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コントラクト

作者: 一色春

「恐ろしいんですよ。」と男は応えた。

 全く会話が成り立っていないな。と私は呆れた。

 深夜二時、車も人も通らない時間。ここには私と男だけがいる。

 男は暗闇の中でキョロキョロと視線を泳がせながら、話を続けた。


「電車に乗っているとですよ。付けているイヤホンの音量をどんどん下げてしまうんですよ。音が周りに漏れてしまっているんじゃないかって、不安でね。でもね、そこはほら地下鉄でしょう。」

 と言って駅の方を見た。そこから離れたここは街灯もなく、完全な暗闇に包まれている。

「だからね、周りに音が漏れるなんてないんだろうな。とか思うんですよ。それでもやっぱり恐ろしくて音を下げるんですよ。そしたら、もちろん自分も聴こえないくらい小さくなって。と言うよりも音量は0になってるんですよね。音なんか出てないんです。だからね、音が漏れてるなんてことある筈ないんですよ。それでもまだ、恐くて」

 それなら、イヤホンなんかしなければいいじゃないですか。

 言ってから、そんな話をしたいのではなかった。と気がついた。

「そうなんですけどね。ほら若い人なんてのは皆、着けてるでしょう。だから自分もしなくちゃ、いけないでしょうよ。」

 そうですかね。

 男を中年の様にも見えるが、実はまだ二十五らしい。

「そうですよ。そんな事で文句を言われたら堪ったもんじゃないですよ。私はね。芸能人じゃないですからね。文句を言われたって仕事を自粛するわけにもいかないですし、カメラの前で頭を下げることもないんですよ。ですから何もね。やめられないんです。」

 何かあったんですか?

「いえ、何も」

 そうですか。

「はい。」


 そうですか。それでお兄さんはここで何してたんです?

「えぇ、そうでしたね。コンビニに行こうとしたんですよ。そしたら、あなたが。警察に話しかけられるなんて初めてです。」

私は警察じゃないですよ。

「あ、そうなんですか?俺はてっきり。あぁそうですか。」

 男の表情が少し和らいだ。キョロキョロと彷徨っていた視線が、しっかりと私の顔あたりを見る様になった。

「その背中の大きいのは、何ですか?ギター?ただの木の棒に見えるけど。」

 違います。まぁ商売道具ですよ。ほら、誰にだってあるでしょう。

「あぁ、そうですか。私はね、生まれ変われたら音楽の道に進みたいんですよ。音楽なんて言うとね、高尚なものに聞こえるかも知れませんがね。ギターを弾いて歌を歌って、バンドですかね。そうしたものに成りたかったんですよ。」

 いまは?

「今はバンドなんてやってませんよ。もしもの話です。」

 質問の意図がうまく伝わらなかったことに少し不快感があり、

 いまは仕事は何をされてるんです?

 と少し語気を強くしていった。

「営業ですよ。ウォーターサーバーを売ってるんです。健康になるには、良質な水が重要です。なんてなことを言ってね。でも実際そう思うんですよ。人の体は六割以上が水でしょう。その水が健康を左右するなんて、ほら当然でしょう。体の中の水を全部出して、良質な綺麗な水と取り替えたいです。私はね。」

 そうですか。

 職業と年齢、あとは本人の許諾さえ確認が出来れば仕事は完了だな。

「でもですよ。もしも私の中の水が全部、丸々すっかり入れ替わってしまったら、どうなるんですかね?体の六割が入れ替わってしまっても、私はわたしのままでいられるんでしょうか?綺麗な水で出来ていない、今の自分こそが私ならば、」

 大丈夫です。あなたはそのままですよ。消えてなくなるわけではないでしょう。

「そうですか。まぁ、どちらでも良いんですがね。どうせ死んでしまっても、良いんですがね。」

 え?

 思わず声に出してしまった。この場合、本人の許可を得たと言うことになるんだろうか。

 確かこちらから死を提案した後、許諾を得た場合のみだった筈だ。

 しかし、今ここで改めて死を提案して良いものだろうか。

 過去にこうしたパターンになった事がないので、私は困惑していた。


 足音がするので目線を向けると若者が歩き少し離れたところを通って行った。

「誰かに見られている様に感じることってありますか?確かに周りに人はいるんで、そりゃあこっちをチラッと見ることはあるでしょうけど。そうではなくて、明らかにこちらを見ていると言うことなんでしょうな。ありますか?」

 いえ。ありません。

「そうですか。」

 どうしようか。前に先輩が正式な許諾を得ていない、という理由で厳重注意を受けた。と言っていた。三度の注意で免停なのだ。

 困ったこのままでは自分もそうなりかねない。

 しかし、この仕事についてまだ半年なのだ。随分と面倒な相手に当たってしまったものだ。

 とりあえず、話をして気持ちをリセットさせる。その後改めて確認という形を取るべきだろう。

 そうしたことを感じるんですか?

「いえ。ありませんよ。」

 無い?無いのか。さも、そうした経験をしている様な口ぶりは何だったんだ?

「でも、そうした事があるんだ。と言う人がいるでしょう。辛いでしょうな。俺はね、見られてる様には感じないけど、やっぱり恐いんですよ。」

 この男はずっと怖がっている。

 何がそう、恐いんです?

「迷惑なことですよ。」

 男が当然でしょう。という様な程当然に応えことが不快だったが、この話を長引かせなければと私はもう一つ質問をした。

 迷惑をかける事が、ということですかね?

「まぁ、それもそうですよ。でも私はどこにも書き込んだりはしませんよ。何があってもね。そうしたことをするのは、それこそ誰が見ているか判らない。不満を言ってそれに不満を言われたんじゃ、キリ無いでしょう。堪らないですよ。」

 はい。

 男がまだ話を続けてくれそうだったので、軽く相槌を打ち先を促した。

「そうではなくって。迷惑をかける事が怖いんですよ。勧善懲悪でアンパンチで悪者がボコボコにされるのは、テレビの中だけじゃなくなっちゃたんですよ。そうでしょう?電車に乗ってたら、見ろあいつ迷惑かけるぞ。見てろ見てろ。、とずっと見られてるんですよ。だから迷惑かけない様にしなくちゃいけない。」

 なるほど。

「そりゃ当たり前なんですよ。誰だって迷惑なんてかけたく無いでしょう。そうするのが、まぁ何ですか。常識ってんですか?そうでしょうね。だから誰も間違ってないんですよ。私が悪者になったらボコボコにすんのが彼らの仕事でしょう。私なんかは、迷惑をかけない様怯えながら暮らす。それでバランスが取れてるんですよ。きっとね。」

 それに不満はないという事ですか?

「不満。そりゃあ、少し辛いですよ。電車に乗ってる時に音楽が一個も聞こえないなんてのは辛いでしょう。地下鉄ですから煩くて、ずっとイヤホンから聴こえるわけじゃないですけど。ただちょっとした静寂に流れる音楽は良いもんでしょう。」

 男は眉を八の字にして悲しそうにした。

 私には男の気持ちがわからないでもない。

 まずい。このまま暗い気持ちでいたら、またあやふやに死を希望してしまう。

 えっと、ところで。その、あなたは。

「はい。何でしょう?」

 まずい余りに唐突すぎた。

 必死に頭を働かせる。どうすれば自然に死を提案できるだろうか。

 いや自然にそうした会話になることなどあり得るのだろうか?


 生まれ変われたら。と言う話を先ほどしてましたが、実際はどうでしょう?その為には一度死ななくてはいけませんよ?

「えぇ、構いませんよ。どうせ、」

 ま、待ってください。その先はまだ言わなくて結構です。

「え?まだ言わなくてってなんですか。いや私なんてね」

 ですから、待ってください。

 危ない。事あるごとに死を望むなこの人間は。

 生まれ変わりという言葉を使って、死の希望を確認するのは少し詐欺の様な気もするな。

 もう少し、正確に意思を確認するべきだろうか。

 念を入れてもう一度、許諾を得ておくべきだろう。


「あなたはどうなんです?最近ワクワクする様なことありますか?」

 私ですか?

 もう一度、話を変えて今度は自然に話の流れで確認を取るべきか。

 人間の若者が興味のありそうなことか。

 そうですね。例えば漫画とかゲームとかですかね。

 というと男はフッと鼻で笑った。

「若いですね。私はもうそんな体力もないですよ。昔は好きだったんですがね。いつの間にか自分が好きだったキャラクターよりも歳上になってますしね。そうなるとダンダンね。気が付くんですよ。結局は子供騙しに騙されてたんだなぁとかね。小説なんてのはもっての外ですよ。賢そうな顔してるだけで、明日にだって無くなりそうな程に空っぽですからね。」

 そうですか。

 どうしようか。何を話してもこの男の前ではマイナスにしかなりそうにない。

 この男が嬉々として話そうなこと。

 でも音楽はワクワクするのでは?

「そうですね。音楽だけは良いものかも知れませんね。例えば私が好きな音楽に飽きてしまったとするでしょう?」

 男は少し表情を崩し話を始めた。

「それでも音楽は私を置いて行かない。物語は私の知らない間に完結してしまったりするし、いつの間にか主人公が修行してたりするけれどそんなことないでしょう?それでいて、ふとした時に聴くと、あの頃を思い出せるんですよ。」

 死んでしまったら、もうその好きな音楽も聴けませんよ。

「そうですね。」

 それでも死にたいのですか?


 二人の間には沈黙が漂っていた。

 バイクが横を通り過ぎた。男の顔がライトに照らされた。

「あなた、そんなもの背負ってたのですか?危ないですよ。いやそんな大きいもの、なんで?まさか。本当に殺そうとしてるんじゃないですよね。」

 と言って男は後退りした。

 躓き尻餅をついた。

 目の前のものを遠ざける様に腕を前に出し拒否を示した。

「待ってくださいよ。マジに死にたくなんてないですよ。死んだら、もう音楽も聞けなくなるんでしょう?そんなの絶対にイヤですよ。ちょっとコッチ来ないでください。」


 男は這う様にして私から逃げて行った。バイクによって刃の部分が照らされてしまったんだろう。

 確か、存在を疑われる様な行為は厳重注意の対象だった筈だ。

 ため息をついた。

 結局確認は取れず終いだった。

 帰り道、思い浮かぶ男は暗く澱んだ顔ではなく嬉々として音楽を話す顔ばかりだった。

 大人でも楽しめる漫画の一つでもオススメしてやればよかった。

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