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滅尽のイオ~災厄の力と鍵の少女たち〜  作者: るなーるべると
王国邂逅編:序章『第四戦線の英傑』
2/69

第一話:第四戦線の英傑

 戦歴二一八年、六月十八日、戦団組合総本部貴賓室。


 相応の客を迎え入れるために整備されただけあって、高級そうな嗜好品の数々。加えてそれらに勝るとも劣らない高価なソファとテーブルが置かれた広々とした部屋には、朝の陽が差し込んでいた。


 部屋には二人の男女が向き合ってソファに腰を落ち着けていた。一人はしっかりとした金色の髪を王冠で纏めた彫りの深い碧眼の男。もう一人は透き通る華奢な体に翡翠色の髪を携え、目元を黒色のベールで覆った少女だ。あまりにも接点が感じられない二人だが、どうやら今日が初対面という訳では無いようである。


 開け放たれた窓から流れ込む初夏の爽やかな風に吹かれながら、翡翠の少女は小さく笑みを浮かべて声を発した。


「では、派遣についてはそのように致しましょう。対価については後ほど使者をお送り致します」


 柔らかい声音とは裏腹に、意志を曲げないという力強さが感じられる少女の言葉に、男もまた静かに頷きを返した。


「ああ。よろしく頼むよ、ミス」

「はい。お任せ下さい」


 合意に至った両者だが、男は腑に落ちないという表情で少女から差し出された合意書を眺めた。その様子を見てか否か、ミスと呼ばれた少女は茶の香りを楽しみながら笑みを深めた。


「何かご不満な点がおありでしたか?」


 そう問われた男は、眉間に皺を寄せたまま合意書をペシペシと叩きながら顔を上げた。


「不満というかね、驚きが強いのだよ。若くして組織の上位に君臨する存在。他を圧倒する戦果を挙げていながら、昨年から忽然と姿を消したという少年とは、一体どのような人物なのかとね」

「そのようですね。ですが彼は優秀ですよ。確かに少しばかりの難点も抱えていますが、それを含めても彼の力は本物です。彼の有益な働きは、私が保証致しましょう」


 その言葉に、男は息を飲んだ。


「君にそこまで言わせる人材なのかね。しかし、ならば尚のこと、何故彼が活動を休止していたのか気になってきたよ。本当に教えてはくれないのかね」

「私達が行うのは、あくまで総合的な戦力に関する評価ですから。彼の私的な事情までは理解しかねますね」

「あくまでしらを切るつもりということかね……ふむ。まぁいいだろう」

「お気に召されましたか」

「条件に見合うだけの人材を提供してくれることに関しては感謝を示すよ、ミス。しかし、そこからは彼の働き次第だ」

「もちろんです。しかし報酬はしっかりと頂きますよ。それと、もしご満足いただけないようであれば、軍隊も提供致しますが?」


 冗談だろうか。

 少女がさらりと放った言葉に、男は少しだけ寒気を感じながら席を立った。


「ウチは間に合っているよ、ミス。そういうのは、もっと厳しい前線国相手にやってくれ」

「…それもそうですね。では、彼を頼みましたよ」


 男の表情から、その言葉が嘘ではない事を見抜いたらしい少女は、潮時と弁えてふわりと浮かび上がった。



 同年、ルーア大陸東端地方、第四戦線周辺。


 一羽の小鳥が、長く枝を伸ばした杉の木から飛び立った。その杉は通常の種とは大きく異なり、天高く昇った太陽を覆い隠さんとする程の巨木であった。実際、それが群生している見渡す限りの大地に当たる日光は大きく減衰し、差し込む光が時折動き続ける影を照らしている程度である。


 そんな巨木を次から次へと渡り歩く巨大な黒い影が一つ。

 それは鋼のような肉体にそぐわぬ風のような軽やかさで、後方から追いかけてくる小さな追っ手を撒こうと更に速度を上げて森を闊歩した。


「団長、新手が二体。奴は合流を図っているみたいです」


 後方に控える部下の一人の声に、彼は獲物から視線を逸らすことなく告げる。


「…第一、第二、第三隊は第五前線方面に。各個撃破を徹底して」

「「「了解」」」


 散開する部下たちを見送ると、その後ろから声が飛ぶ。


「イ、イラス団長。前の奴は?」


 前方を駆る幻魔に対して、部下達から不安げな声があがる。

 それは無理もない事だった。彼らはこの部隊に配属されて日が浅く、この戦場の決まりを、定石をまだ理解できてない。

 団長と呼ばれた男イラスは、首にかけてあったゴーグルを目元まで持ってくると、それをしっかりと装着しながら答える。


「ああ。心配しなくてもいいよ。僕達がそっちだから」

「そ、そうですか」


 不安は払拭されていないようだった。

 しかし、イラスは部下達ばかりに気を配る訳にも行かなかった。彼は話をそこで打ち切り、前方を駆け抜けていく巨大な生命体を注視する。

 生命体は数分間逃走を続けていた。人間であれば間違いなく、そろそろ速度を落とす頃合いだろう。しかし、それは違った。

 

「加速したね。それじゃあ、僕達も速度を上げるよ」


 より一層速度を増した巨大生物と同じ経路を通って、木から木へと高速で飛び移り、イラスはその後を追う。それに追随する部下達の顔に疲労が滲んだ。

 イラスはチラリと後方を見やって、彼と同じようにゴーグルを装着し、速度を上げた部下達を見やった。皆一様に手には淡い輝きを放つ得物を携え、その身には速乾性・耐久性に優れる、統一された装備を身に着けている。

 視線を前方へと戻し、金色の髪を揺らすイラスは不敵な笑みを浮かべたまま告げた。

 一行はおおよそ生身の人間では到達できない速度にまで加速するが、満足はできない。徐々に引き離されつつある獲物との距離。イラスは念のためにもう一押しする事にした。


「もう少し上げられるかい?」

「努力しますっ」


 異様な圧を感じさせる笑みに、問われた男は苦笑いを浮かべた。しかし、自然とやる気が湧き上がり、それは周囲へと伝播していく。


「なんとか…」

「私も…」

「うん。今日はこれで最後だから、頑張ってみようか」

 

 仲間を鼓舞するイラスの足に、自然光とは異なった淡い光が宿る。人の体内で生成される魔力を束ね、特定の現象を引き起こす為に織りなされた式の輝きである。魔法、魔術とも呼ばれる力だ。


イラスは翡翠の目を細めて呟く。


「しかし、相変わらず幻魔げんまは速いね」


 樹上を駆ける彼らの先にいるのは、人類の天敵たる存在だ。名は幻魔げんま。数百年前に突如現れた強大な力を携えた幻は、今日に至るまで人類の営みを破壊し続けてきたと伝えられている。


「団長、戻りました。この先で間違いありません」


 後方から数回の跳躍を経て隣に並んだ男に、イラスは振り返ることなく労いの言葉を送る。


「ご苦労様。君も追随してくれ」

「了解です」


 暫く目前の敵を追いかけ、イラスはチラリと辺りを確認する。さて、そろそろ時間のはずだが。と一人思案している彼に、背後から焦りの声が掛かった。


「イラス団長っ、このままでは奴は護衛対象に接近します! 早く仕留めないと!」


 しかし、イラスは飄々とした表情のまま振り返る。


「大丈夫。僕達はこのまま、あの幻魔を追い詰めるだけでいい」


 イラスはそれだけ言って、幻魔の行く先を制限する。

 正直言って、彼らに説明している時間は無かったからだ。


「し、しかし!」


 上がる抗議の声。

 しかしイラスは、その声では無く、遥か後方から聞こえた僅かな跳躍音に反応した。


「……おや? 随分と早いじゃないか」


 それからイラスは、自らの上を行く存在を感じ取って笑みを深める。

 それとほぼ同時に、巨木の上層部に夕闇色の輝きが一閃。降りてくるのは紅色に染まった何かだ。それが人だと認識できるようになったのは数瞬の時を経てからだった。

 その人物は魔術で加速された体を捻って更なる力の収束を行う。

 分散された力を、足から腰へ、腰から胴へ、胴から腕へと伝え、渾身の一撃を幻魔へ叩き込む。鋭利な剣が届くと同時に今まで逃亡に徹してた幻魔が崩れ落ち、十数メートルも離れた地面へと落下し砂煙を上げながら地面に激突した。

 一瞬だった。あまりの早業に、イラス以外の者は、その動きを捉える事もままならなかった様子だった。

 地面に叩き落された幻魔を追うようにして、砂煙を吸い込まないように鼻口を服で覆って地面に降り立ったイラス。その後ろを追随してきた若い男女の顔が自然と驚愕に染まる。

 今の行動に関する驚愕であれば、理由は複数考えられる。圧倒的な力強さ、一撃で幻魔を致命傷に追いやる技術力の高さ、自分達の背後から加速し、一瞬で抜き去る速度、様々だろう。

 しかし、今彼らの脳内を支配しているのは、それとは少しだけ角度の違う驚きだった。それが口をついて出たように、一番最後に合流した女性の部下が唖然として呟く。


「今のって、精神武器ガイズの力かしら?」

「そうなのか? 精神武器ガイズは基本的に得物の形をとるだろ」

「普通の剣を使っていたからな。魔法による自己加速術式じゃないのか?」


 口々に言い合う彼らを気にも留めずに、目の前の人物は紅色に鈍い光を反射する剣をパチンと鞘に納める。そしてネックゲーターとゴーグルを首まで下げてから、静かに息を吐いた。

 彼の暖かな息が冷たい外気に触れて、煙のように白く染まる。

 それが晴れてから顕になったのは、夜空のような紺碧の瞳と、幼さの残る少年の顔。

 その少年は、目にかかる桃色の前髪をかきあげる。

 どこか幼さが残る精悍な顔付きをしているが、夜空の様な紺碧の目は鋭く、年に似合わぬ冷静さを湛えていた。

 少年の纏う装備はまだ新しく、驚きの声を上げている部下達同様にイラスの部隊に配属されて間もない事がわかる。

 彼はポケットから棒付き飴を取り出すと、飴を覆う紙を剥いでそれを咥える。

 それはまるで、熟練の兵士の一服の様な滑らかさで、あまりにアンバランスな光景だった。

 突然現れた謎の少年に、部下達はどう反応すれば良いか分からない様子だ。

 だからイラスは、その空気を払拭する為に、少年へと声を掛ける。

 

「お疲れ様イオ。随分と早かったんだね。正直助かったよ」


 イラスは少年をイオと呼んだ。

 少年イオは、飴を咥えなおして、その紺碧の瞳をイラスへと向けた。

 その瞳に恐れは無かった。


「ああ。あっちが早く片付いたからな。こいつで最後で良いんだよな?」


 イオが背後で倒れ伏す猿型の幻魔を親指で示すと、イラスは大いに頷いて肯定した。


「うん。その通りだよ。君が別に動いて仕留めてくれた分も含めれば、これで群れは殲滅だね」


そんなイラスの呟きを半ば聞き流しながら、イオは口を開く。


「なあ師匠」


 イオが師匠と呼んだことから、二人の間には師弟関係が存在するようだった。

 師は答える。


「なんだい?」


 どこか遠くで立ち上る硝煙を見据えながらイオは問うてきた。


「この任務での、被害状況は?」

「幸い一般人と僕らには被害は出なかったよ」


 今日の任務は先日滅んだ小国からの避難民の保護と戦線の維持だった。その任務は無事成功し、避難民と彼の部下に死者はでなかったが、イオは言葉の内に含まれる意味を理解した様だった。


「てことは全体では何人かは死んだんだな」


 少しも表情を変えずにイラスは頷く。


「そうだね。残念な事に他では数名の死者が出ているよ。それでも、いきなり現れたこの群れにそれだけの損害で対処できたことは素晴らしい事さ」


 イラスの言葉に、イオは瞳を閉じて頷く。


「…そうだな。んじゃ、そっちの処理はまかせといて良いか」

「ああ。他はそれが済み次第撤退するみたいだから、僕たちもすぐに撤退を開始する。いいね」

「「「了解」」」


 イラスの言葉に、周囲の新米達がホッとした表情で頷く。

 それを微笑ましげにみていたイラスは、あっと声を上げた。


「ああ、そういえばイオ。忘れていたけど、拠点についたら話があるんだ。一緒に支部まできてくれるかい?」


 イラスは思い出した。

 彼には上司として伝えなければならない事があったのだ。


「わかった」


 少し眉を潜めたイオだったが、彼は快く応じてくれる。


「よし。それじゃあ帰還しよう」


 イラスが踵を返したのを確認してから、一行はその後を追う。最後までどこか浮かない顔をしていたイオは、イラスに促されてその場を後にした。



 彼らの拠点は、激戦が繰り広げられた戦線から近い場所にある。拠点は戦いによる消費と生産に伴ってその地方一帯の物資の集積地になり、戦いのプロフェッショナルが集う最も安全な場所であるため、数か月もすれば人が集まって小さな都市ほどに成長する。城壁などは存在しないが、戦団組合支部と呼ばれる、イラスやイオの様な者の活動を支援、統括する組織の建物を中心に、円形の街が形成されていく。物の売買は戦団組合支部の周辺で行われ、その外に一般人の居住地が存在する。一般人が増加した場合はその層が厚くなり、戦団員と呼ばれる戦線で戦いに臨む者たちは、幻魔の襲撃に備えて、さらにもう一つ外の層で生活する。彼らの居住区には物見やぐらが一定間隔で設置されており、交代制でそこに上る戦団員が幻魔の接近を確認した場合はすぐに警報を鳴らして臨戦態勢を取れるようになっている。

 物見やぐらは、思いのほか大きい。十五メートルも上に設置された観測所からは、帰還してくる戦団員達が一望できる。今日もまた、仕事を終えた戦団が一つ帰還した。


「疲れたっす~」

「やっとついたね」


 二十メートルを超える巨木が群生する森の中を、移動用に品種改良された大きめの狼に乗って進む事数時間。すっかり沈んだ日の代わりに夜の森を彩る街が姿を現した。長期間の移動にも耐えうる移動式の家屋が幾重にも重なり、人々の暮らしを支えている。

 その灯りを見て、ようやく帰ってきたとイオは思った。

 前を行く仲間達が湧く。


「早く飲み行こうぜ」

「だな、今日は何飲むか」

「腹減ったぁ、酒もいいけどまずは飯食いてぇ」


 夜もまだ始まったばかりだが、街に設置された数少ない娯楽の一つである酒場には、既に多くの人間が集まっていた。それは戦団員、商人、一般民など様々だが、その誰もが対等な立場で酒を楽しんでいる。自分のギュイードを宿舎に預けて街に入った所で、街の酒場を羨ましそうに眺める十数名の部下に笑みを浮かべたイラスが、振り返って声を上げた。


「みんな今日はお疲れ様。明日は依頼がかかるか分からないけど、それぞれ呼ばれたらすぐに出発できる準備を整えておくこと。それじゃ、今日は解散」


 彼の宣言を待って、歓声を上げながら部下達は夜の街に消えていく。

 それを見送ったイラスとイオは、話の為に街の中央に聳える戦団組合支部へと足を進めた。

 小さな街であるため、目的地である組合支部にはそれほど時間はかからずに到着する。

 二人は組合支部に入り、受付を済ませてから会議室へと向かう。

 会議室は入り口からそう遠くない場所にあった。

イラスは鍵付きの扉を開けて中に入ると、自分用の机に向かう。戦団を纏める長であるだけあり、イラスの机の上は様々な書類で溢れかえっていた。情報共有の為に、各戦団長は、各々その日の戦果報告を組合に提出する事が義務付けられている。それは複製されてそれぞれに配布され、各戦団長はそれにより現在の戦況を把握しているのだが、書類の山が生まれる事が大きな問題だ。それでも、イラスの机の上はよく整頓されている方だろうとイオは思っている。

 少し湿った空気に紛れる紙の匂いが、イオの鼻腔を刺激する。

 二人が中に入ると、人知れず天井から提げられたシャンデリアに灯りが灯った。


「その辺にかけてくれて構わないよ」


 一足先に中に入ったイラスが、自身の仕事机に向かいながら右手で空いた椅子を指す。

 ここは本来会議室だが、イラスは此処を自分の仕事場所として使っていた。飄々とした態度を見せてはいるが、彼には戦団組合の中でも高い権限が与えられているのだ。

 イオは入り口に近い位置にある椅子に腰かけながら、彼の仕事机を見た。

 綺麗に整頓された彼の机の一角には、一枚の通知書が畳まれて置かれていた。

 イラスは椅子を引いて座ると、通知書と書かれた封筒を中指と人差し指で挟み、器用に回転させてイオに飛ばしてきた。

 慌てずにそれを掴んで、封を解いて中身を取り出す。イオがそれを読み始めるよりもはやく、イラスが本日の戦果報告を纏めながら口を開いた。


「君に届いたのは、派遣機関から話だ。いつか来るだろうとは思っていたけれど、ついに君にも派遣業務がきたよ。それに伴って、残念だが、君には一度僕の団を離れてもらう事になる」

「ふーん。あっそ」


 唐突な申し出だが、イオは特段驚かない。

 彼らが所属する戦団組合は上意下達の組織だ。彼の周りでも幾度となく通知や命令が下るし、上からの任務で動くことが殆どだ。

 イオは取り出した通知書を開いて内容を読み上げる。


「なになに。二一八年六月十七日、第四戦線所属イオ・ガセリオル殿。二一八年六月三十日をもって、アリシア王国所属都市リディアへの派遣を命ずる。……ほんとだ。派遣任務だ」

「そうだろう? 続きを読んでごらん」

「……派遣に伴い、アリシア王国から以下三点の条件を提示され、戦団組合はこれを承諾した。当機構に属する貴殿も、これに承諾したものとみなす。よって次ページ以降に記した三点を、貴殿に義務付ける」


 イオはページを一つめくって続ける。


「一、アリシア王国及び都市リディアの防衛力増進に努めること。二、最高命令権を戦団組合からアリシア王国へと移譲すること」


 そこまで読んでから、イオは驚いたように指示書を掲げた。


「命令権が移譲される? 戦団組合にしては思い切った行動に出たもんだな」


 戦団組合は傭兵団のような組織だ。その団員に関する命令権を委譲したという話を、イオは久しく聞いた事が無い。

 しかしイオは、問題点は別にあるという重要事項に気がつく。


「つかこれさ、俺だけでどうにかなる任務じゃないと思うけど?」


 彼に与えられた任務。それは一人で一国の防衛力増強として尽くす事だ。そんなことをよわい十六の少年に任せるなど、常識的に考えれば正気の沙汰ではない。人の手に余る無茶を押し通す依頼だ。

 イラスもそれに同意しているようで、報告書に必要項目を次々に書き入れながら答える。


「その通りだけど、上はそう判断しなかったみたいだよ。そもそも、今は君以外に適任がいない」


 器用なものだが、彼自身もイオに対する説明の義務があると判断したのだろう。

 イラスは言葉を区切ると、一度報告書を書く手を止めて続ける。


「最近幻魔が活性化してるのは知ってるよね?」

「まぁ、そりゃ前線にいれば嫌って程感じるだろ」


 神出鬼没の幻魔に対抗する事が、彼ら戦団組合に属する者の主な仕事だった。

 その幻魔達の侵攻から人類領域を守護する為に、「戦団員」と呼ばれる彼らは世界各地に散らばり、土地の奪還や防衛に努めているのだ。その最前線こそ、「前線」と呼ばれる場所である。

 中でも彼らが戦っている「第四戦線」は、前線の中でも特に幻魔との攻防が激しい場所だ。そんな場所で戦っているイオは、その出撃回数から、幻魔の襲撃が増加していることを感じ取っていた。それが幻魔の活動の活発化に伴って起こっているという事も。

 イラスは再び視線を落として、報告書にペンを走らせながら言う。


「そんな状況だ。改善が見込めない限り、任務これに関しては君に任せるしかないみたいだね」


 そして最後にサインをして報告書を仕上げると、彼はゆっくり立ち上る。

 そして部屋の中を歩きながら、淡い光が差し込んでくる窓際まで移動した。

 彼はガラスの向こうで青白く光る月を見上げて、腕を組む。


「それに、今回の派遣任務だけどね。僕は、君にとっては悪くない提案だと思ってるよ」

「なんでだよ」


 少しだけ複雑そうな顔をしていたイオが首を傾げると、イラスは淡い笑みを湛えて応じる。


「確かにキミは戦場に帰って来れた。けど、まだまだ傷が癒えたわけじゃないんだろう?」

「…そんなことない。俺は平気だ」


 イオはとある理由で、二年前から戦線を離脱していた。彼が戦場に戻ってきたのは、つい二ヶ月前のことだった。

 そんなイオの事情を、師匠として誰よりも理解していたイラスは、イオの反論に迷いがあるのを確信していた。


「いや、僕には分かる。君は確かに強い。けれど君の中には、まだ迷いと恐怖がある」


 イラスの指摘を、イオはただ黙って受け入れる。

 イラスはイオを、彼以上に知っている。


「迷いと恐怖は決断を鈍らせる。厳しいことを言うけど、今の君は前に比べて格段に弱くなった。”新星”の一翼を担っていた頃に比べれば、その差は歴然だよ。何せ、君には致命的すぎる弱点ができてしまたったんだからね」


 どこか憐れみが含まれたイラスの表情は、幸いなことにイオには見えなかった。

 イラスは、まるで感情を完璧に抑制したように、淡々と続ける。


「今の君には、ある程度の環境での訓練が必要だ。零層都市なら、それも可能さ」


 核心を突くイラスの言葉に、イオはしばらく考えてから長い息を吐く。

 結局、任務を遂行しなければ、戦団組合から団員の称号を剥奪される。それはすなわち、最前線での戦いの機会を奪われる事だ。

 イオは自らの目的の為にも、任務を達成する必要があると理解して、首を縦に振った。


「どうせ拒否したら前線で戦う事すらできないんだ。任務を受けるよ」


 イオがそういうと、イラスは少しだけ安堵したような表情で窓際から離れた。

 そして机まで戻ってきて、引き出しを開けつつ口を開く。


「そうしてくれると、組合も僕も助かるよ。でも、まぁ正直言うと、零層都市れいそうとしにここから人手を送るのも、各戦団長の間で反対の声があったんだけどね。僕らだってそこまで人員に余裕はないんだから」


 零層都市。その名前は、世界各国で知られている。

 それは大海原を隔て、零層都市が存在する地方とは別大陸であるこの場所でも変わりのない事だった。

 危険な幻魔を生み出し続ける謎に満ちた存在である零層を抱えながらも、その特異性と、探索者と呼ばれる幻魔討伐と零層探索を専門に行う者達、そして次世代を担う者達が絶えず零層に挑み、物珍しさと活動支援の為に世界中から人や物が集まる世界有数の交易都市だと聞いている。


「続きは読んだのかい?」

「続き?…ああ、まだだけど」


 一瞬、イオは何の事だろうと思ったが、それが読みかけだった通知書の内容だという事に思い至り、首を横に振る。するとイラスは、引き出しの中をガサゴソと漁りながら、笑みを浮かべた。


「なら、早く読むといい。面白い事が書いてあるから」

「はあ?」


 何が面白いものか、とイオは再度ページを捲って、そこに記載されている内容を読み上げる。


「…三、アリシア王立高度教育学院への合格。以上の三点を、貴殿には義務付けるものとする。以上。……ふーん……は?」


 イオは閉じかけていた通知書を、もう一度開いて三点目の義務を読み直す。

 何度読み返しても、そこには先ほど読み上げたものと同じ内容が記されていた。

 イオは憤慨しながら机に通知書を叩きつける。


「ふざけんなっ。何で学院合格が条件なんだよっ」

「そう言われても、僕にも分からないとしか言えないな」


 淡々と言葉を返すイラス。滅多な事でもなければ、基本的に上層部の意見に従うイオも、今回ばかりは抗議する。彼にはそれなりの理由があった。


「アリシア王立の高度教育学院って言えば、世界屈指の学院だろ。世界中から優秀な、それも小さい頃から努力を積み重ねてきた奴らが集まってくるんだ。そんな奴らと同じ試験を受けて、俺が突破できるとでも思ってんのかよ。もしこれで試験に落ちたら、俺はどうなるんだ?」

「そうだね。任務を果たせなかったという事になるから、暫く戦団組合本部で再教育かな。一年は前線に戻ってこれないだろうね」


 一年という言葉に、イオは目の前が真っ暗になった様な気分になる。

 そんな期間前線から離れるということは、イオにとって耐えがたいことだ。

 イオは訝し気な視線をイラスに向けて、苛立ちながら腕を組む。


「上層部の連中、俺を前線から遠ざけたくて無理難題押し付けてきてんじゃねーよな?」

「ははっ。それだったら確かに面白いね」

「俺は真面目に…」

「でも、それは無いよ。戦団組合は完全実力主義だ。個人的な感情で、わざわざ戦力を前線から遠ざけたりしない。幻魔を倒しさえすれば、基本的には放任主義的な組織だからね」


 そう淡い笑みを浮かべたイラスは、引き出しから幾つかの本を取り出す。そしてイオに手招きをした。

 積み重ねた本をイオに手渡して、彼は笑みを浮かべる。


「…まあ、流石に何もしてあげないのは、かわいそうだと思ったんだろうね。それは学院が出している参考書だ。組合本部から通知書と一緒に届いた。それを使って存分に勉強してくれ」


 イラスは実に軽くそう言うが、イオは内心呆れていた。

 参考書を覚えた程度で、世界屈指の学院に合格できる保証がどこにあるというのだ。 

 イオは手元の参考書を幾つか眺めながら、ため息をついた。


「勉強してくれって…魔術概論とか医学とかはともかく、俺政治学もアリシア王国の歴史も、何にも知らないぞ?」


 イオはイラスの元へ師事する前から、何かと魔術には詳しかった。彼の弟子になってからも、ある要因から医学に関する造詣も深めてきた。

 しかし、政治学や王国の歴史に関しては、知識の欠片も無い。はっきり言って王国の子供にも負けるという自信が彼にはあった。

 イオの当然たる問いに、イラスは笑みを浮かべたまま答える。


「まぁ魔術は得意なんだし、何とかなるよ。政治学もアリシア王国の歴史も、どちらも暗記科目だと聞いている」


 暗記科目、イオはその言葉に顔を引き攣らせた。

 イラスに師事してから暫く、彼は戦闘に関する知識を、イラスに徹底的に叩き込まれた。その際にイラスが放っていた言葉を、イオは鮮明に覚えていたのである。


「…つまり?」


 ある程度答えを予想していたイオに、イラスは寸分たがわぬ意見を展開した。


「歴史は気合いだよ、イオ」

「…そう言うと思った」


 呆れ顔で項垂れたイオに、イラスは手を叩いて続ける。


「そうだ。それをくれたヴァイゼンにも話は通してあるから、零層都市に着いたら一番に挨拶に行くんだよ」


 突然出てきた名前に、イオは混乱する。

 そして暫く自らの記憶を漁って、それらしい人物を思い出した。


「ヴァイゼンって、あの学院長か?」


 イオはその人物と面会があった。随分と前になるが、一度だけ会っている。

 イラスはイオの言葉を肯定する。


「そうだよ。ヴァイゼンにはどうやら書類選考も免除してもらったみたいだからね。僕からもお礼を伝えておいた」


 イラスとヴァイゼンなる人物は、そこそこ仲が良かったとイオは記憶している。

 しかし、それで任務に対する不安が消えるわけもなく、何も言わずに、参考書と睨めっこしていると、イラスがまたも思い出したように声をあげた。


「ああ、これも言っておかないと。生活費は自分で工面してね」


 さらりと続けられたシアスの言葉に、イオは少しばかり首を傾げる。


「今回って派遣依頼だよな? 戦団の派遣業務での戦団員の生活資金は依頼元、国や団体負担となるのが基本だろ」

「最初期は支援するけど、それ以降は支援できないんだってさ。いやぁ初めての派遣なのに支援無しとは、イオは本当に悪運だけは強いね」


そう言って高笑いするイラスとは対照的に、イオは落胆して呆れる。


「笑い事じゃねーんだけど」

「はははっ!……はぁ……まぁそんな事だけど、イオはそれなりに稼いでるから大丈夫だよ」

「まぁ、そういうことにしておくさ」


 何事もなかったかのように話を進めていくイラスに、イオは頷くほかない。

 何故なら賽は投げられた。イオはどのような条件であっても任務を受けると決めた以上、それをやり遂げなければならないからだ。

 イオは無茶振りともとれる義務を課してきた上層部の顔を想像して、悪態を付く。


「ったく、それにしても、相変わらずとんでもない組織だな」

「辞めたくなったかい?」


 相変わらず笑みを浮かべているイラスに、イオは獰猛な笑みを浮かべた。

 この組織に属して随分と長い時間を過ごした。戦いで負った傷は数えきれないし、死にかけたことだってある。だが、イオは戦団組合という組織を辞めたいと思ったことは一度も無い。

 何故なら、彼には成し遂げなければならない確固たる目的が存在するからだ。

 纏う雰囲気が殺伐としたものに変わり、見開かれた紺碧の目の奥には炎が滾る。


「んなわけにいくかよ。前線で戦ってねぇと、アイツともう一回会えねぇからな」

「うん。いい覚悟だ」


 イラスは笑みを浮かべて首を縦に振る。

それから、イオに親指を立ててみせた。


「さて、それじゃあ頑張ってねイオ」


 イオは口の端を吊り上げながら、紙を畳んでイラスに送り返す。


「まぁ、やれるだけはやってみるさ。本部へは師匠が連絡してくれよ。俺は荷物まとめてくるから」

「うん。任されよう」


 紙を受け取ったイラスに軽く手を振って、イオはその場を後にする。

 数日後、彼は上層部より命じられた新たな任務に向かう為に、戦いの最前線を後にした。

お読みいただきありがとうございました! 随分と長い事書いてしまいました。長い時は分割したほうが良いとわかってはいるのですが、何分分けるのを躊躇する性格でして。ご要望があればご感想をいただければ幸いです。それではまた次回!


追記:登場人物名が『イラス』→『シアス』に変換されている箇所を修正いたしました。

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