第三十話:戦闘開始
全体会を終えてから三十分後、リスティア湖の北側に迫りつつある幻魔達に対応するために、合計三つの軍が素早く展開された。
リスティア湖正面に整然と並んだ、フッキ率いる中央軍六○○にはじまり、右軍、左軍がそれぞれ五○○ずつ、左右からリスティア湖を迂回する幻魔に対応するために陣を敷いている。
精神武器や魔術によって加速できる為、誰も馬などには乗っていない。それでも、数百名がずらりと並んだ陣形は異様な圧力がある。
「なんだか頼もしいですね。これだけの人がいるとなると」
ナユタは曇り空の下で拭く冷たい風に吹かれながら、後ろを振り返って呟いた。
イオは彼女とは対照的に、高い木々が生い茂る森が広がる正面を見据えて答える。
「まぁ後ろからしても、前にこんだけ人がいんのは心強いだろうな。……ったく、戦力として見られてるとは思ってたけど、まさかこんな前に配置される何て思わなかったぜ」
イオとナユタは、中央軍の右前方に配置されている。最前列では無いにせよ、幻魔と最初にぶつかる場所である事に違いはない。
脳裏にフッキの不敵な笑みを思い浮かべているのか、それともこの戦い自体に対するものか、イオは不服そうな態度で愚痴を零した。
「あの爺さん、俺達を不憫に思ってんのか、戦力として見てるのか、どっちなんだ」
後者に関してもイオは思う所はありそうだが、今回の愚痴の対象はフッキ指揮官のようだ。
分からなくもないイオの意見に、ナユタは苦笑する。
「まぁまぁ、実力をかってもらえて良かったじゃないですか。それに、早いうちに幻魔達と戦っておいた方が、敵の強さも判断できますし」
ナユタはそう言って、長い紫白色の髪を後頭部で縛る。戦闘時に邪魔にならないようにするためだ。
イオはナユタの言葉に、がっくりと肩を落として答える。
「まぁ、確かに小手調べには丁度いいけどな」
後方でも戦いの様子が見れれば、幻魔達の強さを再確認することができるだろう。しかし、混乱を極める戦場でそれを成すのは困難だ。
ならば最前線で幻魔と相対することが、現状ではもっとも小手調べに適している。
ナユタはそれから、イオに近づいて耳打ちする。
「それに、言いにくいですけど、フッキ指揮官が直々に部隊に組み込むくらいですから、我々の力は並みの兵より上だと判断されているのでしょう」
声を潜めて辺りを見回したナユタに、イオは苦笑して答えた。
「まぁ、実際その通りだよな。自惚れてる訳じゃないが、それなりの事態になら、ある程度は対処できる」
最前線で幻魔達と激突するのは簡単ではない。相手の勢いと味方の勢いに挟まれるため、冷静さを失って対応を誤れば即死もあり得る危険な場所だ。そこで戦う者には当然、極めて高い技量が求められる。
イオの実力は分からないが、先程フッキから力を認められていたので、恐らく問題無いだろう。ナユタも、自分の実力は分かっているつもりだ。
だが、そういった事情をひっくるめても、ナユタはこの配置に乗り気だった。彼女は緊張に高鳴る胸を押さえて、雲に覆われた空を見上げる。
「それに、イオくんは嫌かもしれないですけど、私はこの役割を引き受けることができて嬉しいんです」
両手を胸の前で握って、どこか祈るように言葉を吐き出したナユタ。彼女は、突然の話に困惑しているイオに向き直って笑みを浮かべる。
「最前線で私達が頑張れば、後方の人達には余裕が生まれますよね。そうしたら不測の事態が起こった時に、その人達がしっかり対処してくれるでしょう? それがリディアを守ることに繋がるんだって思うと、ここで頑張らなきゃって気持ちになるんです」
自分でも驚くほど素直に言葉が出てきた。
イオはナユタの言葉に、どこか痛い所を突かれたという様な表情を見せたかと思えば、一転して優し気な笑みを浮かべて頷く。
「そうだな。だからって、あんまり気合い入れすぎるなよ」
イオの反応は、反感、悲哀、憐れみ、そのどれとも違うようだった。
しかし結局の所、イオがこの戦いをどう考えているのか、そしてナユタの言葉をどう思ったのかは分からない。
だから、ナユタは彼の事情には深入りしない。
「はい。分かってます。頭はしっかり冷静ですよ」
ナユタが笑いながら人差し指で頭を数回叩くと、辺りに観測班の声が響く。
「幻魔だ! 幻魔が来たぞ!」
辺りにピリッと緊張感が走り、誰もが森を見据える。
そして、ぞろぞろと幻魔達が足を進めて来ているのが視認できた。
最前列の中央で精神武器を展開した指揮官のフッキ。
指揮官でありながら最前列にいる彼は、風に吹かれながら手元の腕時計を眺めていた。そして時計の針が指定していた時刻の一分前ほどになると、一度深く息を吸って、目を見開いて叫んだ。
「リディアを守らんとする戦士達よ、聞け! この戦いは極めて厳しいものになるだろう! しかし忘れるな! 我々が敗北すれば、リディアが滅び、人々は成す術も無く蹂躙される! この理不尽を許してなるものか! 奮起せよ、諸君らの働きが、リディアと人々を救うのだ!」
その言葉に、兵士達の士気が爆発する。
フッキが最前線にいる理由が、ナユタにはようやく理解できた。ただ単に実力が突出しているからというだけでは無かったようだ。
そうして、フッキはこの戦いの火蓋を切って落とす。
「作戦開始!!」
「「おおおっ!!!!!」」
雄叫びと共に、幻魔の軍勢へと向かっていく兵士達。
ナユタとイオも例に漏れず、最前線の兵士に続いて走り出した。
彼女は、チラリと辺りを見やって兵士達の動きを確認する。彼らはフッキの作戦通り、五人一組の班となって、等間隔に散らばりながら幻魔達に向かっている。
ナユタはフッキの言葉を思い出す。
『…戦い方は全軍共通として覚えておいて欲しい。幻魔達の数が多いのは最早明らかだ。そこで諸君らには、班内で二人一組のペアを形成してもらう。そのペアを前後互い違いに配置し、最初の突撃を掻い潜った幻魔を後方が仕留め、そこで仕留め損なった幻魔はさらに後方が仕留める。これを繰り返し、幻魔達を確実に減らしていくのが、今回の平地での戦い方だ。最前列で全ての幻魔を仕留めてしまうのが理想だが、流石に現実味に欠ける。もとより急造の軍隊。ある程度の作戦は立案するが、そこから先は諸君の個人的な技量にかかっていると思ってくれたまえ』
みるみる内に幻魔との距離が迫る。
そして近づくほどに、幻魔の姿が鮮明に見えるようになった。
姿形は様々であり千差万別。しかしその瞳は一様に、紅一色に爛々とした光を放つ。また全身は煤の様に黒くてまるで生物とは思えない。目の前の人類を滅ぼさんとする殺意と、蹂躙に対する恍惚が言語を返さずして伝わってくる異様に、ナユタは自らの肌が泡立つのを感じた。
最前線で、ついに幻魔と第一陣が凄まじい速度で激突する。
しかし両者ともに正面衝突を回避するように交差することで、大した被害にはならない。そうなれば、何が起こるのかは自ずと理解できる。
「蹂躙せよ!!」
そして、戦闘が始まった。




