第二十六話:曲げられないもの
「イオ君」
「はい」
彼の突然の行動にナユタは口をパクパクとさせることしかできない。
隣であわあわとしているナユタをおいて、イオは起立して軍人達の注目を集めた。
軍人独特の鋭い視線が突き刺さるが、イオは一切怯むことなく、落ち着き払った力強い声を発する。
「一次作戦の内容の合理性は理解しました。しかし、とはいえ相手は十倍の数の幻魔。単純な力押しに力で対抗する場合、疲れも魔力切れもしない幻魔は人間より遥かに厄介です」
いやに実感の籠った、説得力のある言葉だった。それがなぜかは分からなかったが。
ナユタの関心を他所にして、イオは軍人達の訝し気な目を真正面から受け止めながら言葉を続ける。
「今の戦力差で、この作戦を成功させられるかどうかは、正直予想できません。考えすぎなら良いですが、幻魔との戦いで考えすぎという事もないでしょう。万が一この作戦が失敗した場合、リディアは否応なしに全滅です」
ナユタは彼の言葉で冷静さを取り戻した。
確かにこの戦力差で作戦を成功させられる保証はない。となれば、自分達が敗北した場合は? 当然、幻魔はリディアに侵攻する。そうなれば防衛力を分散してしまったリディアは、半日と持たずに蹂躙されるだろう。
「そうならない為の工夫と、万が一この作戦、一次作戦が失敗した際の行動を教えていただきたい」
随分と生意気にもとれる発言だが、軍人達は彼の意見を耳にすると、感心した様に頷いて前に向き直った。
イオの意見に、フッキが答える。
「その指摘はもっともだ。…あまり大きな声では言えないが、作戦成功の為に工夫がある。軍の支給品の中に、ブースタードラッグを入れていおいた。兵士達には予め、状況が厳しくなった際にはそれを使用する様に伝えてある。勿論自己判断に基づくものだが、もはやなりふり構っていられない。私も勿論、状況が厳しくなれば服用するつもりだ」
ブースタードラッグは動体視力や筋肉性能を高めたり、精神を興奮状態にしたりする薬剤だ。本来であれば危険薬物として忌諱されてしかるべきだが、イオが分析し、フッキが認めたように厳しい戦場だ。軍はリディアを守る為に、ブースタードラッグの使用を許可したのだろう。軍と兵士達の並々ならぬ覚悟を感じたナユタは、彼の言葉に衝撃を受けた。
しかし、イオは特段驚いた様子も無く、逆にその程度で良いのかと疑問視する様な声で告げる。
「ブースタードラッグは恐怖を打ち消し、兵士の能力を極限まで高める。これは確かに戦力的にはプラスでしょう。しかし、それでは根本的な解決にはなりません。先程はああいいましたが、正直言って十倍の戦力というのは、その程度で解決できるほど甘くはない」
イオの言葉に、場の空気がひりついた。
隣で息を呑んだナユタは、当然だろう思う。ただの学院受験生であるイオが、この作戦会議の時間をとっているだけでなく、軍の作戦に異議を唱えているのだ。当然軍人達の気分は良くないだろう。
しかし、ナユタにはイオの言葉の正当性も理解できた。十倍以上の戦力差というものは、例えブースタードラッグを使用しても、そう簡単に埋まるものではないだろう。
「やるからには、もっと具体的な対策を…」
その時だった。
最前列の椅子に腰かけていた一人の軍人が、腹の底から声を響かせながら、勢いよく立ち上がった。
「確かに、あんたの言う通り幻魔との戦力差は歴然だ。だけどな、その言い草はねえだろう」
イオはフッキから、見覚えのある軍人に目を向けて答える。
「どういう意味でしょうか、レール少佐」
イオは、先ほどフッキから部隊の一つを預けられていた少佐、レールに言う。
良く焼けた褐色の肌に軍服を重ねた、屈強な男はイオに視線をぶつけながら答えた。
「俺達は国の為なら命を投げ出す覚悟を持って、ここに来てる。ブースタードラッグだって、国を守る為なら喜んで飲んでやるさ」
「そうですか。ですが先ほど言った通り」
「ああ、そうだな。ブースタードラッグ飲んだくらいじゃ、戦力差が埋まったとは言えねえよな」
咥えタバコをふかしながら、力強さを感じる目を細めて、レールはイオに近づいてくる。
軍服の上からでも分かる程隆々とした肉体、幾つもの戦場を超えて来たと一目で分かる圧倒的な覇気。目の前に迫った巨大な壁に、ナユタは息をする事すら忘れる程の緊張感を感じた。
ナユタからすれば十分大きなイオが、レール相手だと見上げる形になってしまう。レールは見上げてくるイオに顔を近づけて、その目を覗き込んだ。
「だけどな、それでもな。そんな兵士達の覚悟を、その程度って言われて黙ってられる程、俺は大人しくねえんだ。あんたの言葉は、今もどこかで戦っているこの国の兵士を愚弄するもんだぜ」
「…確かに、その程度という言葉は、軍と兵士の皆さんを軽んじる言葉でした。訂正しましょう」
レールの言葉に、イオは頷く。
ナユタが、それでこの場が丸く収まるかと思ったその時、イオは胸を張ってレールに反論した。
「しかし、それで兵力差が埋まる事が無いのは、抗いようのない事実。俺はその上で、より綿密な作戦を…」
「だから、その差を俺達は命を投げ打って埋めるんだよ」
言葉をかぶせて、彼の意見を聞き入れようとしないレールに、イオは心底うんざりした表情を浮かべる。
そこから彼が碌なことを言わないであろう事を察知したナユタが、彼を止めるよりも早く、イオはレールに言葉を叩きつける。
「そうやって無駄に命を損なわせることが、少佐たちの役割なのですか?」
イオの言葉に、レールはピクリと反応する。
そして肩眉を吊り上げて、部下の静止を諸共せずに、血管を浮き上がらせながらイオに詰め寄った。
「なんだと? もう一度言ってみろ。子供だから大目に見てやったが、今の言葉だけは許さねえぞ」
イオはレールに凄まれるが、レールから一切視線を逸らすことなく、彼自身も怒りの感情を表に出して答える。
「そうやって、あんたの怠慢を押し付けて、部下を無駄死にさせることが仕事なのか、そういったんですよ」
「この餓鬼がッ!」
ついに拳が繰り出されようとした、その時だった。
フッキが彼とイオの間に割って入った。
「よせレール」
突然現れたフッキは、レールを手で制する。しかし、レールは止まらない。彼はイオに厳しい目を向けると、叫んだ。
「いいやフッキさん! こいつは俺達の覚悟を踏みにじったんすよ! 国の為に命を捧げる俺達の覚悟を、こいつは何一つ理解しちゃいねえんだ!」
「そんな事、イオ君は分かっているとも」
ただ静かに見上げてくるイオに視線を合わせたフッキは、再びレールに向き直る。
「国の為に命を捧げる。それは素晴らしい心がけだ。しかし、それは無策で敵に挑むことではない。だから彼は言っているのだ。我々の怠慢で、部下を死なせる事は得策ではない。より良い方策を考えようと」
「だからって、あんな言い方。大体こんな子供にこの作戦の何が」
「彼の実力は貴様も見たはずだ。それに、彼の状況分析は極めて正解に近い。私も、あの作戦だけで慢心するほど愚かではないからな」
フッキは目を細めて、レールに命ずる。
「レール少佐。軍議の進行を妨げるな。大人しく席へ戻れ」
その瞳に、レールはぐっと喉を鳴らしてイオとフッキに背を向けた。
「…了解です」
最後に怒りを鎮めて、溜息と共に言葉を吐いたレールは、肩を揺らして席へと戻っていった。
その様子を隣で眺めていたナユタの体から力が抜ける。へなへなと背もたれにもたれかかった。
フッキは一つ小さく息をついて、イオに向き直る。
「…悪かったな、イオ君。奴の非礼は私が詫びよう。根は良い奴だ、許してやってくれ」
「はい。問題ありません」
「そうか」
フッキは安堵した表情を見せると同時に、イオに厳しい目を向けた。
「しかし、あの様な物言いは感心しないな。あれではレール少佐を激怒させようとしていたと見られても、仕方ないぞ」
ナユタは辺りに目を向ける。確かに、軍人達の視線は心地の良いものではなかった。
しかし、イオは何も気にしていない様子で、きっぱりと告げる。
「俺はただ、できる対策を怠って誰かが死ぬのが嫌なだけです。勿論自分も、この場にいる皆さんも、そして皆さんの指揮で動く兵士達も。誰も無駄死にさせたくない。その為だったら、意地汚いと言われようと、腰抜けと言われようと、俺自身をどんなに罵られようとも、まだ改善点がある作戦には最後まで異議を唱えます。軽んじられて良い命なんて、この世に一つとして無いんですから」
イオの瞳が、今までに見た事の無い情熱を帯びたことを、隣にいたナユタは誰よりも感じる。彼の口から紡がれる言葉はすっと胸に響くほど、真摯なものだった。




