第五十七話
男は悠然とした動きで、ゆらりと振り向いた。しかしだからこそ、ナユタの直感が再度危険信号を発する。
やはりこの男は危険だ。そう確信したナユタは勇気を振り絞って、振るえる剣先を向けた。
再び構えなおされた進化聖剣。本来であれば幻魔も人間も、等しく恐れを抱く強大な武器だが、それを見た男は、今度こそ明確に目を見開いて呟いた。
「……なるほど。そうか、君だったんだね」
そこに含まれていたのは、明らかな羨望と歓喜であり、畏怖は感じられない。
そして男は高らかに笑った。
「そうか! ここにいたのか! いやはや我は運がいい!! まさかここで”適合者”に巡り合えるとは!!!」
男の言葉に、ナユタは目を眇める。
適合者? 何を言っているのだ、この男は。
男が歓喜する理由が分からずに困惑するナユタを置いて、男は興奮冷めやらぬ様子で叫び続ける。
「主よ! ようやく我々が求めていた存在が見つかった!! 災厄を再び世に解き放つ時が来たぞ!!!」
もはや狂気の領域に踏み込んだ叫びと笑み。それに恐怖するを肉体を、ナユタは叱咤する。
ナユタが数回の呼吸の末に何とか震える剣先を静めると同時に、男はひとしきり笑い終えて脱力し、俯いた。それからゆらりと上体を起こして、その瞳と顔から、これまで浮かべていた嘲笑の一切を切り落とす。
もはや抜け殻のようになった無表情で、男が呟いた。
「…さて、そうとなれば遊んでもいられない。悪いけど、君を連れて行かせてもらうよ」
刹那、ナユタが剣を上げる間もなく、男がナユタに肉薄する。そして無表情のままに放たれた強力な一撃が、辛うじて剣を自らに引き付けて、防御姿勢をとったナユタを猛然と吹き飛ばした。
(速さの、格が変わった!?)
胸中でそう叫ぶナユタに、追撃が走る。
後方から急接近してきた男の拳が、再び放たれる。先程よりもずっと重たく、素早い剛撃だ。
「…くっ」
ナユタは空中で態勢を崩しながらも、何とか防御姿勢をとる。ここで得意のカウンターでは無く防御の姿勢をとったのは、彼女が無意識の内に敗北を悟ったからだが、今の彼女にそんな事を考える余裕はなかった。
とにかく正確に、無慈悲に繰り出される攻撃の雨。しかし度重なる精神武器の使用、第二段階解放。この二点に伴う代償として、限りなく重たくなったナユタの肉体は、段々と男の攻撃に適応できなくなっていく。
一撃、また一撃と攻撃を喰らう。しかし、そうすると戦い慣れていない人間の体というものは、敗北を悟り、受け入れるようになってしまう。自然と体から力が抜け、意志に反して防御の姿勢もとれなくなった。
とにかく、嵐の中に放り込まれた様な暴力の渦が、ナユタを襲う。口の中は、とっくに血の味で満ちていた。
次から次へと繰り出される攻撃を見切る事も、そして鈍った体では回避する事もできないナユタは、成す術も無く暴力の海に沈む。
男の攻撃が始まって、どれくらい経っただろうか。ようやく男が止まり、地面に倒れ伏したナユタに向かって悠然と歩いてくる。
「……何が何だか分からないだろうけれど、我々にも事情があるんだ」
息も切らさず、ララ指揮下の兵士達による魔法攻撃の直撃ですら大したダメージでは無い様子で近づいてきた男。ナユタはやっとの思いで首だけを動かして、対して開かない目で男を睨みつけた。
「…彼らにも悪いけど、今は我々の目的を優先したいんだよ」
兵士達を一瞥した男は、事も無さげにそう言い切る。
男の足が、振り上げられた気配がする。ララや周辺の兵士が、これまで以上の焦りを滲ませて、魔法の飽和攻撃を敵に叩きつけている。
そこまできてナユタは、これから自分が止めを刺されるのだと理解した。そう、あと数秒もしない内に、自分は死ぬ。
そう思うと、自然と脳内を記憶が駆け巡った。これが、走馬灯というものなのだろうか。
「それじゃあね。君という人間の存在に、我々は大いに感謝するよ。……だから、さようなら」
薄れゆく意識の中、ナユタは突然、イオの事を思い出した。イオの屈託のない笑みが、ぼんやりと浮かび上がってくる。
ああ、やはりそうだったのかとナユタは気づいた。今になって分かった。
(やっぱりララさんの言う通りでした。この思いを、あなたに伝えられないなんて……。でも、体が、もう)
男の足が、無慈悲に、そして無造作に振り抜かれる。
豪速で迫るその攻撃に、ナユタはいよいよ目を固く閉じた。
(ごめんなさい、イオくん)
心の中で、イオにそう謝罪する。その思いがせめてイオに届けばと、ナユタは静かに願った。
「…」
しかしいつまで経っても然るべき瞬間は訪れない。未だに痛みを感じることから、既に死んでしまった訳ではないようだった。
ぐっと閉じていた目を、再び開く。霞む視界に映るのは、男の足を受け止める、もう一人の影。
「……誰?」
もはや霞む視界では、黒い衣服を身に纏ったその影の正体を推し量ることはできない。
やがて男は口を開いて、その声音で彼がナユタの知る人物では無いということが分かった。
「……待ちたまえ、ロキよ」
男の本気の剛撃を難なく受け止めたもう一人の男の、低い声が耳に届く。ロキと呼ばれた男は、不服そうに足を引いた。
「何故止める、ホルス。ようやく核の適合者を見つけたというのに、何故我の邪魔をするんだい」
ホルスと呼ばれた大男が答える。
「事情が変わった。彼女は『鍵』について知っている可能性がある」
「…目の力か」
「…そうだ。だから一度、話し合いの場を設けたい」
大男の言葉に、小男は静かに項垂れる。
「……全く、君はどうしていつもそうなんだ」
「受け入れてくれ。今実力者三人を、フィニクスが足止めしている。その内に離脱しよう。……ロキ、君は妨害しようとする者の相手をしてくれ。私は魔術展開に力を注ぐ」
「……ああ、分かったよ。それじゃあその前に……」
「ああ。分かっているとも」
そう呟いた大男が、ナユタの前に屈みこむ。そして、その手をナユタに向けた。
魔力の高まりを感じ、大男によって行使された魔術がナユタの全身を駆け抜ける。視界が突如暗転し意識が遠のくような独特の感覚の中で、ナユタは祈るように呟いた。
「……イオ、くん……」
それを最後にナユタの意識はふつりと途切れ、彼女は深い深い闇の中へと、落ちた。




