第三十六話:奇襲攻撃
正直言って、フッキの質問は厄介だ。
確かに、その質問にはイオならば答えられる。自分でもそこそこ魔術に精通しているという自覚はあるし、今この場にその問いに答えられる人物はいない。恐らく、フッキも知らないのだろう。或いは知っていて、イオの実力を測るために質問を投げかけているのか。どちらにしても、相手がどれだけの存在なのかを危険度として兵士達に理解してもらうためにも情報は共有するべきだろう。
イオは静かに首を横に振る。
「……結論から言えば、人間じゃ魔導的権威でもない限り、あれだけの速さと正確さで魔力波を放つのは不可能です。それに、俺の魔力波は少し特殊でして、魔道的権威でもあの速さで相殺するのは困難です」
やれやれといった口調で放たれた言葉に、フッキは納得顔で頷く。
「なるほどな。だがその状況にあって、コレは完璧に相殺してみせたか。という事は、コレは人間では無いと考えるのが妥当であろうな」
今度はフッキがやれやれと首を振る番だった。
フッキの解答に、イオも同意を示す。
「ええ。幻魔、それも強力な個体である可能性が一番高いと思います。まぁ結局、正体が分かった所で本体を覆う殻が魔力でガチガチに強化されまくってるから、破壊の仕様がないことには変わりはありませんけどね」
イオはスタスタと、フッキの横を通って、幻魔が入っていると仮定した物体から離れた。
ナユタの元まで戻ると、彼女は再び物体を見上げて首を傾げる。
「しかし、これが幻魔の入った箱なら、一体こんな場所で何をしているのでしょうか? それだけは考えても考えても分かりません」
「だよな。まぁ情報が取れない以上、これからは推察するしかないか」
イオも全くの同感だった。
仮にこれが幻魔の卵だとするなら、最前線で何年も戦っていたイオがみたこともない時点で、その存在の希少性は高い。
「にしても幻魔の卵、それも国王と学院長が早急に調査させるようなヤツね」
イオはふと、ヴァイゼンの不敵な笑みを思い浮かべる。あの男が焦る場面など、はっきり言って想像もつかない。
見上げて呟いたイオに、ナユタは瞬かせた碧眼に興味の色を覗かせる。
「そういえば、国王様の勅命を受けているとはいえ、叔父さんがこの卵にこだわる理由が分かりません。それこそ零層都市自体無くなってしまうかもしれないのに。そんなことに時間を割いている時間なんてない筈なのに…」
ナユタは不安げに、自らの体を抱くようにして物体を見上げる。
イオは脳裏に、先程のフッキの言葉を思い出しながら口を開いた。
「さっきフッキ指揮官が言ってけど、もしかしたら、コイツは本当にアリシア王国を滅ぼしかねないほど、危険な存在なのかもしれねえな」
そう言ってから、イオは物体から目を切る。
周囲にはまだまだ幻魔が大勢いる。誰もかれもが、この謎の物体に意識を割いている訳にもいかないだろう。
隣に立つナユタに視線を戻すと、彼女が僅かに震えていることに気が付く。アリシア王国を滅ぼしかねない幻魔など、イオだって想像もしたくない程恐ろしいものだ。当然、王国の出身であるナユタにとって、その恐怖はイオの何倍も強いものだろう。
それだけ愛着を持てる場所があるナユタを羨ましく思いつつ、イオは不安げに震える彼女の頭に手を乗せる。不思議そうな、驚いた様な目で見上げてくるナユタの碧眼を見つめ返して、イオは苦笑した。
「正直所、学院長の考えは師匠さえ読み切れない時があったからな。所詮俺にできるのは、そんな根拠も何もない想像だけだ。あんまり気にすんなよ」
ナユタはイオの言葉に、少し安堵した様に肩の力を抜いた。
そして何度か頷いてから、彼の口から飛び出した単語に、少し遠慮がちに反応する。
「そういえば、イオくんから”師匠”という言葉を聞くとがたまにありますけど、何のお師匠さんなんですか?」
イオはナユタに師匠イラスの存在を明かしていなかった。別段話す必要もないと思っていたが、彼女の視点に立ってみれば、確かに気になるかもしれない。
「俺が戦いの全てを学んだ師匠ってとこかな? まぁ学んだっていても、まだ全然技も盗み切れてないし、合格すらもらえてないけどな。そういえば学院長と結構付き合いも長いみたいだったぞ? ナユタも実は知ってるんじゃねえか?」
「あ、確かにそうかもしれませんね」
それを聞いたナユタは、考えたことも無かったといった様子で頷きを返す。
「…もしよろしければ、お名前をお聞きしても?」
そんなこと、隠す必要も無い。
イオは自然と笑みを浮かべながら、ナユタの頭から手を離す。
少しだけ名残惜しさを感じるが、いつまでも乗せていては彼女に失礼だ。
「ああ、いいよ。名前は……っ!?」
イオはその先を言おうとした所で、背後にとてつもない魔力の高まりを感じた。凄まじい速さで振り返ったイオに、ナユタが不思議そうな目を向けてくるが説明している余裕はない。
イオは魔力の発生源である、先ほどまで自分達が観察していた巨大物体に目を走らせる。物体には、幾重にもわたって巨大な亀裂が入っていた。まるで、卵から雛に孵る直前の様な亀裂が。
それを確認した瞬間に彼の肌は泡立ち、直感が最大限の警戒アラートを発した。
動け。自らの意思とは無関係に、今までの経験の集合体から体に発せられた信号が、イオの体を突き動かす。体は機械的に、それでいてあまりに人間味に溢れた行動をとった。
「ナユタッ!!」
「きゃっ!!」
イオは反射的にナユタを自身の元へ抱き寄せつつ、剣の柄を掴むと、鞘に納めたまま剣に魔力を込める。
展開するのは攻撃用の魔術ではない。防御の為の魔術だ。
イオは自身が持ちうる最強の防御魔法の一つを展開する。魔法防御力、物理防御力共に最高クラスの耐久性を誇る、イラスから最初に教わった最強クラスの防御魔法だ。
「氷瀑要塞ッ!!」
イオの声に従って、世界に存在する物質が変化した。
どこまでも透き通る透明な氷が、イオとナユタの周囲を丸ごと覆っていく。
そして彼は、もう遅いかもしれない事を悟りながらも、未だ魔力の高まりに気が付くことができずにいる周囲の人間すべてに向かって吠えた。
「ソイツの魔力が高まっている! 攻撃を仕掛けてくるぞ! 物陰に隠れろッ!!」
イオの叫びが、魔術によって生み出された偽りの氷を貫通して、辺りに木霊した。
それを聞いた兵士達は、首を傾げながら巨大物体を見上げ、そして気がつく。巨大物体が陽光と見間違うばかりに明るく発光しており、全体に走った亀裂から、とめどなく光と魔力が溢れてきていることを。
イオは腹の底から湧き上がる様々な感情を押し殺しながら思考を巡らせる。
敵の攻撃の性質が分からない以上、広域防御魔法では全滅する可能性が高い。かと言って氷瀑要塞では、全員分を展開するには時間が足りな過ぎる。
しっかりしろ、と地面を殴りつけ、焦りで碌に回らなくなった頭に喝を入れる。
他に何かできることがないか。ナユタと自身を守りつつ、ゆっくりになり始めた視界で状況を確認するイオ。
焦る彼の脳裏に、イラスに師事して間もない頃の記憶が蘇った。
『イオ。戦場で負傷しない為には、何が重要だい?』
机に座ったイオに、師イラスは問うてきた。
イオはこう答える。
『敵の攻撃を避けることだよね』
『そう。基本的には避けてしまえば問題ない。だけどね、戦場にいると、どうしてもそういう訳にもいかない。時には敵の攻撃を受ける必要が出てくるんだ』
『ふーん』
あまり想像がつかないといった様子のイオに、イラスは苦笑しながら続ける。
『これは大事な話だからね、そんな興味無さそうにしないでくれ』
『わかった』
『それじゃあ。もし、敵の未知の攻撃を受けざるを得なくなった時、もっとも有効な防御魔法は何だい?』
『物理耐性、魔法耐性、両方が高い単体防御魔法、氷瀑要塞』
そう言うと、イラスはイオの頭を撫でながら頷く。
『その通り。それじゃあイオ、問題だよ』
『うん』
その時、イラスは瞳から常に湛えている笑みを消し去って、ひどく冷徹な目をした。
『君を含めた不特定多数の人間が、回避不能な未知の攻撃に晒される状況だとしよう。物理的な攻撃なのか、魔法的な攻撃なのかは一切不明だ。そういう状況なら、イオは氷瀑要塞を使うよね。でも、氷瀑要塞では全員を助けることはできない。だから、その時はきっと選択する事になる。誰を選んで、誰を切り捨てるか。イオ、君はそれをどうやって決断する?』
その時のイラスの問いが、幼いながらに大変恐ろしかった事を、イオは今でも覚えている。
だが、自分はその時、極めて論理的かつ合理的な回答を導き出した。幻魔と戦う上で何が最も重要視されるのか、極限状態で何を切り捨てるべきなのか、それに従って導き出した回答は、イオの根源に強く焼き付けられている。そしてそれは偶然にも、先程フッキから改めて教えられた事実と同一のものだった。
「…氷瀑要塞」
イオの思考の奥深くに刻まれた絶対の法則に基づいて、その腕が、魔力回路が、体全体が機械的に動く。
イオは自身とナユタに展開した氷瀑要塞を、まず幸いにも近くにいた指揮官フッキにかける。そしてその魔法の展開を待たずして、目に入った兵士達を“指揮官クラスを中心に“片っ端から防御魔法を付与していった。
そして、それから数度瞳を瞬いた後にゆっくりになった視界で、イオは巨大な卵から、光に包まれながら幻魔の雛が孵るのを目にする。
「イオくん!」
反射的にしがみついてきたナユタを抱き留めてやる余裕はない。網膜に太陽の如き光を投射したその存在の誕生を、イオはただただ見ていることしかできなかった。
やがて視界は、無慈悲にも白色の光に塗りつぶされる。その最期、こちらに向かって来た兵士の一人と目が合った。彼は、がくがくと震える口元で最後に小さく呟く。
「た、たすけ、て……」
その瞬間、イオはしがみついてきたナユタの顔を自らの胸に押し付け、両手でその耳を塞いだ。これから起こる惨劇をナユタに見聞きさせたく無かったからだ。
イオは、自身も何かに耐えるように、ぐっと目を瞑って衝撃に備える。
「クソがっ……」
そして、光は放たれた。
辺りに、まるで幾千もの雷が落ちた様な衝撃波が走り、無防備に衝撃波と熱波を喰らった兵士達の断末魔が響き渡った。




