新しい出会い
もう夏が終わろうとしている。
この頃、私は同じバイトのある人によく声をかけられるようになっていた。
テツジという名前の大学生だ。
といっても2浪して入ったらしいから私より5歳年上だった。
見た目はもっと年上に見えた。
よく喋る声の大きな人で、ノリもよく、ムードメーカー的な存在だった。
福岡出身で、たまに博多弁が混ざる。
用がなくてもわざわざ話しかけるタイプの人だった。
ある日、私はテツジと帰りの時間が一緒になった。
原付に乗ろうとしたところ案の定声を掛けられた。
「ねーねーマキちゃんって家近いの?オレ?オレはすぐ近く。
あそこのファミレスまっすぐ行って、交差点左折して、ちょっと行ったところ。」
…聞いてないし。てゆーか早く帰りたい。ちょっと寒いし。
それが私の内心だった。
この人は一体何がしたいんだろう。
帰っても一人だからヒマなんだろうか。
と勝手に自分の中で話にメドをつけようとしていたその時…。
「ねーねー、メアド教えてくんない?」
「え?!」
とっさに出た答えだった。
私自身、人知りがあるうえに、積極的な方でもない。
というか、直球でこられると逆に警戒して自ら壁を作ってしまうところがある。
「なんでですか?」
と雰囲気ブチ壊しの回答をしてしまった。
普通人にメルアドを聞くのに深い理由があるはずもなく。
特にこのテツジに関してはそうだろう。
まさにノリそのものだ。
「なんでですかぁ〜?!なんででしょう??ねー教えてくれてもいいじゃん。
たまにはオレと遊んでよ。」
「たまにはって遊んだことないですけど。」
「えー?!そうだったっけ??じゃぁ今度遊んでよ。」
そんな一方的なやりとりからなかば強引に私はテツジにメルアドを教えるハメになった。
その日から毎日のようにテツジからメールがくるようになった。
バイトで会うし、なんだか一日中彼と会っている気分にさえなった。
これが好きな人だったら嬉しいんだろうな…。
そう思う時点で私はテツジに対して何の感情もないことが分かった。
結構アタシ、冷めてんのかな…、そう思った。
去年フラれてから傷がまだ癒えてないんだろうか。
色々自分に問いかけてみた。
人を好きになるってどんな感じだったっけ?
メールが来て嬉しくて、会えると思ったら1日テンション上がって。
いつでもどこでも一緒に居たいと思うよね。
そうだ。やっぱり違う。
そう思っている間にもテツジはどんどんアプローチをしてきた。
明らかに狙われている。
自分で言うのもなんだけど、それくらい彼のアピールはすごかった。
でも告白されたわけでもない。
思い込みはやめておこう。
そう自分に言い聞かせていた。
テツジとは普通に仲良くしていた。
そんなある日、とうとうその時が来た。
「今度二人でどっか行かない?」
きた。
彼も一応大人のオトコだ。
どっかってどこ…?
二人でってことはやっぱりその気があるんだ。
私の中で一気に色んな想像が駆けめぐった。
軽くOKしてもいいものか。
私は彼のことを好きでもなんでもなかった。
ただ、動揺した。
今まで人を好きになることはあってもそこまで積極的に誰かに誘われたことがなかった。
しかも年上の人になんて。
きっと私は彼に誘われたことが嬉しかったんじゃない。
年上の男の人に誘われたという事実に喜びを感じたのだ。
私もオンナだ。
この時私は動揺と喜びとで自分のことしか考えていなかった。
テツジがどんな気持ちで私を誘ったかなんて考える余裕もなかった。
「今返事した方がいいですか?」
とりあえず私はそう答えた。
「いや、今じゃなくてえーよ。また詳しいことメールするわ。」
そう言ってテツジは珍しくさっさと帰って行った。
次の日。
テツジからメールがきた。
昨日はいきなりごめんな。嫌だったらいいけん。ただメシ食いにでもって思っただけやし。
正直私は分からなかった。
オトコゴコロ?というより、テツジというオトコが。
あれだけ思わせぶりな行動とっといて、いざ誘った途端に引き腰になる…。
何がしたいんだろう。またそう思った。
思えばその違和感は始めからあったのかもしれない。
メールに返信はしていた。
ただ自分から打つことはなかった。
私自身、自分からこの人のことが知りたいとか、近付きたいとは思わなかった。
もっと早くに気付けばよかったのかもしれない。
恋愛に免疫がない私はすべてのことに一喜一憂していた。
小さな事でもいちいち考えていた。
そうこうしているうちに3日経った。
そろそろ返事をしないといけない。
テツジからは来週の木曜にと言われていた。
しかし私の中で答えはもう出ていた。
来週の木曜は久々に高校時代の友達と会うことになって。
みんなバイトしてるからなかなか日が合わなくて。
そう返事をした。
もちろん友達と会うなんて嘘だった。
少しでもやんわりとした返事をしたくてそれなりに考えたものだ。
そっかー。残念やわー。ほなまたな。
彼は何ともなかったようにすんなりあっさり答えた。
やっぱりこの人、分からない。
最後まで私はそう感じていた。
数日後、ある出来事があった。
バイト仲間のアユミが私に話しかけてきた。
「ねーねー、マキ。テツジさんと何かあった?」
思いもかけない質問だった。
「えっ?!何でよ?!誰かがそんなこと言ってた?」
「いやーさぁ、キッチンの人たちが話してんの聞こえちゃって。
何かテツジさん、マキのこと堕とせるかどうか賭けてたみたいなんよ。
ジュンとケンジと3人で仲いいがん??その3人で話してたんだよ。
それで。何かもうちょっとだったーみたいなこと言ってたからさぁ。
まさかマキ、ホントに何かあったりしたんじゃない??」
「ないない。よくメールきてたことはあったけど。二人でどっか行ったこともないし。」
「そっかぁ。ならいいや。
何かね、あの3人誰が早くオンナ堕とせるか賭けてゲームみたいなんしてるらしいよ。
エッチしたら終了〜みたいな。サイテーだよね。
たいして3人共カッコイイわけでもないのにさ。」
平静を装っていたが、内心私はかなり動揺していた。
あのテツジが私をそんな目で見ていたなんて考えただけで嫌だった。
血の気が引くような気分だった。
私はものすごく嫌な気持ちになった。
テツジのしようとしていたことにも腹が立った。
がしかし、何よりそんなテツジの思惑にまんまとハマって振り回された自分が本当に情けなかった。
それまでの自分が本当に恥ずかしくなった。
誘われて喜んでいた自分が嫌になった。
もしあの時OKしていたらどうなってたんだろう。
強引なテツジのことだからやっぱり…。
考えただけで怖くなった。
そんな風には見えなかった。
大学生ってみんなそんな人ばかりなんだろうか。
そんな思いさえ抱いてしまった。
バカみたい。
テツジの言動にいちいち反応して考えて、色々考えて悩んで。
その結果がこれだ。
自分が情けなくて仕方なかった。
悔しいのと悲しいのと寂しいのと恥ずかしいのと怖いのと嫌になるのともうなんだか訳が分からなくなった。
涙が出そうだった。
今日はテキトーに働いてさっさと帰ろう。
いつもならみんなと話して帰るが、どうしても今日はそんな気分になれない。
キッチンにはジュンとケンジがいる。
いつものようにケラケラ笑っている。
見るだけで腹が立った。
デシャップ越しから睨んでやった。
それから1週間、状況は変わっていない。
ただ不思議なことにあれからテツジからのメールがない。
ひょっとして、アユミが何か言ったかな…。
そんなことを考えていた矢先だった。
テツジからメールがきた。
何してんの〜?
賭け事は楽しいですか?
何のこと?!
賭けには勝てそうですか?
だから何のこと??
さぁ?自分の胸に聞いてみたら?
誰かなんか言ってた?!
早く次探さないと負けちゃいますよ。
そんなやりとりをしていた時…
プルルルルル……
テツジが電話してきた。
「もしもし?!てゆーかさっきから何言ってんの?!」
「は?何ってそのまま。」
テツジの声はいつになくテンパっていた。
分かりやすい。
やっぱりそうだったんだと思った。
「自分が何しようとしたか分かってんの?分かってたらメールなんかできんか。」
「てゆーか誰から聞いたん?」
「誰でもいいがん。その前に何か言うことないん?」
「何か?何もないし。」
今にもキレそうだった。
その時、電話越しにドアを開ける音がした。
休憩室のドアだ。
テツジはバイト先からかけてきている。
しかも周りに誰かいるような気配がする。
「ねぇ、今どこなん?店にいるでしょ?」
「今自分ちだって。一人だし。」
嘘をついている。
ここまできたら徹底的に問い詰めてやろうと思った。
「何が目的だったん?」
「いや、なんでもないって…そんな怒らんでやー。」
「あたし、嘘つく人嫌いなんよ。」
「だから嘘ついてないってー。」
「何でそんなこと言えるんよ。」
「だから、ジュンとケンジが…。」
「だから何??」
「あいつらは確かに賭けみたいなんやってるけどさーオレは違うで。」
「別にあの二人のこと聞いたわけじゃないし。てゆーか何で話すり替えるワケ?!」
…あたし、何で今この人に対してこんなに怒ってんだろ。
そんな気分になった。
好きでもないのにケンカみたいなことをしている。
彼氏でもないのにテツジのやったことを怒っている。
「だからさーアイツらがやってることでオレは関係してないんだって。
オレはマジメに恋愛する方だし。オンナ堕とそうとか考えたことないってー。
オレはオンナを賭けには使いませんー。」
「誰がオンナを賭けてるって言ったっけ??あたしそんなこと一言も言ってないんですけど。
そっかぁ、オンナ賭けに使ってたんだぁ。へぇー。」
「えっっ?!今さっき自分ゆーてなかったっけ?」
「あたしは賭けは楽しいですかって聞いただけ。オンナを賭けるって一言も言ってませんけど。」
「だからーオレは関係ないんやって。信じてやー。またオゴるけん。ほんまお願いってー。」
ここまできたら呆れるしかなかった。
自分はこんな人の行動に振り回されて、誘われて喜んで…。
テツジに失望すると同時に自分にも失望した。
「分かった。言ってることは分かった。でももうどっか行ったりしない。ごめんけど。」
「マジでぇーもう勘弁してやぁ…」
耳をすますとやっぱりテツジの横には誰かいる。
笑っているような声が聞こえる。
電話をしている自分まで何だか嫌になってきた。
「じゃぁ、またね。横の人によろしく。」
「もーマジ信じてってー。」
「じゃぁまたね。」
無理矢理電話を切った。
自分の中で何か冷たいモノが突き抜けていったような感じがした。
あれ以来テツジは何となく私と距離を置いていた。
もちろん私も仕事の用がある時以外は彼と会話をすることもなかった。
それでもテツジは相変わらず大声で笑っている。
これまでもそうだったけれど今は余計に鼻につく。
きっと私とのことはテツジにとってみれば何の出来事でもなかったんだろう。
すぐに次の女の子を探しているんだろう。
働きながらテツジの声が聞こえるたびにそんなことを考えていた。
気にしないように気にしないようにと自分に言い聞かせた。
何だかバイトに行くのが憂鬱になってきた。
みんなで仲良くしてたのに、心の中では何考えてるのか分かんないじゃんって思うと寂しくなった。
何か疲れたな。バイトも楽しくない。
自分ももっと早くに気付けばよかった。
そんな風に毎日自分を責めていた。