0-8 欲望がもたらした末路
宿屋への帰り道。
すでに地平線の向こうの色が変わりつつある。
帰り道でルメナが俺に聞く。
「あいつはそんなにほったらかしておいてもいいの?」
「ナセルにはもう使えるカードがない。何か事を起こすことはできない。」
「私たちの正体のことは?家の処分は?」
「そのためにこれを盗んできたじゃん。」
俺が取り出すのはナセルの印章が押してある紙。
さっきとって置いたその紙だ。
「これを使ってこの騒ぎをあいつに擦り付けるのさ。」
「あくどいね。」
じゃあ、どんな方法でそうすればいいか…
エリゼに頼もうか?
「エリゼ、頼むよ。」
「あえてそんな方法で伝えるべきなの?」
「仕方ない。多くの人々が見る前で公開されないといけないから。」
旅館に引き返した。
出発するために荷物を整理し、馬車も一つに減らす。
残りの馬車は旅館の主人に安い値段で売った。
「眠いのは分かるけど寝不足は馬車で解決して。
あ、エリーゼ。手紙、作成できたぞ。」
「出る方向は西の方だったね?終わったら、そっちに行くわ。」
朝9時を少し回った時刻。
馬車に乗って旅館を出る。
そしてエリーゼは弓を手にして、高い塔の上に立っている。
そして遠い所を眺める。
ここから何千歩も離れているところ。
並並の弓道なら及ぶことのない距離。
「あそこが中央官庁。朝なのに人がかなり多い。
あれくらいなら大丈夫よね?」
大きな矢を取り出して、弓を引いて、射る。
矢はまっすぐ進んで役所の入り口に突きさせられる。
周りの人々が驚いている。
「任務完了。それでは私も帰ってみようか。」
官庁の前の群衆が驚いており、その矢には小さなかばんと共にメモがぶら下がっている。
人々が近づいてメモを読む。
「何これ?!本当か?!偽物じゃない?!」
手紙が公開され、ある噂がハードセル全体に広がる。
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気絶していたナセルが覚めた。
あいつらはいない。
体を起こして邸宅に向かって歩いて行く。
一度気絶して目が覚めると心と頭が落ち着いた。
あいつらが発つ前に言った言葉も覚えている。
Z級、断罪、そして助言。
自分が奪われたことへの未練を捨てろという…
笑ざけるな…!
「世紀の英雄と呼ばれるZ級だと?
私も世紀の商人だ。
全部奪われたわけじゃない。
まだ立ち上がれるための足場は残っている。
あいつら、正体がばれることに敏感だったんだ…
私の情報力を総動員しててめえらの正体を暴いてやる。
私に触れたことを後悔させてやるぜ。」
まだ諦めていない。
あいつらが消えたら、また取り戻せばいい。
しばらくはうつむいたまま情報を集めるつもりだ。
あいつらが完全にアンデハジャクから脱した後に、反撃すればいい。
再びナセルの目が欲望に沈む。
とりあえず奪われなかったものをちゃんと把握しておく必要がある。
そんな考えで屋敷に向かうのに、人が多い。
普段も取引や宴会のため多かったが、今日は違う。
官庁の職員と兵士が先頭に立っており,その周囲には大勢の市民がいる。
今度はまた何にが起こっているんだ…
一応見る目があんなに多いなら、あいつらがまだ残っていてもむやみに私に触れることはできないだろう。
近寄ってみよう。
「君たちがどう用事で?」
「ああ、ナセルさま。
朝送った手紙の内容通りにしに来ました。」
「手紙?一体何の話をするんだ?」
「この手紙を今日役所にお送りになったでしょう?矢にかばんをぶら下げて、その中に入っていました。
これじゃないですか。」
そして手紙を取り出す。
手紙をひったくって読んでみる。
「これまでやってきたことが後悔になる。
あまりにも多くの人々に苦痛を与えた。
突然だが、今までやってきたことが間違っていることに気付いた。
こんなおかしいな方法で手紙を手渡した理由は未練を断ち切るためだ。
もし私が直接伝えに行くなら、とても私の手から離せないようだから。
贖罪のために私の邸内のすべてとオアシスをハードセルのために寄付する。
これを証明するためにかばんの中に私が持っているすべての権利書を入れて送る。
また倉庫の鍵も同封する。
これから邸宅は改造して公共機関として使うようにし、財産は救済活動として使うように。
オアシスは皆に開放される。ただし雇用人はそのまま邸宅で働くように。
この手紙を読み次第、作業に取りかかるようお願いする。
この仕事が終わればすぐに商会を解散してハードセルを離れるつもりだ。」
手紙はこう終わった。
手紙の末尾には自分の印章も押されている。
「あの連中が…最後まで、こんなくだらないいたずらを…!」
「それでは作業を今すぐ…」
「冗談するな!私はこんな手紙を送ったことがない!」
「はい?!でも確かにあなたの印章が…」
「私が私のものをこんなろくでなしやつらに出してやるとでも思ってるのか?!
だからこれがどういうことかというと…」
混乱している役人にナセルが事の顛末を説明しようとする。
その時、頭の後ろに石が飛んでくる。
そのまま石に当たって倒れるナセル。
「どんなヤツが!」
周囲を見渡した瞬間、冷や汗が流れる。
今の発言に、市民のこれまで押さえつけてきた怒りが爆発する。
「手紙の内容を聞いて改心したのかと思ったら何だと!」
「あいつが最後までオレたちをもてあそぶのかよ!」
「殺してしまえ!水の問題は解決したじゃないか!憚る必要もない!」
「あいつの私兵も何ももうかまわない!今日私が死んでもお前だけは絶対殺す!」
「こんなぼんくらめが!その手紙は私が書いたんじゃない!」
ナセルは叫んでいるが、逆効果だ。
これまで積もった怒りの前で、真実は無意味だ。
そして粗雑な偽りが真実になってしまう。
市民たちがナセルに飛びかかる。
いきなりの状況にナセルが邸内に逃げ込む。
邸宅前を守っていた護衛と官庁の兵士が人を阻むが、力不足だ。
怒った市民たちが邸内に押し入る。
まもなくナセルが引っ張り出される。
「放せ、この下品なやつらが!
こんなことをして無事だと思っているのか!?」
「やっぱりこいつ反省なんて少しもしてない!その手紙も偽物だったんだ!」
「でもその書類は本物だったぞ。俺が直接見て確認した。」
「そんなの構わない!こいつのせいでどれだけ多くの人が死んだか分かるたろ!
もっと早くこうすべきだった。」
ナセルが道端にたたきつけられる。
今になって事態の深刻さを把握するナセル。
「ちょっと待って!その手紙、私が送ったに違いない!
全部持って行ってもいいからもうやめろ!」
しかし、大衆の目は冷たい。
だれかが石を投げる。
これをきっかけに、あらゆるものがナセルに投げられ始める。
額から血が流れる。
腕が動かない。
片目が見えない。
そして。
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「帰ってきた?」
「まだそんなに遠くへは行なかったね。
予想と違って、探すのに苦労したわ。」
「この声を聞いて出発したかったんだ。」
俺たちはある道ばたに止まっている。
この音を聞くために。
風に混じってかすかだが確実に聞こえてくる喊声。
「暴動が、いや、革命が始まったな…」
権利書をそのように処理した理由は2つ。
一つは不正腐敗の防止。
もし、それをそのまま官庁や有力者に渡して処理を任せていたら、それを欲しがって事実を隠したり、もみ消そうとしたはずだ。
そのため、大衆に直ちに公開する道を選ぶ。
公開された以上、隠して個人的に触れることは不可能になるから。
二つ目は、この革命のために。
ナセルの財産は莫大だ。
これが公共財なっても,私有化をねらう者たちは出てくるだろう。
俺たちがずっとここにいるわけにはいかない。
結局、市民の自ら、力を見せて自分を守るしかない。
だからこそ選択した方法がこれ。
「子ゾウの足枷。」
象を手なずける時は、小さい時から足を縛っておく。
そうすれば幼い象はもがくが、もう諦めて順応するようになる。
成体になって足枷を断つ力がついてもじたばたしない。
ダメだという認識が固まったから。
しかし、一度足かせを切って動かせることを教えてあげれば、これまで抑えられてきた自由の欲求が爆発する。
小さな抑圧が積もって大きな抑圧にも抵抗できなかった象たち。
「水」という足かせを断ち切り、憤りを表出するきっかけを作ってあげれば。
自分で戦うことになるのだ。
このことで誰もオアシスに触れることはできないだろう。
もしそうしたら自分もナセルと同じ格好になるかもしれないということを今日のことで学んだから。
そして、中央からおびただしい歓声が上がる。
‥‥終わった。
愚かな男だ。
到頭俺の助言は聞き入れなかった。
未練と欲心を捨てて失ったものを諦めたら、あんなめにはならなかったのに…
機会は与えた。
選択は自分の分。
馬車を出発させる。
「ナセル、お前の最後の借りであり業。
これまで奪ってきた人々の幸せ、全部返した。」
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西側の交易路に沿って砂漠を渡っている。
俺が馬車を運転している間、他の奴らは寝ている。
そんな中、ルメナが起きた。
「フアア…どれくらい来た…?」
「もっと寝たら?
恐らく明日になって次の村に着くはずよ。」
「ううん…昼食を食べなきゃ…
お腹が空いたら眠れないものなんだ…」
「お前が枕にしていたその箱が食料箱だからすきに取り出して食べろ。」
「ウウウウン……」
「寝るなり食べるなり何なりと一つだけやれ…」
くだらないおしゃべりをしながら次の目的地に向かっている。
そして夕暮れ。
適当な所で夜を過ごすことにする。
「夕ご飯、できました!」
オフィーリアが食事の時間を知らせて、皆が集まる。
ただ、一人は見えない。
「クリスさんは?」
「さっきから馬車の中だけにいたよ。
私が行ってくるよ。」
ルメナが荷馬車で行く。
その中で、俺は地図を広げたまま悩んでいる。
「もう次のことを考えてるの?
真剣に心配なんだけど,いつか君の頭がストライキを起こすに違いないよ。」
「本来なら既にウィズフィンに着いているべきだったよ。
それに今度のことは間違いなくウィズフィンでも噂になるだろう。
次のことはかなりやっかいなことになったな。」
「ふふん、本当にまじめにも生きるんだね。
このように生きていくと、もう一つの目的さえ忘れてしまうかもしれないね。」
「……忘れるわけがねじゃねか。」
「とにかく君の復讐はまた先延ばしになったことだね。
私だったら一応復讐から終わらせた後に気楽に行動するのに。」
「俺も昔ならそうだったかもしれない。
しかしこの仕事を始めてからは到底そうすることができなくなった。
俺たちが1日遅れるだけでも、誰かが取り返しのつかない苦痛に陥るかもしれないから。」
「世の中に革命を起こすなんて…
本当にばかげたことに巻き込まれてしまったの、私だって。」
「いまさら何を言うんだ。
そしてお前よりはもっと現実的じゃない?
なんと過去の『魔王』として人間界に侵攻したヤツだろ、お前は。」
「とにかくご飯から食べてやりなさいよ。
オフィーリアが怒るとどうなるか分かるよね?」
「脅迫のうでが上手になったね。
立ち上がらざるを得ないな。」
「全部お前がやることを見て学んだのよ。」
すでに日光は消え、月と星だけが空を照らしている。
ふと空を見上げて感傷に耽る。
この旅の目的は世の中の改革と俺の復讐。
俺は過去に裏切りによって死の境界に足を踏み入れたことがある。
運が良くてこのように生き残るようになったが、その日のトラウマは今の日々を作った。
あの時のことを思い出す。
話はおよそ3年前にさかのぼる。
俺が勇士パーティーの魔法使いだった時代に。