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滅尽のイオ~災厄の力と鍵の少女たち〜  作者: るなーるべると
王国邂逅編:第五章『予想外の強敵』
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第四十八話:ナユタの過去

 遡ること、五年前。戦歴二一二年。


 魔法技術と精神武器ガイズ使いの育成の成功、その他様々な要因によって、小国ながら世界有数の強国となったレーテ王国は、最盛期を迎えていた。幻魔の侵攻甚だしいディーレシア大陸において、幻魔を寄せ付けない圧倒的な防御力と、幻魔に蹂躙された周辺諸国からの難民を受け入れられる資金力と生産能力を有するレーテ王国は、まさに世界屈指の強国だった。そして何より、人の心が豊かであった。

 今日も、古来から受け継がれてきた霊樹と調和した玲瓏な王都には、世界中から人と物資が集まり、常に柔らかな笛の音と人々の幸せな笑い声がさざめく。

 

 レーテ王国の王都レーベルテは、世界で最も巨大な樹木『霊樹ガイア』の麓にある。

 霊樹ガイアは大地の神の名を冠するほどに巨大な樹だ。その樹高は雲をも突き抜けるほどで、まるで傘のように王都全体を覆っている。その影響で王都は常に一定の天気に保たれ、穏やかな陽の光が木々の葉間を通り抜けて地上に届く。その他様々な条件が揃い、王都レーベルテは世界でも類を見ないほどに調和された気候をもつ土地として名を馳せている。


 王都レーベルテの中央には、霊樹ガイアを内部に取り込む形で建造された王城『レ・ライン』が聳えている。

 そんな王城レ・ラインには、各国に自慢できる中庭がある。世界中から取り寄せられ、植生できる様に品種改良された美しい花々が咲き誇る中庭だ。

 

 そこに設置されたベンチに腰掛けて、十二歳になったばかりのレーテ王国王女ナユタは空を見上げていた。

 この中庭は周囲を建物に囲まれていながら吹き抜けになっているため、空を覆いつくさんばかりに広がる霊樹を見上げる事ができる。この場所はナユタの昔からのお気に入りの場所だった。

 日々忙しい勉強の合間を見つけては、こうして空を見上げる。そうすると、自分のちっぽけな悩みなんて忘れてしまえるから、ナユタはこの場所が好きだ。


 ナユタはベンチにごろりと横になって、大きく息を吸い込む。花々の優しい香りが胸いっぱいに広がり、真上の空を覆い隠す霊樹の葉の合間から差し込んでくる陽の光は、まるで雲の間から抜けて来た光が当たる様な感覚で、とても心地よかった。しばらくそうしていると、いつの間にか眠ってしまうくらい、本当に心地よかったのである。


「ナユタ、もう夕方よ。起きなさい」


 眠り込んでしまっていたナユタは、優しく穏やかな声で起こされる。


「んん……」


 未だ眠たい目をこすりながら起き上がると、そこには見慣れた人物がいた。腰まですらりと伸びた柴白色の髪に、鮮やかな碧眼を持つ女性だ。ナユタはぼんやりとした意識で呟く。


「お母さん……」

「もう、またここにいたのね。随分と他の場所を探したのよ?」


 ナユタの母にして、現国王の妃であるシトラ・レーベルテは、起き上がったナユタの捲れたままのスカートを直しながら言った。ナユタの無頓着さに、母は苦笑する。


「ナユタ。あなたも、もうすぐ十二歳になるなのだから、もう少し身の回りの事に気を使いなさい」

「だって、ここ誰も来ないから…」

「だってじゃありません。あんまりそういう事をしていると、将来の旦那様に悲しまれてしまうわ」

「…わかった」


 婚約者に悲しまれるのは嫌だったので、ナユタは素直に頷いた。そんなナユタの頭を優しく撫でた母は穏やかな笑みを浮かべる。


「よろしい。それじゃあ、そろそろ部屋に戻りましょう。もう夕食よ」


 二人はそうして、仲良く王城の中へと入っていく。

 王城は豪華絢爛な装飾が多分に施された豪勢な造りとなっており、その敷地面積はかなり広い。そのため移動するにもそれなりの時間がかかるのだが、しかしナユタは自らの生活圏が狭いことを自覚していた。寝室、中庭、図書室、実技演習場、そして家族団らんの場である食事場が非常に近い位置にあったためである。


 母に連れられて食事場の扉を開けると、天井から提げられた玲瓏なシャンデリアがナユタを迎えた。

 左右では統一された服装に身を包んだ配膳係達が頭を深く下げている。ナユタが慣れた様子でその間を歩いていくと、部屋の中央に置かれた円卓に腰掛けていた国王の姿が見えてきた。上座にドカッと座っていた、巨大な図体を持った色黒の男が口を開く。


「お、ナユ。来たか!」

「お待たせしてしまい、もうしわけありません。父上」


 頭を下げたナユタに、男は、黒色のサングラスの奥に移る灰色の瞳を細めて破顔した。


「いいっていいって、せっかく楽しい食事なんだ。もっと楽にしていいんだぜ?」


 その言葉使いと態度からは、気品はまるで感じない。

 国王というよりかは、荒くれ者といった印象が強い人物だが、彼こそがレーテ王国国王ディルック・レーベルテで間違いない。

 そこにナユタと共通点を感じさせる要素は皆無であり、自分は本当に母親に似たのだろうと、ナユタは幼いながらに感じていた。


「…はい、父上」


 ナユタが苦笑して席に着くと、ディルックは目に大粒の涙を浮かべた。


「おいおい、お父さん悲しいぞ~。ナユにそんな他人行儀な呼び方されちゃあ。前みたいにお父さんって呼んでくれよ~」


 そう言って頭を抱えた父に、ナユタの隣に優雅に腰を下ろした母が笑いかける。


「ここは公然の場です陛下。ナユタも、それを分かっているのでしょう。いつまでも小さな頃と同じという訳にはまいりませんよ」

「おいおいシトラまで。んな寂しい事いうなよ、二年前からライル達が各都市に散らばってから、ただでさえこの食卓も寂しくなったんだ。これ以上寂しくなっちゃ、俺の寿命が縮んじまうよ」


 空席になった三つの席を見やって父は嘆いた。しかし、それがこの場の空気を和ませるための父の演技であるということをナユタは理解していた。

 両親、周りにいる配膳係達、そしてナユタ自身も。それぞれが笑みを浮かべて、思い思いの言葉を述べることができるこの空間が、ナユタは大好きだった。こんな日常が、いつまでも続くと思った。自分も、尊敬する父と母の様に幸せな家庭を築いて、この国を継いでいくのだと、信じて疑わなかった。


 あの日までは。


「…タ……ユタ……ナユタ! 起きなさい!」


 まだまだ子供にとっては眠い時間帯である、ある日の早朝。ナユタは慌てた声と荒々しく肩を揺らす衝撃で起こされた。


「お母さん…?」


 寝室のベッドの上で閉じてしまいそうな碧色の目をこすりながら、ナユタはまだ薄暗いながらも辛うじて見える人物の名を呼ぶ。

 白の寝間着にカーデガンを羽織ったままの、いつになく軽装な母に違和感を覚え、それから部屋の外がずいぶんと騒がしい事に気が付いた。

 

「…ナユタ、落ち着いて聞きなさい」


 母は肩で荒く息をしながらナユタを起き上がらせる。所々髪が跳ね、汗が滲んでいることから、少し離れた位置に寝室から母が走ってきたということは容易に想像できた。

 何かが起こっているのだと、何を言われるでもなく理解したナユタは、ベッドから降りて母を見上げる。


「何かあったの?」


 開口一番そう言ったナユタに感心したような表情をしながら、しゃがみ込んだ母は頷く。


「幻魔の大軍勢が襲撃してきたの。他の都市も既に陥落しているみたい。王都にも幻魔が侵入してきているわ」


 母の言葉に、ナユタは耳を疑った。幻魔が、この王都に攻め込んでくるなど、平和の中にあったナユタには想像もできなかったからだ。

 疑問はやがて口からこぼれ落ちる。


「な、なんで」

「詳しい事は分からないわ。とにかく、地下研究施設で合流しようと、お父さんが言っていたの。だからナユタもそこに向かいなさい」

「お母さんは?」


 ナユタの問いに、母は立ち上がりながら笑みを浮かべた。


「この国を守る責任を果たすわ」


 その言葉で、母が幻魔との戦いに挑もうとしているということが、ナユタには何となくだが分かってしまった。

 ナユタは遠くに行ってしまいそうな母に、手を伸ばす。


「な、なら私も…」

「ダメよ」


 ナユタが伸ばした手を掴んで、母は即答する。それからナユタをぎゅっと抱き寄せて、その耳元で囁いた。


「あなたは陛下の御子、この国で誰よりも守られるべき人間なのよ」

「でも…」


 泣き出しそうなナユタを解放して、母はどこか寂し気な笑みを浮かべる。


「それにね、わがままかもしれないけれど、親としてあなたに危険なことはさせられないわ」

「王妃様! 大変です! 王城内に強力な幻魔が侵入! こちらに向かっています!」


 バタンと乱暴に扉が開かれて、宮女が顔を覗かせる。彼女は所々負傷しており、幻魔が攻めて来たことが真実であることをナユタは悟った。

 母は冷や汗を流しながら、そちらを見据えて目を細める。


「エスティ、その傷は?」


 宮女は答える。


「先ほどの幻魔との戦闘で…」

「そう。やっぱり、ナユタも狙われるのね」


 母の呟きが、パニック状態になったナユタの耳に届く。


「とにかく、急いで研究所へ向かいましょう」


 母の声で、ナユタは部屋の外へ出る。そして地下室へ向かうための通路とは反対側から、幻魔達が凄まじい勢いで駆けてくる様子を捉えた。


 その異様に、ナユタの体が震え出す。

 その手をしっかりと握ってくれていた母が、同じく幻魔を見据えて冷や汗を流した。


「…さすがに早いわね。しっかりと手が回されていたということかしら」


 そして、母の視線がナユタに向く。

 ナユタが何も理解できずにただその瞳を見返していると、母はいつものように優し気な笑みを浮かべてナユタを抱きかかえた。母の花のような柔らかな香りに包まれたナユタを強く抱きしめて、やがて母は呟いた。


「…どうか、生き延びて。そしてその先で、幸せになって」

「…お母さん?」


 首を傾げると、母は優し気な笑みのまま、ナユタに魔法をかけた。


拘束レストレイント


 即座に発動された魔法は、光の帯でナユタを包み込む。

 一切身動きがとれなくなったナユタは、慌てて叫ぶ。


「お母さん!?」


 驚愕の表情を浮かべるナユタを、母は宮女へと預けて彼女の瞳を覗きこんだ。


「エスティ! ナユタをお願い!」

「王妃様! 一体何を!」

「三人で背を向けて逃げても、あの群れからは逃げられない! 地下室に辿り着く前に殺されるわ!」

「ならば私が!」

「それだけの傷を負ったあなたでは、あの群れを食い止められないわ! 私しかいないの! それに、今この場で最も優先されるべきなのは、ナユタの命よ!」

「…しかし、城内に進入した幻魔はあれだけではありません。戦っていれば、きっと敵の増援が来ます。それでは、王妃様が……」


 言いよどむ宮女に、母は少しの迷いもなく答える。


「私はもともと、この王国を守護する家に生まれた人間よ。国の宝であるこの子を守るためにこの命を使うわ。だから、、あなたも使命を果たして」

「…かしこまりましたっ……」


 宮女が涙を流しながら頷くと、母は満足げに笑みを浮かべた。

 それから涙ぐむナユタの頬を撫でて、穏やかに告げた。


「そんな悲しい顔をしないで、ナユタ。私はあなたに会えて幸せだったわ。どんなにつらい事があっても、あなたがいてくれたから乗り越えられた」

「……っ!」

「ああ。私の愛しい子。天使みたいに可愛くて、誰よりも優しいナユタ。どうかあなたの未来に、数多くの幸せがありますように」


 拘束魔法がかけられているナユタは口を開く事も出来ない。ただふるふると首を横に振る事しかできないナユタの額にキスをして、母は背を向けた。


「行って! エスティ!」


 その声と共に、ナユタを抱えた宮女は反対方向へと走り出す。

 涙ぐむ視界の中で、ナユタは母が幻魔達に向かっていったのを、階段を下ってその姿が見えなくなる直前に見た。



 それからしばらくしてして、ナユタはようやく地下研究所に辿り着いた。宮女は、国王の側近に詳しい情報を伝え、シトラを最後に目撃した場所へと戻っていった。

 引き渡されたナユタは、何も考えられない状態になりながらも、ディルックの傍で状況を俯瞰していた。


 そして、それからどれくらい時間が経ったか、緊迫した空気の中で、父が自分を振り返った。見覚えのある表情であった。

 ああ、またなのかと思いながら、ナユタは父の言葉を聞く。


「わりぃな。父ちゃん、もう行かなきゃいけねぇんだ。ナユ、おまえは避難船へ向かってくれ」

「うん」

「よし、いい子だ」


 サングラスをしていない父の顔は、久しぶりに見た気がした。

 その優し気な瞳を、ナユタは今でも鮮明に思い出せる。


「さ、護衛が待ってる。おい、坊主。ナユを連れてってくれ」

「…」


 ナユタの背後に控えた、同い年位の少年に、父が声を掛けた。

 しかし、灰色髪の少年は、紺碧の瞳を父に向けたまま何も言わない。


「おい。聞いてんのか?」


 そして少年は、きっぱりと答えた。


「俺も残る」

「馬鹿言うんじゃねぇ。おまえをこんな所で死なせられるかよ」

「ここで戦わなかったら、多分俺は一生後悔する。そんなの嫌だ」


 その少年の言葉に、ナユタの目が見開かれる。

 自分もあの場所でそう言えていたら、どれだけ良かっただろうか。

 瞳から一筋の涙が零れ、それは止められぬ濁流となって溢れ出た。

 母を失った事実、何もできなかった自分の弱さ、その両方に打ちのめされたナユタには、父と少年の口論は聞こえなかった。


 暫くして、父と話し合いの決着がついたであろう少年が、目を赤く腫らしたナユタの手を取った。


「行きましょう、王女殿下。避難誘導の者が待っています」

「…はい…」


 茫然自失の中駆け抜けていった場所を、ナユタは殆ど覚えていない。

 ただ、自分を守る為に死んでいった兵士達の最後の言葉と顔、そして、精神武器ガイズも無しに、魔術と剣術を駆使して必死にナユタを守る少年の姿だけが、彼女の記憶に残っていた。


 そうして、どれだけの時間幻魔から逃げただろう。

 二人は、大陸外へと逃げるために海辺に用意された避難船に辿り着く。


「ナユタ王女殿下!」

「ご無事で何よりです! 早速出港しましょう!」

「お待ちしておりました。ご無事で本当に……」


 そこにいた兵士達が、自分の元へと駆け寄ってきて、口々に良かったと涙していたのを、ナユタははっきりと覚えている。

 そして、完全な安全圏に辿り着いた安心感からか、それとも全てを失った喪失感からか、ナユタは糸が切れるように崩れ落ちたのだった。


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