第十六話:ナユタとヴァイゼン
イオと軽く挨拶を交わしたナユタは、そのままの足で自分の席へと戻っていた。
あちらこちらから向けられる視線に耐え抜いて、何とか席に戻ってきたナユタは、先程までイオが座っていた座っていた席のすぐそばに、彼の言葉通りヴァイゼンが腰を下ろしているのを視認した。
久方ぶりに会うその人物に、ナユタは後方から声を掛ける。
「お久しぶりです。ヴァイゼンおじさん」
おじさんと呼ぶにはまだ若い総白髪のヴァイゼンが、ナユタの声に振り返る。そして軽く手を振って笑みを浮かべた。
「やあナユタ君、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
ヴァイゼンは、ナユタの父の弟、つまり叔父にあたる人物である。彼には数年前まで随分と世話になった。個人的な恩もあるナユタは自然な笑みを返す。
「…ええ、おかげさまで元気にやらせてもらってます」
「そうかい」
どこか安堵した表情を浮かべる彼の近くにある席に荷物を置いて、ナユタはヴァイゼンの隣に座った。彼はナユタが飲み物で喉の渇きを潤すのを待ってから、再び口を開く。
「…先ほどの戦いを見せてもらったけど、精神武器の練度は順調に高まっているようだね。僕が自主鍛錬を言い渡してからも、君が欠かさず努力を続けているのが分かって嬉しいよ」
ヴァイゼンは試験準備に忙しい会場を眺めながらそう言った。かつての指導者が自分の成長を見てくれていたことが嬉しく、それでいて何だか気恥ずかしさを覚えたナユタは、腕を組んでふふんと鼻を鳴らした。
「当然ですよ。私の夢を達成する為には、まだまだ力が必要ですから。それこそヴァイゼンおじさんを超えるくらいの力を手に入れないと」
そう力説するナユタに、ヴァイゼンは天を仰いで笑った。
「へぇ。僕を超えるか。それはまた楽しみが一つ増えたね。いつか、絶対に叶えてくれよ」
「ええ。もちろんです」
ただただ嬉しそうなヴァイゼンに笑みを浮かべたナユタは、あることを思い出した。
あ、と声をあげてから、ナユタはヴァイゼンに視線を向ける。
「ヴァイゼンおじさん、先ほどまでイオくんと一緒にいましたよね。一体何を話していたんですか?」
「世間話を少しね。彼が僕の知り合いとあまりに似ていたものだから、つい飲みに誘ったりもしてしまったよ」
「…彼はなんと?」
「やんわりと断られてしまったよ。残念ながらね」
「そうでしょうね。イオくん、ああ見えて私よりも弱いですから」
「…ナユタくんよりお酒に強い人間も、それなりに珍しいとは思うけどね…」
そう苦笑したヴァイゼンは、一つ息を吐いて真面目な顔になる。そしてナユタに再び目を合わせて来た。
「それで、僕に彼の何を聞きたいんだい?」
「…私は別に、何を話していたのか気になっただけで…」
「そうかい? それにしては随分と複雑そうな顔をしているけれど」
やはりヴァイゼンには見抜かれてしまう様だ。
何だか悪いことをこれから聞くような気がしたナユタは、居心地の悪さから視線を外して、それでも先ほどから気になって仕方のないことを口にした。
「…先ほどイオくんから、彼が学院へ入ろうと思った理由、彼が力を求める理由を聞きました」
「ほう。彼はなんと?」
興味深そうにヴァイゼンの瞳が向けられる気配がしたが、ナユタは先ほどイオから感じ取った感情を憂う。
彼からは絶大な憎悪の感情が噴き出ていた。しかしそれ以上に、その瞳に写った悲しみの感情がナユタの心には残っていた。
ナユタはイオの一言一言を思い出しながら、言葉を紡ぐ。
「…殺されたお姉さんの仇を討つためと」
ナユタは重く口を開いたが、対するヴァイゼンの反応は軽い。
「それはよくあることじゃないかい? 君だって家族を失った者の感情には、たくさん触れて来ただろう?」
出世の関係で、ナユタは常人よりも多く負の感情に触れて来た過去を持つ。しかし人の高まった感情に耐性のあるナユタをしても、イオのそれは戦慄を禁じ得ないものだった
ナユタは自身の直感を頼りに言葉を返す。
「はい。でも、イオくんの怒りは、それの比じゃないんです。あれだけの怒りを、悲しみを、苦しみを、どうしたら一人の人間が抱え込めるのか。そして何が起こったら、あそこまでの感情を生み出すのか、私には想像もできなかったんです」
人間の極限の感情はその境遇になってみないと理解できないものだが、それにしても姉を殺されたという理由であそこまで怒りが持続するのだろうか。ナユタはこれまで何度も怒りを忘れた人間も見てきた。数年も経てば自分の生活の為に、仕方ないと諦める人間は多い。だがイオは違う。彼は今なお、怒りの業火の中にいる。
ヴァイゼンはナユタをチラリと見た後に、再びリングに視線を戻して腕を組んだ。
「なるほど。それで、君はどうしたいのかな」
口元に淡い笑みを浮かべて問うてきたヴァイゼン。イオの怒りに強い興味があったナユタは迷いなく言葉を返した。
「…ヴァイゼンおじさん。知っている限りで構いません。イオくんの過去を、彼の身に何が起きたのかを、私に教えてくれませんか?」
「…それはイオ君に直接聞くべきではないかな」
少しだけ思案してそう呟いたヴァイゼン。そこにはある種批判的な感情が込められていることが感覚的に理解できる。
それも当然だろうとナユタは思う。イオがナユタに過去を知られてどう感じるかは分からない。けれどそれがヴァイゼンの口から秘密裏に語られるのは決していい気分ではない筈で、そんなことはナユタも分かっていた。しかしそれでも、イオに直接聞けないのは、自分に勇気がないからだとナユタは思う。人の過去に踏み込んで、そこにある負の感情を引き出したくはない。この方法がずるいことは分かっているが、それでもナユタはイオを傷つけたくなかった。
ナユタはそんな思いを込めて、ヴァイゼンの灰色の瞳を見返す。
「私には勇気がないんです。本当なら彼に直接聞かなければいけないということは分かっています。でも私は、あんなに悲しそうな目をしたイオくんの傷をこれ以上抉りたくないんです」
痛々しい程の悲哀を含んだイオの言葉を、悲壮な覚悟で姉の仇を討つと語った彼の横顔を、ナユタは忘れられなかった。
見返したヴァイゼンの瞳が何やら意外そうに見開かれて、それから嘆かわし気に揺れる。彼は小さくため息交じりに答えた。
「正直イオ君の過去を君に話すのは、僕としては嫌なんだ。彼の過去が、君自身の過去を呼び起こしてしまうとも限らないからね。僕はもう君のあんな姿を見たくは無いんだよ」
ナユタの記憶からは失われた数年前の光景。それを思い出した様子のヴァイゼンが疲れた様に首を横に振る。それから苦笑を浮かべて続けた。
「…それでも君が聞きたいというのなら、一つだけ教えて欲しい。どうして赤の他人のナユタ君が、イオ君をそこまで気に掛ける?」
「…」
ヴァイゼンの言葉にナユタは口を噤んだ。確かに彼の言う通りだ。
そもそもパーティーを組むだけならば、ナユタが彼の過去に触れる必要はない。時間が合った時に共に零層に潜ればそれで済む話だ。そこに彼の過去は関係ない。そう分かっているなら、何故自分はそこまでイオの過去にこだわるのか。それはナユタにも理解できていなかった。
論理的にヴァイゼンを納得させることができるだけの言葉であれば、正直幾つだって浮かぶ。今後共に戦っていくため、コミュニケーションを円滑にするため、下手に話題を振って彼の気分を害さないため。どれもパーティーを組む上で必要な要素だ。これを言えばヴァイゼンは渋々ではあるが納得するだろう。しかし、ナユタの心は、それらを口にすることを拒んでいた。
即答できないナユタに、ヴァイゼンは容赦なく言葉を詰めてくる。
「彼の過去を知って、君はどうするんだい? もう起こってしまったことを無かったことにはできないし、失ってしまった者を取り戻すことはできない。ナユタ君がイオ君の過去を知ってできることも、正直言ってたかが知れている。それは君が一番分かっているだろう。かつてイオ君と同じ様に家族を失った、君が」
ナユタの脳裏に、幻魔に挑んでいった母の姿と、大きな手で頭を撫でてくれた父の姿が蘇る。
彼女の心に今なお残る深い傷を負わせた事件を思い出し、それでも震える手足を意志の力でねじ伏せて、ナユタは心の底から浮かんできた気持ちを言葉にした。
「…それは分かっています。過去は変えられない。私がイオ君の過去を知った所で、彼が失ったお姉さんが戻ってくる訳でもありません。それは分かっているんです。でも私は、彼をこのままにはしておけない。……きっとイオ君はずっと苦しんでいるんです。二年前に姉を失ったその時から、彼の中で時間は止まったままなんです」
「五年前、君自身がそうであったようにかい」
「…五年前ではなく、今なお私の時間も止まったままですよ。だから私自身、彼に何かをできる立場ではないということも事実です。それでも私は苦しんでいる人を見て見ぬフリはできない。私はイオくんが苦しんでいるのなら、その苦しみの一端でも背負ってあげたいんです。同じ目線で、同じ方向を向いて、イオくんと一緒に未来を切り開くために、私は彼の過去を知りたい。だって私はすでに、イオくんに二回も助けてもらったんですから」
頭で考えるのではなく、素直に自分の心に耳を傾けると、言うべき言葉は自然と見つかった。
「過去は変えられません。でも未来を一緒に見つけていくことはできると私は信じています」
過去を乗り越えて未来を見る。イオと自分の中で止まった時間を、再び動かすために。
ナユタの言葉に思わず息を呑んでいたヴァイゼンが、笑みと共にそれを吐き出す。
「…変えられない過去を乗り越えて、共に未来を目指すか。……ナユタ君からそんな言葉が聞ける日が来るなんて、なんだが少し寂しい気分だよ。本当に大きくなったね」
そう淡い笑みを浮かべたヴァイゼンは、背もたれに寄りかかって襟を正した。
それから小さく頷いて、息を吐いた。
「分かった。そこまで言うのなら、ナユタ君には伝えておこう。ただ僕も詳細までは分かっていない。僕から君に教えてあげられるのは、あくまで”何があったか”ということで、それは僕の主観を大いに含むものだ。それでもいいかい」
ヴァイゼンがナユタをチラリと横目で見やる。ナユタが無言で頷きを返すと、ヴァイゼンは視線をリングへと戻した。しかし、彼が見ているのはここでは無い。どこか遠くを見る様な目をしたヴァイゼンは、やがて静かに語り始めた。
「…イオ君はもともと戦場で生きてきた。彼は姉と共に戦地を転々とし、各地で活躍していたよ。しかしそんな生活は、たった一瞬にして奪われたんだ」
ヴァイゼンの瞳に恐怖の色が浮かんだのを、ナユタは久しぶりに見た。
「あれは曇天に覆われた、本当に天気の悪い日だった。第四戦線に集結しつつあった幻魔の大群、それを討伐することが戦団組合と各国連合軍の目的で、戦力的には問題無いと誰もが判断した任務の筈だった。……だが連合軍は、突如として現れた一体の幻魔によって一瞬の内に壊滅させられた。難度判定不能と断定されるほどの絶対的な力で、全ての幻魔の頂点に君臨する存在によって。……それが後に世界中を震撼させた大事件。”第四戦線襲撃事件”だ」
イオ君が深い傷を負った”第四戦線襲撃事件”。その内容が次回、少しだけ明かされます。よろしければブックマーク、高評価よろしくお願いします。




