第四十六話:休息
唸りを上げて振り下ろされる剣を、ナユタはゆっくりになった視界で見ることしかできなかった。
空の色、草の匂い、そして悍ましい幻魔の表情が鮮明に映る。十分な防御の姿勢がとれずに、繰り出される攻撃をただ眺めていたナユタの耳に、イオの叫び声が届く。
「ナユタ!」
ナユタの肩を掴んだイオが、あらん限りの力でナユタを後ろへと引っ張る。そして彼は、ナユタと入れ替わるようにして、幻魔の前に躍り出た。
幻魔の剣が自身の首元まで迫っている事を認識した彼は、最後の力を振り絞って剣を外側へと振るう。
紅の光が一閃される。イオの剣が左から右へと振り抜かれて、幻魔の首が飛ぶ。しかし幻魔の剣もまた、イオにしっかりと届いていた。鮮やかな赤色が、ナユタの視界を染め上げる。左肩から右腹にかけて深く刻まれた切り傷から、イオの赤い血が吹き出す。
「イオ…くん…」
ナユタはそれを唖然と眺めることしかできない。
自らを庇い、幻魔の攻撃を生身で喰らったイオ。胴体から切り離されながらも、余りに人間味に満ちたニヒルな笑みを浮かべる幻魔の顔を、イオが睨みつける。
「…てめぇ、死んだフリなんてふざけた真似しやがって」
そう言い残して、イオはその場に崩れ落ちた。
ゆっくりになっていたナユタの視界が、急速に元の速さで動き出す。ナユタはぺたんと座っていた状態から立ち上がり、ぐったりと動かなくなってしまったイオに駆け寄った。
イオを抱き起して、傷口を水で洗浄しながら声を掛ける。
「しっかりしてください! イオくん!」
返事を返さないイオに、ナユタは残りの魔力を総動員して回復魔法をかける。
またしても何もできなかった悔しさと焦りを押し殺して魔法を継続しながら、ナユタは呟く。
「…イオくん、イオくん、違う、私そんなつもりじゃ…死なないで…みんなみたいに、私をおいていかないで…」
魔法石を加工したリングをポーチから取り出して、必死に回復魔法を掛け続ける。
だめだ、彼を死なせては。それでは昔と何も変わらない。ただ無力だった自分は、あの日を境に誓ったのだ。絶対に、もう二度と、誰かを自分より先に死なせはしないと。
「だから…死なないで…」
しかし、ナユタの震える腕を、伸びて来たイオの手が掴んだ。
これだけの傷を負っていながら、驚くべきことに、彼は生きていたのだ。ナユタは驚きと歓喜の感情に包まれながら、更に魔力の出力を高めようとする。
「イオくん! 待っていてください。今傷を塞ぎますから!」
「待て、ナユタ。……少し冷静になれ」
「何を言って…」
「見ろ…派手に出血したが、致命傷じゃない。切られる直前に…体を捻ったんだ」
イオの言葉に、ナユタはじっと彼の傷跡を見る。
落ち着いて観察してみれば、確かに傷はそこまで深くなかった。しかし、浅いとはいえ広範囲にわたる切り傷だ。
「…かと言って、軽傷という訳でもありませんよ。私の魔力も尽きてしまいました。これじゃあ、撤退する事もできません」
ナユタは焦る。
幻魔の群れは今もなお進行してきているのだ。魔力も精神武器も無い状態では、傷を負ったイオを連れて撤退することすらできない。魔力と精神武器がない今、ナユタは普通の少女となんら変わらない身体能力しか発揮できない。しかし現状を理解していても、それを打破できるだけのアイデアがナユタには思い浮かばなかった。
思考に
「…幻魔の群れは、まだまだ来るだろうな。俺らの魔力は、少なくとも一時間は回復しない」
そうは言っても、とイオはチラリと新たな幻魔達が近づいてくるであろう方向を見やる。
「…逃げるのも無理だな」
「…はい。ましてや幻魔に生身で挑むのは自殺行為です。状況は絶望的ですね」
「流石にそこは踏みとどまったか」
苦笑したイオに再び回復魔法をかけながら、ナユタは深呼吸して答える。
「いくら私でも、生身で幻魔と戦おうなんて思いませんよ。目的は既に達成したんです。今はイオくんの手当てが先です」
いくら腕に自信があっても、魔法も精神武器も無しに幻魔に勝てると思うほど、ナユタは己の力を過信してはいない。それに、ナユタの判断で戦闘に連れ出し、さらに負傷したイオを置いてどこに行けるというのか。
自然と、ナユタの口が開く。
「すみません。私、自分のことばかりで…」
思えば、戦いが始まってから謝罪したのは、これが初めてかもしれない。
ナユタの言葉を、どこか驚いた様子で受け止めたイオが言う。
「別に良いって。だって、そういう約束だったからな」
この戦いが始まる前と同じように、そう笑みを浮かべた彼の顔を見て、今度はナユタが驚いた。
どうして、彼はここまで、自分との約束を守ってくれるのだろうか。彼は学院の筆記試験に合格するという目的を果たしたのだから、こんな危険を冒してまで自分に付き合う必要はもう無い筈だ。
そう思考の渦に沈み、何も言えないナユタをイオがどう思っているのか。結局ナユタには分からなった。時間も、彼との会話も、何もかもが足りていないことを実感する。
傷がある程度塞がったことで、意識を保てるようになったイオは、痛みを押して起き上がる。
そして、辺りに視線を走らせると、ある一点を指で指した。
「…ひとまず、あそこに隠れよう」
「あそこ?」
ナユタはイオの言わんとしている場所を見る。
彼の指先では、幻魔との戦闘で露になった地下洞窟が顔を覗かせていた。確かに、あそこに隠れて居れば幻魔もやり過ごせるかもしれない。
立ち上がろうとしているイオに、ナユタは肩を貸す。
「…さっきので、多分左右の部隊も全部後退したはずだ。それに、何故だか分からないが幻魔の侵攻が穏やかになった。リスティア湖に入った影響か、それとも軍が撤退していったからかは知らないが…まぁ、それは置いといてだ。とにかく、幻魔がここを抜けていくまで、あと一時間くらいはある。とにかく今は体を休めよう」
「そうですね」
そんな会話をしながら歩き、洞窟入り口までやってきた二人。
イオは、手に持っていた石を洞窟に投げ入れた。
最初はコロコロと転がっていった石は、次第にカツンカツンと跳ねるように動き、暗闇の中へと消えていった。
それは暫く跳ね返る様な音がした後で、ぽちゃんと水に落ちた。
その独特の反響音を耳にしたイオは、少しだけ安堵した様な表情で言う。
「…良かった。洞窟の中には水がある。それに、浅いかと思ったけど、けっこう深い洞窟みたいだな。入り口が狭いけど中は広いらしい」
ナユタはイオの横顔を見ながら、目を丸くする。
当然だ、今の行動で何を確かめていたのかすら、ナユタには理解できなかったのだから。
「今のでそこまで分かるんですか?」
ナユタの声に、イオは疲れ切った様な笑みを浮かべて答えた。
「まぁ、経験だな」
「…それはそうですけど…」
彼の適当な答えに困惑しながらも、ナユタはイオを連れて洞窟へと入る。
ナユタが入り口をカモフラージュの為に塞いでから振り返ると、イオは支給品の入ったポーチを開き、中から拳大の石を取り出した。
サバイバル経験も、当然軍での訓練を受けた経験も無いナユタは、至極当然に眉間に皺を寄せる。
「石、ですか?」
ナユタの問いに、イオは他の物資をポーチにしまってから答える。
「光響石って言ってな。こうやって振動を与えると…」
イオが石をコンコンと叩く。
すると、石が淡い橙色に光り出した。
「…周囲から吸い取っていた魔素を消費して光る石なんだ」
その小さな太陽の様な光に、碧眼をきらりと輝かせる。
「綺麗ですね…」
そう口にしてから、ナユタはあっと口を塞いだ。
この緊急事態に何を言っているんだと自分を叱咤しながら、ナユタはイオに頭を下げようとする。
しかし、イオの反応は彼女が思っているものとは、少しだけ違っていた。
彼はナユタと同じように、目を輝かせながらその光を見ていたのだ。彼の口が、どうしてか自慢げに動く。
「そうだろ。俺も本当に大好きな石なんだ、こいつは」
「…?」
どうもいつもと違う雰囲気のイオに、ナユタは首を傾げた。彼がこんなに純粋な笑みを浮かべたのを、ナユタは正直見た事がない。しかし、その理由を問う前にイオは移動を始めた。
「さて、それじゃ進もう。奥に行けば、幻魔は俺達を感知できなくなるはずだ」
「は、はい」
そうして二人は、洞窟の奥へと進む。




