第三十三話:二人の戦い
森に入ればすぐに視界が悪くなるかと思ったが、意外にそうでもなかった。
獣道を走る部隊もいるが、ナユタ達は運良くそれなりに整備された道を進むことができたからである。
幻魔とは何度か邂逅したが、どれも先ほど同様問題なく対処可能な強さだった。それに加えて、森に入ったことで立体的な動きができるようになったためか、周りの兵士達の討伐速度も向上している。
流石は実力者揃いの探索者達といったところだろう。しっかりと実戦での戦い方を心得ている。
そんなことを考えながら走っていると、前方に二メートルほどの大きさを誇る、猿型の幻魔が出現した。
ナユタは気を引き締める。
「幻魔です! 数は一体! 攻撃来ます!」
幻魔が四肢を伸縮させて、一気に加速する。
爆発的な加速で飛び込んできた幻魔に、ナユタは冷や汗を流しながら進化聖剣を構えた。
しかし、ナユタが行動するよりも早く、その隣を紺碧の残像が走る。
「おらよっと」
ナユタの後方から飛び出してきたイオが、ナユタに殴りかかってきた幻魔の攻撃を剣で弾いて体勢を崩させた。
砂埃をまき散らしながら着地した幻魔。しかしイオは幻魔に隙を与えない。彼は実に鮮やかな動きで幻魔に接近し、その四肢に小さな傷をつける。すると幻魔は当然反撃しようと踏ん張るが、それが敵わずに恐ろしく間抜けな姿勢で地面に倒れ伏す。
イオはそれに剣を突き立てると、慣れた様子で剣を引き抜いて一閃した。
彼の右手側の地面に、ピッと振り払われた幻魔の血が、綺麗な三日月型を描いて付着した。
幻魔の四肢は、その一部だけが欠損した状態だった。
「…幻魔の四肢の腱を切り落としたんですか……良くあの一瞬でそんな事を思いついて、実行できますね」
数秒の内に行われた一連の流れに、ナユタは驚愕した。
ここまでの戦闘で分かったが、イオは戦闘の達人だ。ただ力が強いとか、速いだとか、硬いだとか、それだけではない強さが彼にはあった。
それは、戦闘技術の高さだ。
精神武器を使っているナユタは、はっきり言ってイオの1・5倍の速度を出せている。精神武器を使っている分、力もあるし、防御力だって上だ。
しかしナユタは、幻魔の討伐速度でイオに追いつけていない。長くない人生の大半を戦闘力向上に努めてきたナユタには、その理由がはっきりと分かる。それは、彼女がどこかで無駄な動きをしているからだ。
イオは剣を収めながら、ああと呟く。
「まぁそればっかりは経験だろうな。俺も、一々考えて動いてる訳じゃないし」
「…確かに、それはそうですよね」
イオの言葉に、ナユタはふと自らの行動も鑑みて納得した。
彼の言葉は実に簡潔で、正しいものだ。あの速さの戦闘中にあれこれ考えていては、何か動く前に幻魔に攻撃されて終わりだ。ナユタだって、一々どうやって幻魔を倒すか、細かいところまでは考えていない。あれこれ考えた行動を、反射的に行える領域まで落とし込む。これが戦闘の基本だろう。
だが、それは容易な事ではない。彼は簡単に言っているが、それは相当数の場数を踏んで初めて可能になる業だ。
またイオの不思議な要素が明らかになるが、ナユタもそればかりに思考を割いてはいられない。
幻魔の気配を感じて視線を向けると、木々の隙間から飛び出してきた猿型幻魔が、こちらに向かってくるところだった。
「今度は私にやらせてください。”訓練”も兼ねて」
「分かった。猿型は強くはねえけど、油断するなよ」
いつまでも彼に頼ってばかりではいられない。ナユタが率先して前に出ると、イオはその意思を尊重してくれた。
「はい!」
そう頷いて、ナユタは地面を蹴る。その手には眩い光を放つ進化聖剣が握られている。
猿型はE難度の幻魔だが、その長い手足を使った攻撃が厄介な存在だ。
ナユタの接近を察知した猿型は、付近の地面を漁ると、両手に拳大の石を持つ。そして、長い手を用いた遠心力を利用して、アンダースローで投石してきた。
その速さは、時速にして八〇キロほどだ。決して遅くない一撃だ。E難度ではあるが、猿型は間違いなく幻魔だ。その身体能力は極めて高い。ただの投石でも、十分に人間を死傷させる力を有しているため、E難度と聞いて油断し、対策を怠れば簡単に殺される。だからイオはナユタに油断するなと言ったのだ。無論、ナユタもそれは心得ていたが。
ナユタは強化された動体視力で投石の軌道を見切ると、左右に立ち並ぶ木々を蹴り、立体的に動き回りながら攻撃を躱した。これは猿型に狙いを定められ難くする動きであると同時に、森での戦い方の訓練でもある。
二投目、三投目、四投目と、猿型はナユタを正確に捉える投石を続けるが、ナユタはその悉くを、空中や地面を動き回ることで回避する。
そして次の石を準備させる暇を与えず、一気に懐に飛び込むと、迷いなく剣を切り上げる。猿型はその剣を辛うじて躱すが、ナユタは追撃の手を緩めない。何度も何度も、的確な剣技で猿型を追い込んでいく。
すると、痺れを切らした様子で猿型がナユタに飛びかかってきた。
しかし、それは悪手だ。空中に飛んでしまえば、幻魔といえどできることは無い。ナユタはふっと息を吐いて、猿型の攻撃を見極めた。
そして、それが間合いに入った瞬間、剣を振るう。
「はぁっ!!」
横一線の煌めき。
ナユタの進化聖剣によって両断された猿型は、断末魔の叫びをあげる暇も無く絶命し、動きを止めた。
ドサッと地面に倒れ伏した猿型が動かなくなったことを確認してから、ナユタは頬を伝ってきた汗を拭って一息つく。
「ふぅ。だいぶ慣れてきましたけど、立体的に戦うのって難しいですね。幻魔の狙いを避けることはできますけど、その分、自分も幻魔を見失いかねませんし」
高速戦闘で目が回ってしまったナユタは、一拍を置いて左右にフラフラと、千鳥足のように歩き回る。
そんな彼女を支えながら、イオが苦笑を浮かべた。
「そりゃそうだ。ナユタは飛ばしすぎだ。最初は、それこそ動きになれるって感じで戦うもんだろうな」
ナユタは幻魔と実際に戦うのは今日が初めてだ。もちろん木々や建造物を利用した立体的な戦闘も。だから、一刻も早く強くなりたいナユタは、その技術を会得する為に、動きを戦闘に取り入れて経験を積んでいるのである。
しかし、イオはやれやれと首を振りながら答える。
「そもそも、ナユタくらいの速さがあれば立体的に戦わなくても、十分幻魔の攻撃を回避できるだろ。どうしてそこまであの動きにこだわる」
イオの指摘に、ナユタはぐっと喉を鳴らす。
確かにその通りだ。スピードに優れたナユタなら、E難度やF難度の幻魔相手に、わざわざ立体的に立ち回る必要はない。
兵士達が立体的に戦うのは、幻魔を平地で撹乱できるだけの速度がないからだ。つまり、圧倒的なスピードをもつナユタは立体的に戦わななくとも、十分に幻魔の意識を混乱させ、攻撃を回避することができるのである。
しかしナユタは、むすっとした表情で答えた。
「そうかもしれませんけど、やっぱりみんなができているのに、一人だけできないのは悔しいんです」
「悔しいって、おまえなぁ。いくら難度の低い奴だらかって、相手は幻魔だぞ。分かってるとは思うけど」
今度こそ、イオは呆れ顔で項垂れる。
だがそれが、ナユタを根底から否定したいものではないことは、ナユタにも理解できた。それでも、ナユタは自分の意見を曲げたくなかった。
「安全には十分注意していますよ。それに、これがどこで必要になるかわからないんです。練習できる内に練習しておかないと」
ナユタが頑固にも訓練にこだわる理由は、そこにあった。
今現在必要でないからといって、この技術がどこで必要になるかは分からない。ならば、今は多少の不便を背負ってでも訓練をするべきだと判断した結果が、ナユタの行動だ。
ナユタの言葉が予想通りだったのか、それても意外だったのか、もう一度小さく息を吐いたイオは、ナユタを解放して微笑を浮かべる。
「……負けず嫌いなのは相変わらか。まぁ、確かに試せる内に試しとくのは悪くねぇよな。さっきからなんだか、妙な感じがするし」
イオはそう呟くと、辺りを見渡す。
ナユタもそれに釣られるようにして、辺りに視線を向けた。
高い木々に覆われた一帯だが、別段問題がある様には見えない。耳を澄ませてもみるが、これも戦場の音が聞こえてくるだけだ。
イオの言葉が理解できなかったナユタは、小さく首を傾げる。
「妙ですか? 別に今まで通り進んでいるように感じるんですけど」
「まぁこればっかりは経験則だな。感覚的にそう思うだけだ。まぁ直感頼みだけど」
イオは最後を茶化そうとしたようだが、ナユタは彼の言葉を真剣に受け止めた。
「直感はこれまでの経験の蓄積に伴う状況判断ですからね。戦闘経験が豊富なイオくんの、この場における直感は、実際何よりも信頼できるものだと思います」
「ま、今回の場合はそうならないに越した事は無いんだけどな」
「え?」
ニヤリとも敬称できる笑みを浮かべるイオに、ナユタは思わず聞き返す。
だが、その追求よりも早く、二人の耳に声が届いた。
「イオ君に、ナユタ君はどちらに!?」
声のした方向へと顔を向けると、一人の兵士が全速力で駆けてくるところだった。
ナユタは手を振りながら答える。
「ここにいます!」
「そうか! それは良かった!」
そう安堵した表情を見せる兵士が到着するまでの間に、ナユタはイオの横顔を見上げる。
「何かあったんですかね。どう思いますか、イオくん」
しかし、イオはナユタの言葉に反応しなかった。その代わりに静かに天を仰ぐ。
「あー、やっぱりな」
「え?」
顔を手で覆ったイオ。またしても困惑した表情を浮かべたナユタに視線を向けてきて、イオは首を横に振る。
「嫌な予感がするって言ったら、信じるか?」
「それは、正直信じたくはないですよ」
先程の話も影響して、彼の言葉にナユタは苦笑した。
しばらくして、兵士が二人の元へ到着する。
「イオ君にナユタ君。君達にフッキ指揮官から口頭伝達だ。『これは私が選抜した兵士諸君にのみ公開する情報である。我々は、森の最奥にて、重要な存在を発見した。少々強力な幻魔も出現しているので、精兵を集いて調査を行いたい。声をかけられた諸君は、持ち場を一旦預けて中央で合流せよ』。以上だ」
彼の言葉に、イオは背後から襲い掛かってきた幻魔の脳天に剣を突き刺しながら答える。
「…話はわかりました。けど、俺らの担当してる場所だって決して楽な場所じゃないんです。今も周りで何人もの兵士達が戦ってます。それを置いて行けと、そういうことですか?」
イオの言葉に、ナユタは改めて周囲の状況を確認してみる。
辺りから兵下達の悲鳴や助けを求める声も、時折聞こえてきた。
もしナユタ達がこの場を離脱すれば、彼らを助ける事は難しくなるだろう。
ここでフッキの命令を聞くということは、イオにしてみれば、目の前の救えるはずの命を見捨てるということに他ならない。そしてそれは、彼の理念に背く事に同義だ。
それに、この戦場はそもそも戦力的に厳しい。自分達が抜けた穴が、周囲の兵士達に負担を強いる事は容易に想像できた。だからこそ、ナユタはすぐには決断できない。
だが伝達係の兵士は一瞬の迷いもなく首肯し、屹然とした表情で続けた。
「ああ。その通りだ。なお、これは指揮官の命令だ。これを拒否すれば、君達は命令違反となる可能性がある。命令違反をしたとなれば、君達は軍法裁判にかけられる可能性があり、それは学院入学を不可能にする可能性が大きいだろう、という情報を進呈する。私からは以上だ」
彼の断固たる姿勢に、イオはチラリと、迷ったままのナユタに目を向けてくる。
それが何を意味するかをナユタは理解できなかったが、それから数秒間考え込んだイオは、最終的に兵士に背を向けた。
「…了解しました。ナユタ、行こう」
「え、ええ」
状況が把握できていないナユタも、そんなイオに釣られて走り出した。
ナユタは走りながら、自らでも分かる程焦りを感じる声を発する。
「い、イオくん。本当に大丈夫なんですか?」
大丈夫か、というのは周りで戦っていた兵士達はもとより、作戦の成功に関する疑問だ。ナユタ達が配置を離れれば、それだけ後方への負担が大きくなる。それは作戦成功率を低下させると想像するには、十分な要素だ。
だが、疑問を持っていたのはイオも同じだったようだ。彼にしては珍しく難しい表情で頷くと、イオはポツリと呟いた。
「…さて、どうだろうな。だが、今の状況じゃできることは決まってる。とにかく指令に従うぞ。情報はフッキ指揮官から直接聞く」
イオの言葉に、ナユタも頷くしかない。
戦いで最も重要な要素の一つは情報だが、その情報が今は欠如している。そんな状況で闇雲に独断で動き回るのは危険だ。それに、今回の命令は、自分達よりも情報を持っているであろう指揮官フッキのものだ。それに従っておけば、とにかく間違いでは無いだろう。
「…はい。そうですね」
そう、間違いではない。しかし、兵士達を見捨てる形で持ち場を離れる事が正解なのか。
強く地面を蹴ってその場を後にしながらも、ナユタの胸中にはそんな不安が広がっていたのだった。




