第二十話:平和の終わり
突如辺りに鳴り響いた高い音が、その場にいる全ての者の意識を奪った。
ゴーン、ゴーンと一定のリズムで繰り返される鐘のような音に、イオは目を眇める。
「なんだ?」
人が嫌うが故にその注目を集める警報音の様な音は、それから一分ほど続いた。
そして、それが鳴り終わると、驚くべきことにイオを取り囲んでいた試験用の魔術が突如解除される。それはまだ試験中だった他のリングでも同様で、受験生達は突然消えた幻魔に困惑した表情を浮かべていた。
「…何かの不備か、それとも厄介ごとか?」
イオは状況を把握しきれないながらに、頭の中で現在起きている事態について二つの仮説を組み立てる。
一つは先ほどの大音声が試験の中断を告げるものだったという仮説。
試験用の魔術が解除された状況を見るに最も可能性が高いものではあるが、試験用の魔術はイオが見た限り正常に機能していたし、そもそも中断するなら何故一分間も警報音を鳴らしたのかが不明だ。
そしてもう一つは、イオ達のグループの試験だけではなく、この実技試験そのものが中断されることを告げるものだという仮説。
学院側に何か致命的な問題、試験続行不可能を告げる程に重要な問題が浮上した可能性だ。
イオはチラリとナユタとヴァイゼンに視線を送るが、ヴァイゼンは既にナユタの隣にはいなかった。
「…厄介ごとのほうか」
学院長である彼が動いたとなれば、自ずと可能性は絞られてくる。
恐らく警報音は後者の何かしらに抵触するものだ。その内容は分からないが、ナユタの表情を見るにこれが初めてという訳でも無いらしい。つまり、この警報音は零層都市では既に知られているものということになる。
「…零層都市は地理的にも災害には無縁な地域だからな。となると、もう可能性は殆ど一つに絞られるか」
イオがそう呟いて核心に近づくと、辺りに再び大音声が響いた。
『諸君。まずは落ち着いて聞いて欲しい』
それは先ほどの警報音ではなく人の声だった。詳しく言えば、この学院の長にしてこの都市を預かる者、つまりはヴァイゼン・アカデミアの声だ。
彼の落ち着き払った声が、魔術を通して会場中に拡散される。
『今の警報音は、零層都市に危害を与えうる存在が接近していることを知らせるものだ』
その言葉にイオは納得する。正直それ以外に可能性は考えられなかった。
地理的に災害とは無縁であってもリディアには、いや人類には災害と例えられる程の異常事態がある。
それは即ち、天敵の襲来だ。
『先ほどリディア周辺に、大規模な幻魔の群れが出現したことを、軍の観測班が確認した』
大量の幻魔による侵攻。
それこそが、学院が試験を中断せざるを得なくなった原因だ。
その情報開示に会場は騒然とする。しかしヴァイゼンは彼らの感情の変化にかまっていられる時間が無いのか、ただ淡々とした声音で続ける。
『突然試験を中断してしまったことは、学院を代表してお詫びする。そして、これからの対応についても謝罪しなくてはならない。この決断は我々にとっても遺憾ではあるが、状況が状況なのでどうかご理解いただきたい』
ヴァイゼンは小さく頭を下げると、話を続けた。そしてその内容は、全ての受験生に衝撃を与えるものとなった。
『学院は現在をもって、本日行われる予定だった入学試験を全て中止する事を決定した』
突然の言葉に、会場は一度シンと静まり返るが、すぐにざわめきが広がる。
『もちろんその理由も説明する。私は先ほど、リディア周辺複数の地点に幻魔の群れが出現したことを確認したと説明した。それを聞いた諸君らは疑問に思っているだろう』
イオ自身は別段疑問にも思わなかったが、それはが大多数の意見らしい。
それが何故なのかを、ヴァイゼンは続く言葉で説明した。
『…これまでリディアは幾度となく幻魔に侵攻されたが軍がそれを全て退けてきた。そして、その際に民間人の生活は一切揺るがなかった。よって今回も試験を中断するまでもないではないかと。それは正論だ……しかし、今回はその規模が違う。我々が相手どらなければならない幻魔の総数は、凡そ三万だ』
その言葉に、会場が更にどよめく。
それを静めるようにして、ヴァイゼンは言葉を切ることなく続けた。
『これは今までに類を見ない程の数だ。幻魔達は真っ直ぐと、この都市を目指して進軍している。到達するのも時間の問題だろう』
ヴァイゼンは裏で目を白黒させて動き回る講師陣に目を向けて続ける。
『現在この都市に残存する兵力は、常備軍のみでは凡そ五千。幻魔とは六倍以上の数力差をつけられている。よって我々は、都市を上げてこれを迎撃する事を決めた。試験を中断するのはそのためだ』
当然だろう。都市自体の存続が危うい状況で、入学試験などと呑気なことは言ってられない。
『そして、今しがた王国議会からの通達があった通り、私は後にリディア全域に対して緊急召集令を発動するつもりだ。しかし、戦力はまだまだ足りない』
ヴァイゼンは眉間に皺を刻みながら、この場に居合わせた学生、そして受験生達を見やって、静かに呼びかけた。
『そこで、貴重な戦力である君達にも戦いに参加してもらいたい。これは国防の特別措置だ。残念ながら君達に、そしてこの都市の市長である私にも拒否権は無い。だが、タダでとは言わない。今回の戦いで戦果を上げた者は、後日行われる予定の再試験に関して多大な加点を与えると、同じく王国議会より通達があった』
その言葉に、会場中はざわめきに包まれる。
それは歓喜、驚愕、恐れなど様々だが、ヴァイゼンは片手を上げてそれを抑える。
『静粛に。確かに加点は約束された。そして偽らざる表現で言えば、これは言葉巧みに諸君を焚きつける餌だ。学院長としての立場から言わせてもらうが、今回の作戦は非常に危険なものだ。ただでさえ人数不利が起こり得る戦場、負傷する可能性は極めて高い。もしかすると今後の人生全てを失う結果となるかもしれない』
ヴァイゼンは厳しい視線の中に、どこか祈るような色を見せた。
『しかし、この危機を乗り越えた時、諸君らは大きく成長できる。入学前に実戦経験を積むことができるのは、諸君らだけだ。この経験が、学院での成長の大きな糧になるだろう。私からは以上だ。諸君らの勇戦を期待する』
ヴァイゼンはそう言うと、拡声器を副学長に託してその場を去っていった。静まり返った会場に、副学院長の声が響く。
『ほっほっほ。随分と大変な事態になってしまったが、みなそれぞれ行動を開始じゃ。準備ができ次第、受付の幻魔対策本部へ移動してもらう。特殊な事情があってこちらへ残る者は、リングへと降りてくるんじゃぞ。講師陣は都市防衛の備えじゃ』
彼のその言葉で、生徒達は一斉に動き出す。
リング中央部で試験の開始を待っていたイオは、やれやれと首を回して客席にいるナユタを見る。
『正直この戦力差で戦いたくはねーんだけど……ナユタのやつ、やっぱ作戦に参加するつもりか』
彼女はすぐさま動き出し、リングとは反対側の通路、つまり外へ向かう通路へと進んでいた。
正直、戦力的には厳しい戦いだ。しかし、ナユタをみすみす死なせる訳にもいかない理由がイオにはあった。
『まぁ、零層都市が落とされたら任務失敗扱いで前線から外されるしな。どの道守る以外の選択肢何てねえか』
イオはそう呟くと、ガリガリと頭を掻いてナユタの後を追った。
事件発生です。入学試験が台無しに…




