第五十三話:違和感
「…それにしても、変だと思いませんか」
洞窟に避難してから凡そ三十分が過ぎた。イオの頭脳が、ナユタとの先ほどの会話を記憶の棚に収納している丁度その時、ナユタが唐突に口を開いた。
傷による消耗から、体力回復のためにと横になっていたイオは首だけを動かして、光響石の向こう側、水辺に座ったナユタを見る。
「何がだ」
三角座りしたナユタの眉間に皺が寄せられて、何か恐ろしいものを思い出す様な声で告げる。
「あの幻魔達です」
「あのって、どのヤツだ」
「イオくんに傷を負わせた、あの幻魔達ですよ。時間があったので戦闘を振り返っていたんですが、どうにも腑に落ちなくて…」
ああ、とイオは天井を見上げたまま、戦闘時の記憶を振り返る。
しかし、イオにしてみれば別段不自然に思われるところは無かった。不意を突かれた時点で、どちらかが負傷するのは確定していたようなものだ。
だから、イオは逆に首を傾げて見せる。
「何が変なんだよ。別に変な能力とかは無かったように思うぞ? 幻技だって使えなかったみたいだし。小鬼型なんてあんなもんだろ」
イオに傷を負わせたのは小鬼型の幻魔、俗に小鬼型と言われる幻魔だった。討伐難度は単独ではE、集団になるとC難度になるが、あの程度の群れであればD難度もない。しかし、だからといって油断してしまえば、正面切った戦いでも負傷するレベルの相手だ。そんな相手が奇襲を成功させたなら、イオの負傷は仕方がないものだろう。
しかし、ナユタの顔は晴れない。彼女は自らの手をじっと眺めると、ゆるゆると首を振った。
「…小鬼型の奇襲に不自然な点が多すぎるんです。まず、一番大きな違和感は、あの二体の幻魔を、私は確実に仕留めたと記憶していることです。私は二体の脳天を、確実に突きました。だから、あんな襲撃をされるとは予想できなかったんです」
ナユタの言葉からは、確かに嘘は感じ取れない。そもそも彼女は自分の力不足を隠すために嘘をついたりはしない人物だ。しかしイオは議論を進める為に、敢えて反論意見を出す。
「それがナユタの勘違いって可能性は?」
「勘違いですか」
「そうだ。実は記憶違いで、幻魔に止めはさせていなかったとか」
何気に、それが一番可能性としては大きい。悪気が無かったにしても、ナユタの記憶が事実とは異なっているという可能性は存在する。しかし、ナユタははっきりとそれを否定した。
「いいえ、それは無いと思います。もし仮に止めをさせていなかったとしたら、私が目を逸らした瞬間に、もう一度襲い掛かってくるはずですから」
ナユタの言葉は実に正論だった。
幻魔は死ぬ瞬間まで動きが鈍らないという、生物としての常識を書き換えた超生命体だ。ナユタの言う通り、もし彼女が止めをさせていなかったとしたら、ナユタが兵士やイオに話しかける前に、再び襲い掛かっているはずだ。
しかし今回はそうではなかった。その点に、イオも違和感を覚え始める。思えば、イオとしてもあんな奇襲を受けたのは初めてだった。今までにもああいった奇襲があったなら、イオもナユタも、警戒を怠たるような真似はしない。
イオはナユタの言葉に理解を示しつつ、首を大きく縦に振る。
「確かに、あのタイミングで襲い掛かってきたのは不自然だな。偶然か狙ったのか、俺達の集中力が僅かに切れた所に、あの襲撃」
「はい。…それに、違和感は他にもあります。一度仕留めたはずの小鬼型の傷が、完全に消えていた事です」
ナユタの何気ない言葉に、イオは思わず息を呑んだ。
ぞわぞわと得体のしれない恐怖が湧き上がってくる。
「…ああ、言われてみればそうだな」
イオは目の前に迫っていた二体の小鬼型の姿を、鮮明に思い出す。あの二体は、ナユタの攻撃を喰らって死んだふりをしていたにも関わらず、まるで無傷だったのだ。
ナユタは何か恐ろしいものから逃れる様に、自らの体を抱く。
「…まるで超再生です。それをあんな短時間で行う小鬼型がいるなんて聞いたこともありません。それに、程度の差はあれどこれまで戦った幻魔の中にも、やけにしぶとい幻魔がいた気がします。もし今回襲撃してきた全ての幻魔に、あの様な超再生能力が備わっているのだとしたら、この戦いはあまりに厳しいものになります」
「超再生…」
イオはそう呟いて、何かが自らの記憶に引っかかっているのを感じた。
彼の勘が告げている。イオが見て来た戦場の様子に、ヒントが隠されていると。
「何か、見落としてるな」
「え?」
「ああ、いや、独り言だ。絶対俺達の記憶の中に、小鬼型の再生に関する情報が眠ってるはずなんだ」
そう言って、イオは上体を起こしながら、自らの頭の中をかき回した。
突然起き上がったイオに驚きながらも、ナユタも情報を整理するようにして目を瞑る。唸るナユタをおいて、イオはリスティア防衛戦の変遷を振り返る。
そして、暫くして、イオに一つ心当たりが生まれた。
「…そうだ。アイツだ」
「アイツとは?」
小さく呟くと、ナユタが今まで目を瞑って考え込んでいたナユタが、眉間に皺を寄せたままイオに視線を向けてくる。
イオは自身の脳裏に浮かんだ、一体の幻魔について言及する。
「俺が足止めしてた、あの不死鳥みたいな幻魔だよ」
「あ!」
ナユタはその言葉に目を見開いて驚いた。
イオは口の端を吊り上げつつ、自らの予想が外れてくれることを願いつつも、現状から推察できる範囲で意見を纏める。
「ナユタも気づいたか。恐らくだが、小鬼型復活のカギはアイツが握っている」
そう言いつつ、イオは不死鳥のような幻魔と戦った際の記憶をより鮮明に呼び起こした。
イオが攻撃した回数は少ないが、どれも確実に幻魔に傷を負わせた一撃だった。しかし、幻魔は次の瞬間には見事に再生していたのである。
それが偶然では無いことをイオは知っているし、当然、ナユタも知っている。
ナユタが重々しい表情で、冷や汗を浮かべながら頷く。
「はい。……幻魔は超生物ですが、基本的に姿や形に則った性質を持ちます。あの巨大幻魔が不死鳥を象っているとして、あれだけの力を持った幻魔なら、その性質が支配下にある幻魔に発現してもなんら不自然はありません。それこそ、蝙蝠型が情報を伝達するように、超再生の能力を伝達できるとしたら…」
「ああ。さっきの、俺達を襲った幻魔の復活も、十分すぎるくらい納得できる。不死鳥型ならそれができてもおかしくねえ」
ナユタの言葉はこれまで人類が積み上げてきた、幻魔に関する確かな情報の一つだ。理由は未だ不明だが、基本的に幻魔は姿形にあった性能を持つ。不死鳥などもはやお伽噺の世界だが、それが現実の世界に幻魔として現れたというならば、それ相応の力を持っていると考えるべきだろう。
イオが余りの事態の大きさに思わず乾いた笑みを浮かべると、ナユタも同様に疲労を感じさせる笑みを浮かべた。
「はい。知性を備え、異次元の超回復能力を持ち、更にそれを支配下にある幻魔達に共有する。考えただけでも恐ろしい話です。それに、不死鳥という生き物自体、実際に確認されてはいません。人々の想像や偶像、そんな姿を象ってこの世界に現れるなんて……幻魔とは、一体何なのでしょうか」
ナユタの意見は尤もなものだったので、イオも頷いて壁にもたれかかる。
これまでの常識が通用しないだけなら、まだ良い。あれが不死鳥型の幻魔であるとするならば、彼女の言葉通り、もはや幻魔はこの世界の生物に囚われない形を持つことになる。
もはや人類の手には負えぬ相手となった幻魔、それがどれほどの絶望をもたらすか、イオは知っている。
「…」
そう、イオは知っていたのだ。イオはこの状況と、極めて酷似していた戦場を知っていた。
脳裏に、一日たりとも忘れたことの無い記憶が蘇ってくる。それがまたイオの思考を加速させた。
イオは思わず呟く。
「…似すぎだ。あの時と、余りに状況が似すぎてる」
「…イオくん?」
首を傾げるナユタの声は耳に届かない。イオの思考は記憶を行き来し、過去と現在の事象の照合に費やされる。
暫くして、イオの瞳孔が開く。
「…そうか、そういうことか」
イオが腑に落ちたように呟くと、ナユタがすっきりしない表情で近づいてくる。
「さっきからどうしたんですか。あの幻魔の正体が分かったとでも?」
「…まぁ、全部が分かった訳じゃないけどな」
ナユタの言葉に、イオは頷きながら目を瞑って記憶を漁る。
幻魔は作戦を立てない。しかし、それはこれまでの幻魔の動きからして、導き出された説に過ぎない。今回はそれを逆手に取られて、見事に中央軍は破壊された。そんなもの、もはや通常の幻魔如きに成せる技では無い。特別な、通常の枠に収まらぬ極大の力をもった幻魔が出現したと考えるべきだ。そうであれば、イオが感じていた違和感の全てに説明が付く。しかし、まだ確証が得られない段階で、無暗にナユタの恐怖を植え付けたくはない。
イオは静かに息を吐くと、近くにあった上着を羽織って口を開いた。
「まぁとにかく。俺達は敵に力を見誤ったってことだ。不死鳥型幻魔が率いる群れ、いやもう軍隊と言っていい。あの軍はその辺の幻魔の群れとは訳が違う。アイツが俺らの予想通り再生能力を幻魔に付与できるとしたら、全ての幻魔の討伐難度が一気に跳ね上がる。それに、アイツ自体相当強い。一都市の防衛力に負える相手じゃねえはずだ」
そう言ってイオは手中に魔力を集めると、それを握りつぶした。
既に、この場から撤退できるだけの魔力は回復している。これなら、もうここで休息している必要は無さそうだ。
ナユタに目を向けると、彼女はイオ同様に魔力の回復を確かめながら、指に魔法石が埋められた指輪を嵌めて、イオに近づいてきた。
「…国の精鋭の力を結集する必要がある程の相手、という事ですね……上位回復」
そして回復魔法を発動させながら、イオに水の入ったボトルを差し出してきた。
「そういうことだ。…悪い、ありがとな」
「いいえ。助けてもらったお礼です」
「そっか」
ようやく傷が塞がり、イオはボトルをあおって水分を補給する。
それから光響石を手に取って立ち上がった。
「よし、とにかくだ。こんな所にいたって埒が明かない。仮拠点まで撤退するぞ。そこで俺らの予想を指揮官達に伝える」
「ええ。皆さんが既に気づいていれば良いんですけど、そんな確証もありませんからね」
イオは支給品の入った荷物を背負うと、ナユタに目を向ける。彼女も同じように荷物を背負って、力強い頷きを返してきた。




