第三十四話:譲れないもの
森を駆けること数分。二人は幻魔と激しい戦闘を繰り広げているこの部隊の副官リンカーンを発見する。危なげなく熊型の幻魔を討ち取ったリンカーンは、近づいてきたイオとナユタを発見すると、優しげな笑みを浮かべて声をかけてきた。
「やあ。前線で忙しいところ申し訳ないね。きてくれてありがとう」
「いえ、それで例の”重要な存在”とかいうのは?」
イオが応えると、リンカーンは少しだけ笑みを曇らせて続ける。
「ああ、今フッキさん達が調査しているよ。君達にもそこに加わってもらうつもりだ。とにかく案内するよ、ついてきてくれ」
歩き出したリンカーンに続いて、二人は木立の中を歩いていく。所々に血の跡や、幻魔の死骸が転がっているのはここが戦場だった証だろう。
ナユタは道の傍で粉々に切り刻まれた幻魔の死骸を目に止めて、目を見開く。辺りを見回せば、それと同じ状況の死骸は無数に存在した。驚きを隠せないナユタに、リンカーンが振り返って苦笑する。
「凄いだろう。これらは全てフッキさん一人で倒した幻魔の亡骸なんだ。倒した幻魔が全てあんな感じに、恨みの為に切り刻まれた様な死骸になるから、ついた二つ名が”復讐者”」
その言葉に、ナユタはふと首を傾げる。
「フッキ指揮官は、幻魔に復讐したがっているんですか?」
ナユタの随分とストレートな問い。それに対して、リンカーンはどこか思うところがある様な目をして答える。
「そうですね。まぁ、そんなに珍しい話でもないでしょうけど。軍志願者にはそういう方も多いですから」
軍に志願する理由は様々だが、家族や親しいものを幻魔に奪われ、それがきっかけで軍を志願する者も珍しくはない。悲しい話だが、実際そのような境遇にあるもののお陰で軍は成り立っている節があるのもまた事実だ。
ナユタがなるほどと頷いていると、今度はリンカーンが思い出したように問う。
「そういえば、お二人は学院の受験生だったね。なぜ学院を?」
「私は戦団設立の援助が欲しくて。あとは強なるためですね」
イオにも説明した理由を告げると、リンカーンは納得顔で頷いた。
隣を静かに歩いていたイオも答える。
「俺は、訓練の為ですね」
その言葉に、ナユタは少しだけ興味を惹かれる。
思い出したのだが、自分が学院を志す理由は話したが、彼が学院入学を目指す理由は聞いていなかった。訓練とは、恐らく戦闘訓練のことだろうが、先程から見ている彼の力であれば、今更学院での訓練など必要ない様にも思える。彼の紺碧の瞳がナユタに向きかけたので、彼女は無意識にイオから目を逸らした。
リンカーンが一拍置いて頷く。
「なるほど。そうだったんだね」
イオの視線がリンカーンへと向いたので、ナユタもそちらを見る。
二人の視線を背中で受けたリンカーンは、前を向いたまま続けた。
「恥ずかしい話なんだけど、僕もかつて学院の試験を受けたことがあってね。書類選考で不合格にされ、ずいぶんと悩んだけど、今思えば熱量が足りてなかったんだね。自分自身の野望のために突き進む覚悟と力、学院ではこの二つが何よりも求められるってことなのかな。とにかく、夢破れた一人として、お二人の活躍を心から祈っているよ」
試験であるからには、当然不合格になった者は多く存在する。
合格してしまえば同じ立場の者達と接する訳で、不合格になった者と関りを持つことは少なくなるだろう。しかし、彼の様に夢破れた者がいることを、合格した者は忘れてはならない。
そんなことを心に刻みつけて、ナユタは笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「うんうん。……さて、二人とも。そろそろ目的地に到着するから、心の準備をしていおいてくれるかい」
「分かりました」
それから少しだけ歩くと、三人は森の中にぽっかりと空いた空き地のような、少しだけ開けた場所に出る。
木々の隙間から差し込んでくる光が指し示す先には、まさに巨大としか形容しがたい物体があった。
全長五〇メートルを超える楕円球。兵士達が叩いてもビクともしない様子から、硬質な外殻に覆われた卵という印象だ。
地面に突き刺さる様にして聳え、森の景観から大きくかけ離れたそれは、はっきり言ってかなり不気味に見える。
ナユタとイオをこの場に呼びつけた指揮官フッキは、その物体から二〇メートル程離れた小高い傾斜の上で、物体を睨みつけるようにして立っていた。
背後に二人を連れたリンカーンが声をかける。
「フッキさん。イオ君とナユタ君をお連れしました」
「ああ、ご苦労」
抜け殻を眺めていたフッキは手を後ろで組んだまま振り向く。
「リンカーン、貴様は再び周囲の幻魔の掃討を指揮しろ」
「了解です」
フッキの指示に従うリンカーン。彼は笑みを浮かべて敬礼すると、その場を後にした。
彼が去った後で、フッキは二人に向き直る。
「忙しい所すまないな。幻魔はどうもこの辺りに集中しているようでな。君達にもその掃討に協力してもらいたい」
フッキが精鋭を集めたのはそういう事だったのか、とナユタは気づく。
ナユタ達が持ち場にしていた場所での戦闘は、数的に厳しいとはいえ、低難度の幻魔が主な相手だった。観測されていた高難度の幻魔がこの周辺にいるとなれば、精鋭を集める必要がある。
それは隣で訝し気な表情をしているイオも理解しているようだったが、彼は頷きながらも疑問を隠せないといった様子で応じる。
「それは構いませんけど、これが何なのか、まずは説明してもらえませんか」
イオは頷きながら、巨大物体を指さす。
卵のようなそれに目を向けたまま、フッキは呟いた。
「恐らくは何かしらの、卵だろうと考えられる。しかし、詳しい所は現在不明だ。だからこれから調査をするのだよ」
イオは左右に首を振って、呆れたような声を出す。
「幻魔から都市を守るという任務を、一時中断しても、ですか?」
「ああ、その通りだ」
ナユタをチラリと見やって放ったイオの一言に、フッキは首を縦に振る。
彼の表情には、強い決意が見て取れた。彼自身、この決断の重要さを理解しているようであった。
しかし、イオは珍しく語気を強めて、フッキの言葉を追求する。
「軽く言いますけど、この任務の重大さ分かってます? この辺に幻魔が集中してるとはいえ、他の場所にも幻魔はいる。さっきだって、俺らの周りで助けを求める声が聞こえたんです。こうして話している間に、どれだけの兵士が犠牲になっているか、フッキ指揮官に分からない訳ないでしょう」
イオの言葉から、焦りの気持ちが痛い程伝わってくる。彼の意見にはナユタも同感だったから、ナユタは反論も肯定もせずに目を伏せるだけに留める。
既に、ナユタとイオは任地近辺の兵士を見捨ててしまっている。去り際に聞こえた兵士の悲鳴が、今も耳に残っている。きっと、あの兵士は助からないし、今この瞬間にも、多くの兵士が幻魔の手にかかっている。イオは理解しているからこそ、焦りを隠せないでいるのだろう。彼は周りが思うよりも、そして彼自身が思うよりもずっと優しい少年だ。
そんな彼の言葉に、フッキは当然といった様子で頷きを返した。
「ああ。勿論理解しているとも」
本当だろうか。自身の心に余裕がないからか、ナユタにはそれが、上っ面の良いだけの言葉に聞こえてしまう。
フッキの言葉に、イオは小さくため息を吐いて呟く。
「…俺は無駄死には嫌いなんですよ。それは分かってくれましたよね。それに、その思いは指揮官も同じでしょう?」
先ほどの作戦会議の一件で、イオの言葉は全ての兵士に間違いなく響いた。だからこそ、ナユタもイオも、フッキが何を考えているのか理解に苦しむ。
フッキはこれにも大きく頷いて、そして厳しい目をイオに向けた。
「ああ。その通りだ。だが、時に兵士の命よりも優先されるべきものはある」
屹然と言い放ったフッキの極めて冷徹な瞳に、イオは詰め寄る。
「ふざけんなっ」
イオの怒号に、ナユタはびくりと震える。
彼はフッキの襟を両手でぐっと掴み、彼を手繰り寄せて吠えた。
「命より優先されるものなんかある訳がない。こんな何かも分からない物体のために、兵士の命を無駄にしていい訳がない」
静かな中にも明確な意志を感じさせるイオの怒号があたりに響く。それと同時に、イオがとったいきなりの行動に周辺の兵士たちが騒然とした。
「し、指揮官っ!!」
しばらくしてフッキの身を案じた数名が駆け寄ってくる。しかし、フッキはそれを手で制して口を開いた。
「よい、来るな! ……貴様らはリンカーンの指示を仰ぎ、幻魔の討伐に注力せよ」
来ればお前たちもタダでは済まないぞ、そう言外に語る厳しい視線に、兵士たちはゴクリと生唾を飲んで敬礼を返した。
「は、はっ!」
去っていく彼らを見送ったフッキは、厳しい視線を向けてくるイオの紺碧の瞳を見返す。
「もっと大きな存在が失われようとしているのだ。仕方あるまい」
「命以上に大きな存在なんて無いと、俺は思いますけどね」
「確かに命は大切だ。だが、それには優先順位がある。我々が最優先で保護しなければならないのは、零層都市の市民、そして国民の命と財産だ。今あれを調査し、実態を把握せねば、最悪アリシア王国が滅びる」
フッキの口から放たれた衝撃の言葉に、ナユタは衝撃を受けた。アリシア王国が滅びるとは、一体どういうことなのか。
ナユタがそれを問うよりも早く、イオがフッキの瞳を真っ直ぐに見据えて口を開く。
「それはどういうことですか」
「イオ君、作戦会議の時にも話したが、君の意見はもっともだ。そして我々もそれを見習うことにした。しかし、軍の目的は何かね」
「…国を守ることですか」
「その通りだ。兵士の命を大切にしたいという君の考えは、国軍大将を長年務めて来た私にも、痛い程分かる。だが、軍が国を守護する組織である以上、そうも言ってられないのだよ」
命に価値をつけてはならない。それは人として当たり前に持つべき感性であり、ナユタも大いに賛同するところである。しかし、現実はそんなに甘くないということを、フッキは誰よりも理解しているのだろう。
フッキは軍人だ。そして軍が守るべきものは、国民の命にはじまり、彼らの保有する資産にまで至る。それらのために命を張ることが軍人の仕事だ。なぜなら彼らの給与は税金から出ているし、その装備を整えているのも国の防衛費用だ。だから有事の際に、兵士と市民どちらの命が優先されるか問われれば答えは自ずと見えてくる、ということだろう。
しかし、イオは納得できない様子だった。彼はフッキの言葉の正しさに頷きながらも反論する。
「だが、それと”あいつ”は関係ないでしょう」
フッキが執心している巨大物体を指さしながらイオが言うと、フッキは首を横に振った。
「関係があるといったら、君はそれを信じるかね?」
「はい?」
「では逆に問うとしよう。”あれ”が、今回の幻魔の侵攻と無関係である証拠を示せるか。あれが王国を更に害する存在でないと、証明できるか」
鋭いフッキの眼光。普通の少年なら間違いなく怯んでしまう様な冷たい瞳が突き刺さるが、イオは一切たじろぐことも迷うことも無く、ただ屹然と言い放った。
「王国を害する存在でないことを証明するのは、今の段階では無理です。しかし、無関係だってことを説明する必要はないはずです」
「ふむ。それはなぜかね」
「幻魔が意識を共有する集合体だからです。その意識がこれに向いてないって事は、少なくともこいつが目的ではありません。今標的にされてるのが、零層都市なのは明らかな事実です。ここで何とも分からない、幻魔の目的じゃない物に構ってられる程、俺らに戦力と時間は残されてない。そうでしょう」
イオの客観的な視点からの意見に、フッキは少しだけ驚いた様に目を丸くした。
「その通りだ。しかし、これを護衛するようにして幻魔が展開されているのもまた事実。幻魔は我々の想像を軽く超える超生命体だ。これほど巨大な卵が幻魔と無関係であると決めつけることは、私にはできない」
フッキはイオの意見を認めこそしたが、自分自身の意見も曲げない。
「だがっ」
「それに、だ」
イオの追及を遮るようにして、フッキは言い放つ。
「これに関する調査は、アリシア国王の勅命を受けた総指揮官ヴァイゼン・アカデミア氏からの命令だ。そもそもの話、君はもとより、私にすらこの選択を覆すことはできないのだよ」
重要な情報を多分に含んだフッキの言葉に、隣でそのやり取りと見聞きしていたナユタは、目を見開いた。
まず一つ目の驚きは、叔父のヴァイゼンがアリシア国王から勅命を受けていたことに関するものだ。
アリシア王国は都市国家が複数集まった国では無い。都市には市長がいて、複数の都市が纏まった地方には、地方長官がいる。そしてそれを纏める役職が存在している以上、上意下達の関係で、一市長のヴァイゼンに王が直々に命令を下すというのは、滅多にない話だ。
そして、勅命を受けたヴァイゼンの命令であるということは、それが王の命令であると捉えることができる。これが二つ目の驚きだ。
アリシア国王が”あれ”の存在を以前から認知していたのか、報告で知ったのかは不明だ。しかし、国王が”あれ”の調査を命じたということは、国にとって重要な存在であることを示している。
だから、国に忠誠を誓う軍人であるフッキは、”あれ”を調査せざるを得なかったのだろう。
ぐっと静かに眉間に力を入れたフッキ。彼の瞳が揺れる。
その目に映るのは、悔しさか無念か。
「君は優秀だ。この配置換えが兵士にもたらす危険を誰よりも早く察知し、指揮官である私に直訴しようと考えたのだろう。だが、残念ながらこの場にこの決定を覆せる者はおらんのだよ。君なら、その事にも気が付いているのだろう?」
彼の言葉を理解したイオは、数秒間フッキの目を覗き込んだ後、彼を解放した。
「…そうですね。確かにその通りだ。どうしようもないことに費やしている時間は無いですね。そうなれば、俺も最善を尽くしましょう」
フッキは襟を整えながら、小さく息を吐いた。
「そうしてくれると助かるな。私としても、部下達だけ戦わせて、いつまでもこんなところで調査をしているのは、いささか心にくるものがあるからな」
そう呟いたフッキは、苦々しい表情を浮かべていた。
フッキも本来なら、幻魔を倒すことだけに集中したいのだろう。それに、この調査で兵士の命が無駄に失われるのは避けられない事実だ。彼が苦しい立場にあることは、十分理解できる。
イオは一つ深呼吸をすると、平生の優し気な声に戻った。
「ええ。手早く終わらせましょう。俺達は何をすれば?」
「そうだな。……まずは、”あれ”の中身を調べたい。兵士達に叩かせ続けているが、一向に殻を破れる兆しが見えないのでな。外周の幻魔の討伐に向かう前に、君達にも参加して欲しい。特にナユタ嬢の精神武器の力は、是非とも試してみたところだからな」
「は、はい」
頼りにされているのだろうが、ナユタは少し緊張する。肩に力が入り、思わず体が硬直した。
その様子を見ていたらしいフッキが淡く笑う。
「そう緊張することはない。私も試したが、ダメだった」
だから気軽にな、と呟くと、フッキは高台から飛び降りて、謎の物体の元へと向かっていく。
イオとナユタもそれに追行して、二人は物体の麓まで進んだ。
リンカーンさんの口調がなんだかおかしいと最近気が付きましたので、修正しておきました。申し訳ありません。2023/12/23




