼はしっかりと頷いて前を向いた。それから、少しだけ吐息の混じった、彼にしては珍しく感情を含んだ声で応じる。
「…そうですね。大体は理解しました。行先が、一つ増えたのでしょう」
その通りだった。フッキ達はこれから、会議室へ向かう前に、とある場所に立ち寄らなければならない。そしてそこでしなければならない報告は、ヴァイゼンにとって苦しいものになる。だが、もはや事態は起こってしまった。フッキには彼を、その場所へと案内する義務がある。
フッキは静かに頷くと、ただ一言、彼に告げた。
「…私についてきてください。イオ君がいる場所へ、ご案内します」
暫く歩くと、少し大きめのテントが一つ見えて来た。その周りには、幾らかの人気があった。
悔し気な表情を浮かべる者、絶望する者、自らの非力を呪う者、様々な感情がそこにはあったが、明るい表情の者はいない。それが圧倒的な敗北を意味している事が、ヴァイゼンには容易に理解できた。
リスティア防衛戦副指揮官であるリンカーンがフッキに伝えた報告の内容を、ヴァイゼンは完全に理解できた訳では無い。しかし、ある程度は予想ができていた事態だ。もはやこうなっては、できることをやるだけだ。
「…こちらは?」
ヴァイゼンの問いに、フッキが答える。
「負傷兵が運び込まれるテントです。イオ君も負傷し、こちらに」
「そうですか」
そうしてヴァイゼンが中に踏み込もうとすると、テントの中が騒がしくなった。
「ちょっと! まだ安静にしてないとダメって言ってるでしょう!」
「いや、俺は大丈夫です。もう行かないと…」
「そんなボロボロの体で何をするつもりなの! 今は大人しく休みなさい!」
随分と聞き覚えのある少年の声と、必死な女性の声だった。そして少年が懇願する様に声を荒げる。
「無理ですよ。俺が寝ている間にあいつが、ナユタがどんな目に遭ってるか、それを考えただけで、体が勝手に動くんですから」
「…っ」
息を呑んだ女性に、少年が続ける。
「ナユタを守れなかったのは俺の責任です。だから、俺が取り戻しに行かないと……」
その言葉が少年の口から飛び出したことに、ヴァイゼンは驚き、そして僅かに笑みを浮かべた。




