第十一話:解決法と約束
男は地面に倒れたままピクリとも動かない。
死んだのではと何名かは思っただろうが、精神武器で肉体が強化されているからそれはない。それでもトラウマになる程度にはダメージを負ったはずだが。
「こ、コルト様!!」
地面に転がった男に慌てて駆け寄った取り巻き達は、彼が気を失っているだけであることを確認すると、大いに安堵した様子で息を吐いた。それを確認したイオは拳に纏わせていた魔力を振り払うと、未だに目を瞬かせたまま固まっているナユタにチラリと視線を送ってから取り巻き達に近づいていく。
「さてと…」
事情を聞いておかなければ。イオはこの暴挙の理由を何も知らない。
イオは取り巻き達の前に辿り着くと、ふんと鼻を鳴らして腕を前で組んだ。
「…んで、あんたらはナユタのなんだ?」
静かな西区にぴったりの穏やかな声であるにも関わらず、取り巻き達は揃って身を震わる。男を除いて七名が一点に固まって、ガタガタとその身を震わせていた。女性二名、女の子と称した方が的確であろうほど若い女性に至っては、その瞳に涙を浮かべて小さく縮こまっている。
その理由は明らかで、イオが精神武器も使わずに男をボコボコにしてしまったからだが、イオ自身ここまで怯えられるとは思わなかった。
「おーい。聞いてる?」
今度は少しだけ優しめに問うと、状況が少しだけ変わった。最後列にいた栗色の短髪をもった少女が、その榛色の瞳から大粒の涙を溢れさせながら叫ぶ。
「ひっ!! ち、中等部の同期です!!」
控えめに言っても可愛らしい少女のあまりの必死さに、可哀想になりながらもイオは告げる。
「お、おう。そっかそっか。で、なんでナユタを狙った?」
「が、『学院の試験で落とされたくないなら協力しろ』ってコルト様に言われて……仕方なく…」
取り巻き達が地面に倒れ伏して気を失った男を見てそう言う。どうやらこの男はコルトという名前らしい。
それにしても気になる。こんな男に彼女達を不合格にさせるような権限があるようには見えない。まぁだとすれば、思いつく可能性は一つだが。
「…もしかして、こいつ良い家の出なのか?」
イオが首を傾げると、少しだけ落ち着いてきたらしい少女が、涙を止めて頷く。
「は、はい。コルト様は学院にも多額の援助をしている、運送企業の御曹司です」
「だとしても、学院がそれだけで優秀な人材を落とすとも思えねえけどな」
「私達も最初はそう思ったんですけど、やっぱり説得力があって…」
「ま、こいつは実際に御曹司な訳だしな」
チラリと倒れた男を見遣ってため息を吐いたイオは、ナユタに向き直った。
「らしいぜ、ナユタ。俺はこいつは許してやっても良いと思うが、おまえはどうしたい?」
まだ口を開いたままだったナユタに問うと、彼女も納得した様子で頷いてくれた。
「私も構いませんよ」
しかし一方でナユタは、倒れた男に視線を向けてから苦笑する。
「ただ、コルトにはキツイお仕置きをしないといけないとも思います…」
「だな。またいつ仕返しに来るとも限らないし」
イオも同感だった。イオは力を用いて彼に精神的なダメージを負わせることには成功したが、それでは根本的な解決にはなっていない。彼の行動を根底から変えさせる様な何かが必要だ。
しかし、それに関するアイデアは全くと言って良い程浮かんでこなかった。もとよりイオはこういった争いごとの解決が苦手だ。人間は時に幻魔よりも面倒な存在になる。それがイオの偽りない本心であり、今までは極力関わらないようにしてきたのだが…。
「つかそもそも、なんでコイツはナユタを脅迫してきたんだ?」
イオが根本の原因を問うと、ナユタは首を傾げて眉を潜めた。
「さ、さぁ。それは私も分からないんです。コルトは中等部の同期ですけど、別段トラブルも起こしてませんでしたし…そもそも関わったことも少ないんです…」
「そうか。そうなるとどんな罰が良いのかも分からねえな。まぁ単純に暴行罪で逮捕してもらうのが手っ取り早いんだが…」
「それだと重すぎる気がするんですよね」
ナユタの言葉にイオは少しだけ苦笑する。
今しがた自分が殺されかけたというのに、お人好しなヤツだとイオは思う。しかし当人であるナユタの意向は尊重されるべきで、イオがそこはそこに口出しはしない。
「「うーん……」」
唸りながら良い方法を思案するナユタとイオ。そんな二人を交互に見やって、恐る恐ると言った様子で榛の少女が手を上げる。
「あのぅ……それだったら、いい方法があるかもしれないんですけど…」
ナユタとイオの視線が、そろって少女に向けられた。
♢
その翌日。
「…このバカ息子が! 無防備なナユタ殿に精神武器で斬りかかるとは何事か!! さっさと頭を下げんか!!」
「分かったっての…」
「いやあ本当に申し訳ないナユタ殿。…それは私からの心ばかりの謝礼です。どうぞお受け取りください…」
ふくよかな体つきをした大商人面の男性が、隣に腰を下ろしていたコルトの頭を鷲掴みにして、ぐいっと無理やり下げさせた。
「そ、そんな! もとと言えば私の答えが遅かったのがいけないので、そこまでされる必要は…」
テーブルを挟んで向かい側の椅子に腰かけたナユタは、テーブルに用意された最高級品である紅茶に口も付けずに、ただ静かに両手を振ってそれに答えた。紅茶の隣には、豪勢なケースに詰められた紙幣の束。
「何を仰いますか! 私のバカ息子が、まさか私の力を頼りに脅しまで行っていたとは、私も露知らず……どうかお受け取りを…」
男性は、大仰に首を振って再度自ら頭を下げた。
「や、やめてください。ケット会長。もう済んだことですから…」
ナユタは若干引け目を感じる。何故ならこの男性は、交易が盛んな零層都市においても、上位の売り上げを誇る運送会社の会長であるからだ。そんな人物が自分に頭を下げているという事実は、まだ十五歳のナユタには到底受け入れがたいものだった。それに、ケースに詰められた紙幣の束は到底謝礼で済まされて良い筈がない程の大金だ。小さな家一軒が立つのではないだろうか。
「いやいや。もはや起きてしまったことをどう謝罪すれば良いか分かりませんが、こればかりは私も引くわけには…」
彼の言葉にナユタは思わずため息を吐きかけた。これではいつまで経っても平行線だ。
そもそもどうしてこうなったのか。ナユタは安易にかつての同級生の提案に乗った昨日の自分を咎めたい気分だった。
榛の瞳を持った同級生の提案は、コルトの父親であるケット会長に事のあらましを報告することだった。確かに当初はナユタもそれが最善だと思ったし、実際効果はてきめんな様で、コルトは反省の色濃く大人しく座っている。
しかしだからといって、多額の現金まで渡そうとしてくるなどと誰が予想できただろうか。こういった経験も少ないナユタには、到底思いつきもしない事態である。
ナユタとしてはお金を受け取る訳にもいかず、しかしケット会長はお金を受け取って貰わねば気が済まない様子だ。
どうすれば良いものかと思案していると、隣に座った少年の心地良い声が静寂を破った。
「ケット会長のお気持ちは十分理解できます。このままナユタを手ぶらで帰らせるのは、運送会社随一の手腕を持つあなたからすれば、到底受け入れがたいものでしょう」
ナユタは隣に座った少年を見上げる。
そこにいたのは、常のようにラフな格好では無く、どこから持ってきたのかも分からない一張羅を着込んだイオだった。彼の精鍛な顔に相応しいい眼鏡を携え、まるで弁護士の様な佇まいだが、彼は間違いなくイオである。彼には事態の証人として来てもらったこともあるが、彼自身が万が一の際の交渉役を買って出てくれたのだ。その理由は良く分からなかったが、とにかくナユタは全てイオに委ねることにした。
イオの言葉に、ケット会長は照れたように頭を掻く。
「いやはや、随一の手腕などでは……」
イオはその気を逃さずに、彼の心に入り込む。
「しかし、ナユタはまだ十五歳の女の子です。彼女としても、その額の現金を受け取るとなると勇気がいりますし、罪悪感も生まれるでしょう。それはご承知おきください」
「…ふむ。確かにそれもそうですな」
「そこで、物は相談なんですが。…現金は受け取れない。けれどケット会長のお気持ちは受け取る。これならば如何でしょう」
「と、言いますと?」
彼は慣れた様子で、彼の言葉に首を傾げたケット会長を見据え返した。
「これからナユタの為に何か運送する時に、それを格安で請け負う。これならば双方の主張が通ります」
「…格安で請け負う、ですか」
イオの言葉に、ケット会長は目を瞬かせた。イオは彼の瞳を捉えて離さずにしっかりと頷く。
「ええ。これならナユタも気負いなく会長のご厚意を受け取れますし、会長も筋を通すことができるでしょう」
「…確かに。…いや、それが最も良い方法ですな。いやはや失礼ナユタ殿。私としたことが、利己的に話を進めようとしてしまっておりました」
「あ、いえ。ありがとうございます」
ケット会長が静かに頭を下げて来たので、ナユタもそれに応じる。
二人のやり取りを静かに見ていたイオは、時を見計らって再び口を開いた。
「それでは、話はそれで決まりということで、よろしいですね?」
「ええ。そうしましょう」
「ありがとうございます会長。どうぞこれからナユタをよろしくお願いいたします」
「……ええ! こちらこそ!」
どこでこれだけの交渉術を身に着けたのか。ナユタからすれば舌を巻くほどの鮮やかさでケット会長と話を纏めたイオは、即座に立ち上がって彼に右手を差し出す。一瞬だけ戸惑った様子を見せたケット会長だったが、彼は即座にそれが意味する所に気が付いたようで、自分も立ち上がるとその手を握り返した。そうしてイオとの握手を終えたケット会長は、改めてナユタに向き直る。
「ナユタ殿。この度は本当に申し訳なかった。これを期に、是非末永いお付き合いをさせて頂ければと」
「は、はい。こちらこそ宜しくお願いします」
そう言ってナユタも彼と固い握手を交わす。そうしてようやく話の終わりが見えて、ナユタはほっと息を吐いた。
すると、隣でそそくさと荷物を纏めてその場を去ろうとしたイオが、思い出した様に振り返ってコルトに視線を向ける。
「そういえばコルト。ずっと気になってたんだが、ナユタに聞いた限り、おまえは中等部でも優秀な成績をとってるそうじゃないか。なら別にナユタを蹴落とさなくても、十分特待生を狙える場所にいただろう。何でわざわざこんなことしたんだ?」
イオの言葉に、ナユタは頷きながらコルトに視線を向けた。
イオ、ケット会長、そしてナユタ。三人の視線を一身に集めた落ち栗色の少年は、しかし眉を潜めて首を横に振った。
「……分かんねえ」
「え?」
絞り出された言葉に、ナユタは首を傾げる。
そんな事があるだろうか。自分で襲っておいて、分からないとは。
しかしコルトの目を見るに、それは本心の様だった。彼の目にも強い困惑の色が見て取れる。
「確かにナユタさんには、何ていうか……成績に関して嫉妬とかはしてたけど、それだけだったんだ。言い訳がましく聞こえるのは百も承知だけど、ここ数週間は何だか感情が制御できなかった気がする。なんだか俺が、俺じゃないような……」
「ほーう?」
イオは興味深そうな目をコルトに向けて続ける。
「まぁナユタに対する嫉妬心が燻ってたとはいえ、何かきっかけは無かったのか? ナユタへの脅迫を決意した何かが」
イオの言葉に逡巡したコルトは、ややあって思い出したように口を開く。
「そういえば、酒場で偶然出会った変な男と話してからかもしれない」
「変な男?」
「ああ。黒色のコートを身につけてて、フードを被ってたから顔は見れなかったが、随分と体格の良い男だった」
「なるほどな。酒の席で思わず本音が漏れて、そいつが遊び半分で唆してきたってことか」
イオの推察にはナユタも納得する所だった。酒が入っているなら開放的な気分になって自分の心に正直になるし、人の言葉も受け入れ安易い。ナユタはそこそこ酒が強いから問題はないが、コルトはそういう訳にもいかなかったのだろう。
そう思ってナユタは頷いていたが、コルトは眉を顰めて予想外の言葉を口にした。
「…いや、違うんだ。俺はナユタさんの話題を出してない」
「あ?」
首を傾げるイオに、コルトは困惑した様子で答えた。
「…ナユタさんの事を最初に口にしたのは、間違いなくあの大男だったんだ。俺はそれに乗っかって、思わず自分が劣等感を感じている事を口にしてしまった。そして男と話を終える頃には、あんな事を計画していたんだ」
「…そいつが何て話しかけてきたか、覚えてるか?」
「明確には覚えてないが……『ナユタって人物を知ってるか?』みたいな感じで聞いてきた気がするな」
彼のその言葉に、ナユタとイオは揃って首を傾げる。
「そいつはナユタを知ってそうだったのか?」
「いや、詳しくは知らない様子だったな。だから俺にあれこれ質問してきたんだよ。彼女がどういう人物なのかってな」
「ふーん?」
イオは片方の眉を釣り上げて腕を組んだ。
彼はどうかわからないが、ナユタの思考はとにかく疑問で満ちる。自分がとある理由から零層都市においてそれなりに有名人であることは自覚している。だからナユタを知らない様子の男はリディアの人間ではない可能性が高い。しかし、かと言って都市街に名が知れ渡るほどかと聞かれれば、それは違うと言える。今回のコルトの証言が正しいのであれば、都市街からきた人間が、自分の情報を入手したがっているということになる。一体誰なのだろうかその人物は。
その場にいる誰もがそれに対する思考を巡らせる中、数秒後にケット会長が沈黙を破った。
「こ、コルト貴様! そうやって責任を回避しようとしても、そうはいかんぞ!!」
「…わ、分かってるって。それにこれは俺の勘違いの可能性もあるし、元はと言えば俺がそういった感情を持っていたから起こってしまった事態だ」
コルトはそう呟くと、ナユタの前にやってきて改めて頭を下げた。
「ナユタさん。昨日まで、本当に沢山迷惑かけてすまない。もし君が望むなら、俺は学院の試験も辞退する」
そう言って頭を上げたコルトの目には、確かな覚悟が宿っていた。
一瞬だけ驚いて言葉に詰まったナユタだったが、彼女は薄く笑って静かに首を横に振る。
「いいえ。それには及びませんよ」
「なぜ…」
理解できない様子のコルトに、ナユタは心に浮かんだ言葉を贈る。
「…コルトとは中等部から競い合って来た仲です。私は学院の入学試験で、あなたと競い合えることを楽しみにしています。ですからどうか、最高の準備をして向かってきてください。私の成長を助けると思って」
その言葉に、コルトだけでなくケット会長も目を丸くしていた。
それから力なく笑ったコルトは、溜息交じりに答えた。
「…俺の全力すらも糧にするつもりか。相変わらず、本当にすごい奴だよ。ナユタさんは」
そうして、ここ数週間に渡って彼女を悩ませ続けたコルトによる脅迫は、穏便に幕を下ろしたのである。
しかし大団円の中で、イオが訝し気な顔をしていたことに、ナユタは気が付けなかった。
「…大男、ね」
握手するナユタとコルトを見据えたイオは、人知れず、何か見えない物を見ようとするように目を細めた。
♢
ナユタを悩ませていた一連の事態が解決した。
主犯であるコルトをはじめとした同級生達とは、今まで通りの関係を維持できるようイオが取り計らってくれたことも手伝って、ナユタは非常に気分が良い。運送会社最大手『ケット運輸』本社を後にして、再び夕闇の中をゆっくりと自宅へ戻るナユタの足取りは以前よりも随分と軽かった。
ナユタはチラリと、隣を歩くイオを見上げる。
颯爽と現れたナユタを救ってくれた少年は、以前よりも逞しく見えた。かっこいいねとか、頼りになる人だねとか、同級生達が黄色い声で口々に言ってたが、彼は、実はモテるタイプなのだろうか。男性との関わりが皆無に等しいナユタにそれは推し量れないが。
僅かに熱を持った頬を意識して、ナユタは口を開く。
「イオくん。今回は何から何まで、本当にお世話になりました」
「改まってなんだよ」
苦笑するイオ。しかしナユタは心からそう思っていた。
ここまで話が円滑に進んだのも、同級生達と以前よりも仲良くなれたのも、全てイオが話を進めてくれたおかげだとナユタは確信していた。
そして、確かに胸が高鳴ったあの瞬間を思い出す。
あの時自分の目の前に飛び込んできたイオの姿が、青白い光を身にまとった彼の姿が、目に焼き付いて離れない。
「それに……嬉しかったですよ。あの時、イオくんが私を庇ってくれたこと」
イオが自分の為に動いてくれた。何故かはまだわからないが、ナユタはただそれだけで嬉しかった。
対するイオは静かに笑って、どこか遠くを見る目をして呟いた。
「守るって約束したからな」
「え?」
イオの独白がよく聞こえなくて首を傾げると、イオは一度ナユタに視線を向けて、それを閉じた。それから淡い笑みに戻って首を左右に振った。
「なんでもねえ…それより、同級生達とは仲直りできたのか?」
話題が唐突に変えられるが、生真面目にも質問に答えなければならないと思ったナユタは、別段意識する事なく彼の言葉にうなづいた。
「あ、はい。みなさん今日の朝にお家まで来てくれて、しっかり謝ってくださいました。それからちょっとお話しとかして、寧ろ中等部時代より仲良くなりましたよ」
それは事実だった。ナユタ自身、中等部時代には周りに対して壁を作っていたこともあって、同級生とはあまり関わって来なかったのだが、今はもう普通に会話ができている。
そう考えると、中等部というのは一番難しい時期かもしれない。もうナユタ位の年齢になれば、互いを尊重し合える程度には精神的にも成熟するのだが、中等部位の年代というのはどうしても人間関係が難しくなる時期だと思う。
「そうか。そりゃ良かったな」
「はい。ありがとうございました」
ナユタの言葉を聞いたイオは、満足そうに笑った。その表情に、思わず問う。
「怒らないんですか?」
「え、何を?」
「脅迫されていたことを黙っていたことです。今回は結果的に巻き込んでしまいましし……」
少し俯き加減でそう言う。
ナユタはこの大切な事実を隠してイオに話を持ちかけた。きっと内心では怒っているのだろうと思ってイオを見上げると、彼は「ああ、そんなことか」と言って笑った。
「まぁナユタが何か隠してるだろうなとは思ってたさ。けど俺はそれを承知で話に乗ったんだ。だから別に怒ってねぇよ」
その言葉にナユタは安堵息を吐く。しかしイオはすかさず厳しい顔になって続けた。
「けどな。いくら人間相手に精神武器を使わないって言っても限度がある。俺が庇いに動いてなきゃ、おまえ切られてたかも知れねぇんだぞ?」
自らがとった行動を指摘されて、ナユタは苦笑する。
その通りだ。彼の言葉は何一つ間違っていない。高尚な願いも命あっての物だ。あれは少し欲張りだったかもしれない。
ナユタがそう内省していると、しかしイオが表情を和らげた。
「…まぁあの考え自体は嫌いじゃねぇけどな」
イオはずいぶんと優しい顔をしていた。ナユタはその横顔に思わず目を奪われながらも、いままで漠然と感じていた疑問を口にしてみる。
「イオくん」
「ん?」
夕闇に照らされたイオの紺碧の瞳が、ナユタに向く。
「…今まで聞こうか迷ってたんですけど、一ついいですか?」
「まぁ別に良いけど…」
「どうしてあの時、そして今回も、私を助けてくれたんですか?」
唐突な問いに、イオの目が見開かれる。しかしナユタにはそれを気に掛ける余裕は無かった。湧き上がってきた疑問を、とにかく素直な気持ちでイオにぶつける。
「正直に言いますけど、今までも打算で助けてくれようとした人達はいっぱいいました。でもイオくんからはそういう感情が感じられないんです。そういう人達ばかりじゃないとは分かってるんですが、それでもどうしてイオくんが私を助けてくれるのか気になってしまって…」
そもそも最初、イオはナユタのことが嫌いだったはずだ。出会い頭には似つかわしくない喧嘩をしてしまうほどに。しかし彼はナユタを助けてくれた。それがなぜか、ナユタには気になって仕方なかったのだ。
ナユタが足を止めてイオの顔を見上げ、改まって問うと、イオは少し居心地悪そうに笑いながら言った。
「あー、そのことか。まぁちょっと思うところがあってな」
「思うところですか?」
「ああ。ナユタは俺の恩人によく似てるんだよ。俺が最初に助けようと思ったのはそれが理由かもしれないな」
「そうですか…」
そう言われると、なぜだか寂しいという感情が胸の内に浮かぶ。しかしナユタがそれを隠して言葉を返す前に、彼はそれを払拭する様に言葉を続けた。
「けど、それだけじゃない。俺はナユタと一緒にいるのが楽しいから、個人的にナユタを助けたいと思った。それは嘘じゃねえよ?」
夕日に照らされ、穏やかな笑みを浮かべたイオの言葉に、ナユタの口から思わず声が漏れる。
「……それは、とっても嬉しいです」
本心だった。
それを聞いたイオは、すこし戸惑いながらも頷いてくれる。
「そうか? なら良かったけど」
そう笑う彼を見て、ナユタははたと思い至る。
「……ねぇ、イオくん」
「ん? 今度はなんだ?」
「私からイオくんに、言っておかなければならないことがあります」
「なんだよ? そんな改まって」
再び疑問を含んだ目を向けてくるイオの紺碧の瞳を覗き返して、ナユタは唐突に言い放った。
「私は、自己犠牲の塊です」
♢
自己犠牲の塊。その言葉を反芻して、イオは眉を潜めた。
「はぁ? いきなりなんだよ」
「もし自分か誰かを秤にかけなければいけない時が来たら、私は迷わず自分を切り捨てます」
ナユタはイオの言葉を諸共せずに、何時になく真剣な表情で続ける。
「それは、私の過去が原因なんですが…」
イオは今まで、ナユタの過去には触れてこなかった。彼女の、自分は自己犠牲の塊だ、という言葉が本当なら、どのような過去があるのか非常に気になる所ではある。
しかしナユタは笑みを浮かべて大きく伸びをすると、常の声音に戻って続けた。
「なぁんて! 冗談ですよ冗談! 私には何もありません。ただの町娘ですよ」
「……嘘下手すぎ」
イオは彼女の言葉に、視線を逸らしてぼそっと呟く。
嘘が下手だとは前々から気が付いていた。その癖して彼女は、大事なことは全部嘘でごまかすのだ。正直ムカッと来るが、今この場でそれを指摘する程、イオは他人の感情に気が付けない訳では無い。
分かりやすすぎる作り笑いと、極めて明るい声音に調整された声。壮絶な過去があったのだと容易に想像が着く彼女の言葉に、イオは思わず喉をぐっと鳴らす。
少しだけ、ナユタは自分と似ている気がした。彼女もきっと、過去に囚われている側の人間なのだとイオは思った。だから、彼女の傷を抉るような真似はできない。それを彼女が話したいと思えるまで、待とうと決めた。
彼女にそれを悟られぬ様に淡い笑みを浮かべて、イオはやれやれと首を振った。
「そうかよ。まぁ、それならそれでいいけどさ」
「はい」
そして少しだけ表情を和らげたナユタは、一拍置いてイオに向き直る。そして朝日に輝く海のような美しさを内包する大きな碧眼を、真っ直ぐに見上げて問うてきた。
「イオくんにお聞きします。私は何ですか?」
「…自己犠牲の塊?」
「そうです。だから、私は誰かが困っていたら迷わず助けますし、無茶だと分かっていても突っ込んでいきます。そして、勝てないと分かっている相手であっても、誰かを守る為に戦わなければいけない時は、絶対に戦ってしまうんです」
突然の宣言に、イオは苦笑する。
「とんでもねえ無鉄砲さだな」
そう呟くと、ナユタはびしっとイオを指さして言った。
「そう! そこです!」
「はい!?」
唐突の大声に思わず驚いて変な声を上げると、ナユタは極めて真剣な顔になって告げる。
「私はある意味無鉄砲なんです。だから、イオくんにはそこをお願いしたいんです」
「そこ?」
「はい。もし私が無茶をしたり、馬鹿なことをしたら、イオくんが助けてください」
「助けてくださいって、そんなことあるか?」
あまりに投げやりな言葉に、イオは思わず転びかかる。
「止めるっていう選択肢は無いのかよ」
口から次いで出た言葉に、イオは自分の言葉ながらに感心した。
正論だ。そもそもそうなる前に止めてしまえば、無茶も馬鹿もしようがないではないか。
しかしナユタは、珍しく含みを持たせた笑みを浮かべるだけだった。
「私の体は状況関係無しに動きます。それにこのパーティーのリーダーを私に委ねたのは、イオくんですよ? パーティーリーダーである私の行動には従ってもらわないと」
確かにその通りだが、イオは知っている。
「そうだが、そうやってリーダーに振り回されて崩壊してきたパーティーを、俺は何個も見てる」
イオの現実的な言葉。しかし、ナユタは何ら問題無いような顔で告げた。
「そうですか、そうですか。それなら仕方ありませんね。パーティー結成の話は無しの方向になります。……あ、そうするとイオくんに勉強を教えてあげることもできなくなりますけどね」
「こ、こいつ…」
イオは煽る様なナユタの態度に拳を握りしめ、ムカッとしながらも思考する。
つまり彼女が言いたいのは、交換条件だということだろう。学院に合格する為には、ナユタの指導は必要だ。しかしそうなると、自然とナユタとパーティーを組むことになるが、そうなれば既にパーティーリーダーの地位を確固たるものとしているナユタを尊重する必要がある。それが嫌なら自分で勉強を頑張れ、ということだろう。今から他の受験生に勉強を教えてもらう選択肢も無くはないが、当然、現実的ではない。つまり任務を達成するためには、ナユタとパーティーを組むほかない。彼女はそれを分かっていてあの態度をとっているのだろう。
「ったく、本当に似てて困るっての」
「…何か言いましたか?」
思わず口をついて出た言葉に、ナユタが首を傾げる。イオはあっと口を抑えると、それから苦笑して降参とばかりに手を上げた。
「…分かった、分かったよ。助けるって」
「ほんとうですか?」
「ああ。だってナユタは俺のパーティーリーダーだからな。その意向は尊重するべきだろ?」
イオは、ナユタの目を真っ直ぐに見つめ返して頷く。彼女はイオが自分の頼みを受け入れてくれたと気が付いたようで、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。
「約束ですよ? ほんと、頼りにしてますからね」
その言葉に胸に刺さった棘が刺激されるが、イオはそれを悟らせない様に苦笑のまま答える。
「…ああ、分かった。これはナユタと俺の約束だ」
そう、これはナユタとの約束だ。あえてそう宣言したのは、イオにはもう一つの約束があるからだ。
もう一つの約束、それはイオの大切な人との約束だ。だから、その”約束を果たす対象”かもしれないナユタを守らないという選択肢は、最初からイオには存在しない。だが、今彼女にそれを説明するわけにはいかない。今はまだ、その時ではない。
「…綺麗な夕陽だな」
「でしょう? リディアは夕陽が綺麗な都市として有名なんですよ」
もうすぐ日が暮れる。
穏やかな笑みを浮かべた二人の朧げな影が長く伸びて、そして少しだけ重なった。
少し長くなってしまいました! 申し訳ない!




