第五十四話:帰還
二人が外に出る頃には、既に周りに幻魔の姿は無かった。
幻魔が仮拠点へ向かっていった訳ではないということが侵攻跡から理解できた二人は、とにかく拠点への帰還を急ぐ。そして魔力で身体を強化して走ること数分、二人はようやく見慣れた拠点へと辿り着いた。
森を抜けて拠点へ入ると、入り口付近で部下に指示を出していた一人の女性兵士が、いきなり現れたナユタとイオに驚きつつも声を掛けて来た。
「あなた達! 大丈夫!?」
肩で荒く息をしているナユタはそれに答える事ができない。代わりに、隣で同じように肩を上下させていたイオが、頬を伝う汗を拭って答える。
「ええ。後方支援に回っていた、中央軍のイオとナユタです。遅くなりましたが、戻りました」
「イオ君にナユタさん。そう、リンカーンさんから聞いているわ。ほんとうにありがとう」
そう言って頭を下げた兵士に、イオとナユタは目を見合わせる。いきなりの行動に何も言えないでいると、黒髪黒目の女性兵士が、再び二人に向き直って敬礼をした。
「…アリシア国軍第八十七師団所属、ララ・ルイーズ・サントスよ。兵士達の命を救って頂いたこと、国軍を代表して感謝します」
正された口調での名乗りにナユタが驚いた一方で、隣にいたイオは態度を改める。彼は自然な動作で敬礼をすると、ララに向き直って口を開いた。
「いえ。こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます、ララさん。階級は…」
「少佐よ」
「承りました。ではララ少佐と」
「ええ」
イオは頷きつつ、敬礼を解除する。
さらりと告げられたが、少佐は軍の中でも高位の役職だ。ララは見たところ二十代後半くらいであることから、彼女は比較的若くしてその地位に立っているということになる。言葉使いや態度などから予想はできていたが、彼女は優秀な人なのだろう。
長い黒髪をさらりと払って、ララは笑みを浮かべる。その仕草があまりに優雅で、ナユタは思わず見とれてしまったが、イオは比較的淡々とした様子で答える。
「ところでララ少佐、フッキ指揮官はどちらに?」
「さっき作戦会議をやったテントで、二次作戦に関する情報をまとめていると思うわ。良ければ部下に案内させましょうか?」
「そうですね…」
ララの提案に、イオはチラリとナユタを見ると、小さく頷いた。
「お願いします。あと、ナユタを休息できる場所まで案内してあげてください」
「あら…なんだか意外ね。あなたは良いのかしら?」
ララは驚いた様にイオに向かって微笑を浮かべた。彼女の目にはイオの、ナユタへの気遣いが彼の意外な行動として映った様だ。彼の根底にある優しさにある程度触れて来たナユタはそうは思わないが、初対面の人からすれば、意外と思われるのだろう。本来であれば自分もフッキやリンカーンと共に考察を深めたいところだったが、生憎疲労が表に出始めてきたので、ナユタは大人しくしておく。
随分と挑戦的に聞こえる言い方だったが、イオはこれまた淡々と返す。
「俺は慣れてますから。それに、今は一刻も早く指揮官達に伝えたいことがあるので」
イオの横顔からは、彼が脳内に先程立てた仮説を思い浮かべているということが容易に分かった。ララも彼の真剣な顔を見て何かを感じ取ったのか、即座に頷いて部下の一人を呼び寄せる。
「イオ君を指揮官のいるテントまで送ってあげて」
「了解です。ではイオ君、参りましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、すぐに出発したイオと兵士。ナユタは全てを彼に任せてしまうのが申し訳なくて、イオの背に声を掛ける。
「イオくん、すみません。私も一緒に行ければ良かったんですけど」
ナユタの声に振り返ったイオは、苦笑して答える。
「気にすんな。指揮官達にはナユタの考察も一緒に伝えてくるから、今は回復に専念してくれ。切り札使った疲労もあるだろうしな」
「気づいてたんですか」
「まぁな」
イオの鋭い指摘に、ナユタも苦笑を浮かべる。やはり彼は観察力が高い。
ナユタは進化聖剣の第二段階解放状態を制御するために、肉体と精神の双方を酷使した。そのため、正直に言えば体はとても重く、頭も痛い。イオの前ではそれを隠していたつもりではあったのだが、どうやら見抜かれていた様だ。イオは支給品が入ったポーチから幾つかの錠剤が入った袋を取り出すと、それをナユタに向かって差し出してくる。何事かと首を傾げながら受け取ると、袋には『頓服:鎮痛剤』と書かれていた。
「鎮痛剤、ですか?」
思わず呟くと、イオは少しだけ自慢げに口角を吊り上げる。
「ああ。ナユタおまえ、今頭痛酷いだろ?」
「そ、そうですけど、どうして分かったんですか?」
あまりにドンピシャすぎる予想に驚いていると、イオは満足げに頷いて答える。
「やっぱりな。精神武器の使い過ぎでぶっ倒れる奴らの症状って、結構似てるんだよな。頭痛、倦怠感、痺れ、震え、動悸とかな。精神武器が魔力と関りがあるからその辺の性だとは思うんだけど……まぁとにかく、そんな訳で、薬は常に持っとくようにしてるんだ」
「は、はぁ…」
なんだが随分と饒舌になったイオに、ナユタは歯切れの悪い解答を返す事しかできない。何を言おうかと悩んでいると、イオがびしっとナユタに指を向けてきた。
「あ、そうだ。薬は一回飲んだら、最低でも六時間はおけよ。じゃないと体に悪い」
「どうしてそんなことを…」
「分かったな」
知っているんだ、と問うよりも早く、イオが割り込んでくる。
「…わ、わかりました」
あまりに真剣な顔で言うのでナユタが思わず頷くと、イオは満足げに腕を組んだ。そしてナユタに背を向けて歩き出しながら、イオは振り返ることなく手を振って言う。
「んじゃあな。薬は多分速攻効くけど、大人しく休んでろよ」
もはや言葉も返せずポカンとしながら、ナユタはイオの背を見送る。またしても、イオがどういう人間なのか分からなくなった。




