第十話:ナユタの隠し事
街灯が灯り始める頃になって、イオ達はようやくナユタの家があるという西区に辿り着いた。
なんだかんだ荷物を運ぶ為についてきてしまったが、ナユタの家を見るのはこれが初めてだった。今日一日一緒に過ごした少女の家に向かっているというのは、なんとも不思議な感覚だ。しかし別段滞在する予定も無いので気楽にいこうとイオは辺りを見回す。
西区は街の様子も、商業区画である南区とは随分と異なっていた。南区は良くも悪くも雑然としていて賑やかだが、西区は驚くほど静かで、区画整備が行き届いている。
「静かで、何か高級感ある場所だな」
イオの言葉に、隣でナユタが頷く。
「そうでしょう。ここは西区の中でも特に静かな場所ですからね。ある程度経済力がある人達が住んでますから、建物も良質なものが多くて見栄えも良いんですよ」
「へぇー」
「…イオくんはいつまで宿暮らしをするつもりなんですか?」
ナユタの言葉に素直に感心していると、今度はナユタから問いが投げかけられた。
うーんとイオは唸りながら考えて、そして至極当然の答えに行きつく。
「まぁ学院に合格するまでだな。学院は寮があるから、合格できたら寝泊まりはそこで良いし」
学院は全寮制ではないが、希望すれば学生寮に入ることができるらしい。それは宿暮らしをしているイオからすればありがたい話だ。宿は連泊していてもそれなりに値段が張るし、設備もそれなりにしかない。対して学生寮は格安で提供されている上に、学生支援の為に満足できる設備が整えられていると聞く。流石に国の将来を担う人材を育てようというだけはある。
ナユタもその辺の事情を理解しているからか、イオの答えに別段驚くこともなかった。
「あー。それは確かにそうですね。何でも三食お風呂つきらしいですよ。学生寮って」
「風呂がついてんのか。やるなあ」
「はい。一般寮は共同浴場。特待生寮はなんとそれぞれの部屋にあるそうです」
「…それは、それだけで特待生になる価値があるな」
「確かに。それもそうです……ね」
イオの本気の思案に苦笑したナユタだったが、彼女は前方を見やると、
「で、ではイオくん! お見送りありがとうございました!」
その場でいきなりイオの前に立ちはだかった。
「あ。もう着いたのか?」
「ええ。そうですそうです! もう着きましたから!」
随分と慌てた様子のナユタの声が静かな道中に響く。それに気が付いた彼女は、はっと口を塞ぐが、すぐに小声でイオに頭を下げた。
「…ですから、どうかここは何も聞かずに……お帰りくださると助かる……のですが…」
「は? どういう意味だよそれ」
ナユタの申し訳ないような、バツの悪そうな表情に、イオは困惑しながら答える。
何やら後方を気にしている様子のナユタは、再びイオに何かを言おうとして、
「あれ? ナユタさん。いやぁ探したよ。この間の返事、まだ聞かせてもらってなかったからさ」
背後から近づいてきた男の声に、あっと振り向いた。
ナユタの背後にはいつの間にか複数人の男女が近づいてきていた。イオは彼らをじっと見据える。男性五人、女性二人。いずれも武器はもっていないが、それなりの装備に身を包んでいる。そんな歪な装備構成であれば、考えられる可能性は一つしかない。彼らは精神武器使いだ。
静かに息を吸って思考を切り替えたイオの耳に、赤茶けた髪を持った男の声が続く。
「それで? どうすんの? 学院試験を辞退するって話は?」
イオはその言葉に、心の中で首を傾げた。
間違いなく特待生を勝ち取るであろうナユタが、学院試験を辞退するだと。こいつは何を言っているんだ。
困惑甚だしいながらにナユタを見やると、ナユタは険しい表情でごくりと唾を呑んだ。そして冷や汗を流しつつ口を開く。
「で、ですから。…それはもう少し時間をおいて考えると…」
ナユタの言葉に、男は哂いながら首を横に振った。
「いやいやいや! そんなことしてたら、もう二次試験始まっちゃうじゃん! それに俺達知ってるんだよ? ナユタさんが二次試験の申請に行ったってこと」
こいつはナユタのストーカーなのか。だとすれば気持ちが悪い。
イオが思わず顔を顰めると、男は性格の悪い笑みを浮かべて続けた。
「…ナユタさん知ってるよな。俺達がナユタさんの秘密を知ってるって。”あれ”、学院に伝えてもいいの?」
あれが何を指すのかは、イオには分からない。しかしそれがナユタにとって不利な内容である事は分かった。
ナユタの頬を、汗が伝る。
「このまま試験受けたって、どの道俺らに秘密暴露されて、はいお終い~。…だったらさ、もう受けなくていいじゃん。俺達はナユタさんの為を思って言ってんだよ。君が辞退さえしてくれれば、ずっと黙っててやるからさ」
コツコツと足音を立てながら近づいてきた男は、不気味な笑みをかき消して言う。
「…辞退しろよ。おまえ邪魔なんだよ。俺が特待生になる為には、おまえがどうしてもな」
その言葉に、イオは事態を把握した。
なるほど、彼らは優秀なナユタを試験から排除しようとしているのだ。自らが特待生になる為に。
しかしナユタが必死に勉強を続けているのを見てきたイオは、特待生がそんなに甘いものでは無いことを理解している。だから彼らの短絡的な行動に溜息を吐いた。そんな脅迫をしている暇があったら、少しでも知識を頭に叩き込めば良いものを。
「ずっと目障りだと思ってたんだよ。難民の癖に、教師に気に入られたってだけで優秀そうな面しやがって。…こいつらだって、心底そう思ってたらしいぜ」
背後にいる仲間達を見回した男は自信ありげに笑う。しかし彼の背後に並んだ取り巻き達は、さしたる覚悟も意思も感じさせない目をしていた。十中八九、成り行きだろう。イオは冷ややかな視線を男に向け、胸の内で「小物め」と吐き捨てた。
しかしナユタはそういう訳にもいかない様子だった。イオからすればそんなものは無視すれば良いと思ったのだが、ナユタにはそうできない理由がある様だ。それが何なのかは終ぞ分からなかったが。
嘲り笑う様な男の視線がイオに向く。
「そこのあんたも随分と仲良さそうだけど、止めといたほうが良いぜ? こいつなんかと一緒にいるの」
自分に矛先が向くか。
面倒に思いながらも、イオはやれやれと口を開く。
「…別に俺が誰と仲良くしようと、あんたらには関係ねえだろうが。……ったく、せっかく良い気分でデートしてたってのに台無しだ」
イオの言葉に男は呆けたように目を丸くすると、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「ははは! こりゃ傑作だ! まさかデートとはな!」
そして楽し気な表情を浮かべたまま、男はその先を口にしようとする。
「知らねえようだから教えてやるよ! こいつは亡霊なんだよ! もう帰る場所も、なにもかもが」
「やめてください!!!」
しかし男の言葉は、ナユタの絶叫でかき消された。しばし辺りに静寂が訪れて、言葉を遮られた男はこめかみをひくつかせながらナユタに向き直る。
「なんだ。こいつには知られたくねぇってか?………じゃあ、辞退しろよ。早く、今すぐに」
葛藤の末に、ナユタが口を開く。
「…それはできません。私には、やらなければいけないことがあるんです。例え誰もに罵られても、絶対にそれだけは曲げられない」
その顔には決意が満ちていた。イオはその表情に思わず見とれたが、軋む様な男の声で意識を戻す。
「……本気かよ?……そうかよ……くっくっく……それじゃ仕方ないよなあ!!」
男はそう叫ぶと、無造作に自らの胸に手を当てて、その手に光を集め始めた。それが意味するところを、イオは知っている。
幻魔が現れてからずっと、人類を守り続けてきた奇跡の武具の出現。すなわち、精神武器の権限である。
光を纏った片手剣が男の手に収まる。チラリと背後の取り巻きを見やると、事態が思わぬ方向へ転がってしまったと感じているらしい彼らは、あたふたするだけで何の行動も起こそうとしなかった。
「…こうしたくはなかったが、こうなっちゃ仕方ねえ! 実力行使だ! もう試験を受けられないくらいボコボコにしてやるよ!!!」
だが男は止まらない。彼はそう叫ぶと、いきなりナユタに斬りかかってきた。
ナユタは突然の攻撃ながらに、魔術で体を強化する事で何とかそれを避けた。精神武器は使用者の肉体性能を高める力を持っており、それと渡り合うには魔術による肉体強化は必須だ。
次々と繰り出される攻撃を、ナユタは何とか躱していく。しかし反撃はしない。それどころか、ナユタは精神武器を展開すらしなかった。
流石のイオもそれを不審に思って、手に持った荷物を道端に置きつつ、ナユタに声を掛ける。
「ナユタ! こいつ本気だ! おまえもせめて精神武器を展開しろ!」
基本的に精神武器には精神武器でしか対抗できない。通常の武器ではどれだけ業物であっても、精神武器の圧倒的な強度にはかなわないし、魔力を纏わせても半端なものでは同じ結果だ。
しかしナユタは、それを明確に拒否した。彼女は必死に攻撃を躱しながら叫ぶ。
「嫌です! 私は精神武器で人を傷つけたくない!」
その言葉に、男が苛立つ。
「はは! そうかよ! そりゃ立派な心掛けだが、随分と舐められたもんだな!!」
確かに男の言う通りだ。立派な心掛けではあるが、それは狂気を纏った相手には無謀な行動だ。
魔力を纏ったナユタの拳を弾いて、バランスを崩した彼女に剣を突き立てようとする男。
流石にまずいと思ったイオは、再びナユタに叫ぶ。
「ナユタ、分かったからもういい! そいつはもう狂気に落ちた人間だ! だから精神武器を使え!!」
しかしそれでも、ナユタは精神武器の使用を拒否した。
「嫌です!! 精神武器は幻魔から人々を守る為のものです! 私はそれを人相手には絶対に使いません!!!」
そう叫ばれたナユタの言葉に、イオは思わず目を丸くした。
姿勢を崩したナユタに向かって繰り出される袈裟切り。ナユタはそれにぎゅっと目を瞑った。
それを止めに走っていたイオ。目に映る景色が随分と緩やかになった彼の脳裏を、かつての記憶が駆け巡った。
かつてナユタと同じように、そう言った女性がいた。
『精神武器は人を守る為のもの。だからそれを人同士の争いに持ち出すのは、私はいけないことだと思うわ』
似ているとは思っていたが、まさかここまでとは。
ナユタと彼女の姿が、イオの中で重なる。
イオの口元には自然と淡い笑みが浮かんでいた。
そして次の瞬間、イオは青白い光を放って、消えた。ふわりとその場から姿を消したイオは、次の瞬間にナユタの目の前に出現する。
「イオくん!?」
迫り来る精神武器からナユタを背後に庇うと、彼女から悲鳴のような声が上がった。
当然だろう。先程イオがナユタにも言った通り、精神武器にそれ以外で立ち向かうこのは普通に考えれば自殺行為だ。ナユタからしてみれば、イオが自分の身代わりになるべく前に躍り出たと感じるだろう。その際の戦慄は計り知れない。
だかイオは対照的に、男が繰り出した大振りの一撃を見極めると、静かに笑った。
癖がある分、幻魔よりは戦い易い相手だ。これなら魔術による身体強化も必要ない。
そしてイオは轟速で繰り出された剣の軌道を、その剣腹を殴り付けることでナユタから逸らした。即座に左に動いたイオの桃髪を僅かに掠めて、剣は地面に突き刺さる。
彼の精神武器は負けたのだ。魔力で強化すらしていないイオの技術に。
「…なんだと!?」
男が目を見開いて叫ぶ。それに驚いているのは男だけでは無い。その取り巻きも、イオの後ろに庇われたナユタも、同様に驚愕していた。しかしイオにしてみれば、この程度は朝飯前だ。そうでも無ければ“精神武器も無しに“前線を生き残れる筈もない。
男は一連の攻防が信じられない様子で狼狽える。
「…ち、調子に乗んな! 今のは俺がミスっただけだからな!」
「……ミスね。そう思うなら、あんたはそこまでだな」
男の言葉に、イオは静かに唸った。それが許されるのは訓練だけだ。実際の戦場ではミス=死なのだから、それが許される現状は幸せなものだと彼は理解しているのだろうか。
イオの視線が男に向けられる。別段威嚇するつもりもなかったが、男は気圧された様に下がった。
それは当然の事だ。イオは一つのミスも許されない紙一重の戦いを、今日に至るまで生き抜いてきた。戦いに身を置いてきた歴が、戦場の死神に魅入られた時間が違う。
「……こんの野郎がああぁ!!」
そして男は、湧き上がってきた怒りと恐怖に駆り立てられるように剣を振るい始めた。しかしその剣は、実に乱雑なものだった。イオはそれを苦労もせずに弾き、格闘術で的確に反撃していく。一撃、一撃と攻撃を浴びせられた男は、それに苛立った様に剣を上段に構えて大きく振り下ろした。
ゆっくりなった視界をふっと細めて、イオはその軌道を観察する。
そして確信した。この角度ならいけると。
イオはそこで再度魔力を高ぶらせた。拳を駆け巡る膨大な魔力を制御して、イオは拳を強化する。そして迫り来る片手剣に拳を放った。
凄まじい速度で繰り出された拳は即座に男の精神武器に激突して、金属同士が衝突するような凄まじい轟音が静かな西区に轟く。夕闇に照らされていた辺りに、青白い雷にも似たような閃光が走った。
両者は鍔迫り合いの如き数秒の拮抗を演じるが、相手は精神武器であるのに対してこちらはただの強化された拳一つ。普通に考えればイオに勝ち目はない。しかしイオはふっと短く息を吐くと、男の精神武器を正面から打ち砕いた。
男から素っ頓狂な声が上がる。
「はぁ!?」
男の驚きは十分に理解できる。これは世界の法則に反する事態だ。
だがイオはそれがさも当然であるように、滑らかな動きで男の懐に入り込んだ。
剣のもう一つ内側。完全にイオの間合い。男の目に焦りが浮かぶ。
「し、しまっ」
「デートを邪魔してくれた礼だ! 受け取りやがれ!!」
イオはそう笑みを深めると、驚きに無防備になった男の腹部に拳を突き出した。
確かな手応えを感じたイオの一撃は、男は数メートル上空へと吹き飛ばす。白目を剥いて、数秒間華麗に宙を舞った男は、数秒後に再び大地に戻ってきた。
ドサっという音と共に倒れ伏した男。イオは彼を一瞥すると、何の心の変化も感じられない動きで、ポケットから取り出した棒付き飴を口に含んだ。




